日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

日本に特使派遣?

2019年04月18日 | Weblog
中央日報日本語版

「天皇謝罪」発言の文喜相氏が日本に特使派遣?

「戦争犯罪の主犯の息子である天皇が慰安婦おばあさんに謝るべきだ」という要旨の発言が論争を呼んだ韓国の文喜相(ムン・ヒサン)国会議長が韓日関係回復のための特使派遣の意向を日本側に伝えたと産経新聞が18日、報じた。

文氏はこのような考えを韓日議員連盟の日本側カウンターパートである日韓議員連盟側に伝えたという。

連盟関係者を引用した報道で、産経は「文氏は周囲に日本への訪問の意向を示していたが、発言をめぐる日本側の反発を考慮して特使を派遣する方向で調整している」とし「特使の派遣とは別に、韓国の国会議員らの訪日も検討されている」とした。

以上インターネットより引用

生のむき出しの感想だ。

どこまで馬鹿にされるのか。こんな連中と手を組んで何が面白いのか。
隣国だから仲よく。誰しもそう思う。しかし相手が侮辱すれば、3倍返しで応じてもよいと僕は思う。

日韓議員連盟側に訪日の件伝えたという。猛烈な反発があってもよさそうなものに !!!!

日韓議員連盟は「可能性は低い」ぐらいの反応だ。この弱腰が舐められるもとだ

あれだけのことを言って侮辱しておきながら、訪日するとはよくも言えたものだ。

彼らは野蛮人だ。そんな相手には、それ相応の対応したらよいのだ。、

おとなしく礼儀正しくるふるまう必要はない。日本国民の感情を逆なでするような輩とどうして付き合わなければならないのか。

大体において弱腰すぎる。この侮辱を韓国に味わわせることが必要だ。

紳士的対応などと言ってやり方を抑えていると、つきあがる。

こんな連中とは絶交すればよい。世界で最も嫌われている連中と何故仲良くしなければならないのか。

堪忍袋の緒はとっくの昔に切れている。もう議論や理屈の場合ではない。実行あるのみ。

ある芸術家の断片

2019年04月16日 | Weblog
ある芸術家の断片

彼女は20才を待たずして、熱烈な恋愛を経験する。そして結婚して人妻になった。彼女は彼の下にやって来て、日々甘い夫婦生活を送る。
が、天は二人の甘い夫婦生活が続くことを許さなかった。彼女は病に倒れたのである。20年ばかりの熱愛生活は5年ほどで病魔によって引き裂かれた。彼女は長い闘病生活のすえ、不帰の人となった。普通は共白髪が理想で、夫婦の契りをむすめば、4,50年は続くのが世間一般だ。芸術家は熱愛する彼女がいて、その支えで創作も進むというものだが、それは人間の都合というものである。必ずしも天は味方するとは限らない。
愛に燃える日々が人生の中でどれほど貴重なものか。何時もその他大勢の側にいる僕はうらやましい限りである。

現代は未婚のままで一生を送る男女が増えている。僕の身の回りを見渡してもごろごろいる。勿論個人の自由意思に基づいて、独身主義を選択しているのだから他人が何か言う必要は無い。

しかし僕は考える。動物全般に言えることだが、男女のつがいは自然の摂理である。この芸術家のように、熱い想いは永続されなかっても、人生の相思相愛と言ううま酒の味を知らずして、果たしてこの世に生きた充実感はあるのだろうか。
例え永続しないでもかまわない。一瞬の恋するものの熱愛の時を経験することなく、夕暮れを迎えて、生きたという実感が味わえるだろうか。
純粋な愛を求めてさまようのは、男女人間としての当然の理であり、芸術家のみの特権ではあるまい。
しかし男女のご縁というものは、ご縁という風が吹かない限り、その結びつきは生まれないのかも知れない。男にせよ女にせよ各々が背負っている運命のままに独身生活が決定されているとは、思えない。やはりお互いを死にものぐるいで、求め合わないとそこには、何の風も吹かないのではないか。

短くても200%の全身全霊を込めて、愛情のなんたるかを知ったり、味わったりすることが、生きる喜びを教えてくれると思う。
ある芸術家の人生の断片を知って、自分の思うところを書いてみた。

言い訳

2019年04月16日 | Weblog
ブログは小さい言葉を並べて、それを見ながら、言いたいこと、書きたい事をフレーズにする。
さらにそれをまとまった文章に仕上げる。

文章になったものを、コピーしてブログ画面に貼り付ける。

ワードではない日本語ソフトを使うので、それを貼り付け画面に貼り付けた場合、変な変換が起こる。

そしてそれがいつも必ず起きるのか、というとそうではない。

時たまだから、こちらもうまく変換できているものと誤解して、そのまま画面を閉じてしまう。
本来だったら、即座に訂正すべきだが、面倒くさくなって、そのまま放置して、恥をかく。

校正能力が不足しているうえに、誤動作が加わるので、なんとも見苦しい文章になってしまう。

これからどうすれば良いか。貼り付けた文章の校正は荷が重い。このままでいくか。

恥をかきつづける。それもまた良しか。言い訳の独り言。



足下を見よ

2019年04月15日 | Weblog
勤め人をやっている頃、お前足下を見よ、とよく言われた。

自分では着実に物事を進めているつもりだけど、他人には浮き足だって、

地に足がついていないように見えたのだろう。

今でもこの言葉を振り返って、考えて見るのだが、いまいち腑に落ちない。

そこで歩くときに足下を見下ろして、歩こうとしたら、目が回るようで歩けない。

歩くときはまっすぐ首をあげて歩く前方を見ないと、まともな歩きは出来ない。

だから腑に落ちないのである。きっと社風が足下ばかりを見つめる風になっていたのだ。

足下ばかりを見つめて、会社の将来の発展はどうなるのか。会社の存続には10年先、

あるいは20年先を見据えて舵を取らないといけないのではないか。

元いた会社は僕が居た当時250億円の資本金だったが、現在は減資されて1億円の会社に

なっている。是は足下ばかりを見つめた会社のなれの果てだ。

足下を見てしっかり固める事よりは、先を見据えて事業展開をする事のほうが大切な証拠である。
足下ばかりを見つめる社風の会社は早晩傾く。もちろん飛び跳ねてばかりいる会社は

これまた倒産の危機に見舞われる可能性は大である。どっちもどっちだ。

NHKいじめ討論会

2019年04月14日 | Weblog


先ほど NHK でいじめ問題を討論していた。

いじめの認知対応とか、いじめ現象とか対策法について、いろんな立場から人々は意見を述べていた。

ここで感じるのだが、どの人もいじめられる側や、いじめ現象について話が集中している。

いじめは加害者と被害者からできている。議論は何故かいじめられる側に集中している。

何故加害者側に話を集中して検討しないのか。?



加害者を含めて いじめの重大性を具体的に知らせる。

例えば 、いじめをすると自分にも心に傷がつく。 親と子に賠償金が課せられる。

いじめは犯罪である。など加害をすれば、どういうデメリットが発生するかということを理解させることも大切である。

もちろんこれは警察力を借りての話である。警察との連携を密にして警官による毎月1回の講演会を実施する。

こうして有形無形の圧力を加えることによって、加害者が 加害をすれば大変なことになるということを 自ら分かるようになるように導くことである。

学校だけではいじめは絶対になくならない。

問題になるのは、いつも被害者の問題であって、加害者に対してはほとんど素通りしていることである。

加害者は たとえその認識が薄いとしても、やはり重大な責任を負うのだということを骨身に染みて教え込むことである。

それによって少しは自殺者が減るのではないか。 目的は自殺者を減らすことである 。

そのためには学校だけでは力が及ばない。やっぱり犯罪であるいじめを、犯罪的な視点から光を当てて、学校と警察が連携することが大切である。

いじめをする加害者には重大な警告と映るのではないか 要するにいじめは、体や心に傷をつけることであるから、 犯罪であるという認識で立ち向かうこと、議論することが大切である。

  リタイアリング・ルーム

2019年04月13日 | Weblog
          


  c  リタイアリング・ルーム
 インド大陸の中心から見ると、カルカッタは北東にあたる。日本では北東を鬼門といって人は避ける。インドの鬼門にあたるのがカルカッタである。この鬼門は私がいつもインドへ入国するときに利用する、インドの入り口である。バンコク空港を経由してインドに行く時には、僕にとっては、最も入りやすいインドの入り口である。
 ところが僕が初めてインドへ行った時の最初の玄関口になったカルカッタは、すこぶる印象の悪いものであった。前回の経験では、このカルカッタだけは、ろくなことがなかった。両替ではだまされいるは、タクシーに乗れば途中でほっぽりに出されるは、カルカッタではろくなことがなかった。インドにたいして持っていた尊敬の念は一辺に吹っ飛んだ。お釈迦さまの出た、立派な国民からなる国だと尊敬の念すら抱いていたのに。僕の持っていた憧れは、音をたててくずれさった。それもわずか30分たらずの間に。
そういうわけで,あれ以降、インドを旅するときには,僕はまず第一に厳重に自分をガードをしなくてはならぬと緊張する。

ニュデリーには朝6時についた。早朝だったのでコンノートプレスまで歩いた。僕はここからお目当てのホテルへ電話をしたら、空室はあるという。これでまずは安心した。
 そこで、大通りから少し入った、コンノートプレスの旅行代理店に行き、ホテルもチケットも一緒に頼んだほうが便利で、安あがりだと思い、この代理店を通じて、先程のホテルに電話をかけてもらったら、満室だという。ものの5分もたっていないのに満室になるとはおかしい。そこで僕は電話を代わり、たった今空室があるといってじゃないかと抗議した。ところがフル、満室の一点張りでらちがあかない。これはおかしい。何かがおかしいと僕は疑念を持った。つまり業者とホテルは後ろで結託しいるのでは?という思いが頭をかすめたのである。
 案の定代理店はあのホテルは満員だから、こちらでホテルを紹介するという。さきほどのホテルでは1泊200ルピー、ところがこの業者の紹介しようとしているホテルは600ルピーだ。仕方がないから僕はしぶしぶこのホテルに泊まることにした。そうは決めたものの、後味はすこぶる悪かった。
ホテルにつくと、そこには僕と同じようなケースで、送り込まれた日本人の先客があった。
お互いに話をすればするほど、ワンパターンのやり口で、だまされているのがわかった。銭金の問題ではなくて、これは悔しかった。
なにも旅行代理店に頼むんじゃなかった。ホテルぐらい自分で予約すれば済む。ただそれだけのことをしなかったばかりに、こんな悔しい思いをして。僕は自分に腹が立った。
「畜生。」彼らの罠にひっかけられた。これは悔しかった。
金よりもなによりも、だまそうという根性に対して、又だまされた悔しさに腹が立った。散々インドの悪口を言って、日本人同士慰めあったが、
腹立ちは容易には消えなかった。カルカッタで2つ、ニュデリーで1つ、いやな思いが、僕のインド旅に暗い影を落とした。

ダムダム空港のリタイアリングルーム。
 朝の出発が早いので、リタイヤリングルームを使わせてほしいと
僕はエアポートのサービス・マスターにいったら、それなら国内線空港へ行けという。10キロの荷物と10キロのリュックを背負い、500メートルほど離れている国内線空港へ行ったら、係りとおぼしき職員が出てきて
一応の説明はした。しかし妙にアウトサイドという言葉が耳についた。
煎じ詰めて言えば、空港近くにはゲストハウスが、やすくてたくさんあるから、そちらの方の案内をしようというのである。
僕はとりあわないで、とにかくリタイヤリングルームだと頑張った。そうしたら、係りのところへ案内するから、ここで待っていろ、といって姿を消した。しばらくしたら 先ほどの男は2人連れでやってきて、
「この人が係りだ」という。
 僕は先ほどと同じ説明をして、リタイアリングルームを使わせてほしいと言った。彼は黙ったまま腕組みをして考えていたが、「パスポート」といった。
僕は腹巻からパスポートを出して彼に渡した。彼は腕を組んだまま、そのパスポートを見ていたが、インドのビザのページを見て、
「1カ月もインド国内を旅していたのだから、宿はこの近くのゲストハウスを紹介する」という。
なんだ。これじゃあリタイアリング・ルームの担当者ではなくて、どこだか知らないが、ゲストハウスのボンビキじゃないか。僕は腹の中でむっとした。
 その手口はニューデリーで旅行代理店が紹介したホテル紹介のシステムに実によく似ている。紹介料をせしめる、あのやり口だ。
こんな奴にやられてたまるものか。僕はゲストハウスの件については一切受け答えをせず、この空港の宿泊施設を利用したいの一点張りで、他のことには耳をかさなかった。
2人の間には、しばらく険悪な沈黙が流れた。
僕は改めて「何とかしてほしい。ゲストハウスはノー・サンキュウ」だといった。
彼は「それじゃ仕方がない。他を探してくれて」と吐き捨てるように言った。最悪の場合空港ロビーで徹夜しても良いと腹を決めていたので、
「おまえなんかにたのむか。馬鹿もん。」と日本語で捨て台詞をはいてオフイスを出た。
僕は国際線空港の方へ歩いていった。そうしたら、今僕の相手をしていた職員が走るようにして僕の後を追いかけてきた。
「600ルピーの宿賃を500ルピーにする」という。僕はいらないと断った。
彼はなんとかゲストハウスに泊まるように僕を説得してくる。
僕は意地になって反対した。それでもなお彼は食い下がってくる。
「分かった。それじゃ空港までの送迎のタクシー代はサービスする。それでどうか。」僕はやはり断った。
「あなたは私の親切な申し出を断っているが、それでは一体今夜どこで泊まるつもりなのか。」と半ば脅しを含めて言ってきた。僕は空港ロビーで一夜を明かす覚悟を決めていたので「国際線の空港ロビーで夜更かしでもするよ。」と笑いながら答えた。
「なに?国際線のロビーで夜明しすると?。それはできないよ。カルカッタ空港で夜明かしなんかしてみろ。すぐさま荷物はなくなるよ。あるいは悪い奴に脅されて、金品を巻き上げられるのがオチだ。」と又脅迫めいたことを言う。
「ご親切にありがとう。とにかくここで泊まるよ。カルカッタ空港でね。」僕は顔色を変えることもなくそう答えた。
いやな奴らだ。空港職員なら日本で言う公務員みたいなものじゃないか。お前ら品位やプライドのかけらもないじゃないか。僕は嫌悪感を感じた。
 
 前回インドに来た時に、僕はインドでは何が起こるか分からないということを強く感じた。せっかくスケジュール通りに、ここまでやってきたのに、チケット通りの飛行機に乗れないで、バンコクから関西空港までのチケットまでパーにするのは、我慢のならないことであった。
仕方がない。今夜はロビーで徹夜しよう。僕は一時間おきに目がさめたが、うつらうつらして夜明かしをした。物も盗まれなかったし、悪い奴に脅かされもしなかった。
それにしてもだ。日本ではまずこう言う手のだましはしない。同国人だからということもあろうが、,戦後の混乱期を除いて、このような公務員はいないと思う。貧しい国民性なのか,それとも価値観や風習が違い、生活の仕方がまるで違うから、こんなことになるのだろうか。東南アジアを一人旅してもインドのような思いをしたところはどこにもない。
 たとえば貧しさだけを問題にするならば、ネパールの方がはるかに貧しいと思うが、カトマンズではこんな思いをしたことがない。貧しいからやること、なすことみな貧しいというのは当たらない。やはり国民性か。
だとすれば、例え釈迦のような大聖人が出なくても、礼節をわきまえた
日本のほうが、はるかに優れている。僕は自画自賛した。とはいえ僕は
「本当のインド」を知らない。どこか地方の村に行き、そこで村人と交流をしたときには、ホントのインド人を知ることになるだろう。
象に触った盲目の人が、象とは丸い柱のようなものだと言ったのは、全体像を言い当ててはいないものの、彼が触った範囲で、まるい柱というのは当たっている。と同様に私が接触したインド人、たとえばリキシャワーラー、鉄道マン、旅行代理店、レストランのインド人を信用しないで、うさんくさい輩と見るのも当たっていると思う。
でも僕は、ガンジーが言ったといわれているあの言葉、「インド人の魂はインドの村にある。」ということを忘れてはいない。
インドの村々を渡り歩いたわけではないので、僕に応対したインド人が、平均的なインド人だとは思わない。じゃ、一体あれはなんなのだ。
たまたま質の良くない連中ばかりに出会ったという運の悪さだろう。
僕は自分の素直な気持ちを抑えて、後味の悪さを自分なりにごまかして幕を引いた。

貧乏生活

2019年04月11日 | Weblog
貧乏金持ちは自分を中心に考えたらよい.

実際に生活費以外に法外な金を持つ必要もない。金があると欲望を満たすために

贅沢な飲食をしたり、贅沢な旅をしたりして、無駄遣いがおおい。

子供の時から現在に至るまで、貧乏な生活をしてきたから、貧乏癖がついてしまって

おかげであまり大きな不足はない。

年金をもらって細々と最低生活が出来、他人様に迷惑をかけなければ、それで満足である。

人間だから、時には不満がないわけではないが,少々不足があっても不平口は叩かない.

住まいは静かなところで,便利が良く雨風などが防げたら,それで良い.

食べ物も3度の食事にこと欠かなければ、質はあまり問題としない。

食の質に対する特段の欲望もないから現状で満足をしている。

貧乏に慣れてしまうと、それはそれでいいものだ。

幸せ感がある大きな望みを持っているわけではないから、金が必要というわけでもなく、

それなりに満ち足りた生活をしている。この程度の貧乏で満足が出来れば飼い慣らされてしまって、

貧乏生活もいいもんだと思うようになる。


地獄変

2019年04月10日 | Weblog
飢えている人を見ると 芸術とはなんぞやと考え込んでしまう。

芸術にかかる費用で,飢えている人を一人でも助けたら、それは芸術以上の値打ちのあることではないか、と思うが、

芸術作品はその場で飢えてる人を救わなくても、幾世代にもわたって、

人を慰め、励まし、勇気づけることがある。

芸術作品はそのような力を持つ。

とはいえ飢えている人を前にして、僕は芸術作品制作に没頭することはできない。

飢えている人を横目に芸術を考えるほど、僕は芸術 には惚れ込んでいない。

芥川龍之介の地獄変の絵仏師良秀の真似は出来ない。

経団連が電力政策について提言

2019年04月10日 | Weblog
経団連が電力政策について提言をまとめた。

読んでみたが、腑に落ちないことが多い 。

まず第1に現在の人間の力では原子力がコントロールができないということ。

これが大前提にある。

放射性廃棄物の処理機がまだ決まっていないこと。

それに提言に対して解決策を示さないで、推進をしているところ。

これらは無責任の極みである。よくものを、うのうといえたものだ。

結局事故が起これば、すべて国民にツケを回す。これ以外に解決法はない。

そんな提言がまともな 意見として受け入れることができるだろうか。

彼はいう。議論が不足していると。しかし反対意見を言うと、それはエモーショナルな反対だという。これでは話にならない。愚かしい発言だ。

これでは聞く耳を持たないのと同じことである 。どこに議論が必要なんだ。

議論を深めれば賛成者が多くなるとでも思っているのか。

結論から言えば、提言そのものが、お粗末そのものである。

こんな連中に国民の生命っ財産を任せるわけにはいかない。

日本国は「国民の安心安全が第一」を必要としている。

責任の取りようのないものを動かして、事故が起これば、想定外だったと言い訳をしてツケを国民に回す。

今回の東電のやり方と同じではないか。自然条件だけでなく人為的な危険性も考えられるから、再考せざるを得ないのではないか。

女と子供はやしないがたし

2019年04月09日 | Weblog
中国の聖人はいった。「女と子供はやしないがたし」 。

これは一体どういうことだ。

女性と、子供が自己中心的存在であることは一つの特徴として、認めても、それだからと言って、男性に比べて能力が劣るとか、

人間的に、劣るとかいうことにはならない。

例外的な例ではなく、一般論として、男より忍耐心や包容力があり、無条件なる愛が、女性には備わっている。

それが本能的に、備わっていて、発揮できるのは,なんとすばらしいことだ。

我々は、無批判に、聖人の言うことを受け入れがちだが、時代背景は別にして、自分たちが生きている時代の諸般の事情を考慮しても


酒をくらい、博打をやり、大量殺人のリードを取り、本来平等ではあるはずの男女を、いろいろな意味で差別した男こそが、

愚かな存在として、位置付けられて、しかるべきだ。

間違っても、「女と子供はやしないがたし」、などといってはいけない。中国の聖人よ わっかたか。?????、、、、、。

アメリカでの話

2019年04月08日 | Weblog
6歳の子供がほっぺにチューして性犯罪 と判断された.。

.アメリカでの話。小学校1年生の男の子が同級生の女の子のほっぺにキスをした。

校長の判断ではセクハラだという。

セクハラ意識がない行為はセクハラではないと思うが、こういう判断ができたということは

やはり社会が病んでいるとしか思えない。日本式の判断では行き過ぎで常識外れの判断だ。

アメリカではお互いに話すことができるようなことでも、すぐ訴訟に持ち込むという。

先ほどの話の関連としてみると、やはり日本常識とはかけ離れている。

こんな社会だと住みにくかろう。

、でもすぐ訴訟に持ち込むという

漢字の用法

2019年04月07日 | Weblog
漢字の用法はわかるが 書く場合、どんな漢字を書けばよいのか、近頃わからなくなってきた.

ワープロを使うようになって、字を書かないから、うろ覚えになってしまったり、

記憶がぼやけたりしてきた。漢字がペンでは描けない。困ったことだ。

漢字は体で覚えるところもあるのに、コンピューター画面に表示された漢字の中から

適語を選ぶ、ワープロ方式だと指先で覚えるという作業はない。

その結果として、コンピューターを使う時代の流れとともに、

老化現象と相まって、僕の場合最近特に漢字が書けない傾向が著しい。嘆かわしいことだ

気になる存在  6前書き

2019年04月06日 | Weblog
気になる存在

25,6の美女が一人沈んだ表情をして水割りを飲んでいる.

女は車窓に目を向けて、考えるともなく、考えているようである.

僕の想像は膨らむ.

苦しい恋が実らず,休暇を取ってセンチメンタルジャーニーに出かけた OL かもしれない。.

今流行のオフィスラブに破れ、会社を辞めて、一人旅する女だろう。

パトロンが眠っているすきに抜け出してきて幸せ薄い女に違いない。

ひょっとすると不倫の主婦?。夫と子供の日常生活から逃げ出した、主婦かもしれない。

僕の想像はまだまだ膨らむ。

春の夢NO7の前書き

2019年04月05日 | Weblog

春の夢

明け方に夢を見た。

平安朝の作家の名前がどうしても思い出せない。

清少納言の春はあけぼのまでは思い出すが,もっと有名な作家とか本の名前がどうしても出てこない。

なぜだと力を入れたら目が覚めた。


夢の続きを追いかけたらそれが源氏物語で作者は紫式部だとわかった。

読み始めたわけでもないのに,どうして平安朝の作家の名前など夢に出てきたのだろうか。

夢って本当に、不思議なものなんだなー。

wat Arun王宮夜景3-3

2019年04月04日 | Weblog
王宮夜景


 タイをはじめとして、東南アジアをバックパッカーする日本人が、バンコクで定宿としているのは、カオサン通り周辺に集まった宿だ。
そのカオサン通りは日本人よりも、ヨーロッパ系の人が多い。だからここはタイ・バンコクでありながら、租界みたいな感じがする。
 
夜も昼も無く大音響でジャズや欧米で今流行りの音楽がかかっている。この通りには、これらの人々を相手にするタイ人の商人がいるくらいのもので、普通のタイ人はあまり見かけないが、多分異質なものとして、寄り付かないのだろう。よく見かけるのは、かっこいい制服をきた警官ぐらいのものだ。
 
格安旅行代理店が集まっているし、旅の情報が得られるので、僕はバンコクにくると、ここカオサン通りによく顔を出しているが、この喧騒の町に宿をとろうとは思わない。でも2,3日おきには顔を出していないと何かしら不安になる。

 今日も大して用事も無いのに、出かけて帰りが遅くなった。
ピンクラ大橋をわたって、疾走してくる車の群れの間を、横断禁止を無視して、大通りを渡りきるのは、緊張とすばやい身のこなしが無ければ出来ないことだ。もたもたしていたら事故であの世行きになる。

そんなスリルも味わって、むこうがわにある王宮広場に着いたら、汗びっしょりだった。
以前から見たいと思っていた王宮や、エメラルド寺院やワット・ポーのライトアップされた夜の顔に、今日は出会えた。王宮はさほどでもなかったが、ワット・プラケオやその後ろに見えるワット・ポーは幻想的で、ロマンチックというよりは、センチメンタルな気分を満喫させてくれた。旅情が体全体が覆い、何を思うでもなく、しばしたたずんだ。
 
旅に身をおき、旅情を味わう、センチメンタルな気分に浸ることは、旅の醍醐味だろう。
夜の闇に半身を隠した寺でらは、そこが生死を考える場というよりは、
僕にとっては、異国情緒の別世界をなして、旅情を一層盛り上げる場所でもあった。

日本では見られない、あの寺院の屋根につけられた、とんがった独特な金色の装飾がライトアップされて、見事な輝きと、黒いシルエットを作り出している。
 時計を見るとかなり夜更けなのだが、本日の目玉、ワットアルンのライトアップされた姿を見るために、王宮の横の通りを川沿いに歩いて、タチャーンのボート乗り場へ行った。時間が時間だから、ボートはとっくに運行は終了している。ステーションには人影はない。
 塔のてっぺんには、ひときわ輝くライトがあり、地上の各方面から照らされる光の中で、それは異彩を放っていた。その姿そのままに、川面に夜景が映り、波とともにゆれる姿はたとえようもなく麗しい。

どこかの国のクイーンか、貴婦人を見る思いがした。昼見てよし、夜見てよし、ワットアルンは見るものには、常に最高の姿を見せてくれる。ほれた弱みなんだろう。けちのつけようがない。

川面に映った姿と、向こう岸に建っている実物の姿と、何回も何回も見つめ直したが、気品と壮麗さは、ますます浮かび上がってくる。夜景に包まれたワットアルンこそ、タイの国の第一番の宝物だという気がしてならなかった。

昼間のざわめきから開放されて、この仏塔は、今は僕と向き合って対話してくれる。二人だけの会話ができるのだ。
いいな。感動した僕はいつまでも、そこにたたずんでいたい気持ちだった。

 憧れの王宮を中心とする穏やかな夜景を見て感動し、そしてまたあの上品で壮麗な姿は、昼間以上に麗しく、妖しいまでの姿を見せてくれたワットアルンの美しさに体がジーンとした。
うん。もうこれでいい。時を忘れて船着き場に立ちつくしたが、
心の底からバンコクの代表的な美しい夜景を堪能して帰途についた。

 日が暮れて夜になると、気温は下がり、暑さでげんなりした心が、元気を取り戻す。そしてわずらわしさから逃れてきたはずの日本が、なぜか恋しくなる。

明日は日本に帰ると思うと、見納めでもないのだが、これらの夜景に未練が残る。
ああ、今日も静かに暮れて行くか。ため息の出そうなセンチメンタルな気分に浸りながら、僕はバンコクの夜の空気を胸いっぱい大きく吸った。

大通りは相変わらず、車が騒音と排気ガスを撒き散らして走っているが、
気にはならない。多分これらの寺でらの壮麗な夜景と、周りの空気の中に身も心もどっぷりつかって、我を忘れていたのだろう。

時計を見ると、10時はまわっている。日本時間だったら12時過ぎ。深夜だ。
ぼつぼつ帰ろうか。僕は王宮前から1番の数字が書かれたバスに乗った。
これだと乗り換えなしで、一本のバスで宿まで直行で帰れる。

バンコクはバスが発達した大都会である。それだけにバスを使いこなせば便利なのだが、なにせ、タイの言葉の読み書きは言うに及ばず、会話もまったく出来ないので、日本では笑い話にしかならないような、バスの乗り方しか出来なくて、いつもまごまごしている。
 
一本のバスで宿まで帰れるというのは、ぼくにとってはこの上なくありがたいことだ。だから夜の王宮を満喫できるわけで、これがどのバスに乗ったら帰れるのかわからないならば、夜の王宮見物なんて、不安が先だってで出来たもんじゃない。大都会の夜に迷子だ、なんて思っただけで、ぞっとする。

 心おきなく今夜見物できたのは、昼の間にこのあたりを何回もうろうろしたからである。バスに乗り降りして、このあたりの地理を、つぶさに頭に叩き込んでいるからだ。
日本に居るときと違って、時間がゆったりすぎていくから、こんなことが出来るんだ。ユックリズムも、たまにはいいものだと、自分に言い聞かせた。

 熱帯のタイは昼間の暑さはきついが、日が落ちて2,3時間もすると、ほんとにしのぎやすい時間がやってくる。これはぼくにとってはまさにゴールデンタイムである。この時とばかりに、書き物をするのだが、体調がおかしくない限り、快調に筆は進む。

つかれてフアンをつけたまま寝てしまったことがあるが、夜中には寒くなって目が覚め、シャツを一枚重ね着してしたこともある。やはり日が暮れて10時過ぎごろまでが一番しのぎやすい。
 
近頃はタイでも冷房がはやりだして、冷房バスはもちろんのこと、デパートなど、人の多く集まるところは、たいてい冷房が効いている。暑い街中を汗をたらたら流して歩いていると、冷房の効いたところは、ほっとする。

しかし長い時間冷房ビルに入っていると、体がだるくなって気分が悪くなってくる。それに日本と違って、バンコクの冷房はよく効いているので、
それだけに僕にとっては長居は禁物だ。やはり天然がいい。

朝と夕に訪れるあの快適な温度。あれが文字通りゴールデンタイムなのだ。
「やっぱり自然が体にいいのだな。」独り言が口をついて出た。
今夜はすでにゴールデンタイムは過ぎている。少したてば肌寒くなるかもしれない。1枚余計にきてベッドに横たわった。
 
月もない暗闇の中に幻想的に浮かび上がって、川面でゆらぐ気品あるワットアルンの妖しいまでの、あのあでやかな姿が、目について日中の疲れがあるにもかかわらず、僕は寝付きが悪かった。