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透析しながら考えた事、感じた事。内部障害者として、色々な障害者,マイノリティの人とお互いに情報発信したい。

読書『阪神大震災・聴覚障害を持つ主婦の体験』

2010-01-18 00:41:27 | 読書
阪神大震災・聴覚障害を持つ主婦の体験
紫陽花 まき
文芸社

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 17日の日曜日、阪神淡路大震災から15年目の様子を、テレビ番組で取り上げていた。震災当時、聴者も情報不足に苦しんだとの報告もあったが、コミュニケーション障害を持つ聴覚障害者の場合は、なおさら、情報が保障されないことから、震災時に多くの苦労を経験することになった。また、聴覚障害者は、精神病患者や、我々透析患者同様、見えない障害者である。見ただけでは、健常者と同じに見えるのだ。そうしたことからくる社会の無理解にも苦しんだ経験も報告されている。

 当日は、「ろうを生きる難聴を生きる」で、本書を出版された永江真樹さんが、震災時のろう者の置かれた厳しい立場を手話で語る内容の番組の再放送があった。

 永江さんの地震発生前から、地震発生当日の様子、避難所での暮らし、仮設住宅での生活についての体験を、彼女の語る手話を文章に起こしたのが、本書である。

 手話と学ばれている方はもちろん、1人でも多くの方に、当事者の声を聞いてもらいたいと願っている。

 救出にあたった自衛隊員の中にも、聴覚障害について理解がなく、がれきの下に閉じ込められた聴覚障害者の救出を求めた時の対応などは、腹立たしい思いがした。手話通訳者の女性が、ろう者の若者の救出を、道行く人々に頼んでも無視が続いた。ようやく、通りかかった自衛隊員達に救出を依頼するも、しぶしぶ受けたような状態で、大声で何回か叫んだが、応答がないので、「残念ながら、返事がないので亡くなられたようです」と言われたそうだ。ろう者なのだから、返事がないのが当たり前なのにである。結局、手話通訳者の方の必死の説明で青年の命は助かったが、もし、そのまま、立ち去られたらと思うとぞっとする話であった。
 また、永江さんが、食事の配給のために並んでいた時に、担当の女性自衛隊員に家族4人分の食事の支給を求めたが、意思疎通がうまくいかなかったので、1人分しかもらえなくて、仕方なく、夫婦2人は食べずに、子ども達二人に半分ずつ与えた事もあった。
 聞こえないゆえの、聴者とのトラブルもあった。

 なお、このトラブルで、娘さんは、成人した今でも、外傷性ストレス障害の治療を続けている。

 そのことに関連してであるが、同番組の後の、「子ども手話ニュースウィークリー」では、震災時の子どもたちの心のケアに当たるケア相談員が、この3月で廃止されることが紹介されていた。震災を体験した子どもたちが、中学口を卒業するという理由からだった。しかし、永江さんの娘さんをはじめ、今でも、ケアを必要とする子どもたちがいる。また、震災を体験しない子どもたちの間にも、影響が見られる場合があり、問題行動の原因と考えられるケースもあるようだ。そのために、心のケア相談員の制度の継続を強く訴えている元ケア相談員の活動を紹介していた。神戸市は、震災後、全国各地で、災害が発生した場合に、こうした心のケア相談員を派遣していた経緯もあるのだ。

 震災復興住宅の入居者の高齢化による様々な問題の発生、たとえば、今も続く孤独死等、また、地元商店街の復興の遅れなど、本当に、復興が終了したとはいえない状況が続いているようだ。


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