日々雑感

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自由に生きる山頭火1-

2014年04月19日 | Weblog
            自由に生きる山頭火


 ゲタをはいて、着物を着た人が、大山澄太、その人だとは私は知らなかった。
 中々上品な風貌で、知性が漂っている。
とても八十歳を越えた人には見えない。
「お宅も作曲したりして、自由人ですな。」
「いやいや、これでなかなか苦しいんですよ。」
「延命十句観音経が合唱曲になるなんて、びっくりしましたよ。なかなかやるじゃないですか。」
「ありがとうございます。この娘たちは今日もコーラスで、延命十句観音経を歌いますが、いま手元にこの娘たちが吹き込んだテープがありますので、差し上げたいと思います。どうか貰っていただけませんか。」
「それはどうも、ありがとう。松山に帰ったら、
山頭火の本を送りますよ。お礼に。」
「それはそれは、ありがとうございます。
どうかよろしくお願い致します。」

 間もなく、松山の消印の押された小荷物が私の手元に届いた。
茶色の紙に、紐を掛けた包みをほどくと、本が2冊出てきた。その本のページには、便せんにひょうひょうとした文字で、本を贈る旨が書かれていた。
多少とも仏教と芸術に関心を寄せている私ではあるが、山頭火は失念していた。
 緑色の表紙には、黒い文字で山頭火と表記されている。


 山頭火。漂白の俳人。頭蛇袋を首から下げて、日本全国を放浪し、心に去来する想いを、自由律の俳句に託した徹底人。
 その生きざまは西行にも似て、一種のあこがれさへも感じさせてくれる。
自分の人生、時空を含めて、自分の欲するままに生きた人。
 生涯は貧しさと引き換えに、いつも心の自由を確保していたことだろう。
 
 山頭火の友人であった大山澄太も、彼にあこがれて著作したのだろうが、私も同じく、彼の心の自由さにあこがれている。
 生き方をよく考えて、人生をすごさくちゃ、とつくづく思った。

 山頭火は私に良い見本を、見せてくれている。
大山さんも良いことを教えてくれたものだ。
そういえば、かって、山田耕作先生は
「歌詞といえば、詩人はすぐ定型に当てはめて作ろうとするが、付曲する側、つまり作曲家は定型に縛られて、たまるものか。
 メロディの流れには、それ自体に必然性があり、定型よりは、自由律の方がよい場合だっていくらもある。」といわれたのを思い出して、
大山さんの「山頭火」を大変ありがたく思った。

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