神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] SFマガジン2015年8月号

2015-07-24 23:08:59 | SF

『S-Fマガジン2015年8月号』

 

特集は「2000点到達記念特集 ハヤカワ文庫SF総解説 PART3[1001~2000]」。これで遂に完結。さぞかし大変だったことでしょう。お疲れ様です。

このあたりは読んでる本が増えてくるのだけれど、明らかに本棚にあるのに、内容を覚えていないものが多すぎる。どちらかというと、古い、いわゆる名作と呼ばれるのもの方が記憶に残っているのは、ガイドブック記事やなにやらで何度も記憶が強化されているからなんだろうか。

ブログをはじめた後は、記憶には無くてもブログ記事が残っているものがあって、その内容もまったく覚えてなかったりするので、すごく面白い。ほとんど記憶喪失レベル。というか、実は宇宙人がなり代わってるのかもしれない。

他の記事の中で面白かったのは、伊藤計劃を取り上げた「エンタメSFファンタジイの構造」(飯田一史)。残念ながら、これが最終回。なんだかんだ言われているけれど、伊藤計劃のやっていることはオーソドックスな王道だからな。アクションSFの新人賞を、というのは良い提言だとは思うけれど、今でも他で充分、間に合っているからいらないという反論はありそう。

確かに、リアルフィクションの頃はSF界が冬の時代だったせいで、いろんなところから人材を持ってきてたし、それはそれで多様性があって面白かった。ただ、それ以上にSFコンテスト出身者の小説は面白いし、今号で紹介されている『我もまたアルカディアにあり』の江波光則とか、リアルフィクションの系列も継続しているわけだし。

あと、山田某と並べて、有川浩の『図書館戦争』を、外側が描かれない例として並べるのはやめて欲しい。あれは『華氏451』を下敷きに、当時の表現規制法制化への動きに対する批判を込めたまともな近未来SFじゃないか。

 


「変身障害 《TSUBURAYA×HAYAKAWA UNIVERSE》」 藤崎慎吾
やっぱり、梅に鶯、牡丹に唐獅子。和室にちゃぶ台とくればメトロン星人だよね。

「縫い針の道」ケイトリン・R・キアナン/鈴木 潤訳
頭がぼけてて意味がわかりません。解説プリーズ。“縫い針の道”が出てくるのは有名なグリム童話じゃなくて、フランス民話版なのか。

「と、ある日の解凍」 宮崎夏次系
なんか怒りつつ、ちょっとうれしいのだよね。コミュニケーションの仕方をこれしか知らないというか。

「絞首台の黙示録」 神林長平
めでたく最終回を迎えたわけだが、なんとも消化不良。『太陽の汗』的な重ね合わさった世界と見るべきか、ただの憑依なのか。これ、単行本では大幅に加筆修正されるんじゃないかという気が……。

 


[SF] SFマガジン2015年6月号

2015-07-24 22:59:16 | SF

『S-Fマガジン2015年6月号』

 

特集は「ハヤカワ文庫SF総解説PART2」。このまま500巻づつ2000番台まで行くのか。

ぽろぽろ拾い読みしているが、このあたりのものは、タイトルに見覚えがあって、読んだはずなのに内容を覚えていないものが多すぎて困る。



[連載]
「マルドゥック・アノニマス〈第3回〉」 冲方丁
どんどんキャラが増えていく。しかし、ウフコックのパートナーがボイルドやバロットに比べて、どいつもこいつもあまりにダメダメ過ぎじゃないか。

「エピローグ〈エピローグ〉」 円城塔
ついに完結したのはいいけれど、これは連載で細切れに読む小説じゃない。単行本化されたら買う。

「絞首台の黙示録〈第9回〉」 神林長平
なんか、話が急に飛んだような気がして4月号に戻る。

「青い海の宇宙港〈第3回〉」 川端裕人
なんかこう、いてもたってもいられないような焦燥感。夏が過ぎていく。

 

[読切]
「神待ち」 松永天馬
10年後に読んだら、まったく意味不明になるかもしれない。それぐらい“今”を的確に反映している。

「《TSUBURAYA×HAYAKAWA UNIVERSE》 痕の祀り」 酉島伝法
ウルトラマンに倒された怪獣をいかに解体するかというのは確かに大変な課題だけど、たいてい爆発してなかったっけ。描写が気持ち悪すぎなわりに、爽やかな読後感が意外。

「『輸送年報』より「長距離貨物輸送飛行船」(〈パシフィック・マンスリー〉誌二〇〇九年五月号掲載)」 ケン・リュウ/古沢嘉通訳
炭素排出量規制が極端に先鋭化した社会での飛行船の有用性と、南北問題から生まれた夫婦間の文化の違いと固い絆。ものの見方はひとつではないことを強く印象付けられた。

 


[映画] マッドマックス 怒りのデス・ロード

2015-07-24 22:38:18 | 映画

『マッドマックス 怒りのデス・ロード』


(c) 2014 VILLAGE ROADSHOW FILMS (BVI) LIMITED

 

ヒャッハー!!!!!

『マッド・マックス』を見てきた。というか、“極上爆音上映”を体感してきた。

立川シネマシティ(シネマ・ツー)でやっている極上爆音上映(極爆)は、当初はマイケル・ジャクソンかなんかのコンサート・ムービーから始まったんだったと記憶してる(確認したら『THIS IS IT』でした)けど、『マッド・マックス』は極上爆音に最適すぎる映画で、歴史に残る上映になったと思う。

『マッド・マックス』の極上爆音上映は口コミで広まり、初週よりも2週目、3週目と観客動員数を増やし、樋口真嗣監督をはじめとする映画関係者も巻き込み、(極上爆音上映としては)異例のロングランを続け、おかげで『アベンジャーズ/エイジ・オブ・ウルトロン』の極上爆音上映が小さなスクリーンに追いやられるという珍事にまで発展している。もしかしたら、8月の『ジュラシック・ワールド』でさえもあやしいくらいだ。一方で、樋口監督の希望により『進撃の巨人』も極爆決定だそうで。

知らなかったけれど、今回の『マッド・マックス』のためにサブ・ウーファーを増設していたらしい。どおりで、以前に見た『ゴジラ』なんかを越えてすごかったわけだ。

極爆の詳細や、立川シネマシティの取り組みについてはこの当たりの記事(週刊アスキー)をぜひ読んで欲しい。映画の新しい可能性が見られる。

で、話は『マッド・マックス』に戻るが、文明破滅後の未来の荒野を、武装トレーラーやらモンスタートラックやらトゲトゲの車やらがドンパチやりながらカーチェイスを行うのがメイン。なので、常に腹の底から響き渡るエンジン音が爆音で唸り、さらにBGMとしてヘビメタが鳴りまくる。と思ったら、これはただのBGMではなくって、トラックに山車のように積まれたドラムを実際に打ち鳴らし、火を噴くエレキギターをかき鳴らすという盛り上げ隊(ドーフ・ウォリアー)が追跡部隊に同行している設定なのだからすごい。この映画のために音響設備を増強したというのは非常によくわかる。まさに、極爆のための映画。

ストーリーが一部で酷評されているように見えるが、どう考えてもあれはネタ。別に破綻してないし、クソでもない。それどころか、かなり細かく気をつかって設定されているような気がする。それもすべて、この馬鹿みたいに“ヒャッハー!”な世界をリアルに成立させるためのものだ。

ウォーボーイズたちも、最初のうちはショッカーレベルの雑魚に見えていたのだけれど、時間がたつにつれ、ウォーボーイズから逃亡に加わったニュークスの重みが増していき、最後には彼が主人公でもいいくらいの気がした。あいつらはただの悪役ではなく、汚染によって蝕まれた身体の救いをイモータン・ジョーに求めている敬虔な殉教者だ。確かに九九はいえなさそうだけど、エンジンの修理なら得意だしな!

そして、女たちの戦いも忘れてはならない。『北斗の拳』やその他の破滅モノに影響を与えた文字通りの世紀末の世界観でありながら、女はただ引っ込んでろ、守られていろではなく、女たちこそが格好良く戦う。ウォータンクを乗り回すフュリオサはもちろん、鉄馬の女(通称:ババァ)たちも、守られるべきはずのワイヴス(妻)たちも凛々しく戦う。

短い寿命をいかに格好良く終えるかを探していたニュークス、緑の大地を復活させるために危険な賭けに出た鉄馬の女たち。主人公格のフュリオサやマックスだけではなく、それぞれの登場人物たちが、それぞれの理由でマシンを駆り、生命を賭ける。このストーリーがただのクソであるわけが無い。

結局のところ、“頭の悪そうな”マシンや、火を噴くメタルギターの印象が強すぎて、細かいストーリーにまで気がつけないこともあるんじゃないか。そうだからこそ、2回、3回の観賞に耐えうる作品なのである。

おまけに、映画中では細かく語られない裏設定も膨大にありそう。たとえば、マックスを悩ませる少女の亡霊は前作に出てきた登場人物なのかと思いきや、この作品では語られきれていない前日譚からのもの。大人気のドーフ・ウォリアーの出自もネットでは話題になりつつあるが、映画の中ではまったく語られていない。

メル・ギブソンから、トム・ハーディに代わった新生マッド・マックスには、ここからスピンアウトや続編にも期待できる大きな膨らみを持った世界が存在している。

とはいえ、なんだかんだ言っても、「ヒャッハー!!!」と一緒に叫びながら、何も考えずに彼らの戦いに一緒に飛び込んでいくのが正しい観賞方法だということは間違いない。

 


[SF] イリスの炎

2015-07-15 23:59:59 | SF

『イリスの炎 グイン・サーガ136』 宵野ゆめ (ハヤカワ文庫 JA)

 

新生グイン・サーガのケイロニア篇。

冒頭にパロ篇の続きがちらっと出てくるが、ヴァレリウスご一行は、この後ケイロニア篇に合流するのか。パロ篇の五代ゆうが体調不良らしいので、その影響もあるのかと思っていたら、なんと宵野ゆめも体調不良だと。まさか……。

で、そのケイロニア篇。正妻シルヴィアはグラチウス軍団に連れされて行方不明の中、二号のヴァルーサが出産。この出来事がケイロニアの闇を払い、すべては正常に戻るのではないかと思われるけれども、結局それは元凶のグラチーがケイロニアを去ったというだけのことかもしれない。

まだまだケイロニアには、シリウス王子の件も含めていろいろ地雷が埋まっていそうだが、グインはまたまたシルヴィアを追って探索の旅へ出そうな感じ。

そうすると、焦点はやはりパロへ。

この先は書き手が五代ゆうになるのか宵野ゆめになるのか。

せっかくリブートしたシリーズなので、みんなが納得する形で結末まで迎えるためにも、お大事に、としか言いようがない。

 


[映画] チャッピー

2015-07-15 18:47:10 | 映画

『チャッピー』

 

どうにも「コレじゃない感」が漂うAIモノ。

ニール・ブロムカンプは、『第9地区』こそオールタイムベスト級だったものの、『エリジウム』、『チャッピー』と、続けて凡作になってしまったのはなぜなのだろうか。

本来プログラムどおりに動くAIが意識を持ってしまったが、最初は言葉もわからず、赤ん坊のような状態から徐々に育っていく過程が丁寧に描かれる。ギャングに育てられたチャッピーが善悪の概念や他人へのやさしさなどを、歪ながらも学んでいくところだとか、教育とは何か、倫理とは何かといったテーマをコメディタッチで描いたところは面白かった。

ところが、この他はどれも納得がいかない。

ナード技術者が開発したAI搭載の自律型ロボットと、マッチョ技術者が開発した脳波操縦型ロボットとの対比は面白いと思ったのだけれど、結局はマッチョ技術者が脳味噌まで筋肉なおかげで、どうにもこうにもまともな比較にはならない。

最もいただけないのは、意識とは何かというテーマが軽すぎる。最初のチャッピーの意識獲得は偶然だったにしても、意識を持ったAIがいくら優秀だからと言って、インターネットの検索結果から意識とは何かを天啓のごとく理解するなんて、陳腐すぎるだろう。

しかも、なんでそれが「AIの意識」だけではなく、「人間の意識」も解明したことになるのか。

人間の脳波をサンプリングする機械で、チャッピーの意識までサンプリングできるなんて、お前のAIは脳味噌でできているのか。まさか、人間機械論の強烈な主張だとでも?

そして、サンプリングした意識を最終的にロボットに転送できてめでたしめでたしって、意識の問題を舐めてるとしか思えない。

さらに、「僕は黒い羊」っていうセリフも掘り下げが浅すぎるだろ。確かにチャッピーは弾丸で撃たれまくったけれども、ギャングは平等に弾丸で撃たれまくるものだ。そこから「どうして僕をいじめるの」といったところで、ヒトではない存在の疎外感なんてまったく伝わってこない。それはお前がロボットだからじゃねーよ。

だから、ラストシーンで意識を持った自律ロボットが増殖する可能性を描いても、ヒトとは違う知的生命の誕生などという大きなテーマではなく、ヒトが機械のボディを得て不老不死になろうとすることに矮小化されてしまい、「黒い羊」の意味はどこかに飛んで消えてしまった。

お前はママさえ復活できればいいのかよ。その後、幸せに暮らしました、めでたしめでたしでいいのかよ。

おそらく、前評判や宣伝から思っていたストーリーと違っていたことでマイナスが大きくなっているだけだとは思うけれど、興味深いテーマをちりばめながらも、どれも掘り下げが浅すぎて失望した。

パステルカラーに塗られた銃器とか、実在するポンテタワーの使い方とか、顔の無いチャッピーの表情をフェイスガードの上げ下げだけで演技させたりとか、カタカナで“テンション”とか、映像的な面白さは充分だっただけに、とても残念だ。

 


[SF] 波の手紙が響くとき

2015-07-15 18:32:22 | SF

『波の手紙が響くとき』 オキシタケヒコ (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

 

第三回創元SF短編賞優秀賞受賞者である著者が、ハヤカワのSFマガジンに掲載した連作短編に書き下ろしの表題作を追加した短編集。SFマガジン掲載の3話目までは既読だったのだけれど、最後の最後にこのネタを持ってきたかというのが驚き。

1話、2話は最新の音響工学の知見をネタにした、“空想”の付かない科学小説、もしくは、科学ミステリといった感じ。エコーロケーションや、局所音場制御は現実の科学技術であり、ここまでは今の現実と大きな隔たりは無い。

これが3話目でひっくり返る。いきなり武佐音研に強盗が入るという冒頭からして不穏であるが、ここで描かれるのは寄生虫のごとき“音”。ここでSFマガジンでの掲載は終わっているので、かなり違和感があった。

当時のSFマガジンでの感想でも、あまりに違和感があったので、あえて触れていなかった点だ。

そして、書き下ろしの最終話。このクライマックスで遂に連作を通して語りたかったテーマが浮かび上がる。この結末、この真相へ向けて、すべてが伏線だったのか。

まさしく、連作の4話がそれぞれ起承転結を象徴するような見事なプロット。これには脱帽である。

1話から4話までの登場人物たちが相互に意外な深い係わりを持つ点は、キャラクターの掘り下げがうまくいっている反面、世界が狭いような気がする。あるいは、周囲をことごとく巻き込む天性のパワーで、すべての焦点となる破天荒なアーティスト、響が全部悪い(笑)。

最後まで読み終わった後で、タイトルを眺めるとものすごく感慨深いし、真相を知ってしまった後では、このタイトルだけで感動できる。

ライトノベル的なキャラクター小説であり、音響工学ミステリであり、そして、あまりにもSF的なテーマを秘めた、SFらしいSFだった。ベタでも何でも、こういうのは大好物である。

 

……うちのSETI@homeもしばらく動かしてないんだだけど、再開してみようかな。と思ったら、処理ユニットが品切れとな!

 


[SF] ビッグデータ・コネクト

2015-07-15 18:19:41 | SF

『ビッグデータ・コネクト』 藤井太洋 (文春文庫)

 

やってくれました。藤井太洋。こりゃすごい。脱帽だ。

近未来ものかと思いきや、描かれているのは正に現在、今この瞬間。そして、先見性がどうのとか予見的がどうのとかではなく、現時点で問題になっていることをわかりやすく整理してストーリー化している。これは関係者必読。

関係者というのはSFファンだけじゃなくって、コンピュータ、データ処理、IT技術に関わる人すべて。もっと言えば、それらのユーザを含むすべての人。スマホを使い、ATMを使い、電子マネーを使うあなたにも、けしてヒトゴトではない。

露骨に元ネタとして描かれているのは、ゆうちゃん事件こと、パソコン遠隔操作事件。そして、一部で悪名高い武雄市図書館の官民連携システムだ。

パソコン遠隔操作事件では警察の無能サイバー捜査によって冤罪被害者を量産し、杜撰な証拠固めによって、あやうく真犯人を不起訴にするところだった。

そして、武雄市図書館のシステムはTSUTAYAやスタバの併設が好評な反面、情報の流れの不透明さに対する懸念が今でも払拭されていない。

もし、パソコン遠隔操作事件の容疑者が本当に無罪であり、官民連携システムが意図的に作られたセキュリティホールだったら。それをフィクションとして描いたのがこの小説。

さらに特筆すべきは、最大12次にも達するというシステム案件。通称、IT土方とも呼ばれる悲惨なデスマーチの現場がリアルに描かれていること。これもフィクションとして多少の誇張はされているものの、現場を知るものにとっては悲哀あふれる、あるあるネタが満載で、リアル感が半端無い。

さらには無能な警察、人権無視の密室取調べ、デリカシーの無いマスコミ……。物語はフィクションであっても、数々のネタにはすべて元ネタがあり、リアルだ。

本来、ビッグデータとは特定個人の情報を含まない(というか必要としない)大量のデータ(行動履歴、センシングデータ、ネットの書き込みなど)から新たな知見を発見するための手法であったにも関わらず、言葉だけが独り歩きし、バズワードと化して、口先だけのコンサルやマーケッターがほざく意味不明な世迷言に成り下がりつつある。そして、ビッグデータの名の下で行われる情報収集がセキュリティホールとなる懸念は現実のものになりつつある。というか、現実になっている。

ひとりひとりの開発者には悪意は無く、善意からの利便性追求のためであっても、結果的に悪用される危険性は充分に認識しなければならない。

けして危機感を煽るわけではないが、世間の無関心や無理解に多少イラつく昨今である。だからといって、こんな形で命を掛けようとは思わないけれど……。


【追記1】
「ITを知る者だけが書ける21世紀の警察小説」
え、マジで。続編企画あんの!
トラに勝つってすごいな、武岱!!(たぶん違)

【追記1.5】
なるほど、武岱別人説があるのか!

【追記2】
「個人情報のディストピア小説を政府マイナンバー担当者が読んでみた」
おい、お前、自分がディスられてるのがわかってるのか?
それだけ問題点がわかっているならば、ニンマリしてる場合じゃねーだろ!

【追記3】
自分が直接知っているのは3次請まで。それ以上は、それこそこっちが名刺を切らしておりましてと言われる立場だからわからん。デスマーチはせいぜい2ヶ月遅れくらいのもんだろ。特許庁? 俺は知らんよ!

【追記4】
他のひとの感想を巡回してみて、これを「いずれやってくる近未来」としているのが多くてびっくりした。確かに舞台設定は2017年以降かもしれないけれども、これは今、この瞬間に起こっていておかしくないことだよ。けして未来の話じゃない。

 


[SF] エクソダス症候群

2015-07-15 18:10:39 | SF

『エクソダス症候群』 宮内悠介 (創元日本SF叢書)

 

精神とは何か。狂気とは何か。

舞台は惑星間移民時代の火星。機械が少ないがゆえに馬が主要な交通機関というのも面白いが、人が集まるところには医療機関が必要で、精神科も例外ではないというのは盲点だった。

しかし、火星の精神病院は物資不足から先祖がえりともいうべき悲惨な状況になっていた。そのために、過去の野蛮な治療方法が、ただの昔話ではなく、現実的に取り得る選択肢としての実態を持って感じられる。

タイトルの「エクソダス症候群」はここを、火星を脱出したいという衝動に駆られる精神病として設定される。

“ここ”を脱出したいという衝動に、身に覚えは無いか。それがヒトのグレートジャーニーの源かもしれない。というのはSF的くすぐりとしてあるけれども、それ以上に、精神病治療の歴史にまつわる数々が興味深い。

かつての精神病患者は悲惨な状態で監禁され、あまつさえ見世物にされ、瀉血や過度なショック療法という今で考えれば野蛮で残酷な治療を受けさせられていた。

それがロボトミーに代表される外科手術となり、現代の薬漬けと言われる治療法へと変遷していく。そこで強調されるのは、当時はそれらが“科学的”であったということ、そして、現代の治療法も(もちろん、小説中で描かれる未来における治療法であっても)、未来の医学者から見れば野蛮で無意味な治療方法であるかもしれないということである。

さらには、特定の文化においてのみ観測される精神疾患である文化結合症候群が紹介されるにいたり、狂気とは何かということさえ揺らいでいく。対人恐怖症は主に日本人だけが発症するとか、まさかと思ったが事実らしい。

さらには精神科医である主人公の発症と、医師であり患者である牢名主のような存在の登場により、治療するものと治療されるものの境界も揺らいでいく。

狂っているのは自分なのか世界なのか。治療しているのは患者なのか医師なのか。閉じ込められているのは病棟の内側なのか外側なのか。

現実の底が抜け、深みにはまっていくこの感覚はおぞましくも心地よい。

 


[映画] ターミネーター:新起動/ジェニシス

2015-07-11 13:59:51 | 映画

『ターミネーター:新起動/ジェニシス』

[c]2014 Paramount Pictures. All Rights Reserved

 

観てきました。“新”ターミネーター!

3作目以降を無かったことにしての新起動との売込みだけれども、別に3作目、4作目どころか、TV版があったとしても問題ない。何しろ、未来も過去も変えられるのだからな!!!

 

オリジナルの『ターミネーター』は、俺にとっては今でもベストムービーに上げるほど好きな映画だけれども、今回のこの映画はそこまででもなかった。及第点ではあるが、熱狂的にはなれない感じ。

良かった点は、サラがオリジナルの雰囲気を残したまま、めちゃくちゃ可愛くなったところ。これはカワかっこいい。そして、白髪になったシュワちゃんもむちゃくちゃ良い。セリフ通りに、古くてもポンコツじゃない。こちらはシブかっこいい。サラにしこまれて、長年の間に笑ったりジョークを言ったりするようになっているのもお茶目。そして、カイルは……こいつはどうでもいいか。

悪かった点は、とにかく設定に粗があり過ぎ。強引にストーリーを成り立たせようとしたせいか、転送装置の特性やらなにやらが矛盾点ばかり。タイムパラドックス関係はそういうものだと思って割り切って見られるけれども、わざわざ解説しなくていいところまで無理に解説するからおかしくなる。

そういった意味では、オリジナルの『ターミネーター』の語らなさ加減はいい処を突いていたのだなと再確認する。

 

しかし、ちょっと待てよ。わざわざ“叔父さん”は転送できないとセリフで言っているのはなぜか。それならば、敵を含めてターミネーターたちはどうやってタイムスリップしてきたのか。というところを深読みしていくと、実はシリーズとして織り込み済みの伏線なんじゃないかという気もしてきた。エンドロールの間に差し込まれたシーンからすると、続編作る気まんまんのようだし。

実は転送装置は二種類あるとか、そうならば未来も二種類あるとか、そもそも、サラもオールド・ターミネーターにくっついてきた偽物とか、いろいろ深読みしがいがある。

「未来は変えられるもの」なのだし、今回のサラとカールはそんなに仲が良さそうじゃないし、このままジョンが生まれるようには見えない。ここは、二人が“合体”しない、もしくは生まれたとしても女の子という形でジョンと決別すべきじゃないか。そうすれば、思う存分戦えるぞ(微ネタバレ)