地球上の誰かがふと思った。
自然数は 0 から始めるべきではないかと。
現代日本では新生児の年齢は 0 歳からカウントする。
だから,たとえば 20 歳の誕生日には,ちょうど生まれてから 20 年が経過したことになる。実に合理的ではないか。
よほど特殊な事情がない限り,自分の年齢というものは誰にとっても身近なものであるに違いない。日常的に使用する金銭にも 0 は必ずといってよいほど顔を出す。
また,1桁の数字
0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9
はちょうど 10 個ある。2桁を必要とする数字 10 はもう異種の数字といってよい。
年号もこの合理的な数え方にそろえてはどうか。
西暦での新しい世紀は 100 の倍数の年に始まることにするのである。
明治 0 年,
大正 0 年,
昭和 0 年,
平成 0 年・・・。
ちょっと違和感があるが,慣れてしまえばどうってことはない。
いつか世界を征服する覇王が出現したら,ぜひともこの説を採用していただきたいものである。
その暁には,電子の電荷をプラスに変えるという科学史上の大変革も便乗してやってくれないものであろうか。
自然数は 0 から始めるべきではないかと。
現代日本では新生児の年齢は 0 歳からカウントする。
だから,たとえば 20 歳の誕生日には,ちょうど生まれてから 20 年が経過したことになる。実に合理的ではないか。
よほど特殊な事情がない限り,自分の年齢というものは誰にとっても身近なものであるに違いない。日常的に使用する金銭にも 0 は必ずといってよいほど顔を出す。
また,1桁の数字
0, 1, 2, 3, 4, 5, 6, 7, 8, 9
はちょうど 10 個ある。2桁を必要とする数字 10 はもう異種の数字といってよい。
年号もこの合理的な数え方にそろえてはどうか。
西暦での新しい世紀は 100 の倍数の年に始まることにするのである。
明治 0 年,
大正 0 年,
昭和 0 年,
平成 0 年・・・。
ちょっと違和感があるが,慣れてしまえばどうってことはない。
いつか世界を征服する覇王が出現したら,ぜひともこの説を採用していただきたいものである。
その暁には,電子の電荷をプラスに変えるという科学史上の大変革も便乗してやってくれないものであろうか。
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