神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

スカイ・クロラで見たのは幻か?

2008-08-10 20:33:39 | SF
『スカイ・クロラ』を読んだ。
そこではまって、『クレイドゥ・ザ・スカイ』まで、1週間で読み、映画も見てきた。
そこで思ったのが、「『スカイ・クロラ』で見たものは幻だったのか?」ということ。

中公文庫版シリーズの各巻解説、そして、映画の結末。
すべてこう言っているように思える。
「キルドレは異常。大人が正しい。クサナギを、カンナミを救ってあげたい」

本当に、そうなんだろうか?

『スカイ・クロラ』を読んだときに感じた、キルドレの純粋さ。その純粋さへの憧れ。
彼らにとって、戦争とはどうでもよく、空を自由に飛べることだけが重要。

ミツヤのように、利用されることへの反感を持つことはあるだろう。
自分がキルドレなのかどうか不安な人間もいるだろう。
しかし、キルドレであることを自覚した本当のキルドレは、キルドレであることを厭うだろうか?

企業は本当の戦争を回避するためにキルドレを戦わせる。
死ねないキルドレは生きていることを感じるために空でダンスを踊る。
そこに被害者はいるのだろうか?

目の前のショーとしてコドモが演じるニセモノの戦争と、遠い国で子供を巻き込んで繰り広げられるホントウの戦争と、どちらかを選ばなければならないとき、ニセモノの戦争を選んで批難される理由があるのか?

小説のクサナギは、キルドレでいられなくなった。
映画のクサナギは、キルドレでいたくなかった。
この差はとてつもなく大きい。
そして、多くの人は、小説を読んでも「クサナギはキルドレでいたくなかった」と感じたのだろうか?
だから、映画のラストはあのように改変されたのだろうか?

キルドレでいられなくなったから、空を飛べなくなったから、死を願ったクサナギという人物像は、俺の誤読から生じた幻だったのだろうか?

日本1-2ナイジェリア(U23)

2008-08-10 20:10:28 | Weblog
最終戦を待たずに終戦。

香川と本田Kがどうしてもブレーキになっていたように見えていただけに、梅崎、柏木だったらどうだったのかという気持ちは拭いきれない。

そういった意味では、本田Kを主軸に選んだ反町監督と、期待にこたえられなかった本田Kは責められてもしかたが無い。

本田Kもそうだけど、海外に行ってレベルアップできた選手ってあまり印象にない。
かえって周囲のレベルの違いに惑わされて、日本代表で周囲との連携が悪くなってしまう。
中田もペルージャの頃が一番輝いていた印象がある。
本田Kも日本に帰ってきた方が、自分の位置も見えていいんじゃないか。

スカイ・クロラ(映画)

2008-08-10 18:00:17 | SF
スカイ・クロラ The Sky Crawlers - goo 映画

とりあえず、見た感想。
ササクラとフーコのイメージが違った。
戦闘機から見た空も地上も“綺麗”だった。
菊地凛子はダイコンだ。だが、それがいい。あれが草薙水素だ。

結末以外はほぼ原作どおり。
この改変によって、クサナギのイメージが大きく変わるのだが、広く共感を呼ぶためには効果的だったのだろう。
これについては、また後で書くかも。

映画で苦労しているなと思ったのが地域性。
小説では書かなくてもいい(あるいは敢えて書かない)のに、主人公達が何語をしゃべっているのかを映像で見せなければならない。
あと、祐一がユーヒチに訛ってなかった。
車は左ハンドルだった、よね。


追記:
レビューで見つけたいくつかの批判に対する回答感想
・エピソードやシーンの描写ではなく、登場人物の言葉ですべてが語られてしまう。
 ⇒ミステリィの手法の一つに、「信用できない話者」というものがある。
  草薙や三ツ矢がそう言ったからといって、なんで素直に信じるの?