神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] NOVA+ バベル

2014-12-25 23:59:59 | SF

『NOVA+ バベル』 大森望責任編集 (河出文庫)

 

第34回日本SF大賞の全候補作家+その場に居合わせた関係者に、『NOVA』で特別賞を受賞した大森望が持ちかけて復活したという“書き下ろし日本SFコレクション”。

相変わらずの顔の広さと原稿取り付けの交渉力には恐れ入る。このレベルで毎年出版されたら、星雲賞日本短編部門をしばらく独占できそうな勢い。

しかしながら、メンバーが豪華なだけに、これがこの作家陣のベストなのかと言われれば、そんなことはなく、食い足りなさが残った。

その先のビジョンを見たいと思う作品が多く、アンソロジーの限界を見た気がする。このアンソロジーはショーケースにすぎず、その作家の本気を見たければ、さらに深みへ進め。


「戦闘員」 宮部みゆき
その昔、海外ドラマ『V』の初回を見て背筋がゾクゾクした感覚を思い出した。誰も知らない侵略を、自分だけが気づいてしまったレジスタンスたち。あっちのドラマは続編やリメイクも含めてグダグダだけれど、冒頭の気づきだけを見せるところで留めるところが上手い。

「機龍警察 化生」 月村了衛
機龍警察のスピンオフ短編ということだけれど、これだけ読んでも何のことかわからないんじゃないか。シリーズ中のいちエピソードとしても、位置づけが不明で、何が起こっているかの全貌はよくわからない。何かの胎動が窺えるだけ。

「ノー・パラドクス」 藤井太洋
この人がこんなバカSFを書くんだという驚き。不思議なギアチェンジで物語の位相がコロッと変わっていく感じもおもしろい。しかも、タイトルにもなっている「ノー・パラドックス!」の強引さもヒドい!

「スペース珊瑚礁」 宮内悠介
Twitterで流行った「……聞こえますか」とか、「千年は大丈夫と千年前の人が考えたんだろう」とか、ツボに入るネタが多かった。ちょっと行き当たりばったり的な展開なのが気になったけど、それもバカっぽくて良い。

「第五の地平」 野崎まど
バカSFとしてはこれが最強。なんでチンギス汗なのか。なんで草原なのか。ロケット花火の後に、なんであっさり宇宙開発に成功してしまうのか。地平線の果てまで行きたいと、地平線の果てまで征服したいは違うと思うんだけど、まあいいか。

「奏で手のヌフレツン」 酉島伝法
完全に確立された酉島ワールド。造語の氾濫についていけず、視覚的に想像しがたい部分もあるが、現実を特殊なグラス越しに見た異様な世界に感じる。SF的には小惑星内を刳り貫いた空洞世界に発達した奇想天外な生態系であり、イーガンの『白熱光』への酉島的アンサーとも言える。

「バベル」 長谷敏司
中近東の急激な発展と、それに伴う歪みがテロとなって噴出する理由をシミュレーションで解き明かした男の話。社会的ストレスを解消するために良かれと思って行うことが新たなストレス源となり、悪循環を作る。メカニズムが見えたとしても解決策は無く、無力感と焦燥感が募る。

「Φ(ファイ)」 円城塔
宇宙が次第に縮小していくに伴い、残り段落が、そして、残り文字数が少なくなっていく話。途中に、この宇宙は書物だという分析が入っているので、そこが伏線、というかネタそのもの。数の定義を宇宙とし、その変換を物語にした的な何か。

 

 


[SF] ニルヤの島

2014-12-16 00:10:01 | SF

『ニルヤの島』 柴田勝家 (ハヤカワSFシリーズJコレクション)

 

復活したハヤカワSFコンテストの第2回大賞受賞作。著者の柴田勝家は風貌やたたずまいがあまりにも“武士”なためにネットでも話題騒然。

SFマガジンの著者インタビューなどを読んで、著者のキャラクターだけでなく、作品も面白そうだなと勢い込んで読み始めたのだが、困ったことに、俺の苦手なタイプの小説だった。

近未来を舞台としてSF的ガジェットがふんだんに使われているわりに、かなり人文科学よりのSF。

4つのパートが交互に語られる形式になっているのだが、このパートどうしのつながりがわかりづらい。

はじめのうちはケンジ=タヤだと思っていて混乱したし、タヤに関わる少女も複数いるし、そうすると、少女の母親も当然のように複数いるわけで……。しかも、別名、仮名、襲名の罠が仕掛けられている気がする。いや、読み間違っただけなのかもしれないけど。

そもそも、生体受像とか、主観時間とかとやらで時間軸が入り乱れているせいで、どことどこがつながっているのかわかってくるのは、本当に終盤に入ってから。

途中までは五里霧中の中、手探りで進んでいるうちに、サーッと霧が晴れていく感じは悪くないのだけれど、あまりに不親切で、途中脱落する読者は少なくないんじゃないか。

DNAによる演算処理の理屈はよくわからなかったが、これはただの文学的装置だと思っていいんですかね。科学的にあり得るかどうかは別として、そういうものだと受け入れろと。

そういうガジェットよりも、ひとの意識が主観時間として再生可能ならば、そして、その体験をミームとして他人に移植可能ならば、この物語を再生しているのが誰なのか。

もしくは、これを再生しているのが“読者”だとするならば、なぜこれを再生(たとえば、伊藤計劃の『ハーモニー』みたいに)させているのか。

というところに興味があったのだけれど、最終的にはテーマそのものに直結した、悪く言えば、そのまんまじゃないかというところに落ち着いてしまった。

テーマとしては科学技術の進展に伴う天国と地獄の喪失と、新たな死後の世界の獲得をミーム(模倣子)を絡めて描いた作品ということになるのだろうけれど、なかなかこのテーマに共感しづらいところがなんともかんとも。

興味深くはあるのだけれど、熱狂的に惹きつけられるわけではないという感じ。

結局のところ、複雑に絡み合った物語の構造を解き明かすというパズル的な読み方しかできなかったのは、著者にとっても残念なことでござろう。

 


[SF] 突変

2014-12-16 00:04:16 | SF

『突変』 森岡浩之 (徳間文庫)

 

ある区域内だけが突然裏返り、裏地球へ移動する。これが突変現象。この異変に見舞われた人々の顛末を描く物語。なわけだが……。

ハリウッド映画ならば、裏地球の凶悪な生物に対し、ショッピングセンターに立てこもってドンパチやるのが定番。そして、仲間割れの果てに主人公家族だけが外の世界に出て行ってサバイバルを始めるとか(笑)

ところが、この物語ではそうはいかずに、なんとも日本的な展開。

過去に発生した突変現象を元に、法律で定められた銃器管理者が、頼りなかろうがニートだろうが美少女好きだろうが、ここでは唯一の正義。

しかも、法律で想定されたよりも変異範囲が狭かったために、統率をとるはずの地方自治体は範囲外でついてきておらず、町内会長が責任者に祭り上げられる始末。最大の物資管理者であるスーパーマーケットの店長も、責任逃れに汲々とする状況。

唯一の希望は、予備環境警備官である家事代行業の女性スタッフぐらい。

そこに救助として現れたのは、以前に突変現象に巻き込まれて、裏地球に移動していた関西地域の商人。彼らは独自に法律を作り、会社が会社員になるという連名会社を組織し、独自の経済圏を作り上げていたのだ。

と、使い古されたテーマでありながら、ちょっと意外な展開を見せる物語。さらに結末へ向けてもうひと捻りあって、なかなか感動的なエンディングを迎える。

とはいえ、彼らの困難はこれからなのだろうけど……。

個人的には、最初に何の準備も無く突変に巻き込まれ、多大な犠牲を出した久米島で何が起こったのかの方が、読みたいような、怖くて読みたくないような。

生存者の一人である伏原の言動の端々から推測される悲惨さ、悲壮さと、酒河市花咲ヶ丘3丁目町内会のまだまだ日常の延長にあるギャップは注目すべき。

テーマは家族ということなのだろうけれど、さて、伏原の家族は……。

 


[SF] SFマガジン2015年1月号

2014-12-15 23:51:11 | SF

 

『SFマガジン2015年1月号』

 

今号は「円谷プロダクション×SFマガジン」。

円谷英二氏の来歴も初めて読んだので興味深かったが、やはり《TSUBURAYA×HAYAKAWA UNIVERSE》と題された短編3篇が面白かった。三者三様のアプローチで円谷プロ作品のオマージュというか、二次創作を行っている。

何がおもしろいって、著者三人の魅力がそのまま作品に反映されているということ。それだけ、この三人にとって円谷プロ作品というのは血肉になっていて、自然な形でアウトプットできるということなんだろう。極端な話、普段書いている作品の固有名詞を円谷プロ作品由来のものに変えるだけで済むのかも。

第2回SFコンテストの発表は柴田勝家氏のご近影がすべて持っていった感じ。噂通り、どう見ても武将。これはペンネームを変えなくて正解だ。アップになると意外につぶらな瞳がかわいい感じ。

講評を読む限りは、大賞候補作のどれも読みたい気がするのだけれど、中でも一番地雷っぽいものが次に出版されるとのことで、いろいろな意味で楽しみ。

そして、噂のSFマガジン隔月化のお知らせ。縮小ではなく、発展的な方向でとのことなのだけれど、具体的にどういう方向に進むのかさっぱり見えない。アニメやアイドルとのコラボで、誌上もいろいろとおもしろくなってきたところなので、メディアミックスや電子化を主戦場にしていくのだろうか。

 


「多々良島ふたたび」 山本弘
ウルトラマンのいちエピソードから、なぜガラモンの小型版のピグモンが……などの疑問を解消する山本弘らしい解決編。あれがあれでこれがそれなのね、という感じでいろいろつながっている。わかったつもりになっていても、wikipediaとかを読み直すと新たな発見があるかも。

「宇宙からの贈りものたち」 北野勇作
これまた北野勇作的な怪しいホラー。あとがきのようになっているエッセイも、とても共感できる。

「マウンテンピーナッツ」 小林泰三
悪乗り版の小林泰三。ちょっとあまりに露骨すぎるのはどうかと思うが、ジャミラの扱いは涙無しには読めません。

「長城〈前篇〉」 小田雅久仁
あれ、ホラーとしては前篇だけで完結してもいいような感じ。後篇はこれの謎解きでもするのか?

 

円状塔の連載はどんどん意味が分からなくなっている。これは単行本で読み直し必須。
神林長平の連載は、意表を突く爆弾発言で、こちらもどんどん訳が分からなくなっていく。
谷甲州の連載も相変わらず細切れのエピソードで、連作だとしてもどうつながるのかがわからない。あるいは、つながらない群像劇で終わるのか……。

 


[SF] PSYCHO-PASS サイコパス/0 名前のない怪物

2014-12-15 23:45:40 | SF

『PSYCHO-PASS サイコパス/0 名前のない怪物』 高羽彩 (角川文庫)

 

アニメ『PSYCHO-PASS』のスピンアウト小説。同内容のドラマCDもあるが、どうやら小説の方が先に発表された模様。

『PSYCHO-PASS』そのままのノベライズの方ではあまり感じなかったのだけれど、どうにも文章が稚拙に思える。感情表現とかが直接的(もしくは教科書的)で、書き馴れていない感じがありありと。それでも、こっちの方がマシという感想も読むので、ノベライズの方はアニメを見た記憶により補正されているのかも。

こっちも、ドラマCDを聞いてから読むと気にならないのかもしれない。会話文はそれなりにうまいと思うし。

そういう文章の問題よりも気になるのが、果たしてこの小説はアニメのプロットに、足りないピースとしてちゃんとハマるのかということ。

狡噛と佐々山は、本編では親友だったような描かれ方をしているが、この小説だと、二人が理解しあって間もなく佐々山は殉死したように思える。二人の関係性を描こうとしすぎて、時間経過がおかしくなっていないか。

藤間幸三郎の件もそうで、事件がそんなに前の話なのであれば、そのとき槙島はいったい何歳だったのか。狡噛と槙島は同年代に見えたけど、槙島って若作りなジジイなわけ?

また、本編ではチェ・グソンや泉宮寺といった協力者の存在があり、槙島の犯行に係わっていたことがわかるが、標本事件の薬剤はいったいどこから出てきたのか。しかも、その薬剤は標本事件発覚の何年も前、藤間が少年時代に藤間の手に渡っていたということは、槙島の活動はそれ以前から始まっていたことになるが、これも時間経過がおかしいような気がする。

そんなこんなで、いまいち乗れない小説だったよ。

 


[SF] PSYCHO-PASS サイコパス

2014-12-15 23:38:54 | SF

『PSYCHO-PASS サイコパス(上下)』 深見真 (角川文庫)

 

SFマガジンに乗せられて観たアニメがあまりにも面白かったので、ノベライズ版まで買ってしまった。

昔々は、ノベライズといえば、著者が妙なオリジナリティーを出して改変するのことが多く、複数のノベライズで結末が違うとかが普通にあった気がする。

しかし、時代は変わったのか、このノベライズの著者がオリジナル脚本家のだからか、これはほぼアニメそのまま。復習するには充分だったし、結末を知っていながら燃えた。

しかも、アニメを見たのは新編集版だったので、例の事件でカットされてしまった第7話・第8話の内容も確認できた。っていうか、ここで出てきてんじゃんユーストレス! こんな大事なシーンをカットするなって、困ったものだ。霜月の登場シーンも大幅カットだし、いくら現実に起こった事件と似ているからって、深夜アニメだぞ。

さて、この作品をSFとして見た場合、やっぱりシビュラ・システムにネタは集約されるだろう。そして、読者に突きつけられるのは、主人公の朱の台詞に集約されるだろう。

「法が人を守るんじゃない。人が法を守るんです!」

これは現代社会においても深い意味を持つ言葉だが、シビュラシステムが支配する社会において、こう書き換えたときにどのように意味が変わるのかを考えてみるとおもしろいんじゃないか。

「システムが人を守るんじゃない。人がシステムを守るんです!」

あるいは、

「社会が人を守るんじゃない。人が社会を守るんです!」

シビュラとは何か、何であるべきなのか。アニメの第二期も佳境に入ってきた中で、いろいろ考えている。

ところで、最初から疑問なのだが、常守朱って、いくら理屈をつけようとも、どう考えても免罪体質者だよね。犯罪を犯さない強い倫理感のせいで槙島や鹿矛囲と一線を画しているだけに過ぎないように見える。

で、エラーによって犯罪係数が低くしか出ない免罪体質者がいれば、その逆の、エラーによって犯罪係数が高くしか出ない体質もあるわけだよね。それが縢と。

そうするとやっぱり、システムに守られない人物はシステムを守る必要はあるのかという問いは必然的に発せられる。

しかし、守るべきは社会だと理解すれば、また解釈は変わっていくわけで。

と、まぁいろいろと考えさせられる作品ではあるよな。

 


[SF] 売国妃シルヴィア

2014-12-15 23:28:26 | SF

『売国妃シルヴィア グイン・サーガ134』 宵野ゆめ (ハヤカワ文庫 JA)

 

著者が宵野ゆめということで、なんと外伝『宿命の宝冠』のアウロラが登場。なるほど、こういう展開もありということは、草原篇の久美沙織も正篇登場に期待したいところ。

グイン・サーガ・トリビュート・コンテストの時もシルヴィアネタが多くて意外だったのだけれど、今回は正篇においてもシルヴィアが焦点のひとつ。

もともと、あまり内面が描かれることが無く、ユリウスにたぶらかされて暗黒面に堕ちましたという紋切型の説明しかされなくなって、いわば冷遇されていただけに、空白の内面を埋める余地が多いというところは題材として魅力的なのかもしれない。

そして、創作ノートを残さなかったと言われる栗本薫を引き継ぎ、これまでに既刊の巻に残された“予言”を頼りに、グイン・サーガの未来が引き継がれていく様子は、相変わらず感動的。

そんな些細な文章は覚えていないし、そもそも最初の方の巻は実家の段ボールの中だからすぐに読み返すこともできないのだけれど、あとがきで「ここにこんなことが書いてある(要約)」なんてことを書かれた日には、背筋がゾクゾクしまくりですな。

で、そのシルヴィアなのだけれど、〈青ガメ亭〉での受け入れられ方が、オクタヴィアの〈煙とパイプ亭〉での受け入れられ方に重なる。このあたりも、パクリと言うより伝承に思えて好意的に捉えられる。

もうひとつの焦点である選帝侯会議のドタバタは、栗本薫ならばこれだけで数巻引っ張ったような気もするが、そこまでは再現しなくてもよい(笑)

《世捨て人ルカ》の予言の意味、シルヴィアとパリスの行方、ケイロニアの今後と、物語は収束するどころか新たな局面へと急加速で飛び込んでいく。

正直に言うと、正篇の復活には大いに不安だったのだけれど、こういう形でグイン・サーガを継続してくれている天狼プロジェクトと宵野ゆめ氏に感謝したい。

……なんて言うと、またプレッシャー?

 


[SF] SFマガジン2014年12月号

2014-12-15 23:15:13 | SF

『SFマガジン2014年12月号』

 

メイン記事はR・A・ラファティ生誕100年記念特集。

ラファティの未訳短編からインタビュー、エッセイ、さらには、浅倉久志の英文エッセイの逆翻訳と、いつも以上にバラエティに富み、質も量もすばらしい特集になっている。

惜しむらくは、俺がラファティのファンじゃないというところだ。

とにかく、ラファティの文章が良くわからない。おもしろいとか、おもしろくないとかいう前に、何が書いてあるのか理解できない。なので、新しい視点に慣れてないとか、そういう内容以前に、文章の問題なんじゃないかと思う。

今回掲載の3作品は、後に行くほどわかりやすいが、その反面、面白味も薄れているような気がする。いや、まぁ、俺なりの解釈ではあるのだけれど。

最初の「聖ポリアンダー祭前夜」は単語をランダムに並べただけかと思うくらいに、まったくわからないレベル。次の「その曲しか吹けない」は結末だけわかって、それによって何が書かれているのかがわかるレベル。最後の「カブリート」はそれなりにわかりやすいホラ話。

ラファティのインタビューに出てくる宗教観のあたりを読むと、キリスト教的な考え方が理解できないと、ラファティの小説は読めないような気もするが、それじゃ、これだけいるファティファンはキリスト教的考え方が染みついているのかというと、それも考えづらいんだけどな。


「聖ポリアンダー祭前夜」 R・A・ラファティ
何が何やらさっぱりわからない。文章が頭に入ってこないし、基礎知識も足りていない気がする。

「その曲しか吹けない――あるいは、えーと欠けてる要素っていったい全体何だったわけ?」 R・A・ラファティ
結末一文によって小説の全体像をひっくり返すタイプの面白さ。

「カブリート」 R・A・ラファティ
ただのホラ話に読めるのだが、解釈の余地があるくすぐりがあるのはわかる。

「About a Girl〈後篇〉」 吉上 亮
あいかわらず、読んでいるだけで、いろいろな意味で色相が濁りそう。社会がひとを助けるのではなく、ひとがひとを助けるのだという思想は諸刃の剣のような気もする。そもそも、社会がシステムと同一化されているというところが、SYCO-PASS的ディストピアの根源なのじゃないか。