担当授業のこととか,なんかそういった話題。

主に自分の身の回りのことと担当講義に関する話題。時々,寒いギャグ。

【高校数学のツボ】 「証明とは予想から事実への橋渡し」。

2010-05-07 00:47:39 | mathematics
次のような答案を書いて教師に減点を食らった経験がある人も多いのではないだろうか。

問題
任意の実数 a, b に対して成り立つ不等式
a2+b2≧2ab
を証明せよ。

解答?
a2+b2≧2ab
a2+b2-2ab≧0
(a-b)2≧0.■


この答案を見た教師の中には,次のように諭すものもいるだろう。

「数式だけの羅列というメモ書きみたいな答案は見るのも嫌で,感情的になってついバツをつけそうになるから,ちゃんと言葉による説明を補いなさい。」

そういわれたあなたは書き直しを命じられて,しぶしぶ次のように修正する。

修正案 (1)

a2+b2≧2ab
だから,
a2+b2-2ab≧0
となるので,これは
(a-b)2≧0.
よって成り立つ。■


「ストップ,ストーップ!あ,もう書き終えちゃった?遅かったか。」

教師はなぜこんなに取り乱したのだろうか?言い分はこうである。

そもそも出だしがまずい。

『a2+b2≧2ab だから,』

というのは,示すべき結論である不等式を議論の出発点にしてしまっている。

よく結論を仮定にして論証してはいけない,と言われる。
証明のゴールであるはずの結論を仮定して出発してしまうと,ゴールからスタートに向かうという奇妙なレース運びとなり,そもそも失格になるか,観衆からブーイングが飛んでくるはめになる。

「結論」だの「仮定」だのという言葉ではピンとこないなら,「事実」と「予想」と言い換えたらどうだろうか,というのが本稿で提案したいことである。

この問題が与えられたとき,示せと言われている不等式は,まだ万人が認める『事実』と判明していないあやふやな『予想』なのである,と考えよう。

この『予想』が実は正しいこと,万人が認める真理としての『事実』へと成長していく過程をサポートするのが,正しい論理規則にのっとった推論なのである。
これが表題に掲げた「証明とは予想から事実への橋渡し」というスローガンの意味である。

このことを勘案すると,次のような正しい答案が出来上がる。

修正案 (2)

a2+b2≧2ab
という不等式は
a2+b2-2ab≧0
と『同値』である。また,これは
(a-b)2≧0
と『同値』である。
ところで,a-b は実数であり,「実数の2乗は非負の実数である」から,この不等式は任意の実数 a,b に対して常に成り立つ。

よって示すべき不等式が成り立つことが示された。■


厳密に言うと,少し気に食わない点(不等式を命題と捉えているのか,そうでないかがところどころ不明瞭なところ)もあるが,最低限抑えておくポイントはしっかりとおさえられているので,まあよしとしよう。

この証明のポイントは,ゴールである予想の不等式と,真の命題であることがわかっている(あるいはそうであるとみなして差し支えない)「実数の2乗は非負の実数である」という事実とをしっかりと「同値変形」という鎖でつないでいるところである。
一見,結論の不等式を仮定して推論を進めているようにも見えるが,それは
m(a+b)=ma+mb
という等式を,左辺から右辺への流れで見れば展開を表し,右辺から左辺への流れで見れば因数分解を表しているが,そのような等式の見方とは無関係に,この等式は真である(実質的に実数の計算に関する公理であるが)ことに変わりはないということと同じ様なもので,命題と命題を繋ぐ「同値である」という関係が,この等式における「等しい」という等号と同じ役割を果たしているのである。

このような流れで証明を書くと,先ほど述べたのとは違う意味で「予想から事実へ」向かう議論になっている。(表題はダブルミーニングだった!)

ただし,この修正案 (2) のような書き方はともすれば「結論を仮定にすえて議論を展開しているからおかしい」という誤解を招きやすいので,大人しく次のような逆の流れで証明を述べた方が無難である。

修正案 (3)

a,b は共に実数であるから,a-b は実数である。よって
(a-b)2≧0
は真である。
この不等式を展開した後,-2ab を右辺に移項すると
a2+b2≧2ab
を得る。これが示したい不等式なのであった。■

これは,確実に正しいと思われる『事実』「実数の2乗は非負の実数である」から,示したい『予想』の不等式を導き出すという流れであり,修正案 (2) を逆方向(後ろ向き)の推論とすれば,こちらは順方向(前向き)の推論であると言えよう。

いずれにせよ,示すべきことがらは「与えられた正しい事実」ではなく「正しいかどうか吟味すべき怪しい予想」だと捉える姿勢をもってもらいたいのである。
いくら慣れ親しんできた「正しいに決まっているはず」の事柄でも,それが真であることを証明せよといわれたら,「正しいに決まっているはず」という思いを捨てて,「本当にこれ,成り立つの?」と疑ってかかるのが証明というロールプレイングの基本であることを心に留めておいて欲しい。

なお,証明問題で難しく感じられるのは,問題文のどこにも書かれていない「実数の2乗は非負である」というような『証明の核心を担う隠された事実』という飛び道具が必要なことであろう。

生徒のこうした心理的抵抗を減らすためには,問題文にあらかじめ「実数の2乗は 0 以上であることを用いて」というようなヒントを織り交ぜておくべきだろうが,まあ,同じ様な問題を解いた経験を活かして隠された事実を自力で見出しなさい,という思いも教師としてはなくもない。そういう配慮をするかどうかは,生徒のレベルや,生徒に何を期待するかという思惑もからむので,一概には決められない,なかなかの難問である。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする