日々雑感

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教師への暴行について

2014年08月20日 | Weblog
教師への暴行について

教育現場で生徒は暴力をふるい,警察に連絡して指導して貰う事に何の異議も挟まない。教えても指導しても,制止も聞かず暴力をふるう 生徒はためらいなく警察へ突き出す。ということだ
1,警察へ通報することは自殺行為だとか、教師の力量不足だとか
他の生徒への見せしめだとか、心に触れる指導が足りないなど、批判するが、
現場経験のある僕は徹底的に此の批判に反論する。

どのように指導しても乗ってこない生徒が現実に存在する。それを少しでも改善しようとしたら強制力が必要だ。生徒といえども、暴力をふるう者に対して暴力事件として指導があっても当然のことだ。
警察への通報が学校の自殺行為とは余りにも学校の現状を知らなさすぎる現実感の無さにあきれる 。寝言以下の発言だ。モット現実を知ってから発言すべきだ。現実を知ればこんな発言は出ないだろう。要は現実の実態を知らない人間が、勝手に自分の想いを語っているだけで、その幼稚さにあきれる。

見せしめにしているという点については、開き直りではなくて、見せしめになればしめたものだ。暴力生徒は群れをなしている。一人や二人を見せしめのやり玉に挙げたら収拾がつかなくなる。そういう現実を知っているのか。

心の琴線に触れる教育。教師だったら自ら沿う願っている。指導に乗らない生徒には心の通わせかたがない。心のふれあいというのは時期というものがある。

以上評論家ともてはやされている批評家に対する反論だが、総じて現実の場面を踏まないで、したがって現実感のない空理空論でどこに学ぶべき点があるのだ、単なる自己中心の現実を知らない幼稚な意見に過ぎない。妄想か空理空論である。
現実を正しく見たければ、現場で汗を流して己の限界を知れ。その時初めて説得力のある批評が出来るだろう。事態を知らないマスコミが彼を評論家として扱うが、彼は完全に間違っている。現場経験から実情をいえば余りにも空理空論の妄想に過ぎる。もっと現場の水を飲め、手を染めよ。必ず言う事が違ってくるはずだ。