神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] 爆発の三つの欠片

2017-02-23 22:00:11 | SF

『爆発の三つの欠片』 チャイナ・ミエヴィル (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

 

日本においては、イーガン、チャンと並び称される現代SF界の巨星、チャイナ・ミエヴィル。その最新短編集。

 

先に個人的な話をするが、断片的な小説が苦手である。というか、嫌いである。

SF的な発想を喚起するシーンが描かれたはいいが、それで終わってしまう。そういう短編小説が嫌いだ。

だって、ずるいじゃないか。風呂敷を広げていくのは楽しいが、それをきれいに畳むことの難しさは誰にでもわかるだろう。途中で風呂敷を広げ過ぎた結果、結末を付けられずに駄作で終わってしまった作品も珍しくない。

それならば、結末を付けなければいいのだ。

いや、まぁ、そういうわけでもないのだろうけど……。

 

さて、この短編集。あまりにも断片的な作品が多くないか。

映画のトレーラーを模したものなどはその最たるものだけれど、トレーラーを見てワクワクして、本編を観て幻滅したことは無いだろうか。それだけ、魅力的なトレーラーを作ることは、魅力的な本編を作るよりもずっと簡単なことなのではないか。ミエヴィルならば、充分に魅力的な本編を作れるのにと思うと、ちょっと残念だ。

そして、断片ではない作品は、SFというよりダーク・ファンタジーに近い。もっというと、怪談だろ、これ。

ある程度、腑に落ちる話が多く、大嫌いなストレンジ・フィクション的な要素は少ないのだけれど、それでもこれらをSFとしては読めない。

唯一の例外は「山腹にて」かな。これはSFネタとしても秀逸。しかし、それでも、結末はちょっと怪談話のオチっぽい。

一番SF性が強いのは表題作の「爆発の三つの欠片」だと思うのだけれど、これはまさに断片的な欠片でしかないので、まったく評価できない。爆破処理され崩壊しつつあるビルを、高速化により時間が間延びした状態で登頂するなど、なんとスリリングなことだろう。しかし、なんとも断片的で、アイディアメモのレベル。

この短編集の半分以上は、ただのアイディアノート、もしくは、習作なんじゃないかと思う。もうちょっとちゃんと仕事をしてもらえないものだろうか。

 


[SF] アルファ・ラルファ大通り

2017-02-08 20:51:13 | SF

『人類補完機構全短篇(2) アルファ・ラルファ大通り』 コードウェイナー・スミス (ハヤカワ文庫 SF)

 

《ハヤカワ文庫補完計画》における《人類補完機構全短篇》の2巻目。

第1巻における《人類補完機構》の目的が、人類“文明”の復活と繁栄だったのに対し、第2巻では目的は人類“文化”の繁栄に移っていったように思える。

宇宙開発的なネタはせいぜい「酔いどれ船」くらいで、これも第1巻の「大佐は無の極から帰った」の焼き直しであり、再話であるがゆえに発見された宇宙は宇宙3である必要があったわけだが、これ以降の歴史で宇宙3が人類へ影響を与えたというネタは出てこない。

科学技術の発展は文化的に復古主義を呼び、ついには〈人間の再発見〉に至るなんぞ、皮肉が効いている。これは60年代のラヴ&ピース文化や、SFがスペースオペラの時代からニューウェーブの時代へ移り変わっていった影響もあるのだろう。

巻末に収録された「シェイヨルという名の星」に出てくる《人類補完機構》の代表が語る思想は非常に優しい。全体主義ともとれるような、かつての厳格で厳しく、人類原理主義とでもいうべき思想とは大きな隔たりが見える。

しかし、不思議なことに、この短編がスミスの晩年に書かれたというわけではないのだよな。これは、運よく物語がハッピーエンドとなっただけで、《人類補完機構》の背景思想は変わってないと解釈した方がいいのだろうか。

そして、《人類補完機構》といえば忘れてはならない猫少女のク・メル。さらに、犬少女のド・ジョーン。往年のSFファンたちが心酔したヒロインたちである。当時の熱は残念ながらわからないが、ク・メルといえば、シャンブロウと並んでセクシーなキャラクターとして今でも有名なくらいであるから、きっと相当なものだったのだろう。そういえば、コードウェイナー・スミスとノースウェスト・スミスって何となく似てるね。

彼女たちは、ある意味、もえキャラの元祖であり、ケモナーの元祖でもあるわけだが、彼ら下級民の処遇改善の歴史も大きな流れとして語られるべきだろう。

ド・ジョーンの物語である「クラウン・タウンの死夫人」では、まるで『エンディミオン』じゃないかと思ってしまった。語り手が思わせぶりに「凄いことが起こった。何が起こったかはみんな知ってるでしょ」的に意図的に時系列を混乱させているあたりや、もちろん最後の火あぶりのシーンなど、まさにアイネイアーを想起させる。ダン・シモンズは、当然この話を読んでいると思うけれど、同じジャンヌ・ダルクから着想を得たというだけで、関係は無いのだろうか。

そして、解説にも興味深いことがたくさん。訳語が分かれていた“Instrumentality of Mankind”をどのように訳すかということで、伊藤氏と朝倉氏が議論して《人類補完機構》に決まったということも初めて知った。よくぞ、この魅惑的な名前を選んでくれたものだ。

 


[SF] 夜行

2017-02-06 21:06:25 | SF

『夜行』 森見登美彦 (小学館)

 

 

なぜSFカテゴリなのか。森見氏は立派な日本SF大賞受賞作家なのだから仕方がない。直木賞は逃したけどな!

さて、この小説は森見氏デビュー10周年企画のひとつだったはずが、いったい何年目の10周年なのだという、待ちに待った新作である。軽妙な話の多い森見氏にとっては『きつねのはなし』以来のダークな作風、いわば、“裏”登美彦氏の10周年集大成である。

しかし、この、なんとなく釈然としない読後感はなんなのか。まさに、きつねにつまままれた感じだ。

森見氏の作品といえば、道中えらくとっ散らかりながらも、驚くべきことにすべてが落ち着くところに落ち着くという結末の付け方が魅力のひとつなのだと思う。それがどうしたことか、この話は論理的におかしいぞ。

英会話スクールの仲間6人が鞍馬の火祭に出かけた。そこで、長谷川さんひとりが行方不明となった。その10年後、残った5人が再び鞍馬の火祭へ。宿で夕食を食べている間に語られる“4人”の告白。

以下ネタバレ全開に付き注意;

 

 

 

 

 

 

 

 

何がおかしいかというと、まず各話のラストシーンだ。彼らは銅版画の「夜行」に誘われ、怪異に出逢い、そして、飲み込まれようとしていた。そして、そこから帰ってきたという記述はないのだ。怪談のお約束のごとく、尻切れトンボになる。もちろん、語り手がそこにいるのだから、帰ってきていないはずはない。いや、本当にそうだろうか。帰ってきたのではなく、この世界に引き込まれたのだとしたら……。

少なくとも、「夜行」の世界と、「曙光」の世界、ふたつがあるのは確定している。まるで、パラレルワールドのように。そして、中井や藤村はどちらにも存在している。そして岸田も、いや、岸田は「夜行」の世界では死んでいて、「曙光」の世界では生きている。長谷川さんは「夜行」の世界から失踪した。この物語全体の語り手である大橋は「曙光」の世界から失踪した。

まったくもって不思議だ。「曙光」の世界にいた長谷川は「曙光」の長谷川であって、「夜行」の世界から失踪した長谷川ではない。大橋も逆パターンながら同様だ。なのに、大橋は「夜行」の世界から失踪した長谷川に会ったつもりで、安心と失望の入り混じった気持ちでラストシーンを迎える。

いやいや、それおかしいって!

たとえば、第1夜。中井の妻とホテルマンの妻は同一人物であって同一人物ではない。おそらくは、ふたりは「夜行」と「曙光」のように表裏の関係にある。それが、銅版画によってつながった穴によって、語り手側の世界、つまり「夜行」側でクロスオーバーしてしまった。これが俺的解釈。

しかし、そうなのであれば、長谷川もどこかでふたり存在しなければならないはずだ。

そして、尾道の向島に住む少女、リュックにスヌーピーのヌイグルミを付けた少女が長谷川なのであれば、田辺はなぜ天竜峡でそれに気づかなかったのか。それとも、彼女らは別人なのか。

長谷川は銅版画のカギを握る人物であり、おそらく、銅版画の中の女性は長谷川である。つまり長谷川は誰でもあり、誰でもない。

では大橋はどうか。「曙光」の世界から消えた大橋はどこにいったのか。

ここで、「夜行」におらず、「曙光」にいる人物を探せば、なんとなく答えがわかる。そう、岸田だ。

というわけで、「曙光」の岸田=「夜行」の大橋という説を唱えてみたいのだが、はて。

森見登美彦の小説はファンタジックなものが多いが、その内容は実にロジカルである。因果関係もはっきりしていて、オカルティックに逃げてお茶を濁すことはない。そうであるからこそ、この納得のいかなさには隠れた理由があるに違いないと思ってしまうのだ。

決して、結末をつけるのに困ってしまったとか、何年も書いていたので途中で矛盾が出てしまったわけではない……と思いたい。

 


[SF] S-Fマガジン2017年2月号

2017-02-01 22:32:09 | SF

『S-Fマガジン2017年2月号』

 

一度は頓挫しかけた伊藤計劃『虐殺器官』のアニメ映画がついに公開。これに合わせて、ということなのか、単にタイミングがあっただけなのか、ディストピアSF特集。

『虐殺器官』の映画化はもちろん、ハクスリー『すばらしい新世界』、オーウェル『動物農場』も新訳化。ついでにベスター『破壊された男』(創元版の『分解された男』の方が通りがいいが)も登場。しかし、これってディストピア?

折りしも、独裁的なアメリカ大統領が誕生し、世の中は悲観ムード。アメリカでも『一九八四年』が売れ始め、日本のネット界隈では『虐殺器官』はトランプを予言していたと話題になる始末。

特集記事にもディストピアSFにかこつけてトランプ現象をdisるという高級話芸がふんだんに。この人たちは、トランプを支持する人々にとってこの世はすでにディストピアだということが本当に理解できていなかったのだろうか。

だいたい、SFなんて小説だろうがアニメだろうが、ディストピア要素のない物語なんてありやしない。いや、SFだけじゃなく、ディストピア要素の無い物語なんてラブコメぐらいなものじゃないか。

ディストピアSFガイドにおいても、あれもこれもディストピア。本当に、ディストピアって何なんだろう。

誰かにとってのユートピアは、誰かにとってのディストピアだなんて簡単なことに、本当に気付いていなかったのだと。そんなの小学生にでもわかるだろうに。すべての人に幸福が訪れるユートピアだなんて、総論賛成各論反対の最たるものじゃないか。

結局、我々は現実と折り合いを付けながら生きていくしかないのよ。自分にとってのディストピアをできるだけ避けられるように頑張ってはみるけどね。



○「セキュリティ・チェック」 韓松
なんだこりゃ。アメリカで安全と引き換えに失われた自由。それが中国に残っている。が、その中国はセキュリティチェック済み。

○「力の経済学」 セス・ディキンスン
ミームの感染。思想警察。メディアの功罪。いろいろ示唆に富んでいる。

○「新入りは定時に帰れない」 デイヴィッド・エリック・ネルス
タイムパラドックス的にいろいろおかし過ぎてダメ。

○「交換人間は平静を欠く〈前篇〉」 上遠野浩平
いったいこの物語がどっちに向かっているのか、さっぱりわからん。

○「博物館惑星2・ルーキー 第一話 黒い四角形」 菅浩江
師匠と弟子の物語はともかく、芸術とは何かがよくわからん。わからんだらけ。

○「と、ある日の訪問者」 宮崎夏次系
自意識過剰じゃないですか。ありのままで。

○「あしたの記憶装置」 やくしまるえつこ
QRコードを読み込ませてみたら、なんか生活音っぽいMP3が降ってきた。やっぱり、いまいち面白さがわからない。

○「裏世界ピクニック ステーション・フェブラリー」 宮澤伊織
きさらぎ駅も有名になったものだなと。

○「プラスチックの恋人」 山本弘
実は、今回から連載開始されたコレが一番の読みどころなのではないか。セクサロイド系の話は過去にもあるが、いわゆる非実在青少年問題にこれだけ直接的に切り込んだものは初めてのことだろう。二次元児ポ問題に限らず、三次元合法ロリや、AV強要、セックスワーカーの人権問題まで含めて語ることができるのか、今後に期待。