9/20 午後 曇り時々雨、後晴れ
チチェンイッツアの街について、まずはレストランへ。ここでは民族舞踊なるものを披露してくれるとのことだったので、マヤの踊りでも見せてくれるのかと思ったら、これがびっくり。マヤの民族衣装ではなく、メキシコ風の衣装を着た男女が登場し、足を踏み鳴らして踊り始めた。それだけなら普通なのだが、なんとビンやらお盆やらを頭の上に載せてくるくる回し始めた。
こりには驚いたというか、笑った。おそらく、スペイン人の入植後に生まれた文化なんだろうけど、これは「民族」舞踊なんだろうか。
そして、おまちかねのチチェンイッツアへ。ここはセンターも大きく、さすがに観光客だらけ。すっかりジャングルツアーという感じではなくなった。
入り口からピラミッドのある広場まで、まるでお祭りの縁日のようにおみやげ物屋さんが並ぶ。木彫りに石彫り、織物、お皿、Tシャツ、人形、謎の楽器……。みやげ物屋さんの密度はテオティワカンを越えてメキシコ随一かもしれない。
そんな縁日の通りをくぐりぬけると、ドドーンと目の前にそびえるのが大ピラミッド。おお、これが本物ですか!
ここも昔は登れたんだけど、今じゃ遺跡の保護と安全確保のために登頂禁止。じつはウシュマルの魔法使いのピラミッドと同様、このピラミッドも中に神殿が入っているそうで、中のピラミッドも登れるようになっているらしい。今じゃすっかりダメだけど。
カバー、ウシュマルはチャックだらけだったが、チチェンイッツアはククルカンだらけ。いたるとろにククルカンのクビが落ちている。建物の装飾に、それだけたくさん使われていたということだろう。
そして、力の象徴、ジャガー。ここのジャガーも結構風化していて、丸くかわいい感じになってしまっている。
こっちは有名な球戯場の“ゴール”といわれるもの。どう考えても、あんな高いところの、あんな小さい穴に、人類学博物館で見たような生ゴムのボールをくぐらせることが出来たとは思えませんが。あそこになんかぶら下げて、それがゴールだったんじゃないかとか考えたりもするが、それにしてはぶら下げた跡が無いのか。
球戯場では、反響を調べるために拍手をしたり、みんなで並んで声を出したり。偉い人の演説がよく聞こえるように反響させたとのことだけど、試合の歓声も反響ですごいことになっていたのだろう。どんなルールか知らんわけだけど。案外、無言の行みたいなものだったりとか。
これも有名な髑髏のレリーフ、ツォンパントリ。思ってたより小さめ。苔むした感じがおどろおどろしさをかもし出していますが、あんまり怖くないです。完全にデザイン化されているので、巷のギャルが来ている髑髏Tシャツの方が怖い。
ふと見ると、ツォンパントリのそばにチャックモールが。遺跡の中にひとつではなく、結構な数のチャックモールがあるということは、それだけ生贄を捧げる場所があったという証拠なわけだ。しかし、朝に一人、夕に一人、なんとかに一人……と続けていくと、生贄がいくらいても足りないだろうに。生贄に話はどこまで本当なのだろう。
そこから結構な長い小道を通り、セノーテへ。これも見たことある。有名すぎる!
でも、思ったより水が汚い。セノーテと言えば、異常に澄んだ水のイメージがあるのだけど、ここは最初からそういう水なのか、雨のせいか、淀んだ水溜り。というか、馬鹿みたいにでかい井戸。水面まで降りるのも大変そうだ。
ここは「生贄の泉」といわれているんだが、最近の研究では、生贄を頻繁に投げ込んだような形跡は無いというのが定説だったはず。うーむ。やっぱり巨大な井戸か。
ここで急に大雨。ククルカンにはしゃぎすぎて、チャックに怒られた(笑)
しかし、チャックは偉大だ。目の前には屋根つきの休憩所。トイレ休憩、あんど、お買い物タイム。まだ我々はチャックの加護の下にある。
南国のスコールはすぐに止み、再び遺跡巡りを開始。大ピラミッドまで戻る。先ほどとは向きが異なり、ククルカンの顔とご対面。拍手をピラミッドの窓に反響させて、鳥(ケツァル)の鳴き声を出すことに挑戦。見事に成功。
さらに回り込むと、ピラミッドの下が掘られている。チチェンイッツアの大ピラミッドは階段が90×4+1の365段というのが有名なのだが、なんと数えなおしたら一段少なかったんだと。それで下を掘ってみたら、まだ下に何かある!ということで発掘中。ここから何かとんでも無い発見があるかも。
ピラミッドの向こう側には戦士の神殿と、そこから続く列柱の回廊。戦士の神殿の上には、小さくチャックモールが見える。偉大なるマヤの戦士たちの中心地だったのだろうか。
戦士の神殿を横に見ながら、さらに奥地へ。森の中の小道にはやっぱり縁日のような露店が連なる。小道の先は旧チチェンイッツア。比較的古い遺跡の集まりである。
ここに来ると、ククルカンをモチーフにした神殿と、チャックをモチーフにした神殿が混在している。つまりはチャック信仰をククルカン信仰が圧倒してきた歴史を見ることが出来る。
旧チチェンで一番有名な建物といえば、カラコル(天文台)。古代文明で天文学が発達した文明はいくつもあるが、このドーム型の天文台はいかにも天文台といった趣だ。現代の天文台とまったくそっくり。なんというか、適応集中、収斂進化といった感じか。
さて、ふたたび大ピラミッドに戻って、ここからはククルカンの降臨待ち。おりよく、雲は晴れ、黒々とした陰がはっきりと見える。ここから1時間半後。ククルカンは必ず現れる。
なんだかテレビではものすごい人数が押しかけるようなシーンも見たけど、今日は雨がふったせいもあって、人はまばら。それでも、いつの間にか、一列に並び始めた観光客。待機を始めたのが早かったせいか、我々の場所が最前線。
お土産を買いに行ったり、ちょろちょろと写真を撮りに行っている間に遺跡公園の終了時間が近づき、自転車やバイクに乗った係員が観光客を遺跡の奥から羊飼いのように追い出してくる。実はククルカンの降臨が見られるのはいつもの閉場時間後。そこで、降臨のオフィシャル日が決められていて、この区間だけはピラミッドの周囲だけ立ち入りを許されているのだ。
そしてキタ━━━(゜∀゜)━━━!!!
カクカクした影がピラミッドの階段に映り、ゴジラの背中のようなククルカンの姿が……。
……あれ?
やられました。直前で太陽は雲に隠れ、ククルカンは姿を消してしまいました。
やっぱり、チャックとククルカンは仲が悪かったのかね。この旅は雨の中を縫ってのチャックに祝福された旅。ククルカンはちょっとだけ姿を見せただけで終わってしまったのでした。
リベンジ?
そうですねぇ。今回いけなかったオルメカや中央高地、泳げるセノーテとか、そのあたりを含めたツアーがあれば、また行って見たいですね。今度は雨季の秋じゃなくって、乾期の春に。
チチェンイッツアの街について、まずはレストランへ。ここでは民族舞踊なるものを披露してくれるとのことだったので、マヤの踊りでも見せてくれるのかと思ったら、これがびっくり。マヤの民族衣装ではなく、メキシコ風の衣装を着た男女が登場し、足を踏み鳴らして踊り始めた。それだけなら普通なのだが、なんとビンやらお盆やらを頭の上に載せてくるくる回し始めた。
こりには驚いたというか、笑った。おそらく、スペイン人の入植後に生まれた文化なんだろうけど、これは「民族」舞踊なんだろうか。
そして、おまちかねのチチェンイッツアへ。ここはセンターも大きく、さすがに観光客だらけ。すっかりジャングルツアーという感じではなくなった。
入り口からピラミッドのある広場まで、まるでお祭りの縁日のようにおみやげ物屋さんが並ぶ。木彫りに石彫り、織物、お皿、Tシャツ、人形、謎の楽器……。みやげ物屋さんの密度はテオティワカンを越えてメキシコ随一かもしれない。
そんな縁日の通りをくぐりぬけると、ドドーンと目の前にそびえるのが大ピラミッド。おお、これが本物ですか!
ここも昔は登れたんだけど、今じゃ遺跡の保護と安全確保のために登頂禁止。じつはウシュマルの魔法使いのピラミッドと同様、このピラミッドも中に神殿が入っているそうで、中のピラミッドも登れるようになっているらしい。今じゃすっかりダメだけど。
カバー、ウシュマルはチャックだらけだったが、チチェンイッツアはククルカンだらけ。いたるとろにククルカンのクビが落ちている。建物の装飾に、それだけたくさん使われていたということだろう。
そして、力の象徴、ジャガー。ここのジャガーも結構風化していて、丸くかわいい感じになってしまっている。
こっちは有名な球戯場の“ゴール”といわれるもの。どう考えても、あんな高いところの、あんな小さい穴に、人類学博物館で見たような生ゴムのボールをくぐらせることが出来たとは思えませんが。あそこになんかぶら下げて、それがゴールだったんじゃないかとか考えたりもするが、それにしてはぶら下げた跡が無いのか。
球戯場では、反響を調べるために拍手をしたり、みんなで並んで声を出したり。偉い人の演説がよく聞こえるように反響させたとのことだけど、試合の歓声も反響ですごいことになっていたのだろう。どんなルールか知らんわけだけど。案外、無言の行みたいなものだったりとか。
これも有名な髑髏のレリーフ、ツォンパントリ。思ってたより小さめ。苔むした感じがおどろおどろしさをかもし出していますが、あんまり怖くないです。完全にデザイン化されているので、巷のギャルが来ている髑髏Tシャツの方が怖い。
ふと見ると、ツォンパントリのそばにチャックモールが。遺跡の中にひとつではなく、結構な数のチャックモールがあるということは、それだけ生贄を捧げる場所があったという証拠なわけだ。しかし、朝に一人、夕に一人、なんとかに一人……と続けていくと、生贄がいくらいても足りないだろうに。生贄に話はどこまで本当なのだろう。
そこから結構な長い小道を通り、セノーテへ。これも見たことある。有名すぎる!
でも、思ったより水が汚い。セノーテと言えば、異常に澄んだ水のイメージがあるのだけど、ここは最初からそういう水なのか、雨のせいか、淀んだ水溜り。というか、馬鹿みたいにでかい井戸。水面まで降りるのも大変そうだ。
ここは「生贄の泉」といわれているんだが、最近の研究では、生贄を頻繁に投げ込んだような形跡は無いというのが定説だったはず。うーむ。やっぱり巨大な井戸か。
ここで急に大雨。ククルカンにはしゃぎすぎて、チャックに怒られた(笑)
しかし、チャックは偉大だ。目の前には屋根つきの休憩所。トイレ休憩、あんど、お買い物タイム。まだ我々はチャックの加護の下にある。
南国のスコールはすぐに止み、再び遺跡巡りを開始。大ピラミッドまで戻る。先ほどとは向きが異なり、ククルカンの顔とご対面。拍手をピラミッドの窓に反響させて、鳥(ケツァル)の鳴き声を出すことに挑戦。見事に成功。
さらに回り込むと、ピラミッドの下が掘られている。チチェンイッツアの大ピラミッドは階段が90×4+1の365段というのが有名なのだが、なんと数えなおしたら一段少なかったんだと。それで下を掘ってみたら、まだ下に何かある!ということで発掘中。ここから何かとんでも無い発見があるかも。
ピラミッドの向こう側には戦士の神殿と、そこから続く列柱の回廊。戦士の神殿の上には、小さくチャックモールが見える。偉大なるマヤの戦士たちの中心地だったのだろうか。
戦士の神殿を横に見ながら、さらに奥地へ。森の中の小道にはやっぱり縁日のような露店が連なる。小道の先は旧チチェンイッツア。比較的古い遺跡の集まりである。
ここに来ると、ククルカンをモチーフにした神殿と、チャックをモチーフにした神殿が混在している。つまりはチャック信仰をククルカン信仰が圧倒してきた歴史を見ることが出来る。
旧チチェンで一番有名な建物といえば、カラコル(天文台)。古代文明で天文学が発達した文明はいくつもあるが、このドーム型の天文台はいかにも天文台といった趣だ。現代の天文台とまったくそっくり。なんというか、適応集中、収斂進化といった感じか。
さて、ふたたび大ピラミッドに戻って、ここからはククルカンの降臨待ち。おりよく、雲は晴れ、黒々とした陰がはっきりと見える。ここから1時間半後。ククルカンは必ず現れる。
なんだかテレビではものすごい人数が押しかけるようなシーンも見たけど、今日は雨がふったせいもあって、人はまばら。それでも、いつの間にか、一列に並び始めた観光客。待機を始めたのが早かったせいか、我々の場所が最前線。
お土産を買いに行ったり、ちょろちょろと写真を撮りに行っている間に遺跡公園の終了時間が近づき、自転車やバイクに乗った係員が観光客を遺跡の奥から羊飼いのように追い出してくる。実はククルカンの降臨が見られるのはいつもの閉場時間後。そこで、降臨のオフィシャル日が決められていて、この区間だけはピラミッドの周囲だけ立ち入りを許されているのだ。
そしてキタ━━━(゜∀゜)━━━!!!
カクカクした影がピラミッドの階段に映り、ゴジラの背中のようなククルカンの姿が……。
……あれ?
やられました。直前で太陽は雲に隠れ、ククルカンは姿を消してしまいました。
やっぱり、チャックとククルカンは仲が悪かったのかね。この旅は雨の中を縫ってのチャックに祝福された旅。ククルカンはちょっとだけ姿を見せただけで終わってしまったのでした。
リベンジ?
そうですねぇ。今回いけなかったオルメカや中央高地、泳げるセノーテとか、そのあたりを含めたツアーがあれば、また行って見たいですね。今度は雨季の秋じゃなくって、乾期の春に。