日々雑感

心に浮かんだこと何でも書いていく。

いじめ

2011年11月17日 | Weblog
いじめ
 
男子同級生を全裸にさせ、携帯電話で写真を撮影したうえ暴行し、用意した排泄物を持たせて教諭の車にすりつけさせたとして、滋賀県警高島署は16日、強要と暴力行為処罰法違反の疑いで、同県高島市立中学校3年で14~15歳の男子生徒3人を逮捕した。同署によると、3人のうち2人は容疑を認めているが、1人は「強要はしたが、手は出していない」と一部容疑を否認している。
3人の逮捕容疑は今月11日の同校で、男子同級生(15)を全裸にさせ携帯電話で写真を撮影。足で蹴るなど暴行をしたうえ、用意していた排泄物を同級生に持たせ、校内に駐車中の男性教諭の軽乗用車にすりつけるよう強要したとしている。
市教委によると、事件翌日の12日、保護者が同署に被害届を提出し、学校にも連絡。学校側の聞き取りに3人は「からかい半分でやった」などと話したという。学校側は3人のうち2人が今年6~7月に数回同級生を叩くなどしたことを把握、2人を口頭注意していた。

以上の報告を読んで思うことは、校長の責任感の無さ、担任の無能力 の二点は確実に言える 。これに対して責任をどうとらせるのか。社会常識から判断すると、与えられた職務の責任を果たすことが出なかった不適格人間だから、当然懲戒免職に値する。
いじめが犯罪であるという自覚がまるで抜け落ちている。
これだけひどい暴力をふるって、もし学校の手に負えないなら、何故警察に指導を依頼しないのか。結果的には警察が逮捕しているではないか。その前に何故警察に相談しないのか。

校長や担任の言い訳は問答無用だ。それで免責されるとでも思ったら大間違い。責任はとことん追及する厳しさがなくては、管理責任の重大性を認識できないなんて、教員にあるまじき人物だ。

序でに書けば、虐待もそうだ。
児童虐待死が発生したら担当者、管理責任者は問答無用で懲戒免職。
これまでいろいろなケースを注視してきたが、言い訳ばかりで、子供が死んだのは配慮が足りなかった、とか、そこまで悪化していたとは知らなかったみたいな言い訳に終始して、本人の責任を問う前に、制度論や、言い訳論にすり替わってしまい、重大な人権侵害を見過ごしたという責任追求は軽すぎるおとがめくらいで、済ましているから、担当者の責任感が希薄になるのだ。
人はそれぞれ立場によっていい訳がある。それを許しては駄目だ。それは死もしくは死につながる危険性があるからだ。担当者や管理者を懲戒免職しても何ら不都合ではない。事は命の問題だから一歩たりとも引き下がれない。昔と違って今では警察力を借りることも出来るようになっているから、なおさらだ。教育委員会の指導強化を望む。

もう一つの人生

2011年11月17日 | Weblog
もう一つの人生

タイへはよく行った。三十回は越している。初めてバンコクへ行ったとき、ドンムアン空港に降り立った時の開放感は忘れることが出来ない。同時に今まで味わったことがないような、孤独も味わった。
話せないから会話が出来ない。これが最大の困りごとである。お国柄の事情も何も知らずに飛び込んだから、何をするにも全く見当が付かない。タイ人とはタイ語を話すことも、会話することも、出来ないし、文字も全く読めない。つたない英語の会話と、身振り手振りのボデイランゲージ だけである。立ち往生して途方に暮れた。

しかしそれも三十回を越せば、身体がバンコク市内のことを覚えてくれるので、会話が出来なくても、何とかひとり旅が出来た。地理が詳しくないので時間があれば歩いた。4月のソンクラン祭りが水掛祭りだと言うことも知らなかったので、背中から水を掛けられたこともある。

そのうちに第二の都市チエンマイに足を運んだ。ドイステープ寺院から市内を見渡すと城郭都市の様子がはっきり読み取れた。チエンマイには象に乗るために三回ほど行った。

その実績がかわれて、チエンマイ市から長期滞在しないかと案内が来た。もう定年も過ぎていたが、やはり僕は日本に住む方が良かった。それは日本が身体中にしみこんでいるから、今更言葉も分からないところで住むなんて、と言う思いが強い。何時もひとり旅
だから、しっかりした自分を堅持しないとたちまちにして、生きていくのに困る。
そういうわけで頭にたたき込むか、メモをとって知識としてはかなりのことを身につけていたけど。
ある日新聞にもう一つの人生という題で海外長期滞在の特集記事が載った。海外の長期滞在は、僕にとっては旅でしかあり得ない。インドを二月ほど旅したが、とにかく日本に帰りたくてしようが無かった。それはぼくのノスタルジアではなかった。何よりも生活上の不便が大きかったからである。
良くても悪くても、「もう一度の人生」は日本にしがみついて生きなきゃと思っている。