神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[小説] 鹿男あをによし

2015-09-26 18:46:47 | SF

『鹿男あをによし』 万城目学 (幻冬舎文庫)

 

『赤朽葉家の伝説』が存外におもしろかったので、つづけて国産非SF小説の積読消化。

これはTVドラマ化されたことでも有名だが、そのドラマも未見。ドラマの評判は良かったようだが……。

万城目学といえば、一時期は森見登美彦のライバル的な存在だったが、今はどうなんですかね。二人の作風を比べると、関西圏を舞台にした奇想天外なファンタジーという点では重なるものの、万城目学の方が生真面目で現実に足がついている感じがする。

その辺が、万城目学の作品はTVドラマ化や映画化される一方で、森見登美彦の作品はアニメ化されるというところにも現れているのかもしれない。

で、この作品。明らかに夏目漱石の『坊ちゃん』を下敷きにしており、台詞や登場人物の配置が似ている。というかパクリ。しかし、その物語は、鹿島神宮から鹿に乗って春日大社までやってきたというタケミカズチの故事などを絡め、日本の存亡を描くスペクタクル……というよりは、かなり学園ドラマ風。

一番の見せ場である剣道の試合が、実は本筋に何にも関係なかったという肩透かしは狙ってやったのやら、後から後半を水増ししたものやら。

卑弥呼や古事記の歴史を越えた壮大なスペクタクルが、ひとつの学園内に収まってしまうというのも、ある意味セカイ系といえるんだろうか。

ミステリのネタ的にはデジタルカメラとアナログカメラの切り替わり時期という時代が垣間見えて、なかなか興味深い。この小説が出版された2007年は、まだそんな時期だったんだなぁ。

 


[小説] 赤朽葉家の伝説

2015-09-26 18:40:40 | SF

『赤朽葉家の伝説』 桜庭一樹 (創元推理文庫)

 

積読消化。

第60回日本推理作家協会賞長編及び連作短編集部門受賞、第28回吉川英治文学新人賞、第137回直木三十五賞、センス・オブ・ジェンダー賞と、やたらめたらに文学賞を受賞しまくった名作。

これはぜんぜんSFじゃないけど面白かった。

鳥取の旧家を舞台に、女三代の物語が語られる。これが、地方都市における戦後日本の歴史をそっくりなぞるような展開で、戦後の昭和期を振り返る大河歴史小説になっている。

第一部は戦後でありながら、まだ神話や伝承が実体を持って色濃く残る時代。サンカの捨て子であり、予知能力を持つ娘が旧家の赤朽葉家に嫁いでくる。

この第一部はファンタジーの名残が感じられる時代の話で、ぐいぐいと引き込まれた。それでいて、主人項の万葉と、親友となったみどりの掛け合いは、ちょっと現代的で心地よかった。

第二部はツッパリ、スケバン時代にレディースの総長を張った少女が、バブルのお立ち台を経て、なんと少女漫画家としてデビューする。

第二部は怒涛の展開。こちらも主人公の毛鞠の親友として描かれるチョーコがいい味を出している。いかにもなしゃべり方で、時代感覚がよく捉えられていると思う。

自分は毛鞠の世代が一番近いので、校内暴力(金八先生や、ビーバップハイスクールの時代だ!)やバブル時代のエピソードに懐かしさを感じて、ニヤニヤしてしまった。

おもしろいのは、第三部。第一部の主人公である祖母が残した謎の言葉をめぐるミステリーが突如として始まる。

これまでの一部、二部から打って変わった展開に驚いたものの、もともとミステリーとして書かれたんだな、この小説、と納得した。

時代や世相の記述はぽつりぽつりと現れる程度になり、祖母が語った幻想的な逸話の再検証が始まる。この先は良くも悪くもミステリーな感じ。

個人的には、一部、二部の、ちょっとファンタジックでエキセントリックな、昭和振り返り小説としての方が、この作品に面白みを感じた。

あと、舞台がいつまでも紅緑“村”なのが気になった。駅前や中心街の記述を見ると、小規模な市ぐらいには見えるのだけれど。

 


[映画] 進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド

2015-09-24 22:28:05 | 映画

『進撃の巨人 ATTACK ON TITAN エンド オブ ザ ワールド』

 

ネットでは“炎上すらしない”と散々な評判だったけれど、実際に見てみると、いいじゃないか。予想以上に面白かった。

前偏の感想では、完全に尺が足りない中でどうやって完結させるかが問題と書いたが、個人的にはかなり好きな終わり方。これ以上の終わり方は想像が付かない。陳腐と斜め上の細い狭間での綱渡りを、そうとう考え抜いた結果だと思うよ。

ストーリーの組み立ては、昔懐かしいトクサツ映画の王道だった。まさに、作法どおりの期待を裏切らない作り。そうだよ、トクサツの文脈に沿って考えれば考えるほど、その線しかないのだよ。まさに、ウルトラマンで仮面ライダー。

で、なんといってもシキシマだ。当初はリヴァイの代わりといわれ、名前やキャラの変更に苦しい言い訳がなされていたが、終わってみればこれが完全なミスリード。シキシマ=リヴァイという事前情報が無かったなら、もうちょっと早く、これはトクサツの王道構成だということがバレたはず。まさか、町山さんがこんな情報戦略を使ってくるとは思ってなかった。

変身して巨大化し、人々を脅威から救ったヒーロー。突如として現れるもう一人のヒーローは敵か味方か。姿を現す真の敵。そしてさらに、王道中の王道、自爆特攻。熱い。熱過ぎるぜ。

これは確かに、『進撃の巨人』ではなかった。しかし、そこまでけなされるほどの映画でもない。せめて、主人公の名前がエレンやミカサでなかったなら……。

ハンジは巨人の真相には無知な武器オタクだし、サシャはアルミンに恋する乙女だし、ジャンはただの雑魚だし、いろいろおかしいけれど、最後の作戦に残った隊員はみんな愛すべきキャラだったよ。あと、人類最強はシキシマでも、ミカサでもなく、サンナギだったのには笑った。

ラストシーンも意味不明と言われているけれど、良く考えるんだ、エレンは前篇の登場時に何を願ったのか。そして、壁の外への二人の脱出が示唆される交信記録。どうだい、きれいな結末じゃないか。

サブタイトルも、主題歌担当のSEKAI NO OWARIではなく、世界の果てを意味しているんだろうな。その果てを越えて行け、エレン!

 


[SF] 月世界小説

2015-09-17 23:59:59 | SF

『月世界小説』 牧野修 (ハヤカワ文庫 JA)

 

いきなり脱線するが、山田正紀の解説がすばらしく面白い。電車の中だったけれど、「四大福音」の当たりでこらえきれずに吹き出した。最近の山田正紀は長老格になって怖いものがなくなったのか、いい感じで力が抜けて絶好調だ。

その山田正紀もそういえば、そのものずばりストレートなタイトルの『神狩り』でデビューしたのだったな。

この『月世界小説』は牧野修的「神狩り」の話とも言える。また、ニホン人とは何か、ニホン語とは何かというテーマの日本SFでもある。神狩りを成し遂げたニホン人が得た新たな規範が何だったのかというオチにもちょっと笑える。

妄想が妄想を産み、狂気が狂気を導く重層化された世界は「n-1, n, n+1」と表現され、悪夢の中で見る悪夢のように読者を泥沼に引きずりこむ。

この小説の一番の魅力は牧野修的世界描写にあるのだと思うが、これを不条理小説としてではなく、ちゃんと論理的な言語SFとして描いてしまうのだから、牧野修がSF作家で良かったと思える。

小説内ではカミは“しめすへん”が“ネ”ではなく、“示”の「示申」の字体が使われている。これはニホン語のルーツとして本来の“示”を明示するためのものか、はたまた、いわゆるキリスト教的神との混同によるクレームを避けるためか。

しかし、『旧約聖書』やミルトンの『失楽園』を下敷きにしている以上、キリスト教的呪縛からは逃げられないのだが。

そして、そのキリスト教的呪縛(=アメリカによる支配)を打ち破るのがニホン語で語られる物語の力だというのだから、深読みするなといわれてもいくらでも深読みできてしまう。

いくら山田正紀に表層的と一刀両断にされようとも、ニホン人とはニホン語を話す人々であるという定義は、ちょっと深く考えてみる必要があるのではないかと思う。少なくとも、ニホン語話者の思考がニホン語に制限されている、もしくは影響を受けているというのは否定できない側面であろうし、ならば、ニホン語話者という集団を分類することに何の問題があろうか。

もちろん、ニホン語話者以外を疎外し、不利益を与えることはポリティカルコレクトネス的にあってはならないのだが。

たとえば、ノリがいい、おもしろいといわれる関西人は関西弁話者として関西弁が思考や行動に影響を与えた結果ではないのだろうか、とか。

あ、そういう意味では、翻訳ニホン語話者という分類もありそうだな。海外小説ばっかり読んでる人。それはニホン人なのか、なんなのか。

 


[SF] 天冥の標Ⅷ ジャイアント・アーク

2015-09-16 23:59:59 | SF

『天冥の標Ⅷ ジャイアント・アーク』 小川一水 (ハヤカワ文庫 JA)

 

ここ最近のSFで背筋がゾクゾクするような衝撃といえば、個人的には“なんとかプロジェクト”とかではなくって、この『天冥の標』である。

10巻予定のシリーズもついに第8巻。PART-I、PART-IIと出たので、PART-IIIまで待とうと思ってたらIIで終わりだった。ので、今さら、遅れて参戦。

前巻までにおいて、やっと第1巻『メニー・メニー・シープ』の時代へ繋がったわけだが、今回はこれまでの答え合わせ的な展開。各章の頭に(B)と書いてあるように、過去に語られた出来事を別の登場人物の視点から見た状況が語られる。


(ネタバレ注意)


いやあ、あのイサリがこのイサリと同一人物だったなんて、今でも信じられませんがね。それを言えば、あのラゴスとこのラゴスが同一人物ってのもすごいわけですが。

フェオドールはけなげで格好いいし、カヨはどんどんおぞましくなっていく。しかし、カヨの身体に宿ったオムニフロラの言葉が、なんとなく二つの勢力の妥協点を見出すヒントになりそうな雰囲気。

これで今までの状況は再整理され、物語はクライマックスへ向けて残り2巻を駆け抜けることになる。

ところで、鯨波のルッツとアッシュは、まだ謎なままでいいんだよな。彼らがいるということは、おそらく、地球は滅びていないんだよな。そして、ドロテア・ワットがセレスを運んできた“ここ”はいったいどこなんだ!?


#それにしても、みなさんの感想を読むと、自分がいかに読み落としているか、記憶力が無いかに気付きますね。勉強になるわあ。

 

 


[SF] 紙の動物園

2015-09-04 23:59:59 | SF

『紙の動物園』 ケン・リュウ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

ケン・リュウは、ひとりストⅡみたいな筆名ながら、中国系アメリカ人。なので、基本的には日本とは係わりが無いはずなのだが、少し誇張された、ファンタジックな日本文化がたびたび登場する。これがちょっとくすぐったかったり、妙な違和感があったり。

「もののあはれ」なんかは、世界から見た忍耐強く、礼儀正しいという日本人像が描かれているけれども、実際にこんな事態になった時には、日本人は平静を保てるのだろうか。昨今の風潮を見ると、まったくそうは思えないのだけれど。

日本人ではないアジア系だからこそ、我々には見えないファンタジーとしての日本が見えているのかもしれない。

で、作風としては、非常に叙情的な記述が目立つ。人間を描かなくてもいい唯一のジャンルと言われるSFにおいて、敢て人間を深く深く描き続ける。これは賛否両論あっていいかと思う。

自分も、ケン・リュウの「紙の動物園」をSFマガジンで読んだときには、叙情的に寄り過ぎていてあまり好きではなかった。つい最近でも、ケン・リュウはSFである必要が無いといった議論がなされたりもしていたが、自分の印象も、まさに山本弘さんの指摘と重なる部分はあった。

しかし、短編集としてまとめて読んでみたところ、これもやはりSFマガジンに掲載され、ケン・リュウを一気に見直すきっかけとなった「良い狩を」を始め、まさしくSFとしか言えないようなコアSFから、一発ネタの馬鹿SFまでバラエティに富んだ構成になっている。ただの泣かせ小説屋かと思っていたけれど、SF、ファンタジーに対する偏愛と、深い問題意識が見え、SFである必要が無いなんてことはまったくなかった。

特に、後半の意識のアルゴリズム化が共通のテーマになっている作品群を読むと、シンギュラリティの果てにどうしても存在している西洋思想的な壁を、東洋思想的な力で軽々と飛び越えていけるような可能性を感じる。

SFファンとしては、著者本人も言及しているテッド・チャンとの関係も興味深いし、今年のヒューゴー賞を受賞して各方面で話題の『三体』の英訳者でもあるというのも面白い。中国系アメリカ人なので中国でも人気があるけれど、中国ネタの作品はヤバイので翻訳されないとか、本当にネタの宝庫だな、この人。

又吉が紹介していたから、といった理由で読んだ人にも、ちょっとはSFもおもしろいなと思っていただければと思う。

 


「紙の動物園」
感動的ではあるけれど、露骨に泣かせにかかっているようで、実はあまり好きではなかったりする。

「もののあはれ」
誇張された謎の日本人像が奇妙な感じ。ただ、英雄の自己犠牲的行為は好きだよね、日本人。

「月へ」
ファンタジーと比べるには過酷過ぎる現実。

「結縄(けつじょう)」
縄による文字というのは中南米の古代文化にも見られるのだけれど、そっちの方面にいくとは思わなかった。最初から順番に読んでくると、初めてSF的な驚きに曝される瞬間。しかし、結末はケン・リュウらしい。

「太平洋横断海底トンネル小史」
もしも太平洋戦争が起こる前に、日本とアメリカが世界恐慌の対策として太平洋横断トンネルを作ろうとしたら、というifに始まるものの、人間の本質は変わらず、歴史は過ちを繰り返す。

「潮汐」
あまりに科学的な整合性が無いので、ファンタジーのつもりなのかSFのつもりなのか判断が付かず、どう読んでいいのかよくわからなかった。

「選抜宇宙種族の本づくり習性」
本とは何か、記述言語とは何か。小品にまとまってしまっているので、もうちょっと突き詰めて欲しかったか。

「心智五行」
冷静に考えれば、どこかで読んだようなありがちなお話なのだけれど、中国文化が期せずして科学的な方法とクロスするところがケン・リュウらしい。漢方って、要するにこういうことなのだよね。

「どこかまったく別な場所でトナカイの大群が」
このあたりからシンギュラリティの影響下にある作品が連続。テッド・チャン+グレッグ・イーガン的な。この作品自体は、いまひとつな感じ。

「円弧(アーク)」
最初に不老不死を成し遂げた女性の一生。人生は始まりと終わりのある円弧。それだからいいというのは陳腐すぎる。それが選択可能であることに意味がある。

「波」
これも不老不死にまつわる話。資源の限られた世代宇宙船の中で不死が可能になったらという思考実験は面白い。宇宙船地球号も有限な資源であるわけだし。

「1ビットのエラー」
この手の宗教観が出てくる話は、本質的に理解できていないような気がする。著者がこの小説の出版にこだわったということは、ケン・リュウの認識する世界感を読み取る大きなヒントかもしれない。

「愛のアルゴリズム」
これもそう。いや、人間機械論にかなりのところまでは納得している身としては、その通りですが何か、としか。

「文字占い師」
台湾が舞台で、二・二八事件が出てくる。アメリカ国籍を持つ著者の、中国、台湾の歴史に対する複雑な思いが垣間見られる。

「良い狩りを」
中華ファンタジーからサイバーパンクへの飛躍にびっくり。古きものを新しきものが駆逐する。東洋的なものを西洋的なものが飲み込むという捉え方はもちろんだが、ファンタジーからSFへという流れも無視すべきではないと思う。