日々雑感

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ホリエモン的劇場型茶番劇

2007年12月05日 | Weblog
     その1
今までの経緯はこうである。
ライブドアが、フジサケイ系グループの日本放送の株を大量に、時間外取引で取得して買収攻勢をかけた。日本放送を企業買収し、さらにフジテレビを企業買収することを目指して、株の買い集めを図っている。

フジテレビは、攻勢をしかけられて、防戦に終始した印象を与えた。
防衛策の一環として出した、新株発行の法的な是非は、裁判所で、一審二審とも差し止めを決定された。フジの言い分は、否定されたのだ。
 これでライブドアに、フジの経営は大きく影響を受けると誰しも思った。しかしそのとき、孫グループの一員が出てきた。

 ソフトバンクインベストメントのK氏が突如として乗り出してきて、テレビ会見をしたのである。
その模様を見ていると、彼は一癖もふた癖もありそうな、個性的な男だと誰しも思ったことだろう。話していることから判断すると、ホリエモンとは違って、大分「大人」であり共感はできる。たとえば中国古典のを引用して、「仁」の心がなければ企業買収はうまくいかないから、やめた方がいいと言う。共感を覚えるセリフだ。
しかしそれは嘘偽りのない彼の経営哲学ではあろうが、はたしてどこまで信用できるご仁か。見極めはついていない。
資本の論理は、そういう哲学を許さないことだっていくらもある。
そのとき彼はきっと「仁」の使い分けをすることだろう。問題はそこにある。
情勢が時々刻々変化する経済界にあって、スローガンを掲げるのはよいが、果してそれが、必ず実行されるかどうか、を考えてみると眉につばを塗りたくなる。
仁の精神を経営哲学の根本に据える、というのは心の内に秘めて、口に出す前に実行、実践で示せばいいのであって、得々としゃべるのをきくと、やはりそれが真意だとしても、素直には受け取れないのは、やっかみや、ひが目であろうか。
 ましてや、野村證券を引っ張っていたT社長が世の指弾を受けて引退したので、自分も野村を退社したというのであれば、次元の低い話である。 ルールをして責任をとった男の、どこが尊敬されるところかよく分らない。おそらく価値観の共有という点で、あい通じる物があったのだろう。彼はこういうたぐいの男だと推定した。

話を元に戻すと ライブドアー社の社長だとは言うものの、とても大企業を率いていく器量を持った人間だとは思われない。こういう人間をトップに抱いたとき従業員はどういう気持ちで仕事をするであろうか。
 日本放送は従業員のほとんどが今回の買収に反対しているし、出演者は彼が乗り込んできた段階で出演拒否を表明している。

旗色が悪くなり、風向きが悪くなってきたら、途中から広報担当と称する女性を前面に出してきた。
これでいよいよ茶番の色合いが濃くなってきた。
この男、誇りも恥も知らないらしい。所詮タレント性を売り物にする腰軽男という感じが否めない。信念があるなら最後まで己が出てきて、すべてにおいて堂々と受けて立つのが、責任のある男のすることだ。
これが「詰め将棋でいうなら、穴熊だ」と相手に言った人間のすることか。報道陣からの穴熊を決め込んだのは、相手を穴熊だと言った本人ではないのか。

 報じられるところによると、この種の買収劇、すなわちインターネットと既存のテレビ、放送関連メデイアとの融合を目指した買収劇は、アメリカではインターネット関係のAOLと既存の放送関連メデイアのタイムワーナーの買収劇があったが、両者の従業員の人間関係がうまくいかず、ことごとく対立して、合併提携の買収劇が、失敗に終わり大損をしたという過去の事例があるらしい。
 企業合併における体質の違いは、事業運営上の障害となることを如実に示した。また日本ではソフトバンクのソンは、過去にTV朝日買収劇に失敗している。
インターネットと他の放送メデイアとの融合や業務提携は、それが将来のこの業界のあり方だとしても、現時点では、相当の山や谷を超えなければ、できないようである。そこには巧妙な作戦が要求されている。株を過半数買い占めたから、買収は成功したと言うほど簡単なものではない。 

話は代わるが、
 ここでちょっと気になることがある。
確かに表面的には、フジにとっては、救い主が現れたような気になったことだろう。いわゆるホワイトナイトの出現である。
これがクセモノで、場合によったら、ホワイトナイトにもなるだろうし、
ライブドアに代って、フジサンケイグループを業務提携という名のもとに、ソングループの中に取り込んでしまう恐れは十分にある。
この参入のタイミングは絶妙である。資本の論理で動くものが、表面的な正義感だけを振りかざし、いい格好をして漁夫の利を占める恐れは十分にある。要警戒である。
かれこれ2ヶ月間の動きを概述すれば、この辺が今までの動きである。

 K氏の話は、彼の言うこととは裏腹に、腹の底が見えすいているような気がする。衣の下に、甲が見えている。そんな感じを与える男である。
僕が思うに、この動きは、孫と十分話し合いがなされ、打ち合わせの上でのことである。それを彼はあうんの呼吸といった。以心伝心ともいった。それを連想させるにもかかわらず、彼は口では、関係のないようなことをいう。この辺から僕にとっては、不信感が生まれている。
経験を通して、大人は裏読みにたけている。額面通りに受け取ることは少ないのが、大人の社会である。 
 現実を多方面から、思いを巡らせ検討する大人の目は、彼の言動の裏表を見分ける力がある。
曰く、M&Aは、日本でいちばん数多く手がけ、自分が最も精通していると公言した。それにとどまらず、評論家は、何もわかっていないとも発言もした。これは黙っておくべき言葉である。こういうところはライブの大将と一脈通じるものがある。
人間中心主義の経営をしきりに主張するが、果たしてどうか。
と疑問符を付けるのは僕一人だろうか。巧言令色少なし仁だ。
こういうことであるから、喋る人間に、表面的にはともかくも、「お主
。ハートがあるなー」と冷やかしの半畳を入れたくなる。
でも、心の奥底は、資本の論理で動く人間に違いない。でないと現在の彼の立場はないはずである。というのは、彼もまた、今まで資本の論理で動いてきた人間だからである。
 野村証券出身らしいが、おそらく野村では、出番がなくて、異端児扱いされていたのではないであろうか。次期社長と言う、よいしょもあったらしいが、果たしてその器か。
そういう中で、孫との出会いであり、ソフトバンク、グループの一員に、なったというのが真相だろう。

ホリエモン的劇場型茶番劇  その2
        
 現今重要な経営ファクターとは何か。
基本的には、従業員の生活保障とか、働きがいのある職場の提供。そしてそれが、社会的に大きく貢献していく。もちろん、株主の配当も十分行う等々であるが、その中でもとりわけ大切なのは、人間である。決して資本の論理だけで経営ができるものではない。経営者従業員が力を合わせて一丸となって、経営目標に向かって邁進するところに業績の向上は望めるのである。

こういう経営上のファクターを検討してみると、
堀江氏は、資本の論理を最優先にして、自社も買収先の日本放送の従業員についても、どう考えているのか。なおざりにしているのではないか。そのような印象を受けた。今頃になって買収の相手先の従業員様と言ったり、取引様と「様付け」をしてみても、一旦土足で他人の家に上がってしまうと、相手から警戒され、信用されることはまずないだろう。言い方を変えれば、相手の横面を一発食らわせておいて、仲良くしよう、と握手を求めるようなものである。食らわされた人間が相手のことを良く思うだろうか。
 急に「様付け」で呼んだり、手のひらを返したようなことを言われると、大人の感覚では気持ちが悪いだけである。

 企業合併は、株数を多く持った方が勝ちというものではない。
合併会社は、そこに働く人々の意思疎通が図られてこそ、事業として、立ちゆくが、これがそう簡単なことではなく、至難の業なのである。
ましてや今回のように、占領軍が、進駐してくるような印象を与えては、絶対にマイナスである。
 彼は今、そのことに気がついたのか、あるいはアドバイスをもらったのが。日本放送の従業員には、とってつけたような言葉として「様」を使いだした。彼は言葉の上で、従業員を大切なパートナーとして、考えているようなふりをする。
「詰め将棋で穴熊をきめこんでいる」と相手に対して言った人間が、今更普通のように「様 」を つけるなんて、それだけでも反感がわいてくるという人間の心理や、気持ちがわからないのだろうか。もしそうだったら、それは未熟者という一言だ。
 
 表現を変えれば、土足で家へ上がったともいわれているし、また一発パンチを食らわせておいて、仲良くしましょうと握手の手を差し出す厚顔無恥は誰に通用するというのだろうか。
それは大人の従業員に対する最大の侮辱である。
そのことに気がついているのだろうか。気がついてないなら馬鹿と言われても仕方がない未熟者で、取るに足りない人物である。
未熟者が大人の世界に入ってきて、茶番劇を演じているだけの事である。

 法に触れない、時間外取引をしたことは、確かに違法とはいえないが、法に触れなければ、何でもありきの精神はいただけない。
この世は法律だけで、運営されているわけではない。義理人情に始まって踏襲された慣習、伝統、日本的風土、土壌など諸々の条件が複雑に絡み合ってなり立っている社会を、一挙には変えられない。
 一挙に替えようと思うならば、それは革命である。時間を掛けながら替えていく革新はあり得ても、現在の日本で革命が起こるか。あり得ない話である。結局未熟者の目立ちたがり茶番劇に終わるだろう。
そして、果たして、この茶番劇のご利益は何だろう。

近頃にない知能ゲームを展開して、ライブドアーとホリエモンという青年実業家の存在を世間に大きくアピールしただけで、バブル崩壊後の沈滞したムードに浸っている国民の耳目を集めて、はらはらどきどきの劇場型茶番をみて観客は楽しんだことぐらいだ。

観客席に一言

人皆それぞれの意見や見方があろうが、観客席にいる僕はホリエモンに対して厳しい見方をとっている。茶番を演じてみっともないとさえ思う。大人だったら黙って上手にやるべきだ。
 若いのだから、多少の失敗は許されるし、また法の不備をついたのだからと言うけれど、こういう形で是認されてしまい、適法だと言われると、すんなりとは受け入れがたいし、感心はしない。ましてや賛成はできない。
 
 世代間ギャップだと言われてはいるが、僕はそうは思わない。
肝心なことが経営者の世代によって、経営の基本原則が異なるとは思えない。沈滞ムードの現在の社会に一石投じたのは間違いないが、これを、企業買収のために使う手段とする前に、経済界や行政に警鐘をならしてやる方が、よほど自己ピーアールになるし、彼の評価も上がったことだろう。
 
 時間外取引は間違いなく違法ではないが、法の不備を突いて買収を仕掛けたという、不快感を与える結果を招いている。これが不信感の一端になっているのである。いわゆる大人の知恵が不足している。
その一言に尽きるようだ。

すべて物事には、功罪相半ばするという見方がある。そしてまた今回の事例でも、それは人様ざまな見方と意見があろう。ただし、その見方の正当性は常に現実に実行されての結果によって、検証されなければ、観客席の無責任発言として、葬られてしまうだけだ。
単に知的なお遊びに終わってしまう。時間と労力が空しい。

 彼は最初に金が万能という印象を与えたのがまずかった。彼は価値の創造なんていうが、日本国家の存立基盤は3次産業には
あり得ない。それは歴史が示すところであり、工業のものつくりこそが実業だ。日本ではこれ(加工工業)なくして存立も発展もあり得ない。嘘だと思ったら、日本人の頭脳と、欧米人のそれと比べてみるがいい。グローバル化などと、先進気分でいるが、これは完全に乗せられている姿。もしこれを開国になぞらえるなら、勝さんや西郷さんが出てこないと、今の日本では無理な話だ。今時日本にこんな人材が輩出しているか。答えは一目瞭然だ。
ウオールストリートで勝った日本人がいただろうか。長銀の例を見ればわかるように、ハゲタカと呼ばれる欧米の頭脳にはどうしても勝てないのが現状だ。こういう面では日本は、発展途上国だ。
 国富はものつくりで勝負。これは世界に冠たる日本の実情であり
誇りである。また国家存立の基盤でもある。こういう次元から眺めてみると、(話を戻すと)この争いは、欧米では笑いぐさにすぎない。
上っ面なマスコミに振り回されることなく、日本本来のあり方を再検討して、再認識してみたらどうだろう。ハゲタカに食い荒らされないようにするにはどうしたらよいか。
与党が会社法を延期したのは当然だし、こんなお粗末なリーダーが
やっと気がついて、あわてている姿は、欧米人にはどう映っているか。日本人はこれをおもしろ、おかしい勝負と見て、おもしろがっているが、欧米人は果たして、これを勝負としてみているだろうか。彼らは日本人とその政治経済の強さ弱さを改めてチエックしたことだろう。グローバル・スタンダードといっても、まず国益最優先。歴史も発展過程も異なる先進国(というのも問題があるが)の仲間入りはまだ早い。そのための条件整備を始めることから始めないと、一足飛びにやるとけがをするのがオチだと思うが。

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