かぜねこ花鳥風月館

出会いの花鳥風月を心の中にとじこめる日記

雪の日おひさま

2021-12-18 17:37:00 | 日記

とうとう真冬が到来した。

最低2℃、最高3度という数字。おまけに、明け方から紙吹雪のような雪が降り続いていて

仙台でも初冠雪を記録した。

それでも外は明るく、雪雲を透かしてお日様が照っていた。

雪が降っていても、雲間からお日様を望める状態を何と表現するのかいろいろ調べたが、言葉が見つからなかった。

お日様と紙吹雪を同時に撮ろうとしたら、紙吹雪は黒色となってしまった。

まだまだ写真というのはむつかしい。見た目そのままに撮れないのだから。

真冬になってもスズメたちは元気だ。

ベランダの雪を払い、玄米を一握り撒いてやったら、ものの数分で平らげて、雪空に飛び去っていった。

 

 

    

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深田日本百名山+(プラス)50

2021-12-17 06:45:56 | 日記

深田久弥さんの著作「日本百名山」(新潮社)には、後記がしるされていて、百名山選定にあたっての選定基準を述べたうえ、選に漏れた山々、百名山に入れるべきだった山など47座を掲げている。(奥高野の山々は具体名なし)

オイラは、この後記の山に①~㊼と印を入れ、これらの山も登る目標にしようかと考えていた。これら47座に加え、深田さん思入れの山として、「わが愛する山々」に取り上げた御座山と白峰三山の農鳥岳の2座、そして深田さん終焉の山として、深田さんが1971年3月21日登山中に倒れた茅ヶ岳をプラスして、「深田日本百名山+(プラス)50」と勝手に命名したい。

まだ、この50座については、オイラは半分程度しか登っていないが、いまは、全部に登ろうとは思っていない。百名山でもう一度登りたい山とその周辺のエリア、もっと優先すべき会津や上信越の山々、大峰山奥駈道があるからである。

だが、この50座には心残りの山があるので、これらには機会を見て登ってみたい。具体的には、

【北海道】ウペペサンケ、石狩岳、駒ヶ岳

【上信越】守門山、荒沢岳

【日本アルプス】蓮華岳、毛勝山、笊ヶ岳、七面山

【関西】奥高野の山々 高野山から熊野大社までの小辺路ルートの山

【わが愛する山々】 御座山

の11座。

      

            かもしか展望台から望む雪倉岳(2021.7)


日本百名山後記の山48座


【北海道】

① ウペペサンケ (未踏)

② 二ペソツ

③ 石狩岳 (未踏)

④ ペテガリ

⑤ 芦別岳

⑥ 駒ヶ岳 (未踏)

⑦ 樽前山

【東北】

⑧ 秋田駒ケ岳

⑨ 栗駒山

⑩ 森吉山

⑪ 姫神山

⑫ 船形山

【上信越】

⑬ 女峰山

⑭ 仙ノ倉山

⑮ 黒姫山

⑯ 飯縄山

⑰ 守門山 (未踏)

⑱ 荒沢岳 (未踏)

⑲ 白砂山 (未踏)

⑳ 鳥甲山 (未踏)

㉑ 岩菅山

【日本アルプス】

㉒ 雪倉岳

㉓ 奥大日岳

㉔ 針ノ木岳

㉕ 蓮華岳 (未踏)

㉖ 燕岳

㉗ 大天井岳

㉘ 霞沢岳

㉙ 有明山

㉚ 餓鬼岳 (未踏)

㉛ 毛勝山 (未踏)

㉜ 大無間山 (未踏)

㉝ 笊ヶ岳 (未踏)

㉞ 七面山 (未踏)

【北陸】

㉟ 笈岳(おいづるだけ)(未踏)

㊱ 大笠山 (未踏)

【関西】

㊲ 鈴鹿山 (未踏)

㊳ 比良山 (未踏)

㊴ 御在所岳 (未踏)

㊵ 藤原岳 (未踏)

㊶ 奥高野の山々から一つ (未踏)

【中国】

㊷ 蒜山 (未踏)

㊸ 三瓶山(未踏)

㊹ 氷ノ山

【九州】

㊺ 由布岳(未踏)

㊻ 市房山(未踏)

㊼ 桜島山


わが愛する山々所収


㊽ 御座山 (未踏)

㊾ 白峰三山の農鳥岳


終焉の山


㊿ 茅ヶ岳

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どこかで見た画像だ

2021-12-16 13:54:46 | 日記

 

    

                                  (ガリレオx提供)

この画像は一体何だろう、いつかどこかでみたような。

人体や植物の細胞、血管、地下で絡まる木の根、地下でうごめくバクテリア ?

BSフジで先日放送されたガリレオ×第256回で放映された画像で、じつはコンピューターでシュミレーションした宇宙の大規模構造なのだという。網の目状になっていて、青や黄色に見えている部分を拡大すると銀河や恒星となっていて、黒く見えるのはダークマターという目には見えない正体不明の暗黒物質ということ。

ダークマターとは質量をもっている重力源で、このダークマター内の粒子が重力により引き寄せられて新たな星をつくり、銀河を形成し、それらがネットワークのようにつながっているということらしい。

これまでは、宇宙はどんどん広がっており、銀河もお互いにぶつかることがあっても、全体としては離れ離れになっていくものと理解していたが、糸のようにつながっていたなんて。

このシュミレーション画像は、千葉大の石山先生らのシュミレーション天文学者が、96億光年という広さのダークマター内で2.1兆個の粒子が重力によってどのように変化していくかを岩手県水沢にある国立天文台のアテルイⅡというスーパーコンピューターを用いてシュミレートした画像で宇宙の大規模構造の画像なのだという。(宇宙は、太陽系<銀河系<銀河団<超銀河団<大規模構造というマトリョーシカ構造で全体を俯瞰した構造が大規模構造ということになる。)

と言われても何が何だか分からないが、科学の進歩で宇宙の進化がわかってきたと科学者たちは、自信をもって語っていたので、期待したい。

しかし、どうみてもこれは人体や植物の細胞や地下の木の根同士やバクテリアのネットワークにも見えるし、マクロの宇宙の構造がこのような画像なら、ミクロの粒子の構造もこのようなものではないかと空想する。ミクロはどこまで辿っていけるのだろう、物質を遡れば「無」に行きつくのであろうか。そして、天文学者は138臆年前に、「無」からビックバンがおきて宇宙が始まったのだという。

「無」から「有」がはじまり、「有」は「無」にたどりつく。まさに、仏教が直観した「般若心経」の「色即是空・空即是色」の教えではないのか。物理学者たちは、仏教の教えを実証しようとしているのか。

今年はあまり役に立たなかったが、本屋さんから2022年版「天体観測手帳」(技術評論社)を買ってきた。2022年は、138億年先の宇宙の果てと糸でつながっていることを感じながら、わが地球から、ダークマターが作り出した美しい星々をもっと眺める年にしよう。

 

 

 

   


深田日本百名山登頂の思い出   100 宮之浦岳 (みやのうらだけ・1936米)

屋久島の最高峰宮之浦岳は、九州の最高峰でもあるが、1998年11月の勤労感謝の日をはさんだころに、そして2018年11月の勤労感謝の日をはさんだころに、どちらも同じコースを歩いて、山頂を踏んでいる。

白谷雲水峡を起点として縄文杉経由で淀川に下る2泊3日というコースで、「ひと月に35日雨が降る」という笑い話があるほど雲に覆われる日の多い屋久島の峰々だが、いずれもお天気に恵まれた楽しい山歩きだった。

1998年は単独行であったが、20年後の2018年11月は、石垣島在住が縁で知り合った仲間とその家族総勢九人とおおぜいでの山歩きだったが、毎日が宴会でおおいににぎわい、案内したみんなが登頂を歓んでくれ、ありがたかった。

ただ、屋久島が世界遺産に登録されて以降、登山者は増え、2000円という入山料を徴収され、縄文杉周辺はウッドデッキが施され、原始の趣が薄れていたのがすこし残念だったが、歩いたコースと踏んだ山頂は、屋久島の縦横に走る歩道と山岳の一部にすぎず、ほかの山域にはまだまだ静かで原始のたたずまいの森が残されているのだろう。それに、歩いた季節も11月末だけと、オイラは屋久島の魅力をほんの一部しか知らないのだと思う。

ふもとは亜熱帯、山頂付近は北海道並みの気候という、いわば日本列島の自然が凝縮され、ヤクザルやヤクシカもヒトと共存し、森羅万象の気配が満ち満ちた屋久島の森と山々の魅力は尽きない。

アルプス、北海道と思い残しの山を一通り終えたら、オイラはこの島に長期滞在して、思う存分山歩きを楽しみたい。

 

 

 

     

              ウィルソン株

     

           縄文杉

     

 

     

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午前4時に寝床で追った流星

2021-12-15 11:28:19 | 日記

午前2時ごろにはいったん目覚めたが、また眠りに落ちたようだ。再び目覚めた時刻はもう4時。あわてて起き上がり・・・・ではなくYoutubeにライブされている「ふたご座流星群」の映像を探し出す。南木曾天文台の映像がよかったので30分ぐらいはみつめていたが、長く尾を引く流星は1回限りで、あとは瞬時に点滅して消え去る流星が7,8回程度、布団の中で確認された。

最初に目覚めた2時ごろだったら60個/時間ぐらい出現されると「天体観測手帳」に書いてあったので悔しい思いをした。午前4時30分を過ぎると天文薄明の頃合いか高感度のカメラ映像は少し白けてきたので、ここで観察?は終わりにした。

このような天体ショーは、三脚をもって戸外に飛び出さなければならないのだが、何しろ今朝は最低気温0℃を示しているので、その気にならなかった。

つくづく星の観察なら南の島に限ると思った。石垣島ならば、1月の未明だって躊躇なく暗い海岸に歩いて行けたものだが。ただし、冬になると南西諸島は曇りの日が多いので、今朝のふたご座流星群はどうだったか・・Q

A:晴れ時々曇り 最低22℃ 最高26℃ と・・・(泣)

     

  2019.1.15.5:41 石垣島宮良海岸  南十字星に落ち流星  左手に輝くのは金星、木星、アンタレス


深田日本百名山登頂の思い出    99 開聞岳(かいもんだけ・924米)

映画だったかもしれないが、何かの映像で薩摩半島の知覧空港から飛び立った特攻隊員が操縦席から開聞岳に手を振り、日本に、この世にお別れの挨拶をして、沖縄の海に飛び去った光景を思い出している。特攻隊員にとっては、開聞岳は冨士のような存在だったのだろう。とにかく海岸線からスックとのびる円錐形は、付近の海上や地平線からひときわ目立つ秀麗な姿でそびえている。

深田さんは、百名山で「終戦後、中国で俘虜生活を送った私が、上海から帰国した時、船が日本に近づいて、夜のあけぎわにまず眼にしたのがこの開聞岳であった。その整った美しい山容を見て、とうとう内地に戻ってきたという万感のこみあげてきたのを忘れない。」と綴っている。

オイラは、深田さんとは異なる感情だったかもしれないが、2019年3月の末、足掛け11年に及んだ沖縄での生活に別れをつげた北帰行の旅のはじめに、南西諸島を転々と北上するフェリー乗っていて、鹿児島に近づいたあけがた甲板にでたときの冷たい風と北の海上に姿を現した開聞岳の姿を見て、「ああ、また寒い内地に戻ってきてしまった。」というある種の寂寥感が込み上げたのを思い出している。

     

開聞岳には、1998年11月末、屋久島から鹿児島に戻った後にレンタカーを借りて、高千穂峰と併せて登っている。地図でわかるように北の登山口から時計回りに1周回る様に登っていく道で,また北方向に戻ったあたり山頂となる。ごつごつとした岩の山頂で、居合わせた人は地元か九州のヒトばかりだったようで、仙台から来たと言ったら驚かれた記憶がある。頂上のニコリとした写真を誰かに撮っていただいたようだが、あの写真どこに行ったのやら。(アルバムを持たない性格ゆえ)

2019年、北帰行の旅で、指宿の砂むし風呂で火照った体のまま、佐多岬をめざした大隅半島行きのフェリーに乗ったオイラは、甲板の心地よい風に吹かれていつまでも開聞岳を眺めていたな。

    

    

     

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2022からのブログテーマは「山と星」

2021-12-14 12:44:41 | 日記

今朝と明日の未明には、ふたご座流星群が極大になるという情報はいただいてはいるのだけれども、未明の気温が3℃とあっては、寒さに強い山岳愛好家を自称しているオイラでも、戸外に出るのは勇気がいる。最近は、優秀なユーチューバーさんたちが、ライブカメラを提供してくれたり動画で撮った画像を提供してくれているので、家で布団にくるまりながら、夜空を眺めていられる。

しかし、こんなことではいけないのだと思う。防湿庫で一眼カメラや超広角レンズが泣いている。

GOOメールから、1年前のブログが届いた。忘れていたが、昨年12月13日のブログで、2021年の抱負として「山岳展望や星空撮影に適し、かつ歩いて行ける温泉が近くにあり、かつ交通利便にすぐれたキャンプ地」に行って、数日過ごしながら、じっくり写真を撮りたい。と語っていた。

残念ながら、ぞの抱負は抱負だけに終わってしまった。コロナによる移動制限もあっただろうが、2022年に三脚を持ち込んだキャンプ地はなく、星の写真も皆無だ。

昨年のブログに貼り付けた立山雷鳥沢から未明に撮影した金星とスバルを含むおうし座の写真をみると、月明かりで明るいが、ずうっと眺めていられ、心が落ち着いてくる。

         

 

「やっぱり山の写真と星の写真を一眼で撮りたいし、山に星が輝く星景写真も撮りたいしタイムラプスの動画写真も流星の写真も自らの手で撮りたいな。やっぱり、オイラは山と星でてくる風景が好きなんだ。」とあらためて自覚した。

この間、深田百名山登頂を回顧しながらマップを見ていたら、百名山のふもとにキャンプ適地も数多くあるので、山に登らなくても重い機材をキャンプ地に持ち込んで、百名山と星をセットにした写真を撮ることは、「高齢になっても」可能だ。昼間は、軽装で山を歩いて、夜間は星と対面する生活っていいじゃないか。よし、これでいこう。

2022年の抱負を抱負のままで終わらせないために、このブログも山と星を中心としたものにしていこうと構想を練り始めた。

好きなことをやって、生き抜いていこう。

 


深田日本百名山登頂の思い出  98 霧島山(きりしまやま・1700米)

 

深田さんの「山の文学全集」Ⅻ巻所収の年譜を見ると、深田さんは、百名山を連載していた山と高原誌275号(昭和34年)に、「大朝日岳・高千穂峰」の2座を掲載している。だが、その年譜には、「高千穂峰は『日本百名山』には収録されず」と書いてあるが、新潮社から発行されている「日本百名山98霧島山」の記載内容は、高千穂峰オンリーといった内容で、最高峰の韓国岳(からくにだけ・1700m)は、ただ、かつて登った山の一つにすぎず、そこから高千穂峰の美しい峰を眺めたと記してあり、深田さんにとって霧島山とは日本神話を由来とした美しい山容の高千穂峰のことなんだと分かる。

なので、新潮社版は、山と高原版の「高千穂峰」という山名を高千穂峰の属する霧島連山を象徴する山名「霧島山」と改め、標高を韓国岳の1700mに書き換えただけにすぎないのではないか。山と高原の「高千穂峰」の内容はそのままなのであり、けっして収録されなかったといことではなかったのではないか。

こういう深田さんの文章を読んでいたものだから、オイラは1998年11月に霧島東神社から登って天ノ逆鉾が突き刺ささり、日の丸はためく高千穂峰(1574m)の山頂を踏んだことをもって、「霧島山」を終えたものと思っていた。

だが、山と渓谷「日本百名山地図帳」や数多ある百名山解説書では、百名山の霧島山は最高峰の韓国岳に登ることみたいになっていたので、百名山全山登頂を期していた2007年頃には、「韓国岳にも登らにゃいけんかのう」という思いが募っていた。

そのため、2007年の仕事納めの翌日から、オイラは「青春18きっぷ」をポケットに入れ、二日もかけて熊本まで行って熊本在住のKさんの運転する車のお世話になり、韓国岳の登山口であるえびの高原まで行きついたのだ。しかし、年末の寒波で霧島山は前日からの降雪で登山道は雪に埋もれ一帯はガスで覆われ真っ白な世界だった。冬山装備をしてこなかったオイラはあえなく登山口で記念写真を撮っただけで、改めて出直す決意をもってKさんと撤退した。

年が明けて、2008年の3月、お彼岸の休日に合わせた年休をとって、おいらは再び「青春18きっぷ」とKさんの車のお世話になり、えびの高原の登山口から登って快晴の韓国岳の山頂を踏んだ。そして、韓国岳こそオイラにとって記念すべき百座目の深田日本百名山となった。快晴の韓国岳から、オイラも深田さんのように、煙をあげる新燃岳(1395m)の向こうの秀峰・高千穂峰を眼で追い続けた。やっぱ、霧島の盟主は高千穂峰でなければならない。と深田さんに賛同する。

 

        NHKBS こころ旅 2021.12放送で宮崎県都城付近を走る正平さんたちむこうに秀峰高千穂が映っていた。

 

   

 

 

 

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