神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] S-Fマガジン2017年10月号

2017-09-21 23:05:41 | SF

『S-Fマガジン2017年10月号』

 

「オールタイム・ベストSF映画総解説 PART1」と題して、1902年『月世界旅行』から1988年『ゼイリブ』まで、計250作を掲載。1ページに3作品のミニレビューがずらずらと並ぶのは圧巻。

なんだか見覚えがあるというか、懐かしい気持ちになるのは、大学SF研時代に似たようなことをやったことがあるからだな。規模は10分の1にも満たないけれども、朝から晩までレンタルしたビデオを必死になって(だってレビュー書かなきゃいけないし!)見ていたのはいい思い出。

やっぱり70年代以降だとそれなりに見ているものや、見ていないまでも知っている映画が多いけれど、それより以前は歴史的資料という感じ。でも『カリガリ博士』とか、見たような記憶も、見ながら寝たような記憶もあって、かなり曖昧。

残念なのは、総解説に力を入れ過ぎで、年代による傾向などを俯瞰した記事が無かったこと。とにかく漏らさず数で勝負というのはわからないでもないけれど、それだけの数のレビューから浮かび上がってくる意味を読み解くような記事があっても良かったんじゃないかと思った。

あと、この手のSF映画って、映像が素晴らしいのか、撮影技術が素晴らしいのか、はたまたストーリーが素晴らしいのか、といういろいろな軸で語れると思うのだけれど、そういう分類や分析も面白いんじゃないか。PART2ではそういった記事も期待したい。

特集以外で目についた、というか、気づいたのは、連載小説の多さ。長短含め、なんと7作品が連載小説。いや、なぜか連載コラム分類の『おまキュー』や『あしたの記憶装置』を入れると9作品だ。それに引き替え、読み切りはコミックを入れても3本。しかも一つは分載なので、実質は小説1本、コミック1本だ。

隔月刊になってから、連載は厳しいと言い続けているんだけど、逆行しているこの現状。原稿料の問題や、タイミング的に掲載作品がなかったということならばしかたがないけれど、意図的に連載強化しているのであればやめて欲しい。新規の読者が入りにくいし、継続して読んでいても2か月前のストーリーなんて覚えていないし、コラムだけを立ち読み推奨な雑誌になってしまいそうで。


 

○「翼の折れた金魚」澤村伊智
生命倫理、差別、教育、親子関係……と、いろいろとテーマが詰め込まれた重たい作品。ただ、設定が極端すぎてテーマ性だけが前面に出過ぎな感じもした。議論のための呼び水として書かれたものであればよいが。

○「鰐乗り〈後篇〉」グレッグ・イーガン
2か月前の〈前篇〉から一気読み。スケールの大きな話で、ちょっと実感がわかない。どこからかアクエリオンの主題歌が聞こえてきそうなラブストーリーと解釈した。で、白熱光とどうつながるんだっけ。

○「と、ある日の二人っきり」宮崎夏次系
今回はピンと来ない。芝生って、ネット用語的な“草生える”を意味してたりする?

ここからは連載。

○「椎名誠のニュートラル・コーナー」椎名誠
エッセイの連載名のまま、いつのまにか連載小説と化していた。それもあって、なんだかよくわからん。

○「マルドゥック・アノニマス」冲方丁
「法と正義を信じる」というのが、これからの対決のキーワードになりそう。

○「プラスチックの恋人」山本弘
笑ってしまうくらいネット論壇そのもの。山本弘本人も参戦している論戦そのものが思い出されて、メタに面白い。

○「忘られのリメメント」三雲岳斗
相変わらず急展開すぎて、どこに向かっているのかさっぱりわからない。

○「マン・カインド」藤井太洋
まだまだ世界観の序の口。

 


[SF] 書架の探偵

2017-09-12 23:05:28 | SF

『書架の探偵』 ジーン・ウルフ (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

最初に「本が探偵の推理物」と聞いて興味をそそられた。しかも、著者はジーン・ウルフだと言うではないか。これはと思って期待して読み始めた。

細かく言うと、本が探偵ではなく、作家の複製体(リクローン)の主人公が探偵役。著作物だけではなく、作家本人に文化的価値を認めて、それをどうにかして保存しようというのは非常に良いことだと思うのだけれど、保存の仕方が大問題。

複製体がどのようなモノなのかは説明はされないのだけれど、見た目はヒトと区別がつかず、自我も感情もあり、スキャンされた時点での著者の記憶も持っている。しかし、あくまで彼らはモノでしかなく、図書館の狭い書架に押し込められて生活し、その生活さえも展示物としてプライバシーなく公開される。

なおかつ、図書館の蔵書ならぬ蔵者であるため、閲覧や貸し出し実績が無ければ、いずれ焼却処分にされるという。

「もし本が人間だったら」というifに、電子書籍に押されて行き場の無くなった紙の本の悲哀を込めているのだろうが、蔵者である彼らはその運命に反抗するのではなく、静かに受け入れ、ただひたすらに利用者に貸し出されることだけを願う。

そんな蔵者であるE・A・スミス(E・E・スミス! C・A・スミス!)の前に、謎とともに現れた女性コレットが彼を借り出したところから、ミステリーの王道である殺人事件の謎解きが始まる。

さて、ジーン・ウルフと言えば、“信用できない語り手”がよく登場する。この物語も、当然ながら、そう。

最後に殺人事件は解決したかに見えるのだが、その結末からも、コレットが“信用できない語り手”であることは明らかだ。

さらに、この物語の語り手であるスミスは作家の複製体である。しかも、『火星の殺人』なんてタイトルの作品を書くような人物の複製体である。彼は、図書館において、複製体が文章を書くことを許されていないことに憤りを感じている。そんな人物が隠れて書いた文章が、すべて脚色無しのノンフィクションであると考える方がどうかしている。

そう考えると、「鍵のかかったドア」の向こうの世界なんかは、実は書かれたようなそのままの場所では無いのではないかとか、いろいろと想像が膨らむ。

実際、記述の中には矛盾もあるし、主人公自身がそれに言及しているシーンさえある。それが、どこまでが著者(ジーン・ウルフ)のミスで、どこまでが計算なのかは知る由も無いわけだが、それでもやっぱり、隠された真実があるような気がして、もう一度最初から読み返してみたくなるのである。

 


[SF] ヒトラーの描いた薔薇

2017-09-07 23:31:44 | SF

『ヒトラーの描いた薔薇』 ハーラン・エリスン (ハヤカワ文庫 SF)

 

エリスンの日本第3短編集。これまでまったく出なかったのに、『死の鳥』に続いての出版。

しかしながら、ケチャドバ現象というよりは、『死の鳥』が好評だったせいで、慌てて二匹目のどじょうを狙ったでしょう的な感想を持ってしまう。作品を新しく集めましたというより、前回の残り物ですがという感じがするのは仕方がないのか。

なんだか前二冊に比べ、社会的というか、文学的というか、とらえどころの無さを感じた。テーマが直接的すぎると、敢えて裏読みしたくなるというか、その表象は本当にそのものを描いているのだろうかとか。読んでいて解釈に迷う。

短編の扉それぞれにコピーライトが記載されていて、80年代以降に“Renewed”とされているものが多いのだけれど、『死の鳥』以上に古臭さを感じてしまったのは、このあたりの社会的テーマが、そのままでは古臭くなってきているのかも。

中心となるネタや思想は普遍的なものであっても、その切り口は聞き飽きたぐらいのものになってしまった。特に差別関係は、最近だとそういう露骨なモノではなく、もっとオブラートに包みつつも苛烈なモノだったりしないだろうか、とか。

大野万紀の解説で“エリスン神話”と名付けられている怒りの神話に関しては、なるほど、言えて妙だ。社会に対する怒りがこの世界を作った神へと向かうというのは、日本人的宗教観だとなかなか共感はできないのだけれど、エリスンの作風を通してみると、かえってそれが理解できるような気がする。

WEB本の雑誌で牧眞司が平井和正を引き合いに出しているのも、なんだか納得。確かに、『狼男だよ』あたりは、いわゆるエリスン神話に近いのかもしれないし、神への怒りと否定を後期の作品にもつなげるのも容易そうだ。



○「ロボット外科医」
かび臭くて古すぎ。しかし、人工知能脅威論に見えて、人工知能はあくまで手段という論点は、現代よりも進歩的。

○「恐怖の夜」
露骨すぎ。と思ったけれど、1961年はこういう社会だったのだという(すでに)歴史小説。

○「苦痛神」
人生は苦痛に満ちている。ゆえに、神は苦痛を与える存在である。まったく、何の疑問も無い。そして、涙は幸福である。

○「死人の眼から消えた銀貨」
えーと、この主人公って誰?

○「バシリスク」
理不尽な群衆は、ネットのなかで山ほど見かける。

○「血を流す石像」
その時代の背景込みでないとわけが分からないし、一方的な攻撃に過ぎない。

○「冷たい友達」
こういうのが“愛なんてセックスの書き間違い”ってこと?

○「クロウトウン」
「失われたものが行きつく国」というモチーフの模範回答。

○「解消日」
和訳に苦労した割には、アイディア倒れに作品に見えるんだけど……。

○「ヒトラーの描いた薔薇」
地獄に行く者と天国に行く者を取り違えたドタバタの脇で、静かに薔薇を描き続けるヒトラー。つまり、彼にとっては、そういうことはまったく意味が無い。

○「大理石の上に」
うーんと、プロメテウス? おまえら失敗作なんじゃ糞ボケ的な?

○「ヴァージル・オッダムとともに東極に立つ」
この短編集の中で最もSF色が強く、最も美しい情景の作品。ある意味、最もエリスン的では無い作品かも。

○「睡眠時の夢の効用」
この短編集の中で最も新しい作品。タイトルに関係する議論と、主人公が吹き出しているものとがいまひとつ整合性がつかない。向きも逆じゃないかと思うんだけど、何か読み間違えてる?

 


[SF] あとは野となれ大和撫子

2017-09-04 21:42:22 | SF

『あとは野となれ大和撫子』 宮内悠介 (角川書店)

 

ソビエト時代の自然改造計画によって干上がってしまったアラル海。水が引いたその空白の土地に作られた独立国、アラルスタン。その後宮を舞台に、少女たちが国家の危機に立ち向かう。

あらすじを聞いたときは、荒唐無稽なファンタジーかと思ったが、そこは宮内悠介。何とも不思議な感じの“空想”+“科学”小説だった。というのが感想。

アラル海と言えば、ソビエト時代の失政、科学技術が環境を破壊した象徴として語られることが多い。しかし、この小説には、そのような自然保護観点の科学技術批判は見当たらない。それどころか、知識や科学を武器として、旧来の社会や政治に立ち向かう少女たちの物語になっている。

後宮とはいえ、初代大統領の時代には側室のために造られたにせよ、今では有望な少女たちの高等教育の場になり替わっている。そこには、身寄りのない少女たちや、教育を受けるために後宮を目指してやってきた少女たちが集まり、政治家や外交官、科学者へと育っていく教育機関へと変わっていた。イメージ的には、後宮ではなく、修道院とでも呼ぶべきかもしれない。

そんなときに突如として起こった大統領の暗殺と政治的空白。周辺国の軍事的圧力を恐れた議員たちは慌てて逃げ出し、議事堂はもぬけの殻。そこで、行くあてのない少女たちが臨時政府を立ち上げる。

少女たちは叩き込まれた知識と、鋭い洞察力と、若さゆえの無鉄砲さを持って、国内外の勢力と対峙していく。その様子を、時にコミカルに、時にスリリングに描き、読者を退屈させない。これはノンストップのエンターテイメントだ。

しかし、個人的に読んでいて心に残ったのは、アラル海をひとつの例とした科学技術の功罪の二面性だ。

自然を改造できると思い上がった科学者が大自然から大きなしっぺ返しを受けた。それが自然改造計画の唯一の成果だ。そんな短絡的な結論では終わらない。アラル海の干ばつは新たな土地を作り、新たな国を作り、ゆくあてのない民族や人々を受け入れ、塩分の多い土地での新たな農耕技術や真水精製技術を生み出した。さらには、干上がった白い土地は太陽輻射を跳ね返し、地球温暖化の抑制にも一役買っているかもしれない。

科学を自然破壊の元凶として全面的に否定するのではなく、かといってバラ色の未来をもたらすものとして全面的に肯定するのでもなく、社会を成り立たせるための必須の要素として、なおかつ、政治的、社会的にコントロールすべき要素として、バランスのとれた見方を提示しようとかなり気を使っているように思った。

さらにもうひとつ気になったのが、物語における日本という国の位置付け。

協力隊の家族としてアラルスタンへ赴き、そこで家族を失い、後宮に保護された主人公のナツキ。彼女は父の意志を継ぎ、塩の大地に緑を蘇らせようと夢見る。

狂言回しのように現れる、自転車で中央アジア横断にチャレンジ中の青年は、人々との交流の中で、アラルスルタンに役立つ研究のために、日本で復学する決意をする。

ふたりの登場人物は、もしかしたら日本人である必然性は無かったかもしれない。さらに言うと、「あとは野となれ」というセリフは出てくるが、「大和撫子」という言葉は出てこない。それだけ、日本という国が中央アジアとのかかわりを持ってこなかったことを象徴しているかもしれない。ウズベキスタンやカザフスタンはサッカーで戦う相手であって、商業や観光で滅多に訪れる国では無いのだ。

しかし、ナツキの夢には日本の農産物改良技術が役立つかもしれないし、チャリダーの彼はブログで国外脱出を記しながら、エピローグにも出演する。そういった日本人の係わり合い方にも、著者の込めた思いを読み取れるような気がした。