日々雑感

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アンコールワットのデバター0

2018年05月13日 | Weblog
アンコールワットのデバターは、背丈が1メーターくらいの女神像である。
実在の女官がモデルだったらしい。女は彫像として残った。男は彫像としては何もの
こらなかった。彫刻師である職人たちはたくましく生きて、あっさり去っていった。
回廊や楼門の壁などに、残されたのはおびただしい数のデバター像である。
ガイドブックにはプノンバケンと書いてあるが現地の人はプノンバカイという。ぼく
にはそう聞こえた。
アンコールワットの前の道をバイタクで五分も走れば道の左側に小高い丘が現れる。
それがこの地方の3聖山の 1つ、プノンバカイなのである。
夕日がきれいだという評判で、大勢の人がこの丘に上って、遥かかなたに沈む夕日の
美しさを見ようと待ち構えているのだ。
ところがこの日は、あいにく、雲がかかり美しいはずのサンセットはついに、見えず
仕舞だった。丘の上は宮殿か寺院の跡らしく、石造りの遺構が残っていた。
さあ帰ろう。僕はこれを見納めとばかりに遺構を1周して帰り道に着いた。なんと
言っても今日見学した中ではアンコールワットは圧巻であった。女神であるデバター
の数が多いこと。数ある中には見るデバターあり触るデバターあり祈るものありで
ちょうこくに詳しくない僕にとっては所詮女にしか見えない。女なら見るより触る方
がいいに決まっている。何とかが顔を出し始める。
女性を見るというのであれば、ます顔である。それからボデー・ラインや色の白さな
どに目を向けるだろう。ところが触るとなれば、まず男は(女でもよい)女の体のど
こをさわるか。それは多分乳房が焦点になろう。なぜであろうか。乳房すべての命を
はぐくむ母性の象徴だからである。
三体のデバターの合計、六つのオッパイは黒光りしている。誰かが、先鞭を付けその
後をみんなで、なぞっているのである。どこの国でも男ならやっぱり触るところは同
じか。僕はそう思った。あたりをさっと見渡したが誰もいない。
これを幸いに僕もしっかり触った。
熱帯の太陽に間接的に、てらされてほの温かい。しかし直射日光でないのでやはり石
の冷たさは、残る。
ところが不思議なことに彫像であるにもかかわらずこの女神の、乳房が人の肌の、よ
うに温かく感じられる。変だなあと思っていたらデバターの顔が、真理の顔と二重写
しになっている。
ええっ? ぼくは驚いて、しっかり気を入れて見つめると間違いなく真理の顔だ。真
理の微笑が、そのまま目の前にある。
そして、僕の右手は柔らかい乳房を愛撫している。彼女はじっと、ぼくのなすがまま
に身をゆだねているし、息遣いが伝わってくる。乳房に、触れた手には脈拍が伝わっ
てくる。確かに、人肌のぬくもりである。僕はしばらく目をつぶって彼女の体の感触
を味わった。
人の声がしたので、はっとして、現実世界から遠のいていた意識を取り戻して目を開
けてみると、真理はもうそこにはいなかった。 一重の像が二重になりまた一重に
なった。じっと見つめていると、真理の体は飛天のようにデバターから離れていっ
た。そしてそこに残ったのは紛れもなくアンコールワットの数あるデバターの姿だけ
だった。
でも、触れている乳房は、生温かい。 おお これはこれは。
僕はやっと正気に戻った。アンコールワットのデバターは真理子そのものだったので
ある。

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