明るい乳がん生活&子宮体癌生活(の、予定)

~~2006年11月告知、12月手術、明るい生活を送っていこうと決めました!愛猫たちと頑張る!~~

ゴールデンウィークは観光客でいっぱい。

2018-05-06 14:36:55 | 12年目の雑感
な、京都です。
すごいな、みんな、ちゃんとゴールデンらしくしっかり遊んでおられるのです。
どこに行っても、人、人、人。
特に中東系やヨーロッパ系の方が多くなってきました。
今は安いのかな?
中国や韓国の方は、割引シールが貼られたスーパーでよく見かけるようになりました。
富裕層よりきっと、一般の方の観光者が多くなってきているんですね。

ま、時々、インプラント入れ替え時の話を振り返ってみましょうかねぇ。
書くことがあんまりないので。(笑)

これはドレーン。11年前と前回の、あのでかくて重いドレーンでなくなっただけでも救われます。
術後なので、主治医とは微妙な関係のままの時かな。お互い、つんつんけんけんしていた頃。(笑)


術直後。いっぱいテープが貼られてます。これでかなり固定されてたっぽい。でも、その固定も翌日には取られちゃうんだけどね。
どんな状態になっているかもわからず、ただただ、まぐろのように寝ていました。起き上がる時は(特にトイレ)「あいたたた」と毎回言ってました。

使われなかった、バストバンド。とても悲しかった。5000円もしたのにー。売るわけにもいかないしねー。腰痛バンドにでもしちゃおうか?(ま、出来るような仕様ではないけどね)

点滴と抗生物質が入ったやつ。(多分)もう、記憶も定かではない。

ごはんもいちいち写真を撮ったんだけど、今さらねぇ。
入院日には主治医がいなかったけど、麻酔科のカンファレンスが入っていたのでずーっと待ってたら、最終、「麻酔科の先生はお休みです」なんじゃそりゃゃゃゃゃーと思ったけど、ありがちで期待もしてなかったので「そーですかー。じゃしょうがないですね~」と棒読みしました。

翌日の、主治医との対峙も、こっちの意見とあっちの意見が平行線で、仕方ないですよねー、もうやってくださいよーって感じ。
主治医は、多分それなりに、言いたいことや言い訳や話し合いをしてくれようとしたろうとは思うけど、
数十分後には手術なわけですよ。時間なんてかけてられなくて、ちらちら時計を見る主治医に「マーキング、早くしないと、9時過ぎには着替えて降りてくださいって言ってましたよ」とせかす。
マーキングして、シバシバする眼を何とか開けながら、着替えて手術室前に。そこで、麻酔科の先生と軽い挨拶をして手術をする。
音楽が、11年前みたいにロックでなくてよかったわ。ていうか、やっぱあっという間に寝ちゃったしね。

起きたら、あっという間に病室戻りです。戻る前に「せんせいー、ありがとうー・・」と言ってみたけど、まだお互いに尾を引いていたので「・・・いや、これは麻酔科の先生がちゃんとしてくれたからね」とかなんとか言われた気がするなぁ。
まーいーやー。取りあえず終わったー。
でも、主治医のすごいとこは、やっぱりマメに見に来てくれる。そこんとこはとっても安心。

で、その翌日ですよ。
病室でテープをはがして、ふたりで見てみたら、なんということでしょう。
めっちゃいい感じ。多分、私の笑顔がめちゃくちゃこぼれたと思われる。
お互いの態度の軟化が手を取るように感じられた瞬間でした。人間って、ゲンキン。結果オーライってこういう時のための言葉だね。

で、二か月経った今、やっぱちょっと健側が下がり気味。そうして、ちょっとぱかし形がいびつにはなっている。
術側のへこみもやはりありますが、いずれも保険適用になったら考える方向で充分。
そうして、乳頭作りもしてもらわなくちゃならないしね。
服の上からの見た目は何の違和感もなく、寝るのもそんなに気にならないから、主治医と相談しながら、臨機応変でいけたらなと思ってます。何があるかわかんないしね。特に、あのすい臓ののう胞がね。