日々雑感

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wat Arun王宮夜景3-3

2019年04月04日 | Weblog
王宮夜景


 タイをはじめとして、東南アジアをバックパッカーする日本人が、バンコクで定宿としているのは、カオサン通り周辺に集まった宿だ。
そのカオサン通りは日本人よりも、ヨーロッパ系の人が多い。だからここはタイ・バンコクでありながら、租界みたいな感じがする。
 
夜も昼も無く大音響でジャズや欧米で今流行りの音楽がかかっている。この通りには、これらの人々を相手にするタイ人の商人がいるくらいのもので、普通のタイ人はあまり見かけないが、多分異質なものとして、寄り付かないのだろう。よく見かけるのは、かっこいい制服をきた警官ぐらいのものだ。
 
格安旅行代理店が集まっているし、旅の情報が得られるので、僕はバンコクにくると、ここカオサン通りによく顔を出しているが、この喧騒の町に宿をとろうとは思わない。でも2,3日おきには顔を出していないと何かしら不安になる。

 今日も大して用事も無いのに、出かけて帰りが遅くなった。
ピンクラ大橋をわたって、疾走してくる車の群れの間を、横断禁止を無視して、大通りを渡りきるのは、緊張とすばやい身のこなしが無ければ出来ないことだ。もたもたしていたら事故であの世行きになる。

そんなスリルも味わって、むこうがわにある王宮広場に着いたら、汗びっしょりだった。
以前から見たいと思っていた王宮や、エメラルド寺院やワット・ポーのライトアップされた夜の顔に、今日は出会えた。王宮はさほどでもなかったが、ワット・プラケオやその後ろに見えるワット・ポーは幻想的で、ロマンチックというよりは、センチメンタルな気分を満喫させてくれた。旅情が体全体が覆い、何を思うでもなく、しばしたたずんだ。
 
旅に身をおき、旅情を味わう、センチメンタルな気分に浸ることは、旅の醍醐味だろう。
夜の闇に半身を隠した寺でらは、そこが生死を考える場というよりは、
僕にとっては、異国情緒の別世界をなして、旅情を一層盛り上げる場所でもあった。

日本では見られない、あの寺院の屋根につけられた、とんがった独特な金色の装飾がライトアップされて、見事な輝きと、黒いシルエットを作り出している。
 時計を見るとかなり夜更けなのだが、本日の目玉、ワットアルンのライトアップされた姿を見るために、王宮の横の通りを川沿いに歩いて、タチャーンのボート乗り場へ行った。時間が時間だから、ボートはとっくに運行は終了している。ステーションには人影はない。
 塔のてっぺんには、ひときわ輝くライトがあり、地上の各方面から照らされる光の中で、それは異彩を放っていた。その姿そのままに、川面に夜景が映り、波とともにゆれる姿はたとえようもなく麗しい。

どこかの国のクイーンか、貴婦人を見る思いがした。昼見てよし、夜見てよし、ワットアルンは見るものには、常に最高の姿を見せてくれる。ほれた弱みなんだろう。けちのつけようがない。

川面に映った姿と、向こう岸に建っている実物の姿と、何回も何回も見つめ直したが、気品と壮麗さは、ますます浮かび上がってくる。夜景に包まれたワットアルンこそ、タイの国の第一番の宝物だという気がしてならなかった。

昼間のざわめきから開放されて、この仏塔は、今は僕と向き合って対話してくれる。二人だけの会話ができるのだ。
いいな。感動した僕はいつまでも、そこにたたずんでいたい気持ちだった。

 憧れの王宮を中心とする穏やかな夜景を見て感動し、そしてまたあの上品で壮麗な姿は、昼間以上に麗しく、妖しいまでの姿を見せてくれたワットアルンの美しさに体がジーンとした。
うん。もうこれでいい。時を忘れて船着き場に立ちつくしたが、
心の底からバンコクの代表的な美しい夜景を堪能して帰途についた。

 日が暮れて夜になると、気温は下がり、暑さでげんなりした心が、元気を取り戻す。そしてわずらわしさから逃れてきたはずの日本が、なぜか恋しくなる。

明日は日本に帰ると思うと、見納めでもないのだが、これらの夜景に未練が残る。
ああ、今日も静かに暮れて行くか。ため息の出そうなセンチメンタルな気分に浸りながら、僕はバンコクの夜の空気を胸いっぱい大きく吸った。

大通りは相変わらず、車が騒音と排気ガスを撒き散らして走っているが、
気にはならない。多分これらの寺でらの壮麗な夜景と、周りの空気の中に身も心もどっぷりつかって、我を忘れていたのだろう。

時計を見ると、10時はまわっている。日本時間だったら12時過ぎ。深夜だ。
ぼつぼつ帰ろうか。僕は王宮前から1番の数字が書かれたバスに乗った。
これだと乗り換えなしで、一本のバスで宿まで直行で帰れる。

バンコクはバスが発達した大都会である。それだけにバスを使いこなせば便利なのだが、なにせ、タイの言葉の読み書きは言うに及ばず、会話もまったく出来ないので、日本では笑い話にしかならないような、バスの乗り方しか出来なくて、いつもまごまごしている。
 
一本のバスで宿まで帰れるというのは、ぼくにとってはこの上なくありがたいことだ。だから夜の王宮を満喫できるわけで、これがどのバスに乗ったら帰れるのかわからないならば、夜の王宮見物なんて、不安が先だってで出来たもんじゃない。大都会の夜に迷子だ、なんて思っただけで、ぞっとする。

 心おきなく今夜見物できたのは、昼の間にこのあたりを何回もうろうろしたからである。バスに乗り降りして、このあたりの地理を、つぶさに頭に叩き込んでいるからだ。
日本に居るときと違って、時間がゆったりすぎていくから、こんなことが出来るんだ。ユックリズムも、たまにはいいものだと、自分に言い聞かせた。

 熱帯のタイは昼間の暑さはきついが、日が落ちて2,3時間もすると、ほんとにしのぎやすい時間がやってくる。これはぼくにとってはまさにゴールデンタイムである。この時とばかりに、書き物をするのだが、体調がおかしくない限り、快調に筆は進む。

つかれてフアンをつけたまま寝てしまったことがあるが、夜中には寒くなって目が覚め、シャツを一枚重ね着してしたこともある。やはり日が暮れて10時過ぎごろまでが一番しのぎやすい。
 
近頃はタイでも冷房がはやりだして、冷房バスはもちろんのこと、デパートなど、人の多く集まるところは、たいてい冷房が効いている。暑い街中を汗をたらたら流して歩いていると、冷房の効いたところは、ほっとする。

しかし長い時間冷房ビルに入っていると、体がだるくなって気分が悪くなってくる。それに日本と違って、バンコクの冷房はよく効いているので、
それだけに僕にとっては長居は禁物だ。やはり天然がいい。

朝と夕に訪れるあの快適な温度。あれが文字通りゴールデンタイムなのだ。
「やっぱり自然が体にいいのだな。」独り言が口をついて出た。
今夜はすでにゴールデンタイムは過ぎている。少したてば肌寒くなるかもしれない。1枚余計にきてベッドに横たわった。
 
月もない暗闇の中に幻想的に浮かび上がって、川面でゆらぐ気品あるワットアルンの妖しいまでの、あのあでやかな姿が、目について日中の疲れがあるにもかかわらず、僕は寝付きが悪かった。