神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] オービタルクラウド

2014-03-27 23:52:13 | SF

『オービタル・クラウド』 藤井太洋 (早川書房)

 

流れ星情報を提供するWebサービスを細々と営んでいるアマチュア天体観測家兼Web技術者が、JAXAやNORAD、さらにはCIA、北朝鮮、イラン、中国までもを巻き込んだ国際規模のテロと謀略戦争に巻き込まれていくという、ギークの冒険小説。

メインなネタのスペーステザーをはじめ、大きなものから小さなものまで、宇宙開発からWeb技術、セキュリティ技術などのガジェットネタが満載。それでいて、ハリウッド映画並みのジェットコースター感も味わえるという非常に稀有な小説。

著者がSF畑(いわゆるファンダムとか)出身ではないだけに、《センス・オブ・ワンダー》だとか、未来への警鐘だとかいったSF臭は薄く、おそらくミステリ方面でも高く評価されるのではないかと思う。SFというよりは、いわば、SE(Science Entertainment)だ。
(WWFあらためWWE的な、と思ったけど、この字面はちょっといただけないか……)

冷戦時代から大国に支配されてきた宇宙開発は、今でもミサイル開発禁止の名目のもとに、ロケット開発への新規参入は制限されている。それでも、宇宙は誰にでも開かれている。アイディアと情熱さえあれば。ただし、それも金次第というのが実情。すなわち、結果として、宇宙開発の南北格差は他の技術開発に比べても大きいのではないか。

アメリカでは民間の投資家が宇宙ホテルを打ち上げようとする一方で、イランの科学者は自分の理論を確認するための試験すらままならない。日本ですら、はやぶさの一発逆転があってもなお、宇宙開発の予算は削られっぱなしだ。

そういう状況から生まれたのが、“Great leap for the rest of the world”という目標と、それを実現するための宇宙テロなわけだ。

個人的には、ずいぶん捻くれた考え方だと思うし、容易に同意を得られるような考え方では無いと思うので、イラン人のジャハンシャ博士がこれに簡単に同調してしまったのは不自然な気がする。他人の邪魔をしたところで、未来が近づくわけではないのに。

それだけ、途上国や国内の宇宙開発技術者の絶望は深く、不遇だということなのだろうか。本当か?

また、一介のWeb技術者が世界を敵に回してテロに挑むといった紹介文の風潮もどうなんだろうかと思った。ここに出てくる技術者たちは、一介の技術者どころか、スーパーマンだ。地球人とクリプトン星人までの開きは無いかもしれないが、オリンピックでメダル争いができるくらいの力量はあるだろう。

わずかな時間でハッキングをかけたり、脳内イメージで軌道計算したりというのは、俺から見れば超能力の一種だ。市井のいち技術者がCIAや各国の組織と本当に戦うというは一種のファンタジーにすぎないだろう。

ここで見せているのは、宇宙開発のようなかつては国家的な壮大なものであっても、いまでは我々に手の届く範囲のものからチャレンジすることができるという窓口の近さの話なのだろう。それはあくまでも窓口であって、活躍や成功が約束されているわけではない。

しかし、それでもなお、著者の科学技術に寄せる信頼と、可能性が見せる夢は、我々読者にポジティブな未来への道を指し示している。


余談:
作中に出てくるマウンテンバイクでは右手が後輪ブレーキになっているのだが、ここでちょっと引っかかった。右は前ブレーキだろうと思ったのだが、調べてみると、これはJIS規格。世界的には右が後輪も多いらしい。というか、日本とイギリスでは右前らしいので、もしかしたら車両の通行方向の問題か。そういえば、作中でもその直後に手信号の話題も出てきていたし。つまり、左側通行では右手で手信号を出すので、安定する後ろブレーキは左手なのかも。右側通行のアメリカじゃ逆になるわけだ。こんなところまで調べているとは、さすがだと思った。

 


[SF] 星の涯の空

2014-03-24 23:17:09 | SF

『星の涯の空』 ヴァーナー・ヴィンジ (創元SF文庫)

 

『遠き神々の炎』の直接的な続編。なんと、約20年の時を経ての続編刊行となった。

期待とともに、前作の内容をすっかり忘れているという不安も大きかったが、犬っぽい生命体の群体知性である“鉄爪族”の強烈なキャラクターが記憶に残っていて、それをトリガーに記憶を呼び覚ますことができた。

しかし、この内容は、起承転結の承部分を延々続けたような感じで、長い割に読み終えた満足感が無い。クライマックスのアムディvsベンダシャス、ヨハンナvs大富豪が伝聞で終わってしまったのも尻つぼみ感を増大させている。さらに、ラヴナとネビルの対決も、グダグダで、すっきりとしないまま次巻へ持越しとなってしまった。

3部作の第2作って、だいたいこういう感じで、すべて完結してから再評価されるのが常なので、そういうことかと思うのだけれど、そもそもこのシリーズは三部作で終わるのかどうかすら定かではない。というか、このペースで次巻は20年後とか言ってたら、著者のヴィンジは90歳になってしまう。

いくら元妻のジョーン・D・ヴィンジがこのシリーズに参戦といっても、さすがに厳しいでしょ。

ということなので、いつ完結してもおかしくないぐらいでいて欲しいんだけど、さすがにこれは引っ張り過ぎ。なんとか、著者も読者ファンも生きてる間に完結させて欲しいものだ。


という事情はさておき、小説としての読みどころは、背後に超越界だの低速圏だのといったハードSF的なバックボーンがありつつも、人類との邂逅により、今まさに文明開化を迎えた鉄爪族社会の進展と、人類の世代交代による世論衝突のあたり。

文明開化といっても、鉄爪族そのものが群体知性というファンタジックな存在であり、人類が持ち込んだ科学技術も(物理界の制約により!)限られたものにすぎないので、どちらかというと、ファンタジー世界の物語に読める。

さらに、知性のあり方すら異なる熱帯地方は、暗黒大陸と呼ばれた頃のアフリカを思い起こさせる秘密と冒険の大地だ。

人類の視点や、改造群や欠損群からの新しい見地から鉄爪族を見直すことによって明らかになってくる、群体知性における自意識の在り方、自己同一性と寿命の問題というのも、SF的におもしろい。

とはいえ、やっぱりこの小説はファンタジー。鉄爪族も、新たな知性体として登場する“イカ”たち(これも解明される大きな秘密なのだが)も、騒々しくて、ある意味可愛らしいキャラクター造形になっている。ある意味、人間が一番頭が悪くて、悪意があってどうしようもなくて、イライラする。

このイライラするというのがポイントで、最終的に解消されることなく、To be continuedがどどーんと大映しになる感じ。なので、まったく達成感も爽快感も無く、次巻への餓えだけが残る。

シリーズとしては、細かい設定やエピソードをやっぱり忘れているので、ところどころで思い出せない単語や、見えていない繋がりがあるようなので、それもこの小説を楽しみきれない要素になっているんだろう。

この続きが出たときは、『遠き神々の炎』から、いや、『最果ての銀河船団』から読み直そう。といっても、どれも長いので、一か月くらいかかりそうだなぁ。

 


[SF] SFマガジン2014年4月号

2014-03-24 23:00:55 | SF

『SFマガジン2014年4月号』

 

今回はなかなか読みどころが多くて面白かった。

メインの特集記事は『「ベストSF2013」上位作家競作』。『SFが読みたい! 2014年版』の上位陣から選ばれた4人の作家の短編が掲載。さすがにどれも読みごたえがあるが、谷甲州の新・航空宇宙軍史第2回「イシカリ平原」を“読切短篇”とするのは、さすがに無理があるのではないか。まだ何も始まっていないし、何も終わっていない。

新連載として円城塔の「エピローグ〈プロローグ〉」が開始。タイトルから環をなす物語が想起されるが、思えば『Self-Reference Engine』もある意味、環状の構成だった。昨年の新連載開始(?)はなかったことにされたようだが、これは続くんだろうな。

実は一番楽しく読んだのは、こちらも新連載の評論「エンタメSF・ファンタジイの構造」(飯田一史)。SFファンが面白いと思う作品と、売れるSF作品は往々にして異なるものだが、これをマーケティング的に分析して、売れるSFを作ってしまおうという企画。まぁ、実際にこういうことを公言した作家もいるけどな。いまのところ、アンケート調査の結果を淡々と記述しているだけの体裁なのだが、これだけでも、いろいろな作品論に通じるところが実に面白い。


○「環刑錮」 酉島伝法
相変わらず読みづらい独特な、というか唯一無二の世界観。この一作だけだと、気持ち悪いだけで終わってしまいそうだが、ここから連作として『皆勤の徒』のように重層的に世界を描くことになるんだろうか。

○「否定」 クリストファー・プリースト/古沢嘉通訳
なんと、《夢幻諸島(ドリーム・アーキペラゴ)》シリーズ。『夢幻諸島から』の未収録作品。作家に心酔しているけれども、作家側から見たら作品を曲解している迷惑な読者という人間関係が、捻くれて入れ子状態になっているコメディ的なシチュエーションで語られる、冷戦的な戦争下の生活という実に捻くれた作品。たぶん、俺もそういう、読めてない迷惑な読者のひとり。

○「イシカリ平原」 谷甲州
ほんの冒頭だけじゃないか!

○「遊星からの物体Xの回想」 ピーター・ワッツ/嶋田洋一訳
かの有名な映画における裏設定を妄想したもの。コミュニケーション方法の擦れ違い(と言っていいものかどうか)は『ブラインドサイト』にも通じるテーマ。

○「エピローグ〈プロローグ〉」(第1回) 円城塔
タイトルはエピローグという名前のプロローグなのか、プロローグという名前のエピローグなのか。主人公の(と思われる)少女と、そのおばあさんが出てくるところが露骨に鍵なんじゃないかと思うけれど、とにかく先が続くことを祈る。

○「ウナティ、毛玉の怪物と闘う」 ローレン・ビュークス/鈴木潤訳
過激な日本趣味のJ-POP SF。なんというか、ニンジャとサムライとゲイシャじゃなくって、カワイイとエロとハイテクロボットが日本のアイデンティティになっちゃったんだなというのが感想。俺的にはそれでぜんぜん構わないけどね。それにしても、ハルキとタカシのダブル・ムラカミには大爆笑。やっぱり、海外でもそういう評価なんじゃないか(笑)

○「スピアボーイ」 草上仁
『スターウォーズ エピソード1』に出てきたポッド・レースを異星生物でやってしまうという疾走感あふれる快作。若者の突き上げに対する、パイロットの上を行くスピアの戦術。ベテランというのは、こうありたいものだ。

○「SF COMIC SHORT-SHORT」 第四回:岩岡ヒサエ
最近増えているGoogleNowとかのコンシェルジュ系アプリのことかと思った。 

 


[SF] レッドスーツ

2014-03-07 22:45:28 | SF

『レッドスーツ』 ジョン・スコルジー (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

前半を読んで、作品紹介がそのままネタバレじゃないかー!と激怒しそうになったが、さすがにそんなことはなく、後半には予想を上回る展開が待っていた。

メタのメタでさらにメタ的な転換が続く部分で好みが分かれそう。確かに、これを読んだ人は爆笑するか激怒するかの両極端だろう。もちろん俺は大爆笑派。

SFファンの投票で決まるヒューゴー賞を受賞した理由もよくわかる。

一方で、さらにメタな視点では、著者スコルジーの作品論というか、SFに対する意識、姿勢、もしくは提言の表明とみなすこともできる。

さらに、文学的には、異なる世界、環境で生きる自分の存在を知ることによって、心理的な影響を受ける人々の群像劇と見ることもでき、終章3篇のさわやかな感動が心地よい。

そのあたりのテーマからすると、ネビュラ賞を受賞できなかったのが不思議なくらいで、決してキワモノなだけのコメディというわけではない。

基本的には徹頭徹尾、《スタートレック》、というよりは、《宇宙大作戦》のパロディなのだが、雰囲気だけ知っていれば問題ない。《スタートレック(の古い方!)》を知っていると、ニヤニヤできる場所が多少増えるかという程度。

扱われているテーマは《スタートレック》にとどまらず、日本のウルトラマンや仮面ライダー、さらには、ドラゴンボールやプリキュアにおいてもあてはまる問題提起であるんじゃないかと思う。

問題提起といっても、それは批判ではなく、溢れる愛なのだけれどもね。

 


[映画] ホビット 竜に奪われた王国

2014-03-03 23:41:50 | 映画

『ホビット 竜に奪われた王国』

 

映画の日(サービスデー)だったので、『ホビット 思いがけない冒険』を見ていないにもかかわらず、映画館へ出撃。まぁ、だいたいのお話は知ってるし、問題ないでしょ。

大作が封切週にサービスデーで¥1000均一なのは映画業界にとって良いのか悪いのか。でも、昼過ぎの回はそんなに大入りじゃなかった。2D字幕版だったからか?

内容は、要するに『ホビットの冒険』そのまま。はるか昔に岩波少年文庫版で読んだだけだけだったのだが、事前にwikipediaで復習したせいもあり、細部は覚えていなくても、特にお話に混乱することもなく。

ただ、似たようなひげ面が多いので、人物の同定にときどき混乱した(笑)

見どころは、遊園地のアトラクションのようなアクションシーン。樽に入って川を流れたり、トロッコにのって振り回されたり、そのままUSJかどこかにあっても不思議はないような、比喩的な意味ではなく、本当にジェットコースター・ムービー。

そして、遂に姿を現した邪竜スマウグは、翼のつき方や、城の中を駆け回る姿がモンハンのティガレックスにそっくり。ぜったい、スタッフにモンハンやってるひとがいるでしょ!

ビルボやドワーフたちの活躍によって、スマウグはターミネーターのごとく溶鉱炉で仕留められたか……と思ったら、黄金の姿で翼を広げて復活。

港町エスガロスのバルトが、伝説の黒い矢を取り出し、それを大弓で撃つんでしょ、というところで、盛り上がるだけ盛り上がって終了。その矢、撃たないのかよ!

といういいところでつづく!

『指輪物語』の前日譚としては、ドワーフたちと別行動となったガンダルフの怪しげな行動も興味深いところ。

完結版の『ゆきて帰りし物語』はいつになるかわからないが、また映画サービスデーにうまく当たったら見に行こうかな、ぐらいな感じ。

 


[SF] 家守綺譚

2014-03-03 23:33:07 | SF

『家守綺譚』 梨木香歩 (新潮文庫)

 

『SFが読みたい! 2014』の10位に入ったのが梨木香歩の『冬虫夏草』。書名も聞いたことがなく、ノーマークだったので読んでみようと思ったが、続編とのことで前作の『家守綺譚』を入手。

薄い文庫本だったので、通勤電車の中であっさりと読む。

内容としては、妖怪と幽霊の物語。とはいっても、おどろおどろしいところはほとんどなく、怪談というよりは和風ファンタジーといった趣。

時代はおそらく戦前。山に近い田舎の村で、死んだ友人の実家を“家守”する駆け出しの作家を主人公に、その家や周囲でおこる怪異があたりまえの出来事のように綴られる。

床の間の掛け軸から舟でやってくる友人をはじめ、怪異たちの仲裁役を務める飼い犬のゴローや、主人公に懸想するサルスベリの木など、主人公以外は不在なのはずの空き家も、なかなか賑わしい。

山寺の和尚さんはともかく、隣のおかみさんもかなりの物知りで、そんなことも知らないのかと、田舎の風習を語るがごとく、河童の着物や人魚の嫁入りについて教えてくれるのがおもしろい。

そのうちに、だんだん、タヌキに化かされたりするのがごく普通の出来事のように思えてくる。そして、そんなこともありますねえと、一言で済まされてしまうように、身近な話に思えてくるのが、なかなか不思議な気分だった。

もしかしたら、昔の日本にはそうやって身近な場所に、本当に不思議なものたちが住んでいたのかもしれないと思わせられた。

 

 


[SF] アンドロギュヌスの皮膚

2014-03-03 23:24:00 | SF

『アンドロギュヌスの皮膚』 図子慧 (河出書房 NOVAコレクション)

 

読書メーターが著者ご本人様に補足されてしまったので、書きにくいところではあるのだけれど……。

 

図子慧は『キャット・ボーイ』(姉の本棚にあったのを読んだ)の昔から好きな作家だったのだが、残念なことに、これはいまひとつだった。

河出のNOVAコレクションからのリリースだったので、『NOVA 5』収録の「愛は、こぼれるqの音色」の長編版かと思っていたのだけれど、ぜんぜん関係なかった。

内容的には、ハードボイルド風味のサイエンス・スリラーなのか。

序盤の設定や展開にものすごくわくわくさせられたのだけれど、期待とはまったく違う方向に行ってしまったのがとても残念。

子供だけの閉ざされた“ホーム”。水没した東京の東半分。超絶美形で無邪気な殺し屋。あからさまに怪しい病院と、医師たち。感染するととんでもなくヤバいらしいウィルス……。

これで、書いているのが図子慧で、レーベルがNOVAコレクションなんだから、いろいろ期待するじゃないですか。

しかし、こんな設定の元で、結局のところ、なんだったんだっけ。という終わり方。

もっともいただけないのが、登場人物たちの動機というか、行動原理に納得できないことなんだよね。なので、物語があって彼らが動いているのではなく、物語を進めるため、事件を発生させるためにむりやり彼らを動かしているように感じられてしまう。

(俺的に)魅力的な設定もほとんど生かされることもなく、禁断のウィルスにいたっては、ただの事故だったりするし。

好みの物語でなかったせいで集中力が足りなかったのか、実際に推敲が足りないのか、展開が飛んでいたり、唐突だったりする場面もあった。有里なんて、5人ぐらいいるんじゃないかと思えるくらい一貫性の無い言動をしているし、妊娠するぐらいならわかるけれども、いつのまにか結婚してるし。

クライマックスにつながる50メートルの垂直降下も、どうやって降りるんだと思ったら唐突に病院の山岳部員なんてのが出てくるし。いつからいたんだ、そいつ。

あと、どうでもいいことだけれど、三井が参加する格闘技大会のルールって、どこから出てきてるんだろう。立ち技打撃基本で関節技無しなのに投げ技有りルールって、UFCでもシュートボクシング(立ち関節あり)でも無いし、これも、三井をどうやって活躍させるかのための、ストーリーありきで要請されたルールにしか見えないんだよね。ここでも創作時の舞台裏が透けて見えるような感じ。

お前が想定読者じゃないんだと言われればその通りかもしれないけれど、『ラザロ・ラザロ』や『沈む少年』のような、冷たい近未来ファンタジーをもう一度書いて欲しいものだ。

 


[映画] キック・アス ジャスティス・フォーエバー

2014-03-03 23:03:21 | 映画

『キック・アス ジャスティス・フォーエバー』

 

あの『キック・アス』の待ちに待った続編。自主制作映画からメジャー制作になったおかげで、ヘンにお行儀よくなってしまうことを危惧していたけれども、お下劣でグロい部分はそのままに、字幕監修も町山智浩なので、細かいパロディネタも問題無し。

ヒット・ガール=ミンディのダンスシーンひとり演武シーンや、紫色のバイクをブッ飛ばすシーンは恰好良過ぎ。特に、アドレナリン爆発状態で瞳孔を見開いた、スーパーサイヤ人的狂えるスーパー・ヒットガールはかわいさ抜群、怖さも抜群。コワ*kawaiiでびっくりですよ。

敵役の神取忍みたいなマザー・ロシアもすごかった。というか、他の殺し屋がへぼ過ぎで、こいつが目立ち過ぎなのだけれど。

で、映像や演出には大満足ではあるのだが、やっぱり何かが違う。これは脚本のミスなんじゃないか。というか、ストーリーの方向性のミスというか。

『キック・アス』は「ヒーローってなに? 正義ってなに?」っていうテーマを、ヒーローにあこがれるイケてない少年を主人公に描ききった傑作だった。バカ強いヒロインのヒット・ガールは、ダメなキックアスの対極に配置される存在として生まれたはずだった。

一方で、『ジャスティス・フォーエバー』では、父親と子供の関係(アメリカ人ってこのテーマ好きね)がメインになっていて、正義とかヒーローとかはどうでもよくなっているような気がする。

デイヴ=キック・アス、ミンディ=ヒット・ガール、そして、敵役のクリス=マザー・ファッカーも、それぞれに父親、もしくは、父親代わりの存在との間に問題を抱えている様子が描かれる。そして、それはそれぞれに、不幸な結末を迎えてしまう。それはいいのだけれど、それって『キック・アス』の続編としてメインに描くべきものなのだったのか?

さらには、高校生活になじめないミンディのハイスクール・カースト話なんかも、結局どうしたいのかがわからない。「私は私」とか言いつつ、クイーンビー的な価値観を変えるところまでは描けていないような気がする。しかも、デイヴも(白人ってそういうものなのかもしれないけれど)いつのまにかムキムキ筋肉マンになってるし。

俺ら、ナードが世界の価値観をひっくり返す話が観たいのであって、ナードがマッチョになる話を観たいんじゃないんだよ。

メジャーになったせいで、いろんな人がいろんな意見を言って、あれもこれもと欲張り過ぎた結果、どのテーマも掘り下げが浅くなって、ただのクロエのプロモーションビデオになってしまった感じ。

さらに言えば、正義ヒーロー集団のジャスティス・フォーエヴァーはアベンジャーズのパロディなのだけれど、風刺や批判のためのパロディではなく、ただの真似っこでしかなくなっている。物語内の位置づけとして、ただの表面的な模倣であることは当然なのだけれど、メタ的な意味でもう少し意味づけを与えることはできなかったのか。

どちらかというと、悪玉親分のレッド・ミストマザー・ファッカーの方が、「悪ってなに?」という葛藤があったように思う。その結果が、「シティを爆破してやるぜ」というショッカー的に無意味な計画になっていったのだろう。ただ爆破するだけ。そこにはテロのような主義も主張もない。ただ、何でもいいから、悪いことをやりたいだけ。

「正義ってなに?」という『キック・アス』のテーマに対置するように、「悪ってなに?」というテーマがありえたんじゃないか。

クリスがマザー・ファッカーと名乗り始めたのも印象的。クリスの母親殺しの自責の念と開き直りがこの名前に凝集されている。そういう意味では、クリス側を主人公に掘り下げた方が面白味が出たような感じ。

エンドロールの前後に挿入されるシーンからすると、さらに続編もありそうなのだけれど、このまま下品なだけのヒーロー映画で終わるのは惜しい。次作があるとすれば、もう少し脚本を考えて欲しいものだ。