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礼拝説教、聖書を読んで感じた事

道との遭遇

2019-10-06 18:18:40 | 礼拝説教
2019/10/6 礼拝説教
【テーマ】  イエスは天国への道
【説教題】 「道との遭遇」
【聖書箇所】 ヨハネ14:6
14:6 イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれも父のみもとに行くことはできません。

○ 東京に来て、道が複雑なのに驚きました。京都の町は道が縦横真っ直ぐなので迷わずに行けたのですが、東京は行き止まりもたくさんある上、北に向かって歩いているつもりがいつの間にか東に向かっていたというようなことが何度もありました。道に迷うというのはとても嫌なものです。ましてや天国への道に迷うというのは人生最大の失敗となると思います。イエスは「私が道だ」と天国への道そのものであることを教えてくださいました。

Ⅰ.神のことばに従ったモーセ
A.道が無い
1.旧約聖書の有名な人物はたくさんいますが、その中の一人にモーセがいます。彼はエジプトの奴隷とされて苦役に服していたイスラエル人をエジプトから連れ出し、彼らの祖国へと連れ帰る仕事を託されます。
2.エジプトを出るので「出エジプト記」というのですが、出エジプト、英語で Exodus エクソダス。神がモーセに導き出すように言われたのですが、決して楽に出ることはなかったのです。やっとエジプトを出て、故郷へと向かうのですが・・・。
3.気持ちを翻したパロ王は軍隊を仕向け、連れ戻そうとしました。そんな時、目の前に大河のような海が現れ、後ろにはエジプトの軍隊、逃げ場を失いました。

B.道ができる
1.その時に神はモーセに語られました。 出エジプト14:16 あなたは、あなたのつえを上げ、あなたの手を海の上にさしのばし、海を分けて、イスラエル人が海のまんなかのかわいた地をすすみ行くようにせよ。 と。モーセがその言葉の通りにすると、東風が一晩中吹いて海を分けて海底を乾かしたのです。今まで道が無かったところに道ができたのです。
2.古いカーナビを使っていると新しい道が出てきません。新道を走るとカーナビの地図に無いところを走っていることになります。まるでモーセ達はそのように道の無かったところを進んでいったのです。

Ⅱ.その力はどこから?
A.杖なのかモーセなのか
1.では、考えてみましょう。海に道ができたのはモーセの杖のお陰でしょうか? 杖に力があったのでしょうか? 私たちはつい杖や何か、お札とかお守りとかそういったもの、偶像に力があるかのように思いやすいのです。
2.では、モーセがすごかったからでしょうか? モーセに力があったのでしょうか? 私たちは「カリスマ○○」とかすごいことのできる人をあがめる傾向にあります。時としてそれが宗教的なカルトになるわけですが。

B.どちらでもない
1.当然、杖にもモーセにも特別な力があったわけではないことはおわかりだと思います。ではなぜモーセが杖を上げていると海が分かれるというような不思議が起こったのでしょうか?
2.モーセは偶像やお守りを信じたのではなく、神を信じたのです。神の言葉を信じたのです。信じたということは神の言われることを実行したということです。すると道ができるのです。

Ⅲ.イエスに従う時道が開ける
A.イエスは神の言葉に従った
1.人々は海の底にできた道を行くことで救われました。私たちも天国への道は一見どこにも無かったように見えて、なんとイエスが道だったのです。イエスの言葉に従えば救われるのです。
2.モーセが神の言葉に従ったとき(神に言われたとおり、杖を挙げたこと)、不思議は起こりました。道の無かったところ、いやむしろ「死」でしかなかったところに「いのち」の道ができたのです。

B.私たちはイエスに従うべき
1.私たちは全員死に向かって進んでいました。いのち、すなわち天国への道は無かったのです。ところがこの地上に送られた神の子イエスが父なる神の言葉に徹底して従ったので、旧約聖書に預言されたとおり、命の道が開けました。
2.それがイエスの十字架という道です。最初に読みました御言葉の通り、イエスが道となってくださいました。天国への道ができたのです。私たちはこのイエスを信じることで天国へと行けるという道です。

★ 神の言葉に従うとき海に道ができるような不思議さえ起こります。同じく私たちが神の言葉に従うとき、つまり神の言葉であるイエスを信じるとき天国への道ができるのです。このイエスを信じましょう。


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