神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] 紅の凶星

2015-02-19 23:59:59 | SF

『紅の凶星 グイン・サーガ135』 五代ゆう (ハヤカワ文庫 JA)

 

五代版グインのヤガ篇&パロ篇続き。

ヤガ篇は敵の正体がだんだん暴かれてきて、イェライシャも付いてることだし、なんとかなりそう。

新キャラのアッシャは宵野版のアウロラとともに、新生グインのキーキャラクタになっていくんですかね。

それはさておき、パロ篇の怒涛の展開が予想外すぎて、いったいどこまで行くのやら。

そういえば、レムスは「第三次パロ神聖王国の中興の祖となる聖王レムス」なわけで、そろそろ復活して逆転ヒーローになるという目もあるのか。そういった意味では、この衝撃的な展開と再三の大混乱はレムス再登場への伏線になりえるのかな。

それに輪をかけて、あとがきになにやら不穏な様相が・・・・・・。まさか、グインという物語はあまりに物語の力が強すぎて、ノスフェラスのグル・ヌーのごとく、著者を蝕んでいくのではないだろうな。

 

 


[SF] MORSE

2015-02-17 23:59:59 | SF

『MORSE(上下)』 ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィスト (ハヤカワ文庫 NV)

 

古本積読消化。というか、捨ててもいいかと旅行先(ボリビア)に持って行ったもの。ところが、これが予想外に面白くて、帰りの飛行機の中で読みふけってしまった。

端的に言ってしまえば、吸血鬼もの。北欧が舞台で、ルービックキューブなんて出てくるのでずいぶん昔の話かと思えば、出版は2004年。その後、スウェーデンで映画化され、アメリカでリメイク。

このアメリカ版の映画のタイトルが日本語タイトルに使われているが、スウェーデン版が各賞受賞の名作であるのに対し、アメリカ版は換骨奪胎された駄作らしい。さすが、アメリカ。

この作品では、描かれている吸血鬼像としては珍しくないものの、吸血鬼を取り巻く人々の物語それぞれが物悲しくて心に刺さる。

主人公のオスカルはいじめられっ子だし、最初の加害者であるホーカンはロリコン犯罪者だし、貧乏なアル中とレジ打ち中年カップルに、犯罪者一家の末っ子……。いわば、社会的弱者たちが惹きつけられるようにヴァンパイヤであるエリのもとへ呼び寄せられていく。まるで、すべての不幸の元凶が彼女であるかのように。

実際に、エリはそのような心に弱点を持つ人間を利用しようとしていたのだけれど、オスカルにだけは心を開き、友達になろうとし、正体を見せる。

「私は女の子じゃないよ」という言葉の裏の意味が分かったときに愕然とするが、それがまた、物語全体をひっくり返して悲しくさせる。

少年が旅立つラストシーンは、はたしてハッピーエンドなのか、あるいは、悲劇の再生産の始まりなのか。

少年は少女に出会い、世界の真実を知ってちょっとだけ成長する。そういった王道の物語でありながら、まるで正反対の悲劇を読んだような不思議な読後感があった。

 


[SF] vN

2015-02-02 23:59:59 | SF

『vN』 マデリン・アシュビー (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

タイトルの『vN』はフォン・ノイマンを示しているというのはすぐにわかった。しかし、ノイマンというと、ノイマン型コンピュータのイメージが強くって、vNはノイマン型じゃないだろと思って読んでいたのだけれど、自己複製するフォン・ノイマン・マシンから来てるのか。これは失敬。

主人公のvNの名前はエイミーで、これも明らかに『銀色の恋人』の著者であるエイミー・トムソンから。そのほか、訳者あとがきにも言及されているけれど、『ブレード・ランナー』=『アンドロイドは電気羊の夢を見るか』や、その他のSF映画、ドラマ、果ては、日本のアニメに至るまでさまざまなオマージュがちりばめられている。

そうかといって、その部分は小ネタに過ぎず、本質的には祖母-母-娘の物語であり、ボーイ・ミーツ・ガールな恋愛物語である。

アンドロイドとは、とか、知性/知能とはという問題よりも、もっと普遍的な家族や子供(もしくは複製)の問題をテーマに描かれているような気がする。

そういうテーマについて論ずるには、論理的に頭の中を整理できていないので、ただの印象に過ぎないのだけれど、表面的なおたく的ネタの氾濫と、その奥に含まれるテーマのギャップはなかなか面白いと思った。

個人的に一番ツボったのは、エイミーに捕食されることによってエイミーの中で意識を再構築した祖母のポーシャに対して、悪魔祓いの台詞(映画『エクソシスト』)や、多重人格のカウンセリング的な台詞が投げかけられるところ。

コンピュータウィルスも、あれは感染なんじゃなくって悪魔憑きなのかもよ。あと、マルチユーザは多重人格ね。

エイミーの、というか、かの一族におけるフェイルセーフ(vNにおけるロボット三原則的な)の捻じ曲がり方については、結局のところ、唯一正しい“倫理”は存在しないという、しごく当たり前のことを言っているに過ぎないとは思うのだけれど、あれだけショッキングに見せられると衝撃的ではある。

昨今の、「ひとを殺してみたかった」という動機の殺人が衝撃的であることにも関係してくると思うんだけれど、深入りせずにこれにておしまい。