ヨハネ7:37-38
さて、祭りの終わりの大いなる日に、イエスは立って、大声で言われた。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。
わたしを信じる者は、聖書が言っているとおりに、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになる。」
渇いていることに気づいたのは、18歳の時だった。
そんなことを考えることもなかった自分が、辛い出来事にあって、悩んだ時、渇いている自分を見つけ出した気がする。
そこで、すぐにイエス様を信じようとした。
「信じます」の一言で、心の底から何かがフツフツと湧き上がるのを感じた。
嬉しい、喜びがあふれてくる。
この聖書の言葉はずっとあとになって知ったが、この言葉は真実だ。
しかし、半年ほど経って、この泉が枯れ出したような気がした。
さらに半年、どんどん枯れていく。
もうだめだ。
イエス様を信じたのは何だったんだ。
もう終わりだ。
と思ったが、真剣に祈った。
祈り初めてすぐに、何かが自分に触れているかのような感触を感じた。
頭から始まって、体全体に不思議な力を感じた。
祈りの言葉が突然、訳のわからない、何語かわからない言葉になっていた。
ビックリした。
当然だろう。
何をしゃべってるんだ?という冷静な自分がいる。
反面、すごい喜びに包まれてしまって、これが続くことを願う自分もいる。
嬉しくて、嬉しくてたまらない。
こんな喜びが人生にあったなんて・・・ 聖書には、異言、聖霊のバプテスマと書いてあった。
すばらしい!
感謝の祈りで満ちている。
あれから30年以上経つのだが、あの時の感覚は今もしっかりと残っている。
そして、あれから、あふれ出る生ける水の川が枯れることを知らない。
病気にはなったし、手術もした、痛みと闘い、辛いこと悲しいこといっぱい体験した。
しかし、不思議な喜びは続いている。不思議な喜びだけに、上手く説明はできないが、すごいうれしい。
そして、教えられたことがある。
この不思議な体験は自慢するためにいただいたのではない!
この生ける水が自分を生かすように、渇いている人のところに届くようにすることが必要だと。