満たされない心に埋め合わせ
現代の経済システムでは、ものと心のバランスが、崩れやすい。
マスプロ、マス消費は生活を豊かにはしたが、物欲の肥大化を伴い、心がやせ細ってしまうような結果を生んだ。
金さえあれば、、、、という考えが、「人間らしく生きる。」ことよりは優先し、ものを追いかけ、高度成長を求めて、「現代」を実現してみた。
ものに関しては、社会も個人も豊かになったが、それに比べて「幸せ感」がなく、心の渇きを感じるのはなぜだろうか。
一体、心の渇きをいやすなどというものは、幼稚園や小学生時代などには問題にならないことである。
それを問題にするのは、人生というものが、ある程度、わかった人が感じることであるから、やはり人生の後半部分を迎えて突き当たる問題ではなかろうか。
もしこれが、人々の通るお決まりの人生行路でどの時点が最もふさわしいかと言うのなら、最も効果的に遍路するのは、タイミングというものがあってしかるべきだ。
私の人生経験からすると、第1線を退いて、己の人生にある程度のメドがつく、定年前後のすなわち60歳くらいから、遍路するのがよい。
この年代ではまだ体力に余力があり、また今までと違った観点から、己を見つめることができるからである。
観光旅行と言うのは、体を休め、気分転換をする為の旅行である。美しい景色 ゴージャスな調度品や雰囲気、見た目には、ゼイタクともいえる、美しくおいしい食事を求めての旅である。心も体も休める旅である。
それに比べて遍路旅は、目標は、寺でらをめぐり歩くことであり、遍路する88の寺でらは必ずしも、平地ばかりではなく、山あり谷ありの自然の姿の野山をめぐり歩き、それを通して己の人生に、何かを得る旅である。特に満たされない心や人生のもろもろの疑問や未知の問題に、取り組もうとする旅である。
それは自分の足を使って山野を踏破するもので、四国一周合計で1400kmを歩き通す事である。雨の日も晴れの日も、暑い日も寒い日も、ただ次の札所を目指して黙々と歩き、体の疲労からくるいらいらや、ストレスと戦い、それに打ち勝つ自分を作る修業の場を巡り歩く旅である。
近頃は車遍路が主流にはなっているが、本来は歩き通す事が本筋だろう。約50日程かかるらしいが、その間野宿する人も多いと聞く。だから最低限度の生活道具は背負って歩くことになる。
彼岸花の咲くの道を、菅笠の白装束の姿がちらほら見える。百人百通りの人生を背負いながら。一人二人、また一人が歩いていく。
遍路ばかりは自分との戦いという面がある以上、自分以外はみな他人で直接には何の関係もない。答えは独りひとりが出すものだ。そしてその答えは自分にしか分からないし、他人には通用しないかも知れないものである。それを踏まえて遍路旅に出るか?う~ん。
無駄だとは言わないが、体力となえた気力では自信がない。一生涯出来ない旅かも。
現代の経済システムでは、ものと心のバランスが、崩れやすい。
マスプロ、マス消費は生活を豊かにはしたが、物欲の肥大化を伴い、心がやせ細ってしまうような結果を生んだ。
金さえあれば、、、、という考えが、「人間らしく生きる。」ことよりは優先し、ものを追いかけ、高度成長を求めて、「現代」を実現してみた。
ものに関しては、社会も個人も豊かになったが、それに比べて「幸せ感」がなく、心の渇きを感じるのはなぜだろうか。
一体、心の渇きをいやすなどというものは、幼稚園や小学生時代などには問題にならないことである。
それを問題にするのは、人生というものが、ある程度、わかった人が感じることであるから、やはり人生の後半部分を迎えて突き当たる問題ではなかろうか。
もしこれが、人々の通るお決まりの人生行路でどの時点が最もふさわしいかと言うのなら、最も効果的に遍路するのは、タイミングというものがあってしかるべきだ。
私の人生経験からすると、第1線を退いて、己の人生にある程度のメドがつく、定年前後のすなわち60歳くらいから、遍路するのがよい。
この年代ではまだ体力に余力があり、また今までと違った観点から、己を見つめることができるからである。
観光旅行と言うのは、体を休め、気分転換をする為の旅行である。美しい景色 ゴージャスな調度品や雰囲気、見た目には、ゼイタクともいえる、美しくおいしい食事を求めての旅である。心も体も休める旅である。
それに比べて遍路旅は、目標は、寺でらをめぐり歩くことであり、遍路する88の寺でらは必ずしも、平地ばかりではなく、山あり谷ありの自然の姿の野山をめぐり歩き、それを通して己の人生に、何かを得る旅である。特に満たされない心や人生のもろもろの疑問や未知の問題に、取り組もうとする旅である。
それは自分の足を使って山野を踏破するもので、四国一周合計で1400kmを歩き通す事である。雨の日も晴れの日も、暑い日も寒い日も、ただ次の札所を目指して黙々と歩き、体の疲労からくるいらいらや、ストレスと戦い、それに打ち勝つ自分を作る修業の場を巡り歩く旅である。
近頃は車遍路が主流にはなっているが、本来は歩き通す事が本筋だろう。約50日程かかるらしいが、その間野宿する人も多いと聞く。だから最低限度の生活道具は背負って歩くことになる。
彼岸花の咲くの道を、菅笠の白装束の姿がちらほら見える。百人百通りの人生を背負いながら。一人二人、また一人が歩いていく。
遍路ばかりは自分との戦いという面がある以上、自分以外はみな他人で直接には何の関係もない。答えは独りひとりが出すものだ。そしてその答えは自分にしか分からないし、他人には通用しないかも知れないものである。それを踏まえて遍路旅に出るか?う~ん。
無駄だとは言わないが、体力となえた気力では自信がない。一生涯出来ない旅かも。