神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] アロウズ・オブ・タイム

2017-04-26 22:38:14 | SF

『アロウズ・オブ・タイム』 グレッグ・イーガン (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

〈直交〉三部作の完結篇。

いやー、長かった。わからないところは飛ばして読むのがイーガンの作法なのだけれど、飛ばし過ぎてわけがわからなくなって戻ったり、酔っぱらって読んだら次の朝まったく覚えてなくて戻ったりと、散々なことになった。悪い意味でイーガンに慣れ過ぎちゃったのかもしれない。

第2部での予告通り、第3部は露骨な感じにエンターテイメント寄りなストーリー展開が意識されているようで、いきなりの危機脱出サスペンス。このくだりは不要なような気もしたが、社会情勢の紹介という位置付けなのかも。なにしろ、第2部から何世代も過ぎているわけだからね。第2部で萌芽が見えた現象がとっくに常識となっていて、それがラミロの思想にも関連付いているのだ。このあたりは読み終わってから気が付いた。

そして、今回の主題である“時間の矢”。これに関しては思考実験としては面白いけれども、どうにも納得がいかない。解説の例にある砕けたコップの逆回しも、小説内に出てきたまとわりつく砂粒も、ありえない話に思える。確かに、運動方程式は時間に対して対称的なのだが、砕けたコップの破片が動き続けないのも、蹴散らした砂粒が等速運動を続けないのも、摩擦や何かでエネルギーを失っているからだろう。ならば、逆向きに破片や砂粒が動き始めるためのエネルギーはどこから来たのか。まさしく、マジックだよ。

そもそも、光速が不変の定数であることを前提にしたアインシュタイン方程式やシュレーディンガー方程式が、光速が可変で、それによって時間が方向性を持つような世界でも成り立つとした仮定が矛盾しているのかもしれない。E=mc2なんて、cが可変ならばエネルギー保存則も成り立たないわけで、常識が通用しないのも当たり前だ。そこは真空が持つエネルギーで補完されるとしても、フィクション上ですら信じることができなかった。

もう、この時点になると、そうなっているからそうなのだと、思考実験をすっ飛ばして“信じる”しかなくなってくる。

そういう難しい超物理学を読み飛ばすと、やっぱり一番のミステリであり、今回の主題は、誰が石碑を刻んだのか(もしくは刻むのか)という問題。

イーガンの主張は、タイムパラドックス的には決定論の一種と言えるかもしれない。シュレーディンガーの猫的に、観測された時点で過去(でなはなく因果)が収束するというのは興味深いし、理解できる。しかし、タルクイニアが岩を刻もうとしてもできなった件はどう解釈すべきなのか。もしかしたら、人力じゃなくって、もう一度爆弾を爆発させたら違う結果になったのか。この辺りは、物理法則以上の何かを想定せずにはいられなくて、イーガンでさえ宗教的な軛に囚われている気がするんだよね。いや、もしかして、これもわざとなのか?

そんなこんなでクライマックスを迎えるわけだが、ここで残りはわずか数ページ。あれ、そもそも彼らは母星を救えるのか、第4部へ続くのか……と焦っていたら、最終章の数ページで感動的なラストが待っていた。いや、もう、すべてをすっ飛ばして、この章だけあれば良かったのかもしれない。

思えば、6+6の12世代(だよね)、人間に換算すると300-400年。母星を救うために、自分たちの子孫を含め、大きな賭けに出たものだよな。世代宇宙船と言えば、SFでは大抵、当初の目的を忘れて退行してしまうものだ。ほら、頭が二つのエイリアンになったり、世界の目的地を忘れてしまったりさ。しかし、ヤルダの子孫たちは、度重なる危機を乗り越えて、当初の目的を越えて、遥かな旅路をやり切ったのだ。母星のことを忘れず、自らの生命を賭けて

その世代を超えて受け継がれた意思の強さは素晴らしい。なにより、そこに感動した。

 


[SF] SFが読みたい! 2017年版

2017-04-12 23:00:15 | SF

『SFが読みたい! 2017年版』 S-Fマガジン編集部 (早川書房)

 

かなり今さら。(もう4月も中旬です!)

表紙の「好きなものに順位をつけるなんて くだらないと思います」が笑わせてくれるが、BEST SF 2016の結果を見るとなかなか趣深い。なんと、国内SFの10位までに出版元のハヤカワが登場しないのだ!

ハヤカワが国内ベスト10から漏れたのは、例の“冬の時代”の1998年以来だそうだ。

とはいえ、SF全体が沈んでいるわけではなく、創元や河出なんかは大当たりだし、結果的に見れば講談社の頑張りが目立つ。“冬の時代”は、非SFの隆盛のためにSF専門出版が沈んだんだけれども、今はそういうわけでもなさそう。

思えば、1959年のS-Fマガジン創刊以来、60年代にSFの春を迎え、70年代がSFの夏。80年代は豊穣の秋だったものの、90年代に冬を迎える。ゼロ年代に再び春を迎え、伊藤計劃、円城塔が登場。そして、10年代の夏が今まさに終わろうとしている……のかもしれない。

SFが隆盛でセミもまだ元気に鳴いているけれども、よく聞くと鳴いているのはミンミンゼミやアブラゼミではなく、ヒグラシやツクツクボウシで主役交代といった感じか。まったく、比喩としても良くできたものだ。

ただ、海外SF専門のイメージがあった創元がここまで日本SFに力を入れてきたのは驚きだ。やっぱり創元SF短編賞以来、日本SFを牽引してきたのは東京創元社なのかもしれない。

「2010年代前期ベスト」なんていう中途半端な企画で、もっとも活躍した作家として言及されているのが第1回の宮内悠介と、第2回の酉島伝法というのが象徴的。たしかに、これに自費出版出身の藤井太洋を入れた3人が10年代のSF三銃士。

一方、ハヤカワSFコンテスト組は柴田勝家と草野原々のキャラクターが先行してカオス状態に。個人的には嫌いじゃないけど、時代の中心となる雰囲気では無いよな。他の受賞者にも頑張ってもらわないと、日本SF新人賞並みの不作とか言われそう。いや、さすがにそこまでではないか。

さて、個人的な話をさせてもらうと、BEST SF 2016の国内篇で読んだのは、なんと円城塔の『プロローグ』のみ。いろいろ生活が激変した年だったこともあるが、読書傾向が主流と外れてしまった感じ。

1位の上田早夕里『夢みる葦笛』は短編集。基本的に長編志向だったのもあり、ノーマーク。2位の宮内悠介『スペース金融道』は《NOVAシリーズ》で読んだし、そんなに好みでも無かったので見送り。3位の奥泉光『ビビビ・ビ・バップ』も、SFプロパー外でもあり、ノーマーク。

S-Fマガジンが隔月刊になった影響なのか、個人的な情報収集能力が落ちているのか、『夢みる葦笛』が凄いとか、『ビビビ・ビ・バップ』は必読とか、全然聞いた覚えがないのだよな。未読の中で読まなきゃと思っていたのは宮内悠介『彼女がエスパーだったころ』くらい。

SFの出版点数は増えていると聞いているけれども、セカイが広がり、探索能力が落ちているのであれば仕方がないのか。そしてもちろん、こういう発見のために『SFが読みたい!』を毎年買っているわけですよ。

ちなみに、海外篇は積読を含めれば8勝2敗の好成績。残り二つも評判を聞いたうえでの見送りなもので。

ただ、こっちはこっちで、1位はエリスンだし、4位にティプトリーだし、昔の名前で出ていますって感じが多すぎ。挙句の果てに、「クラシックSF」なんてサブジャンルもできてしまった。ここが一番面白そうに見えるというのはおかしい。わしもおっさんに、いや、おじいさんになってしまったものだ。

 


[SF] 霧に橋を架ける

2017-04-10 22:08:37 | SF

『霧に橋を架ける』 キジ・ジョンスン (創元SF文庫)

 

積読消化。

なぜか、長編、もしくは連作だと思っていて、S-Fマガジンに掲載された分の前後譚が載っているものだと思っていた。ああ、あれ読んだし、と思って後回しにしていたのだけれども、読み始めてから短編集だと気づいて驚いた。それだけ、表題作が衝撃的だったということだろう。

他の収録作についても、S-Fマガジンで初訳のものが多い。明記されていない作品も、なんだか読んだ気が。「ポニー」も、「噛みつき猫」も初読みとは思えないんだけれど、これはデジャブという奴か。

キジ・ジョンスンの作風は、教義のSF(Scientific Fiction)というよりは、《slipstream》や《Strange Fiction》に分類されるべきものではないかと思う。しかし、個人的にはその手のものを大抵は面白く思えないのに、彼女の作品には拒否反応が全くない。

たとえば、「26モンキーズ、そして時の裂け目」では、猿たちが消える理由も、消えた間にどこに行ってるのかも、まったく解明されない。そして、猿たちがこんなに高い知能を持っているかのように見えるのが事実なのか、錯覚なのかも明らかにされない。それでも、“SFとして”違和感が無いのは、彼らに対する主人公の考え方、スタンスが明確であるからなのかもしれない。

「26モンキーズ(略)」の主人公エイミーは猿たちの行動に対し、理由はあるけれども自分にはわからないと結論付ける。このスタンスが実に重要なのだ。理由は無いのではなく、理由はあるけれども、自分にはわからない。

実は、科学的考え方というのは、このスタンスに非常に近いのではないかと思う。科学の本質は理由の解明ではなく、現象の観察にある。相対性理論はそれ自体が疑うべきではない真実なのではなく、実際の観察と一致して初めて意味を持つ。科学者が言えることはただひとつ、観測された現象には説明可能な理由があるに違いないということだけだ。

異世界の土木SFとして話題になった表題作にしても、橋を架けるべき“霧”に関しては何の説明もされない。舞台が“どこ”なのかも明らかにされない。しかし、そこでは、“霧”の存在以外物語は(敢えて科学的とは言わず)論理的に進む。そこで繰り広げられるのは、普遍的な変化と喪失の物語であって、決して“霧”の正体解明ではない。

しかし、物語のラストでは、主人公の一人は“霧”の先の海を見たいという夢を語る。

SFはIF(もし)の文学だと言われる。もし、猿が消えるなら。もし、“霧”が世界を分断していたなら。もし、犬たちが言葉を話し始めたら。かつて、野田昌宏は言った。「大嘘はついても、小嘘はつくな」。

ジョンスンは最初に大嘘を吐いた上で、そこから論理的に導かれる物語によって、普遍的なテーマを描いている。だからこそ、SFファンにも受け入れられる《Strange Fiction》を書くことができるのだろう。

 


[SF] すばらしい新世界

2017-04-05 22:38:31 | SF

『すばらしい新世界〔新訳版〕』 オルダス・ハクスリー (ハヤカワ文庫 epi)

 

伊坂幸太郎の帯文ではないが、本当に「どうして今まで、この本のことを教えてくれなかったのか」。いや、さんざん教えられてたけどな!

実際、古すぎて読みずらい小説なのだろうと思って敬遠していたのだけれど、今回は大森望の新訳ということもあり、ものすごく読みやすかった。雰囲気的には完全にレトロSF=黄金期SFの世界。しかし、これが書かれたのは40年代にアメリカでSFが勃興する前の1932年なのだよね。第二次世界大戦よりも前だなんて信じられない。

人工授精と人工子宮による出産。家庭ではなく社会による子育て。遺伝子レベルからの社会階層への最適化。睡眠学習による洗脳。SF的なネタを上げていけばきりがないくらいに溢れていて、社会的な問題意識も全く古びていない。

そう、ここはまさしく、伊藤計劃が『ハーモニー』で描いた世界。清潔で、健康で、誰もが幸福な社会。

同じようにディストピアSFの古典とされる『一九八四年』と比較しても、あっけらかんとした明るさが特徴的だ。この社会の市民は誰もこの世界に不満を持っていない。そもそも、この社会はディストピアなのだろうか。

主人公のひとり、バーナードは胎児の時期に不幸な事故によりアルコールにさらされ、胎児性アルコール症候群の影響を受けて発育不全ではあるが、自分の出生に対しての呪詛はあるものの、社会に対する不満や疑問は無い。「幸福は義務です」などと言う必要も無い。なぜなら、みんなが幸福だからだ。

あえて言わせてもらえば、“世界一幸福な国の欺瞞”とも本質的に同じものかもしれない。

これまた不幸な事故により、この社会の外で野人として育てられたジョンは、この社会に適応できずに精神を蝕まれていく。しかし、それは社会への不適合が原因であり、この社会がディストピアであるからではない。これって、すごく重要な視点だと思う。

現代社会に生きる我々は、この社会はおかしいと簡単に切って捨ててしまえるけれども、果たしてそんなに簡単なものだろうか。『すばらしい新世界』が我々の社会とは異なるところは指摘できても、この社会がなぜ間違っているのかをきちんと説明できるひとは少ないのではないか。

たとえば、共働き世代の増加、若年層の貧困により家庭での子育ては崩壊しており、社会での子育てが必要という意見は、今まさに現代の日本で議論されようとしている問題ではないのか。

あるいは、現代日本でも、あそこの家の子とは遊んじゃいけないと睡眠学習のように親から刷り込まれることが、いじめや格差の固定につながっているのは同様ではないのか。

『すばらしい新世界』は、理想的な社会とは何かを考えるうえでも、現代日本社会が抱える問題について考えるうえでも、ものすごく参考になるテキストだと思った。

そしてふたたび、この小説が80年も前に書かれたのだということに、あらためて驚愕するのである。

 


[SF] S-Fマガジン2017年4月号

2017-04-05 21:40:37 | SF

『S-Fマガジン2017年4月号』

 

すでに時期外れになってしまったが、2017年の4月号。ベスト・オブ・ベスト2016。とはいっても、昨年の振り返り記事があるわけでもなく、『SFが読みたい 2017年版』のベストSF上位作家の作品が3作掲載されているのみ。編集後記の(塩)氏の負け惜しみが特集記事の代わりだったりして。

そんなわけで、野崎まどの初アニメ脚本作である『正解するカド』や、鷹見一幸の『宇宙軍士官学校』第一部完結の記事の方が印象に残ったくらい。

「ベストSF 2016」については、いずれ『SFが読みたい 2017年版』の記事で。(いつだ!)

 


○「ルーシィ、月、星、太陽」 上田早夕里
オーシャン・クロニクルの最新作。プルームの冬の雪解けの物語。シリーズ全体のエピローグ的な位置付けかとも思ったのだけれど、ルーシィ篇もここから続くのか。そうなのだとしたら、この先に何が待っているのか、かなり気になる。

○「ちょっといいね、小さな人間」 ハーラン・エリスン
結末が二つも付いていて、ちょっといいね。後者の結末の方が好きだけれど、ちょっと陳腐。前者の結末の方が綺麗な終わり方だけれど、ちょっと唐突。

○「エターナル・レガシー」 宮内悠介
AIに置いていかれる棋士の焦りと諦め。レガシーvsレガシーの心意気。なんだかとても胸に来るが、良く考えると馬鹿馬鹿しい話だ。AIによるゲームプレイは、勝つことが目的を越えて、楽しむことが目的というところまで来ているのかもしれない。それでも、まだAIは東大に合格できない。

○「オールド・ロケットマン」 鷹見一幸
苗字が微妙に似ているせいで親近感があるものの、『宇宙軍士官学校』は未読。そのスピンアウトということだけれど、状況が良くわからず。最後に「地球の緑の丘」を引用したら、みんな泣くと思うなよ。いや、泣くけど。

○「最後のウサマ」 ラヴィ・ティドハー
こういう話なのかなと考えながら読んでいたら、まさにストレートな解釈が本文中にもあるという親切設計。たしかに世界で起きていることはその通りなのだけれど、ではどうしたらいいのだと。

○「ライカの亡霊」 カール・シュレイダー
これまたある意味レガシーな。そういえば、《気球世界ヴァーガ》ってどうなったのよ。

○「精神構造相関性物理剛性」 野崎まど
物理剛性は箸袋にかかっているんだと思うけど、『正解するカド』像に忠実とはどういう意味か。残念ながら、アニメを見る暇はなさそうだ。

○「らくだ」 椎名誠
エッセイのコーナーのはずが、なぜか今回は短編小説。いや、あやしい彼のことだから、本当にラクダの子宮に入って旅したことがあるのかも。

○「プラスチックの恋人」 山本弘
結局、ヤラないのかよ。それじゃやっぱり、子供とヤル奴は変態ということかよ。

○「忘られのリメメント」 三雲岳斗
新連載開始。情報量が多くて、たぶん次回まで覚えてられない。

○「製造人間は主張しない」 上遠野浩平
〈後篇〉のはずが、タイトルが変わるという不思議。これでシリーズ完結? 書籍版で読み直さないと、何のことやらさっぱりわからず。

○「とある日の月と翻訳機」 宮崎夏次系
日本語どおしでも通じないんだから、絶望的に無理。

○「航空宇宙軍戦略爆撃隊〈後篇〉」 谷甲州
やっぱり、連載は厳しい。ついていけてない。

○「白昼月」 六冬和生
バグ出して大騒ぎの時だけ張り切るヒトを思い出した。あれも脳内麻薬でぶっ飛んでたんじゃないかね。