日々雑感

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長島愛生園o

2020年11月20日 | Weblog
今日の夕刊のトップページに愛生園のことがのった。この記事を見て思い出す事がある。

壺阪寺中興の祖 常盤勝憲大和上の事である。師は若いときに愛生園で光田博士の講演を聴かれ、一身をなげうって

ハンセン病に対する世間の偏見に立ち向かい、生涯を閉じられた。師の命を奪ったのは胃がんだった。

まだ50代という若さで天上界に還って行かれた。

日航機がニュウデリーで事故をおこし乗客の京大の宮崎博士がインドにおける救ライ事業の中断のやむなきに至ったが、
ソノ後を常盤先生が引き継がれた。

常盤先生は光田先生の講演を生涯の歩む道と決められたのだろう、インドで1000万人のハンセン氏病患者の救済の目標を掲げて、文字通り命をかけて患者の救済に全力投球をされた。病院だけで無く、授産所も、ロパ小学校も建てられた。

この事業に感動されたガンジー首相は壷坂寺に石像大観音像を贈られた。

話を聞いていると、お二人は随分気心の知れた仲だったみたい。ガンジー首相は暗殺されルのだが、その一週間前に先生は

彼女に会われ、寂しくてしようが無いと、首相がつぶやかれたのをきかれたらしい。

まさかその一週間後に永遠の別れが来るとは夢想だに出来なかったので

常盤先生がその事実を話される時はずいぶん悲しげだった。そして付け加えられた。

「君すべては陰徳ですよ。神や仏に徳を積めばいいのです。人の世で誇らしく言うものではない。だからこの大観音像を拝みに来る人達は何も知らない。それでいいのです」

僕はあのときの先生の言葉を忘れることが出来ない。陰徳そう陰徳 人生では神仏に対して徳を積むことが大切なんだ。

先生が亡くなられてからもう33回忌もとっくにすぎたはずだが、長島愛生園の記事を見ると、いつも常盤先生のことを思い出す。

出発点は光田博士の講演だ。と同時に日本の社会福祉の原点を厚生省と談判されて作られた事を忘れてはならない。

是は先生から直接聞いただけではなく、当時の係官がテレビで証言して放映されているのを僕はこの目でしっかり見た。

僕にとっては怖い散在だったが、文字通り慈愛放光を地で行かれた聖人であった。

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