神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] プロローグ

2016-04-22 23:59:59 | SF

『プロローグ』 円城塔 (文藝春秋)

 

これは確かに『エピローグ』を読んでからの方がおもしろい。

榎室、朝戸、クラビトなんて苗字に加え、アガタなんてのも出てきたりする。実はこれ、人名自動生成プログラムの出力結果なのだ。なるほど、なるほど。

プログラムから自動的に生成された13人の名前。ここから物語は始まる。それぞれの名前にはミッションが割り振られ、その結果がエッセイや小説の形で繋がっていく。

その中で、ひとつの漢字を1回だけ使った(いろは唄のように)漢詩である千字文や、和歌集の解析の解析。さらにはこの小説自身の解析が始まる。

そして、無限のサルや、過去の名作からランダムに引用する猩猩を経て、遂には自らが語り出すプログラムにいたる。そう、これはまさしくイザナミ・システムだ。

しかしながら、この小説の文章は全体的にわけがわからない。だいたい、“わたし”と“私”が出てきたり、一人称も二人称も指している対象がわかりずらい。これが試験問題に使われたら、誰にも正しい解答なんてわからないんじゃないか。

登場人物たちがそれぞれ勝手に語り始めるため、各章やモジュールの著者が誰なのかも冒頭部分からはわからない。しかも、登場人物それぞれにバージョンがあり、空間的なつながりも、時間的な因果関係も崩れていく。

おまけに、登場人物の性格や文体に一貫性が無いと、地の文で宣言してしまうほどの野放図さ。一度は誰かがブン投げた伏線を、別な登場人物が拾って回収するという展開。これらは意図したものではなく、連載という形式から偶然に生まれた産物なのかもしれない。いや、絶対そうだろう。

河南と川南と札幌。巨大な霊長類。滝野霊園のモアイ。円城塔にとっての小説の理想型とは何か。とりとめもなく、思考があっちこっちに飛ぶ感じ。唐突に村上龍の例の迷言まで出てきて吹き出すくらい。無視しておけばよろしいって、まだ和解してないのか。

『エピローグ』にも出てきた、バージョン管理されるデータとしての書物と言う解釈は実に面白い。電子版どころか、Git管理される書物だ。コーパスごとに分解され、検索ラベルを貼られ、まさに再利用可能なデータとして小説が生まれ変わっていく。この先にあるのが、『エピローグ』の自らを語り続けるプログラム=イザナミ・システムだ。

なぜこれが『プロローグ』で、あれが『エピローグ』なのか。なるほど、なるほど。これは実におもしろい。

 


ミステリー・ワンダー・ランドのセンス・オブ・ワンダー[8] 恍惚のギター

2016-04-16 23:47:11 | ペルー

クスコの旧市街を歩いてアルマス広場へ。

一応、ツアーの観光ルートには入っているものの、本当にぐるっと見渡しただけ。あれがカテドラルで、あれが市庁舎で……。カテドラルはインカの神殿跡に建てられているもの、見えている部分にインカの石組みは見られず。そんなところには興味は無い(笑)

そして、広場に面したビルの細い階段を上がり、2階のレストランへ。開け放しの窓から涼しい風が通って気持ちがいい。

ここで昼食。メニューはスープと、ニンニクがごろごろ入ったトマトソースのパスタ。味はなんとなくふつう。高地だからアルコールは危険ですと止められたので、コカチ茶を。ここはティーバッグではなく、葉っぱがそのまま入っていた。

恒例なのか、フォルクローレのバンドが演奏。曲目は「コンドルは飛んでいく」に、「上を向いてあるこう」と完全に日本人向け。しかし、窓の外からはマーチングバンドの演奏も聞こえてきて、ちょっとカオス気味。そんな中でも、ギターの若者は完全に恍惚の表情で熱演していた。

そして、食後にCDを売りつけに来る。これもどこかで見た光景ですね。

 

昼食後はバスで移動。

着いた先は、クスコが見下ろせる丘の上。ここはサクサイワマンという遺跡。意味は「満腹の隼」、もしくは、「ピューマの頭」。ここは中に入らずに、外から見るだけ。いや、緑の草原の中に、何か石があるなとしか見えませんけど。でもよく見ると、米粒くらいの人間が見えて、この石もやたらとデカいな。

クスコの街はピューマの形を描いて作られたという。この場所はそのピューマの頭にあたるが、遺跡の一部はクスコの成立よりも古いのではないかといわれている。従来は神殿として使われ、スペイン人来襲の際には砦としても使われた。という。

遺跡内部には入れない替わりといっては何だが、クスコが見下ろせる丘の上で写真タイム。リオほどではないにしても巨大なキリスト像と、木製の大きな十字架が立っていて、街を見守っている。リャマを連れた現地の母子が、突然バスで乗りつけた我々を何事かと思って見ていたのが印象的。

 


[SF] 泰平ヨンの未来学会議

2016-04-14 23:59:59 | SF

『泰平ヨンの未来学会議〔改訳版〕』 スタニスワフ・レム (ハヤカワ文庫 SF)

 

2015 BEST SFの海外部門第16位。

スタニスワフ・レムの名作(?)が、これを原作とした映画『コングレス未来学会議』の公開に合わせて〔改訳版〕として登場。

改訳版ということなので、多少読みやすくなっているかと思いきや、この小説の性格上仕方が無いのだけれど、段落区切りもなくダラダラと続く未来学会議前の様々な馬鹿馬鹿しいエピソードの羅列に辟易とする。

そうこうしているうちに、人口爆発と格差拡大への不満を原因とする暴動が発生し、幻覚剤が振りまかれ、主人公のヨンは現実とも妄想ともつかない世界へ巻き込まれていくという話。

ポーランド語版の発行は1971年で、当時の未来への展望を皮肉った、もしくは警告したブラックユーモアSFとのことだが、どうにも笑えなかった。そもそも、スラップスティック系の話はあまり乗れないものが多くて、この小説の前半もそんな感じ。真ん中辺りで主人公が爆発に巻き込まれて未来へタイムトリップするあたりからやっと面白くなってきた。

序盤では、いったどうしてこんな小説を映画化しようと思ったのかと不思議に思ったのだけれど、最後まで読んで納得。なるほど、これは映画化しやすいだろう。

ネタを割ってしまえば、これはいわゆるVRもの。コンピューターの中で計算する替わりに、投薬で集団幻覚を見せることによって新たな世界を作り上げてしまうというわけ。まさにマトリックスの世界。容易に視覚化できてしまうし、それなりにショッキングだ。

全体的にコメディタッチではあるけれど、一番笑えたのはドラえもんの秘密道具か、小林製薬の新薬かというレベルの薬品名。薬を飲めば気分も良くなるし、知識も増える。宗教に開眼もできれば、異性にもモテモテになる。キリストジンとか、アンタナンカキラインとか、何だそりゃ。

こういうのは、今となっては「インストールする」っていう表現になりそうだが、当時は(レムのような天才であっても)薬品による効能として考えられていたというのは非常に面白い。

あとは造語が先にあって概念が作り出される的な思考実験もあって、これはまるで牧野修か円状塔だなとか。そういった細かいネタが雑然と詰め込まれているのだけれど、個別には追いきれていない感じでもったいない。

 


[SF] エピローグ

2016-04-11 23:59:59 | SF

『エピローグ』 円城塔 (早川書房)

 

『SFが読みたい! 2016年版』における2015年 BEST SFの第一位。

シンギュラリティの向こう側から進入してきたOTC(Over Turing creature)によって人類は現実世界からの“退転”を余儀なくされ、新たな物理世界を作りだし、その中へ移動し続ける。世界が侵略され続けるならば、世界を作り続ければよい。まさに、扉に引用された黄泉比良坂のイザナミのごとく。かくして、世界は新たに増殖を続け、層宇宙を成す。

S-Fマガジンでの連載時にはよくわからなかった部分も、再読なのでなんとか理解できたような気がする。

『Self-Rference Engine』との比較がよく言われるが、個人的にはこっちの方がわかりやすい。というか、全体の俯瞰がしやすいのではないか。なんといっても、これが何についての物語なのかは明確に提示されているのだ。それだけでも、大きな違いといえるのではないか。

『Self-Rference Engine』が最初と最後以外、脈絡のない(ように見える)短編連作なのに対し、『エピローグ』は層宇宙という概念の中の別世界の話として短編が挿入されている。そして、その短編群は思わせぶりなキーワードで繋がるという体裁。

しかし、だまされてはいけない。この世界では、因果関係というものは成り立たず、過去も因果も作り出すことが可能で、すべては可逆的なのだ。まったく無関係のはずの存在が関係付けられることによって、新たな存在が生まれ、すべての歴史は書き換えられていく。

ゆえに、すべての始まり、カミが言葉アレ!といった瞬間へ立ち戻る。

まさにこの世は、すべてが終わってしまった後に、無限に繰り広げられるエピローグ。

どちらかというとこの物語の難解さは、すべてのものを情報処理の用語で語り始めるところにあるのかもしれない。EaaS(Existens as a Service)なんていわれたって、クスクス笑える人はその手のギョーカイ人だけでしょう。

ヒトの人格はもちろん、物語=ストーリーラインだって情報でしかなく、データでありソフトウェアである。オリジナルの著者がいてメンテナがいて、あまつさえオープンソースだったりして、noteにおける議論において改変が取捨選択されてコミットされる。

小説というのはバージョンアップもろくにできない原始的なソフトウェアだというのはなかなかおもしろい表現だと思った。もちろん、勝手にバージョンアップされても困るんだけれど、バージョン管理さえできていれば、お好みのバージョンに立ち戻ることができる。いや、ちゃんとラベルさえ貼っておけばな!

そしてまた、小説は暗号化され圧縮されたデータでもある。そこに著者が込めたものは、読者によって復号、解凍され、展開される。しかし、入力と出力が同等であることはどうやって保証されるのか。こうして、ここでもいくつものバージョンが発生していく。まさに、この世は層宇宙だ。

その手のコンピューター用語がよくわからない人は、ラブストーリーとして読めばよい。ラブストーリーとなることを宿命付けられた朝戸と、ラブストーリーに巻き込まれないように回避しつつも惹かれていく榎室南緒。そして、人智を越えた存在でもあるアラクネとのラブストーリー。

さらには、層宇宙に広がって人類未到達連続殺人事件を追う探偵/刑事、クラビトと、OTCを喰らう存在であるインベーダーである妻とのラブストーリー。

概念が概念に恋するようなわけのわからない設定であろうとも、円状塔の描くラブストーリーはどうしてこうも甘酸っぱいのだろうか。

 


[SF] クロニスタ

2016-04-05 23:59:59 | SF

『クロニスタ 戦争人類学者』 柴田勝家 (ハヤカワ文庫 JA)

 

生体通信によって個々人の認知や感情を人類全体で共有できる技術“自己相”が普及した未来社会。伊藤計劃の『ハーモニー』や、それに続く『PSYCHO-PASS』などの諸作品からの影響は明らか。『虐殺器官』や『ハーモニー』に対する柴田勝家的な回答(反論?)のひとつなのだろう。

しかし、戦国武将が古代アンデス文明の小説を書くとはこれいかに……。

実は去年のボリビア、今年のペルーと、南米旅行をしてきたばかりなので、チチカカ湖周辺の描写や、アンデス縦断鉄道として出てくるペルーレールなどが懐かしく、見てきた光景がよみがえる感じがした。アイマラとかケチュアの人々についても、読む前に基礎知識として知っていて良かったと思う。

インカ帝国発祥の地であるチチカカ湖周辺から物語は始まり、旅路は大陸南端のパタゴニアへ至り、ラストシーンはウユニ湖だ。また南米に行きたくなってきた。

それはさておき、この作品に関しては正直なところ、荒削りで若書きな印象。高校生ぐらいが書きそうなキャラクターやシーンの連続で、なんだか親近感が沸くくらい。とはいえ、こっちをハヤカワSFコンテストに送っていたら、大賞受賞は難しかったんじゃないか。

クロニスタというのは、タイトルとしては「戦争人類学者」と表記されている。本文中では「文化技官」であり、語源はレコンキスタに付き従った書記官のこと。この小説においては、社会学の知識や技術を応用して、暴動や戦闘を発生させないように手を打つ軍人である。

主人公のシズマは人類学者にしてクロニスタ。おそらくは、著者の分身でもある。で、物語は“自己相”なるネットワークによって相互接続され、均質化された社会において、民族とは何か、自己とは何かを問いかけるべきものだったような気がするのだが、そっち方面での掘り下げはぜんぜん足りないんじゃないか。著者は博士課程の民俗学者(?)なのだから、もっと専門分野に切り込んだ鋭い指摘を期待したい。

均質化=危機であり、その回避にはまったく異質の存在が必要で、それが存在しないのであれば作り出してしまえばよい。という部分は『ハーモニー』に対する回答としてそんなに突飛ではないので、さらにプラスアルファの、心に刺さる何かが欲しかったと思う。

ネットワークによる均質化といえば、インターネットに代表される通信技術の普及によって、都市部と地方の、あるいは、国を越えた文化の均質化というのはすでに現実として始まっている。じゃあ、それが危機かというと、直ちに個人の危機ということでもなかろう。どちらかというと、先に死にいくのはローカル文化であり、それこそ民俗文化の方じゃないんだろうか。

たとえば、アイヌなんて今どうなってしまっているか。次のテーマにどうですかね、勝家さん。