トッペイのみんなちがってみんないい

透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

福祉ネットワーク「一粒の種」、再放送やっと観ました

2009-06-11 21:48:14 | 福祉
一粒の種


 「一粒の種」という歌が、大切な人を失った人に力を与えている、ブログの友達から、この曲の事を紹介されました。ミニコンサートに参加してこの曲を聴いたそうです。その時の様子が、NHK教育テレビの福祉ネットワークで取り上げられるという情報を寄せてくれました。
 6月4日の放送でしたが、観るのを失念してしまいました。幸いにも、再放送が11日にあり、今度はしっかり録画して、今日、透析から帰ってから観ることができました。

 この歌が誕生するまでの経過と、この歌に対する多くの人の反響の声が番組では紹介されました。

 今から5年前に、神奈川県川崎市の病院に末期がんの患者さんが入院しました。中島正人さん、46歳でした。前立腺がんが全身に転移して余命3カ月といわれたそうです。年老いた両親と3人暮しの生活を送っていたということでした。高橋尚子さんという看護師さんが担当になりました。中島さんは、物静かな手のかからない患者さんで、他の患者さんたち、特にお年寄りに親切でした。
 入院4カ月目に、高橋さんはベッドでふらつきながら号泣する中島さんの姿を見て、身体が固まってしまいました。死にたくない、生きていたい、そう繰り返して大粒の涙を流していました。一粒の種でいいから生きていきたい、中島さんはその後にこん睡状態に入り、3日後に息を引き取りました。

 高橋さんは中島さんと会う3年前に内臓破裂でガンの疑いがあると言われたことがありました。その時に、残される夫と子ども2人の事を思いました。この思いが中島さんの思いに重なり、高橋さんは、中島さんの思いを詩に作りました。彼女は同郷のシンガーソングライターの下地勇さんに手紙で曲をつけるように依頼しました。
 しかし、下地さんにはこの曲の重さから、1年も手をつけることができませんでした。1年後、下地さんが第2の父と慕っていたおじの死に会い、曲を作ることを決心しました。
 高橋さんのもとに届いたCDには、いつか又会えるという思いが、下地さんのメッセージが加えられていました。去年の12月に、下地さんは同郷の後輩の砂川恵理歌さんに託してレコーディングを行いました。砂川さんは、歌手になる前5年間に介護職についていました。その時に、多くの人との別れを経験しました。
 この曲には、中島さん、高橋さん、下地さん、砂川さんの大切な人の命に対する思いが込められているのです。
 沖縄でこの曲が人々に広まっていき、やがては全国に広がっていきました。れコート会社に寄せられた1000通を超えるメールや手紙には、家族や大切な人を失った人たちのこの曲に対する思いが寄せられていました。

 生きること、大切な家族を見つめ直すことのメッセージをこの曲は伝えています。

一粒の種




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2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
ども (神無月)
2009-06-11 22:31:40
うん、いい曲だ。
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どもです (トッペイ)
2009-06-12 00:15:48
 はい、心に染みるいい曲です。
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