トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

同じ人間なんや、児童書『おっちゃん、なんで外で寝なあかんの?―こども夜回りと「ホームレス」の人たち』

2012-07-02 09:37:12 | 読書
 年越派遣村が初めて開設された時、人々の関心が一時的ではあったが多く集まった。しかし、この国では心情的に反応する事の方が多く、そのために時期が来ると何事もなかったように忘れてしまう傾向がある。より生きやすい社会を作るためには、自分たちには何が出来るかなどと、心情だけでなく理性のレベルで考える事をしていないようにも思える。真面目に一途に考える行為に対しては、また、行動することに対しては、何もそこまでする事はないという反応をしてしまうような気がする。その反面、「自己責任論」という為政者にとっても、無関心な国民にとっても都合の良い「異分子」に対するレッテル貼りの便利な言葉が日本中に拡散していった。これには、ネット社会が大いに「貢献」している。
 その後、「すべり台社会」、「無縁社会」などという現代の社会の孕む非人間性を指摘する言葉が登場したが、それらの言葉もどれだけの人々が自分の問題として受け止めたのか疑問である。
 未だに、社会には「ホームレス」の人々は減少しているようでもないし、悲しい事に、彼らを襲撃する「殺人行為を平気でする」若者たちの存在は、時々報道される事件で世間の一時的注目を集める陰で、認められるようだ。又、我々にとっても、「ホームレス」状態の人々を街の中で見かけても、ごく当たり前の風景のようにすぐ記憶から消してしまう、また、襲撃事件のニュースを知っても「またか」という無関心の領域に押しやってしまう。
 子ども達の成績と親の所得との相関関係の指摘、子どもの貧困問題、貧困の連鎖等、現代の日本は新たな階級社会となりつつある。親の属するクラスに生まれた子どもも親と同じクラスで生きていく。今後の日本の方向性を真っ先に考えるべき衆院議員ですら、小選挙区制というシステムの中で、狭い選挙区の中で、二世議員、三世議員といった世襲制が実際には行われていて、こうした選挙区には、新しい志を持った人間が入る余地がないのが現状であろう。身近な市区町村の議員の中にも、世襲制が少なからず認められ、封建時代の様相を示している。国会議員をはじめ、議員定数の削減問題も、一見すると経費削減の意味のある提案のように見えるのだが、少数意見の切り捨てを目論んだ封建時代的感覚の政治家にとって都合の良い手段となりかねない。今の政治の閉塞感も、小選挙区制のもたらした選択肢の無さと、松下政経塾の出身者のように、立候補できるなら、一部の政党を除いてはどこの政党から出馬するかは問題ではないという当初からの志?の問題点、また、言論の自由のために戦った事のないジャーナリズムの精神を失ったマスコミの政治、社会問題のショータイム化、バラエティー化による大衆迎合化による世論の誘導化などが、この国をどこに導こうとしているのか不安である。大阪で起こっている事も、マスコミの力が働かなければ今のような事態にはならなかった。古い国家主義的考え方をしようと、その考えを実行しようと、「改革」として評価されて問題点も指摘されなくなってくる。
 大阪の日本一生活保護の受給率が高いとされる西成区で、26年間にわたって、1月から2月の厳しい寒さの時期に、「ホームレス」の人々に対する「こども夜回り」が続けられている。同区にある「子どもの里」という児童館の子ども達が、野宿者に声をかけながら、おにぎりや温かい汁を配っている。大人たちがそうした活動をするより時よりも、野宿者は心を開きやすいという。その活動は、1986年に、横浜で起こったホームレス襲撃事件に心を痛めた館長が子ども達に意見を聞いた時の子ども達の反応がきっかけとなって始まったそうだ。西成区という立地条件からも、児童館に通う子どもたちも貧困などの問題を抱える子どもたちが少なくないはずなのに、襲った若者たちに対してよりは襲われたホームレスの人々に対する否定的な意見が多かったのだ。臭い、汚い、怠け者等の評価は、大人たちの偏見によるものなのだが、あのような人にならないように親から言われていたら、そうした評価を持つのが普通になってしまう。
 なお、同地区には、毎月1回、やはり夜周りを続けている児童館が本書で紹介されている。子どもたちは、夜周りによる野宿者との出会いで、今までの認識を変えていくが、その点については、野宿者の話とともに、子ども達の感想文も本書に載っているので是非読んでいただきたい。
 本書で触れられている大事な事実認識があった。野宿者もかつては、西成区ではあいりん地区等、全国でそのような地域に千人ほどしかいなかったという。しかし、企業による非正規労働者の利用が盛んになる事により(企業のコンプライアンスとか言われる事があるが、消費税論議同様、企業に働くのは、役員報酬と株主対策への視点で、後は倫理なき営利追求というのが大方の傾向なのだろう。)、若者も野宿生活者へ転落する、又、転落までも至らなくても、年金や国民健康保険の納付も出来ない最低限度の生活を送る例が増えてきた。現在は、野宿者は冬の極寒地の北海道も含めて、全国に二万人は存在するとされている。また、ホームレスの中には、聴覚障害者、知的障害者などの障害者や高齢者も、女性の野宿者も少なくないと本書では指摘している。女性の場合は、家庭内暴力も大きな原因となっている。
 夜周りをする子ども達とは、別に、襲撃をする子ども達、若者たちも後を絶たないという。彼らが警察に逮捕されても、悪びれる様子はない。骨を折った時の音を聞いてスカッとしたという若者すらいる。捕まえてみても、「普通の子」、中には優等生タイプもいるという。
 著者は、襲撃する子どもたちの事にも、大人社会の野宿者への偏見ばかりでなく、彼らの「生きづらさ」を指摘している。そこで、著者は、学校現場への出張授業の活動を行っている。少しでも、子ども達に野宿者の現状を知ってもらい、偏見をなくしてもらうためにであるが、時には野宿者も一緒に授業に監査して彼の話を子ども達に伝えている。
 本書を子どもたちが読むことで、偏見をなくし、自分たちに何が出来るのかを考えてほしい。本書の中で、ビッグイシューの販売員についても触れていたが、彼らから雑誌を買う事も、すぐに実行できる事である。
 ホームレスの人々も、自己責任論で無関心の対象とならないために、大人にも読んでほしい本である。出来たら、子どもと一緒に。

おっちゃん、なんで外で寝なあかんの?―こども夜回りと「ホームレス」の人たち
生田 武志
あかね書房


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