我以外人は皆師。
とよく言われる。確かに我に無いものを人がもっていることも多い。そこを見習い、我が師とするというのも分からないではないが、人間には好き嫌いと言うやっかいなものがある。嫌いな人が例えどんなによいことを教えてくれたり言ったりしても生理的反感のため、聞く耳をもたない。これでは師たりえない。つまり、人皆我が師というのは一つの極論であり一つの理想すなわち、あらまほあしきこと
なのである。
人間にとって、謙虚であることは大切なことであるが、理想論だけで突っ走るのもどうかと思う
とよく言われる。確かに我に無いものを人がもっていることも多い。そこを見習い、我が師とするというのも分からないではないが、人間には好き嫌いと言うやっかいなものがある。嫌いな人が例えどんなによいことを教えてくれたり言ったりしても生理的反感のため、聞く耳をもたない。これでは師たりえない。つまり、人皆我が師というのは一つの極論であり一つの理想すなわち、あらまほあしきこと
なのである。
人間にとって、謙虚であることは大切なことであるが、理想論だけで突っ走るのもどうかと思う