昨日は、八王子市郷土資料館で開催中の特別展「多摩の古墳」を見学に行った。
八王子郷土資料館 平成21年度特別展「多摩の古墳」
多摩地区では、多摩川流域に、下流域に有力首長の墓と考えられる古墳が作られ、時代が進むにつれ、上流域でも見られるようになる。6世紀前半には、府中市でも古墳が作られるようになるが、6世紀半ばになると一斉に作られなくなる。その後、6世紀後半になり、再び、多摩地区では古墳が多く作られるようになるが、その空白の時間の理由はよく分かっていない。
八王子地区は、縄文時代からの住居跡などが少なくないが、何故か、古墳時代に作られた古墳が少ない。その点も、理由ははっきりとはしない。今回の展示では、多摩地区の古墳も合わせて紹介されている。
八王子市内には、伝承等も含めて、12基の古墳が存在する。また、4か所の横穴墓群も存在するが、今回は古墳を合わせて紹介されている。
なお、市内から発見されている周溝墓と古墳の関係については、まだ、評価が定まっていない。
展示品も少ない小さな展示であるが、床に、実物大の石室の絵が貼り付けてあったり、色々と工夫がされている。
なお、「タマ」の地名のついて、初めて文献資料に登場するのは、万葉集の「赤駒を山野に放し捕りかなにて多痲の横山徒歩ゆか遣らん」の歌の中の「多痲」だという。また、和名類聚抄の中には、国群名に「多摩」と記載されている。
そして、日本書紀の記事「武蔵国造の乱」をめぐる記載を、古墳群と検証する考古学の立場と、文献学の立場による年代や内容の真偽についても、地名の事と共に紹介されていたのは、興味深かった。
なお、今回の展示に合わせて、「特別展 多摩の古墳」の小冊子が売られている。多摩地区の古墳についての詳しい解説が、図版を多用して書かれれている。値段も300円なので、お勧めである。
今回、参考展示として、「仁徳天皇陵古墳石棺図」を見ることができる。国内では、2か所でしか確認できない資料で、色付きは、本館蔵のものだけだそうだ。2枚と1枚の貼り札からなる。
明治5年9月7日に、大山古墳(伝仁徳天皇陵古墳)前方部の東南の一部が崩壊して、人ひとりが入れるほどの穴が開いたことがあり、その時に、中にあった石棺を図に書いたものである。なお、この石棺は、天皇ではなく、当時の最高首長と同格の人物が埋葬されたものと考えられているそうだ。最近、卑弥呼の墓かと話題の箸塚古墳同様、天皇陵の公開調査が望まれている。
八王子郷土資料館 平成21年度特別展「多摩の古墳」
多摩地区では、多摩川流域に、下流域に有力首長の墓と考えられる古墳が作られ、時代が進むにつれ、上流域でも見られるようになる。6世紀前半には、府中市でも古墳が作られるようになるが、6世紀半ばになると一斉に作られなくなる。その後、6世紀後半になり、再び、多摩地区では古墳が多く作られるようになるが、その空白の時間の理由はよく分かっていない。
八王子地区は、縄文時代からの住居跡などが少なくないが、何故か、古墳時代に作られた古墳が少ない。その点も、理由ははっきりとはしない。今回の展示では、多摩地区の古墳も合わせて紹介されている。
八王子市内には、伝承等も含めて、12基の古墳が存在する。また、4か所の横穴墓群も存在するが、今回は古墳を合わせて紹介されている。
なお、市内から発見されている周溝墓と古墳の関係については、まだ、評価が定まっていない。
展示品も少ない小さな展示であるが、床に、実物大の石室の絵が貼り付けてあったり、色々と工夫がされている。
なお、「タマ」の地名のついて、初めて文献資料に登場するのは、万葉集の「赤駒を山野に放し捕りかなにて多痲の横山徒歩ゆか遣らん」の歌の中の「多痲」だという。また、和名類聚抄の中には、国群名に「多摩」と記載されている。
そして、日本書紀の記事「武蔵国造の乱」をめぐる記載を、古墳群と検証する考古学の立場と、文献学の立場による年代や内容の真偽についても、地名の事と共に紹介されていたのは、興味深かった。
なお、今回の展示に合わせて、「特別展 多摩の古墳」の小冊子が売られている。多摩地区の古墳についての詳しい解説が、図版を多用して書かれれている。値段も300円なので、お勧めである。
今回、参考展示として、「仁徳天皇陵古墳石棺図」を見ることができる。国内では、2か所でしか確認できない資料で、色付きは、本館蔵のものだけだそうだ。2枚と1枚の貼り札からなる。
明治5年9月7日に、大山古墳(伝仁徳天皇陵古墳)前方部の東南の一部が崩壊して、人ひとりが入れるほどの穴が開いたことがあり、その時に、中にあった石棺を図に書いたものである。なお、この石棺は、天皇ではなく、当時の最高首長と同格の人物が埋葬されたものと考えられているそうだ。最近、卑弥呼の墓かと話題の箸塚古墳同様、天皇陵の公開調査が望まれている。