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[SF]シルトの梯子

2018-02-20 22:43:25 | SF

『シルトの梯子』 グレッグ・イーガン (ハヤカワ文庫)SF

 

おなじみイーガンの、イーガンらしいハードSF。

相変わらず、ハードな部分はなんとなくしかわからないが、それを取り去ってしまうと、わりと甘美な絆(それを恋愛と呼ぶのかどうか)の物語なのかもしれない。ただ、いろんなものが取り込まれ過ぎていて、物語としては何となくとっ散らかってしまった印象も否めない。

 

以下は、どういう話であると理解したかという個人的なメモのようなもの。

真空(いわゆる宇宙)は結節点と複数の辺からなる格子(グラフ)でできている、らしい。このへんは、良くわからないが、そもそも架空の理論なので、そういうものだと理解しよう。そこで、グラフを組み替えてしまうと、新たな真空(つまり別な宇宙)が生まれる。そんな実験をしてみたら、一瞬で掻き消えるはず(その状態保持のためにエネルギーが必要だから)の新たな真空は、ドミノ倒しのようにグラフを組み替え続け、光速の半分という爆発的なスピードで、我々の真空を飲み込み始めた。これが大惨事の始まり。

ところが、そんな大惨事においても、コード化して無限に近い寿命を持った人類には、充分に観察する余裕があった。人類は新しい真空と共存する、つまりはいずれ宇宙を明け渡す“譲渡派”と、新しい宇宙の拡大を止め、さらには消滅させようとする“防御派”に分かれ、宇宙が宇宙を喰らう最前線で観測を続ける宇宙船〈リンドラー〉の中で大論争を始める。

“譲渡派”に与するチカヤは、“防御派”の中に、なんと幼馴染のマリアマを見つける。ふたりには、幼き頃に分かち合った秘密があった。ふたりの絆は友情なのか、恋愛なのか。性を超越し、解放された人類にとって、その感情は我々旧人類に理解できるほど単純ではないだろう。

曲線にそって平行線を移動させ続ける“シルトの梯子”。しかし、惑星儀上(つまりは曲がった空間)のふたつの異なる曲線にそって動かし、一本の矢が再び出会ったとき、その方向は異なってしまう。「矢を前に運ぶ方法はつねにあるが、それはお前が取る道によって変わる」。その言葉通り、再会したふたりのベクトルは“譲渡派”と“防御派”に分かれてしまっていた。

そんなとき、新たな真空が知的生命体の存在を示唆する反応を見せる。その事件は、ふたりのかつての秘密を呼び起こし、ふたたび“間違い”を犯さないように、ともに行動を始める。

そして、破壊工作があり、事故があり、ふたりは新たな真空へと落ちていく……。


宇宙の浸食は光速よりも遅いのだから、移動し続ければ危険なんて無いよ、という譲渡派の意見は、頭では納得するものの、どうしても感覚的に共感できない。それはやはり、物質に縛られた旧人類の限界なのかもしれないけれど、どうなんですかね。

あと、まったく別に、ちょうどこれを読書中に「ヴィーガンフェミニズム論争」 に出会ってしまって、ちょっと考えてしまった。物語上は新しい真空に生まれた生物が知的生命体であり、意思疎通もできてしまうから、たちが悪いのだけれど、それでは、どの程度のレベルだったら“譲渡派”から“防御派”へ宗旨替えする人が出るのだろうか。あるいは、単細胞生物のような生命体を、全く別な物理法則の宇宙において、自然現象と区別を付けることは可能なのだろうか。もちろん、真の“譲渡派”にとってはそんなことは関係ないんだろうけどさ!

そんなわけで、とっ散らかっているのはお前の頭だ、っていう結論ですかね。

 



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