トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

忘れないための記憶装置としての本『わたしたちの「無言館」』

2012-06-28 23:45:43 | 読書
 夏の思い出は、楽しいものばかりではない。思い出といっても、僕らの世代は実際には体験しなかった僕たちの親の世代の戦争に関する記憶である。直接に体験した人々の数は、年々減っていくが、再び悪夢を呼び起こさないためには、その記憶を伝えていかなくてはならない。今の閉塞した政治状況は、ヒトラーのごとき人間を自分たちの指導者にしてしまうリスクの高い所にものを孕んでいる。理性ではなく、心情の方が重きを置かれる社会は、客観的に冷静に考える能力を人々から奪っていく。ネット社会に巣食う排外主義や国家主義は、若者の近現代史の知識の空白を狙って、相乗以上に簡単に刷り込まれる例も少なくなかったようだ。その意味で、かつてなかったネットからの脅威も、無視できないものである。ファシズムはそよ風とともにやって来ると表現した人がいるが、心情に強く訴える非合理主義のその怪物は、時代に合わせて社会主義者、新民主主義者と巧みな擬態をとることができる。
 今は、過去の伝えるべき思い出や記憶が風化している時代となってしまった。故意に忘れさせようとする動きも強まっている。

 私たちは、決して諦めずに、執拗にその記憶を自分たちのものとして共有しながら、次の世代に伝えなくてななるまい。国家、社会が理性を失ってしまってからでは無力であるから。

 信州に旅することがあったら、無言館を訪れてみたい。戦争により命を奪われた画学生たちの思いを伝える彼らの遺産に触れるために。

 本を通じても、彼らの思いに触れることができる。それぞれの作品に添えられた館長でもある窪島誠一郎さんの文章が、作品の言いたかったであろう思いの大事なことを語っている。本書の絵や彫刻と向き合ってみると良い。

 戦争画というおぞましい一群の絵画が存在している。藤田嗣治も描いている。その封印も、戦争の記憶の風化と共にほころびようとしている。たくさんの富士の絵を戦費調達のために描いた横山大観もいた。音楽家の山田耕筰同様、反省したことはなかったようだ。

 無名といっていい若者たちの絵は、戦争画の対極で、静かさの中で大切なものを表現している。


わたしたちの「無言館」
窪島 誠一郎
アリス館


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。