担当授業のこととか,なんかそういった話題。

主に自分の身の回りのことと担当講義に関する話題。時々,寒いギャグ。

被害妄想ではなかったかもしれない。

2011-05-23 23:59:24 | Weblog
僕は若いとき,自意識過剰というか,神経質というか,周囲の目が気になって苦しい思いをしていた。
(病気というほどの深刻なレベルではなかっただろうが,そういう性癖のために,日々,無駄に精神が張り詰めてストレスの多い生活を送っていたように思う。)

今でも,あえて周囲の目を気にしないようにしようとする(虚勢を張る?)癖が残っている。


今日,電車で,中学生くらいの男の子2人組がやたらと笑っているのが聞こえてきた。

こういうとき,どうせ自分のことを笑っているに違いない,とつい思ってしまうのが,被害妄想というか,自意識過剰なところである。

僕は彼らに背を向けていたので,もしかしたら背中やお尻が汚れていたりして,それを笑われているのかもしれなかった。

若いころは,そう考えただけでかなり狼狽したものだが,大人になった今では次のような切り返しを想起するスキルが身についている。

『もし背中側に何か不具合があったとしても,どうせ僕には見えないのだから,とりたてて気にすることもあるまい。』


ところが,クラスに向かうために乗ったエレベーターの鏡に映った己の姿を見て驚愕した。


シャツのボタンがひとつずつ掛け違っていたのである!


電車の中の中学生がそれに気が付いて笑っていたのかどうかはわからないが,彼らに会う前にも多くの人々とすれ違ったわけだから,事態はもっと深刻である。

というのは大げさで,僕の容姿がよほど人目をひくならともかく,通常は道ですれ違ったり,電車やバスで乗り合わせた人のシャツのボタンがずれているかどうかなど気にも留めないから気づくはずもない。

途中の駅でファーストフード店に寄り,注文のときにカウンター越しに店員と向き合ったが,何も気づいていない様子だった。
逆に僕が店員だったとしても,客の服装が少し変でも,まず気づかないだろう。
もしかするとオサレな着こなしかもしれないので,気づいたとしてもそのことを指摘するような野暮なことはしないに違いない。


それにしても,ボタンの掛け違いはついこないだもやってしまったので,脳の病気の予兆だろうか?
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