性犯罪被害にあうということ小林 美佳朝日新聞出版このアイテムの詳細を見る |
犯罪被害者の刑事裁判への参加、そして裁判員制度といった新しい制度も下での犯罪被害者への社会の理解が求められている。しかし、現実は、自分が犯罪被害者になるか、家族が犯罪被害者となった場合でもなければ、日常生活からは思索の対象から外されるのが普通になっているのだろう。
犯罪被害者にも、刑事犯罪、交通犯罪といった対象となる犯罪のより、その受け止め方が違ってくる。また、家族の反応も変わってくる。全てを、一つのケアで対処することは出来ない。
特に、性犯罪被害者の場合は、被害者における自己否定の感情や、社会の「常識」との乖離に苦しむことになる。被害者になったことが、「恥ずかしいこと」「周囲には黙っていること」という意識と、被害にあった怒りとが葛藤する事もあるだろう。また、家族との関係も微妙なものとなる。友人関係にも暗い影を落とすこともある。セカンドレイプという二次的被害もある。
被害者の当事者としての手記は、社会や周囲が「理解」するための貴重な証言である。24歳の時に、性的犯罪に巻き込まれてからの、著者の被害者としての思いを伝えなくてはという意思が強く感じられた。事件後の、激しいフラッシュバックや、男性との性的関係に嘔吐が伴うようになったことなど、日常生活を送る一般市民には思いもよらない心身共にダメージを与えられた事が綴られていることに。
本書の中で、”事実を受け止める”ことが、被害者にも周りに人にも必要であるとの指摘は重いものであるが、また、難しいものでもある。しかし、その点をクリアしなくてはなるまい。
”事実”に関して著者は言う、「被害者にとっては、被害にあい、自分の身体や気持ちが傷ついていること。そしてそれは他人の手によるものであり、決して自分の非を探す必要はないということ」「周りの人たちにとっては、自分の大事な人が、悩み苦しんでいること。それが自分ではなく、その人であること。自分の苦しみの発端は、被害者本人の辛さがあってこそだということ。そしてそこには、絶対に悪い、第三者の手が下されていること」と。
AV作品が描く、性に関する虚構も性犯罪に影響を及ぼしている可能性が高い。また、本書では、被害を受ける男性に関しても、いじめにおける性的虐待や、女性によるセクハラにも少し触れている。
「タガタメ」の詞を聴いた時、著者は、自分の気持ちを理解している曲だと思ったそうだ。
Mr.Children タガタメ 音ズレ無し