神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] テキスト9

2014-02-21 23:06:43 | SF

『テキスト9』 小野寺整 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

 

第1回ハヤカワSFコンテスト最終候補作のひとつ。

なんとこれが、支離滅裂で破天荒で、小説としては商業出版というよりは同人誌レベルな出来としか言いようがない。しかし、その不完全さが、実はSF的大ネタへの伏線になっているという驚くべき作品だった。

これは翻訳の物語であり、概念の物語であり、愛の物語である。わたしの物語であり、あなたの物語である。そして、世界は生まれた。

ファンタジーでよくある話ではあるのだが、この地球とは完全なる異世界であるはずなのに、地球と同じような動植物相があり、同じような文化があるのは何故なのか。それに対する答え、それは“翻訳”されているからである。

たとえば、この小説でも登場人物のひとりがサイコ・ガンをぶっ放すシーンがあるのだが、それは同人誌的な安易なパロディではない。

実際にその場で起こったことは、サイボーグ化された兵士が体内からなにがしかのエネルギー兵器を撃ったということなのだろう。それが、読み手として想定される意識(それは著者かもしれないし、わたしかもしれないし、あなたかもしれない)に対して、その光景の概念を翻訳したものが、右腕から発射され、上下左右にのたうちまわるエネルギー兵器だったのだ。しかし、それは実際に右腕から発射されたものだったのか、そもそも、エネルギー兵器だったのかも、翻訳されてしまった後には知ることができない。

何から何までこんな感じで、過去作品の有名なセリフや小道具、著名人の名前や日本語の慣用句などが随所に現れるが、それが現実としてそのようであったはずは無いのだが、実際にはどうだったのかを知ることはできない。

さらに、真実なんてものは、そこにある現実を無謬の元に説明できればなんでもいいという主張も提示され、こうなっては実際に何が起こっていたのかなんてものに意味がなくなっていく。

さらには、知性とはシステム同志の相互作用によって生まれ、システムとは独立した閉鎖系であり、云々カンヌンで、概念そのものでさえも知性として定義できることになる。それによって、登場人物たちがそもそも我々の考えうる知性なのか、生命なのか、はたまた、何らかの概念そのものや、何かの意味そのものなのかもわからなくなっていく。

概念の概念。定義の定義。意味の意味。すべてのものを翻訳し、無意味なテキストに意味を与える翻訳装置。そこから生まれるワイドスクリーンバロックで荒唐無稽で支離滅裂な言語SF。そしてそれは、川又千秋、神林長平、円城塔へとつらなるの流れの果てに接続される本格SFでもある。

いやぁ、久しぶりに凄いものを読んだ。

 

 


ばれんたいん

2014-02-14 23:04:22 | つぶやき

バレンタインデーなので、見事にチョコレートをいただきました。

 

 

どう見ても、まどマギです。ありがとうございます。

とっても嬉しいです。しかし、もしかして、あなたはわたしのことを真性のヲタクだと思っていませんか?

SFファンとヲタクは違うのですよ。

いや、まどマギ好きなので、とっても嬉しいですけどね(笑)。

 

味は、意外に大人向けの甘さ控え目なガナッシュクリーム入りでした。おいしいです^q^

 


[SF] ファースト・サークル

2014-02-14 22:56:19 | SF

『ファースト・サークル』 坂本壱平 (ハヤカワ文庫 JA)

 

第1回ハヤカワSFコンテストの最終選考作品。大賞の『みずは無間』に続いて、続々と刊行中。

内容は首のない胴体と、手のひらに穴の開いた少年が、無数のパラレルワールドをひとつに束ねる話。……だと思うんだけど、正直言ってよくわからんかった。

SFというよりはファンタジー。さもなくば、幻想小説。日本ファンタジーノベル大賞が休止になっていなければ、そっちに応募されてういたのかもという作風。

おもしろいのは、ハヤカワ・オンラインでもジャンルが空欄(2/14現在)になっていること。なので、SFで検索しても出てこない。スタッフの怠慢でなければ、早川書房ですらジャンルを分類することができなかったということなのか。

個人的には、ファンタジーであっても理屈で解釈できる、いわば“腑に落ちる”作品が好きで、不条理物はどうしても脳味噌が受け付けない。この作品は不条理とまではいかないが、いろんなことに理屈がくっついていない(少なくとも作品中では)ので、正直言って読了後にポカンとしてしまった。

変拍子の手拍子とか、穴の向こうに見える青空とか、夜空を文字通り切り裂くホームランボールとか、印象的なシーンはあるのだけれど、なにぶん、何がどうなっているのか理解不能で頭の中に疑問符が深く降り積もった感じだった。しかも、積もっただけで解けやしない。

そうは言っても、日本SFはそういう「すこしふしぎ」な作品が昔から多かった(というか、その手の小説の受け皿がSFしかなかった)ので、いまさらどうということは無いのだけれど。

 


[SF] SFマガジン2014年3月号

2014-02-13 22:29:45 | SF

『SFマガジン2014年3月号』

 

今月号は、恒例の2013年度英米SF受賞作特集。

ヒューゴー賞長編部門は、なんとジョン・スコルジーの『レッド・スーツ』。まぁ、SFファンが好きそうなネタではあるよね。タイムリーに新☆ハヤカワ・SF・シリーズからも邦訳が刊行されたので、そのうち読む。

ネビュラ賞長編部門はキム・スタンリー・ロビンスンの『2312』。こっちは創元SF文庫から出る模様。あれ、『グリーン・マーズブルー・マーズ』は?(お約束)

ケン・リュウ(notストⅡ)はヒューゴー賞短編小説部門で2年連続の受賞。中国生まれで米国在住の作家が描く日本文化という、まことに回りくどい作風で、今年のSFマガジン読者賞も受賞。個人的には、あざとさが見える泣かせ系なので、あんまり好きじゃないかも。

今月号の掲載作の中では、「スシになろうとした女」と「没入」の両方に関して言えることなのだが、書いてあることもテーマも理解できるのだけれど、いまひとつ面白くない。当然、好き嫌いの問題だったり、訳文の問題、さらには読んだ時の体調も影響しているのだろうが、読んでいてまったくワクワクしない。なんだろうね、この感じ。

これに限らず、SFマガジン掲載作品の方向性が、なんとなく期待する方向とは逆の方向へ変わって来たような気がする。読者賞の受賞作品を見ても、国内、海外、どちらも自分がSFとしておもしろいと思った作品ではないようだ。なんか個人的に好みがズレてきたなぁと感じる。

最近、ボルダリングのやりすぎで、体力的に疲れて頭が回ってないせいか、小難しい話が頭に入ってこないのかもね。

他には、神林長平の『絞首台の黙示録』が連載第2回。そこでプロローグとそうつながるのか。エピローグまで出てこないと思ったので、ちょっと予想外。

珍しいコミック連載の『ニュートラルハーツ』も第2回。初登場時のインパクトはなくなったが、ここからどう展開していくのか期待。

小特集の『マイティー・ソー』はコミックも映画も観てないので、よくわかりません。マーベルも、あんまり世界が大きくなりすぎると、後から追いかける気にならなくなりそう。

 



○「スシになろうとした女」 パット・キャディガン/嶋田洋一訳 (ヒューゴー賞/ローカス賞ノヴェレット部門受賞)
スシっていったいなんじゃらほいと思って読んでいたのだが、宇宙開拓用の身体改造で水棲生物に模する必要性がよくわからなかった。テーマとしては人種差別の問題というよりは、南北問題がクローズアップされているんじゃないのか。しかし、その文脈で、スシ???

○「没入」 アリエット・ドボダール/小川隆訳 (ネビュラ賞/ローカス賞ショート・ストーリー部門受賞)
こちらはバーチャルな人体改変ともいうべきアバターの話。うーん、菅浩江『誰にみしょとて』を読んだ後だと、このテーマは浅いような気がする。あ、“なりたい自分”が文化的に侵略されているということなのか。いまいちよくわからん。

○「九万頭の馬」 ショーン・マクマレン/小野田和子訳 (アナログ誌読者賞ノヴェレット部門受賞)
これはオーソドックスで楽しいスチームパンク、というか、歴史科学小説。第二次世界大戦前に、ミサイル(的なもの)が線路上をかっ飛んだかもしれないというお話。天才女性数学者が1+1もわからない無学なメイドの振りをして、お屋敷へスパイに入り込むという設定がおもしろい。

×「二十鼢と人間」 深堀骨
 これを面白いと思う読者がいるであろうことは理解するけれども、どうにも乗り切れない。本田博太郎にも思い入れはないし、八千草薫(じゃないけど)にも思い入れは無いし……。作風はこんなでも、ちゃんとSF的なオチを付けてくれれば評価するんだけれど。

 

 


[SF] パラークシの記憶

2014-02-13 22:27:04 | SF

『パラークシの記憶』 マイクル・コーニイ (河出文庫)

 

なんと、かの名作『ハローサマー、グッドバイ』の続編。続編といっても、数十世代後の話で、ふたたび厳しい凍期が訪れる頃の話。

主人公たちパラークシの人々は、祖先からの記憶をずっと持ち続けており、記憶は失われることはないという設定になっている。『ハローサマー、グッドバイ』にそんな設定があったっけと思っていたのだが、やはりこれは今回からの新しい設定。そして、これも作品中で解かれていく謎のひとつ。

これはSFであり、ミステリーであり、何より、少年の恋と成長を描いた青春物語である。そして、すべての軸において、名作といえるほどの素晴らしい小説だ。

主人公ハーディの父が殺された事件の謎をめぐるミステリーが物語の牽引役になっているが、それ以上に、この惑星の成り立ちや原住生物の進化の理由、さらには、前作ではほとんど魔法扱いされていたロリンの秘密までもがSF的な論理のもとに明らかにされる。このすべての伏線が一気に収束し、すべての謎が解明されるという様子が実に気持ちいい。

前作から、あまりに瑞々しい初恋の描写のせいで青春小説としての抒情的な部分が大きく取り上げられがちなのだけれど、このシリーズは最初からかなりハードなコアSFだったのだ。それが、今回はさらに輪をかけてSF度が濃くなっている。にもかかわらず、物語は一見、ミステリーだし、初恋の甘酸っぱさは前作同様(いや、前作を超えてラヴラヴハリケーン状態)だ。それでも、実はこれが超弩級のSF大作だったとは、読み進める途中まで気付けなかった。

なんだか、あまりに内容の無い感想になってしまっているが、なにしろ伏線のひとつでも、これが伏線として紹介しようものならば、謎が明らかになった時の驚愕が衰えてしまう。

いったい、何が解かれるべき謎なのかについてすら、ネタバレになるという恐ろしい小説。とにかく、SFファンでなくても、『ハローサマー、グッドバイ』から続けて読むべし。

 


[映画] エンダーのゲーム

2014-02-04 23:30:38 | 映画

『エンダーのゲーム』


映画化権が売られたと聞いたのはずいぶん前のことだったので、もう永遠に実現することは無いと思っていた『エンダーのゲーム』の映画化だったが、遂に日本でも公開された。

オースン・スコット・カードの原作小説のファンなので、実は地雷作品じゃないかと思って警戒していた。なので、SF方面からでも割と好意的な作品紹介が多いことを確認してから観に行った。

映画のストーリーとしては、原作をほぼ踏襲している。しかし、残念ながら2時間に詰め込むには分量があり過ぎたようだ。薄っぺらにストーリーをなぞるだけに終わった感じ。これならば、TVドラマシリーズでやってもらうか、要素の数を減らしてもうちょっと深みを出してもらった方が良かったかもしれない。

特に、ただの粗暴な兄で終わってしまったピーターが不憫でならない。まぁ、あの当時のエンダーから見れば、粗暴な兄以外のなにものでもなかったのかもしれないけれど(笑)

映像的にはCGがなかなか綺麗だった。バトルスクールの窓から見える地球とか、バガーの生物っぽい編隊飛行だとか、女王の複眼や口元だとか。ゲーム内に登場するヴァレンタインの姿もリアルっぽいけれども、はっきりCGとわかるゲーム的な表現になっていて、ちゃんとわかっているスタッフが作っているのだなと感心した。

一方で、ボンソーの配役はどうかと思った。顔つきはいかめしいけれど、ビーン役よりちっちゃいおっさんじゃないか。なんだかイメージが違いすぎる。

バトルスクールでのエンダーと仲間たちの活躍は楽しかったけれど、エンダーやビーンの特殊な優秀さは出し切れてなかったような気がする。何より、あの有名な足を自分で撃つシーンが無いじゃないか。ビーンのぐるぐるはあったけれどさ。

しかしそれでも、「ゲートが下だ」に代表される名台詞たちはそのままで、それを聞く(字幕だったから読むだけれど)だけでもワクワクした。原作ファンにとっては、それだけで良かったかも。

問題なのは、あの唐突なラストを原作未読の観客がちゃんと理解できたのかということなんだけれど……。Movie Walkerのレビューを読む限り、大丈夫そうだ。本当に原作未読でそこまでわかるのかという疑問はあるのだけれど、映画ファンを甘く見過ぎですか。すみません。

でも、原作小説の方が絶対に面白いから。未読の方はぜひ!

 

 


[SF] 第二ファウンデーション

2014-02-04 22:50:09 | SF

『銀河帝国興亡史[3] 第二ファウンデーション』 アイザック・アシモフ (ハヤカワ文庫)

 

第1部が「ミュールによる探索」、第2部が「ファウンデーションによる探索」となっているが、これらの初出タイトルがそれぞれ、“Now You See It”、“― And Now You Don't”というのが素晴らしい。このままの方がよかったのに。

そのタイトル通り、第二ファウンデーションの正体を探るミステリ。

第1部では、銀河帝国を乗っ取り、ファウンデーションまでもを支配したミュータント、ミュールによる第二ファウンデーションの大規模な探索。そして、第2部では、ミュールが倒れた後に再興したファウンデーションで、ひとりの科学者の妄執と、その娘の冒険による第二ファウンデーションの探索が描かれる。

解説によると、アシモフは銀河帝国興亡史シリーズのプロットについて、行き当たりばったりだったと語っている。まさに、そんな感じ。おそらく、第二ファウンデーションの正体がこんな形になるとは、アシモフも当初は考えていなかったに違いない。

というのも、第二ファウンデーションの人々はミュールと同じような精神操作の能力を持つという妙な設定が、あまりにアシモフっぽくないからだ。どちらかというと、ヴォークトやハインラインのような感じ。さらに第2部の主人公が16歳の少女というのもハインラインのジュブナイル的。

第二ファウンデーションは第一ファウンデーションが失敗した場合の保険でも、第一ファウンデーションを囮とした本体でもなかった。その真実は、第一ファウンデーションを含め、銀河帝国とその周辺諸国の歴史がセルダン・プランから外れないように操る影の秘密結社だったのだ。なに、その陰謀論(笑)

でも、そうすると、銀河帝国の歴史はセルダンが心理歴史学で予見したものではなく、第二ファウンデーションに操作された歴史ということになるので、はたしてセルダンの予見が当たっていたのかどうかわからなくなるという矛盾をはらんだ結末になってしまっているのではないか。

もともと、セルダンの予見は銀河帝国が崩壊して3万年にわたる暗黒時代(知識や科学技術が失われた時代)が訪れるという危機だ。これを、1千年に縮めるために、セルダン・プランが練られ、その実現のためにファウンデーション(第一と第二)が作られたのだった。

しかし、第一ファウンデーションだけでも暗黒時代は防げたように思うのだが、第二ファウンデーションは何のために必要だったのか。たとえば、ミュールの支配が続いたとして、そのままでも科学技術が失われる暗黒時代が到来するようなことはなかったのではないかと思える。

最後にに否定された、「実は第二ファウンデーションなんか無かった」という説が個人的には一番納得がいく説明だった。第二ファウンデーションが存在するという人々の思いが、希望や倫理を生み出す礎になっていたのではないか。

個人の未来は予見できないが、集団の未来は数学によって予見できるとする心理歴史学の存在は、ともすれば(ひとりの力は小さいという意味において)自由意志の否定にも取れるが、精神操作を可能とする第二ファウンデーションの存在は、さらに自由意志を輪をかけて否定する。その意思は本当にお前の中から生まれてきたものなのか。ミュールや第二ファウンデーションに操られたものではないのか。

そう考えると、なんだかうすら寒い結末のようにも思えるのだけれど。

 


[SF] ファウンデーション対帝国

2014-02-04 22:47:11 | SF

『銀河帝国興亡史[2] ファウンデーション対帝国』 アイザック・アシモフ (ハヤカワ文庫)

 

落ち目とはいえ、ただでは滅亡しない銀河帝国。その再復興の中でファウンデーションとの対決が始まる。

この時代、ハリ・セルダンは忘れ去られたわけではないが、その予言の内容は万人に浸透しているわけでもなく、はたしてファウンデーションが生き残れるかどうかに確信が持てなくなっている。

しかし、最終的に、セルダン危機のレベルにさえ達せず、帝国は自滅してしまう。この自滅の仕方はあまりにもあっさりとしており、主人公たちの活躍や葛藤が無意味になってしまう様は滑稽でもあり、哀れでもある。

やはり、歴史的一般論と、ご都合主義の物語にしか、まだ読めない。ただ、主人公たちの活躍の無意味さが、微妙にズレを見せている。これは第一ファウンデーションの限界が徐々に姿を見せ始めたということか。

 

続いて、ハリ・セルダンのプランを突き崩す男、ミュールがついに登場。他人の感情をコントロールできるという超能力によって、銀河帝国を支配し、ファウンデーションをも打ち破る。

物語はミュールの正体と、第二ファウンデーションの位置をめぐるミステリとなっていく。

ここで心理歴史学の限界が明示される。分子ひとつひとつの動きと気体の性質の比喩に従えば、ミュールの存在は気体に加えられる外部エネルギーとでも言うべきか。これにより、人類の歴史はセルダンの予見から外れていくことになる。

しかし、おそらく、セルダンはこの事態をもすでに予見しており、これに対する方策として第二ファウンデーションを用意したということ。ここからアシモフがどんなトリックを仕掛けてきたのかに期待がかかるが、第二ファウンデーションの真実については、第3巻へ持ち越し。

 

さて、ファウンデーションの人々が考えるセルダン危機というのはどういうものか。セルダンはあまりにも天才的であったために、未来の歴史をほぼ正しく予見し、それに対する正しい方策を準備することができた。それが故に、セルダン危機は“ほうっておけば解決する問題”に過ぎなくなってしまった。

「天は自ら助くる者を助く」の言葉通り、天命に頼って何もしなくなったことがファウンデーション弱体化の原因なのか。たとえば、何もしないで流されていればお金持ちになれるよと予言された少年がいたとすれば、こんな感じになるのかもね。

でも、運命というのは、実際問題として、そんなにうまくいくものじゃないということだ。

 


[SF] ファウンデーション

2014-02-04 22:43:58 | SF

『銀河帝国興亡史[1] ファウンデーション』 アイザック・アシモフ (ハヤカワ文庫)

 

積読消化。

実は大学生のころに創元版を読んでいるのだけれど、いまひとつピンとこなかった。今回は新銀河帝国興亡史まで含めて揃えたので、このシリーズがどうしてそこまで人気があったのか確認してみることにする。

第1作の『ファウンデーション』を読んだレベルだと、感想は以前とあまり変わらない感じ。詳しい内容はほとんど覚えていなかったとはいえ、うーんといったところ。

まず、心理歴史学の万能性と胡散臭さが気になる。『ファウンデーション』のレベルだと、歴史心理学による予言性というよりは、ただの統計学ですらなく、常識的な一般論にしか聞こえてこない。

これが、第二ファウンデーションの位置付けや、はるか未来までを見据えた計略が明らかになった時点で、本当にすげーと思えるかどうかがカギなんだろう。

しかし、心理歴史学とハリ・セルダンの予言を差っ引き、未来叙事詩と見た場合にはそれなりに興味深い。天下三分の計ではないが、4か国の睨み合いを利用した外交の安定化戦略。宗教による支配から、貿易経済による支配への変遷。こういった過去の歴史を普遍的事実として外挿することによって生まれる未来の物語。

しかし、このままでは、まだ心理歴史学なんてものを持ち出すまでも無い、一般論でしかないのだよね。もっと、驚くような仕掛けが待っていると信じたい。

一方で、各エピソードの魅力はというと、ちょっと説明的な記述が多すぎて、スリリングさに欠けるような気がする。アシモフの短編だとどうしてもそうなってしまうのかもしれないが、ハリ・セルダンの予言もあって、必ず成功が約束されている感じがしてしまう安心感の方が強い。結局、興味は、問題がどのように解決されたのかというところに移ってしまうのだが、このあたりもご都合主義といえなくもないレベル。

それが、ご都合主義ではなく、心理歴史学として予言されていたということがこの物語のミソなのではあるが、そうなると今度は心理歴史学が万能の魔法になってしまうという……。

ということなので、昔読んだのと同じように、いまひとつ乗り切れない感想のまま、『ファウンデーション対帝国』へと進むのであった。