日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

幼稚すぎる議員

2014年08月09日 | Weblog
幼稚すぎる議員

兵庫県県議が大声で泣きながら記者会見をした。政務費のめちゃくちゃな使い方を指摘され、目下詐欺容疑で訴えられている。その会見たるや子供以下だ。
本日は大阪府議 がラインで中学生とトラブルを起こして、謝罪した。何と幼稚な連中が間違って議員になったものだろう。二人とも維新をを語り、その風に乗って当選した者と考えられる。
こういう輩が出てくると、本物であろうと偽物であろうと、大阪維新の会に対する信頼がなくなる。そんな程度の輩が連続してでれば大阪維新の風も下火になることは確実だろう

世界名言集0

2014年08月06日 | Weblog
世界名言集

世界の賢人が人生の名言をのこしている。 一昔前までは,心からその名言に感服していた。が近頃は
「それも一つの考え方、受け止め方だ」 と余裕をもって、批判的に受け止めるようになった。
その最大の原因は己の人生に付いてあてはまるかどうかという、観点からものをみる様になったからである。

いじめの対応

2014年08月05日 | Weblog
いじめの対応

学校で起こるいじめの対応を、段階別に考えて見る。

1,担任   できる限り担任個人の責任でおさめようとする。他に応援を求めると力量が問われる
担任によってはいじめを見て見ぬ振りをするものもいる。

2,学年団
主担者は担任で 学年団はアドバイスするにとどまる。
担任に押しつけ面倒なことに関わりたくないというのが本音

3,教頭
学校のイメージが悪くならないように、内部でおさめようとする。
即ち担任 学年団  生徒指導 で片付けようとする。
直接タッチすることは避けて担任にやらせようとする

4,校長
1, いじめ問題を重大視して当事者二人の間に直接入って指導することは    あり得ない。
2,学校のイメージを悪くしないために出来るだけ内部処理をしようとする
3,事件を握りつぶしのほうに力が働く
4,意図的に知らぬ半兵衛をを決め込む
5,最悪自体になるまで外部には発表しない、連絡しない
5,教育委員会
間接的に学校を指導するだけで当事者関係を調べることはあり得ない
いじめ問題に対しては、常に後ろ向きのスタイルでの指導しか出来ない

以上の様な実情からして いじめを学校で解決するというのは基本的には無理である。学校はいじめを知った段階で警察に通報すべきである。基本的にはいじめは精神的肉体的暴力で明らかな犯罪である
犯罪を学校が扱うのは不適で、人命尊重の上からも警察の役割である

人間であればないか言う事は在る

2014年08月03日 | Weblog
人間であればないか言う事は在る

大きなお屋敷街を通った。樹齢100年もありそうな大木がお屋敷の中にある。
以前はそういうお屋敷を見ると、一生に一度は住んでみたいとうらやましがった。ところが金もない僕がおっきなお屋敷に住んだら、たちまちにして生活に行き詰まってしまう。
蟹は甲羅似合った穴を掘るというが、これが自然の法則だ。分不相応なことをしてひっくり返ると様にならない。人は身の丈に合った暮らしをすること。これが一番長続きする。そうは思うものの、他人と吾を比べてみて色々思うことがある、

それも人が自分よりマイナスが大きいとそうは思わないが、プラス面が多いとうらやましいという、ねたみそねみ根性が顔を出す。だから人間というのは良きにつけ悪しきにつけて言う事があるのだ。

暴力学校が把握

2014年08月02日 | Weblog
暴力学校が把握

西東京の中学生が自殺した。生徒への暴力を学校が昨秋には把握していた。
校長は適切な対応をしていたら事件を防げたかも知れないとしている。
学校は家庭訪問をしたいと伝えたが、断られそのまま放置。
強制立ち入り権限を持つ児童相談所に通告もせず市教委に報告したのは自殺後だった。 朝日新聞夕刊より

いじめに関して学校関係者ほど鈍感な連中はいない。こういう事件については大津の事件が全国的に問題になったじゃないか。
預かっている生徒の命に鈍感というのか、自殺という重大事件を他人事で我かんせずとものうけながしていたのか、緊急感とか切迫感というものを全然感じていない。これいう事態をつくって責任というものをどう考えているのだろうか。
教師のみならず、学校関係者ほどこういう問題に鈍感なものはいない。
国会で大津市長が教育委員会は不用だと行ったのはその働きぶりからして迅速に行動が出来ない体質を作りあげているからである。
こういう生徒の様子をまず察知するのは担任である。本来であれば担任と学年主任、生徒指導係、教頭、校長で緊急対策を相談し、教育委員会や警察に連絡すべきである。ところが学校の現状は
第一発見者の担任は自分の責任を問われるから公にしたがらない。
学年会議や、職員会議でも事件が外に出ることは好ましく思わない。ここでも出来るだけ穏便にという事でもみ消しが握りつぶしの力が働く。校長においてはなおさらだ。体面や自己保身を考えて、輪を掛けて隠そうとする。
今回の流れを見ていると校長の此の考え方が筋書き通りで、児童相談所にも通告せず生徒の自殺後市教委へ報告したという。
学校の最高責任者が此の態度で、自殺が防げることはまずない。
自殺の兆候を感知したら、大騒ぎで対策をとり、あらゆる関係機関の力を借りて未然に防ぐ手立てを講じてこそ、ようやく現場の力が働くのである。
生徒を預かりながら何の手当もせず、行き着くところまでいく。こういう状態にどういう弁解が通用するであろうか。若い命が1つ消えているのである。
いじめ問題は学校に任せておけない状態になっている。これは人権侵害の犯罪で本来警察が関わる問題である。車内のつり革に暴力は犯罪ですという広告がぶら下がっていた。いじめはれっきとした犯罪ですと何故広告しないのか。