神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[メキシコ] ククルカンをつかまえに(11) チチェンイッツア

2010-12-19 14:20:12 | メキシコ
9/20 午後 曇り時々雨、後晴れ

チチェンイッツアの街について、まずはレストランへ。ここでは民族舞踊なるものを披露してくれるとのことだったので、マヤの踊りでも見せてくれるのかと思ったら、これがびっくり。マヤの民族衣装ではなく、メキシコ風の衣装を着た男女が登場し、足を踏み鳴らして踊り始めた。それだけなら普通なのだが、なんとビンやらお盆やらを頭の上に載せてくるくる回し始めた。

こりには驚いたというか、笑った。おそらく、スペイン人の入植後に生まれた文化なんだろうけど、これは「民族」舞踊なんだろうか。





そして、おまちかねのチチェンイッツアへ。ここはセンターも大きく、さすがに観光客だらけ。すっかりジャングルツアーという感じではなくなった。

入り口からピラミッドのある広場まで、まるでお祭りの縁日のようにおみやげ物屋さんが並ぶ。木彫りに石彫り、織物、お皿、Tシャツ、人形、謎の楽器……。みやげ物屋さんの密度はテオティワカンを越えてメキシコ随一かもしれない。

そんな縁日の通りをくぐりぬけると、ドドーンと目の前にそびえるのが大ピラミッド。おお、これが本物ですか!





ここも昔は登れたんだけど、今じゃ遺跡の保護と安全確保のために登頂禁止。じつはウシュマルの魔法使いのピラミッドと同様、このピラミッドも中に神殿が入っているそうで、中のピラミッドも登れるようになっているらしい。今じゃすっかりダメだけど。

カバー、ウシュマルはチャックだらけだったが、チチェンイッツアはククルカンだらけ。いたるとろにククルカンのクビが落ちている。建物の装飾に、それだけたくさん使われていたということだろう。





そして、力の象徴、ジャガー。ここのジャガーも結構風化していて、丸くかわいい感じになってしまっている。





こっちは有名な球戯場の“ゴール”といわれるもの。どう考えても、あんな高いところの、あんな小さい穴に、人類学博物館で見たような生ゴムのボールをくぐらせることが出来たとは思えませんが。あそこになんかぶら下げて、それがゴールだったんじゃないかとか考えたりもするが、それにしてはぶら下げた跡が無いのか。





球戯場では、反響を調べるために拍手をしたり、みんなで並んで声を出したり。偉い人の演説がよく聞こえるように反響させたとのことだけど、試合の歓声も反響ですごいことになっていたのだろう。どんなルールか知らんわけだけど。案外、無言の行みたいなものだったりとか。





これも有名な髑髏のレリーフ、ツォンパントリ。思ってたより小さめ。苔むした感じがおどろおどろしさをかもし出していますが、あんまり怖くないです。完全にデザイン化されているので、巷のギャルが来ている髑髏Tシャツの方が怖い。





ふと見ると、ツォンパントリのそばにチャックモールが。遺跡の中にひとつではなく、結構な数のチャックモールがあるということは、それだけ生贄を捧げる場所があったという証拠なわけだ。しかし、朝に一人、夕に一人、なんとかに一人……と続けていくと、生贄がいくらいても足りないだろうに。生贄に話はどこまで本当なのだろう。





そこから結構な長い小道を通り、セノーテへ。これも見たことある。有名すぎる!

でも、思ったより水が汚い。セノーテと言えば、異常に澄んだ水のイメージがあるのだけど、ここは最初からそういう水なのか、雨のせいか、淀んだ水溜り。というか、馬鹿みたいにでかい井戸。水面まで降りるのも大変そうだ。

ここは「生贄の泉」といわれているんだが、最近の研究では、生贄を頻繁に投げ込んだような形跡は無いというのが定説だったはず。うーむ。やっぱり巨大な井戸か。





ここで急に大雨。ククルカンにはしゃぎすぎて、チャックに怒られた(笑)

しかし、チャックは偉大だ。目の前には屋根つきの休憩所。トイレ休憩、あんど、お買い物タイム。まだ我々はチャックの加護の下にある。

南国のスコールはすぐに止み、再び遺跡巡りを開始。大ピラミッドまで戻る。先ほどとは向きが異なり、ククルカンの顔とご対面。拍手をピラミッドの窓に反響させて、鳥(ケツァル)の鳴き声を出すことに挑戦。見事に成功。





さらに回り込むと、ピラミッドの下が掘られている。チチェンイッツアの大ピラミッドは階段が90×4+1の365段というのが有名なのだが、なんと数えなおしたら一段少なかったんだと。それで下を掘ってみたら、まだ下に何かある!ということで発掘中。ここから何かとんでも無い発見があるかも。





ピラミッドの向こう側には戦士の神殿と、そこから続く列柱の回廊。戦士の神殿の上には、小さくチャックモールが見える。偉大なるマヤの戦士たちの中心地だったのだろうか。





戦士の神殿を横に見ながら、さらに奥地へ。森の中の小道にはやっぱり縁日のような露店が連なる。小道の先は旧チチェンイッツア。比較的古い遺跡の集まりである。

ここに来ると、ククルカンをモチーフにした神殿と、チャックをモチーフにした神殿が混在している。つまりはチャック信仰をククルカン信仰が圧倒してきた歴史を見ることが出来る。







旧チチェンで一番有名な建物といえば、カラコル(天文台)。古代文明で天文学が発達した文明はいくつもあるが、このドーム型の天文台はいかにも天文台といった趣だ。現代の天文台とまったくそっくり。なんというか、適応集中、収斂進化といった感じか。





さて、ふたたび大ピラミッドに戻って、ここからはククルカンの降臨待ち。おりよく、雲は晴れ、黒々とした陰がはっきりと見える。ここから1時間半後。ククルカンは必ず現れる。





なんだかテレビではものすごい人数が押しかけるようなシーンも見たけど、今日は雨がふったせいもあって、人はまばら。それでも、いつの間にか、一列に並び始めた観光客。待機を始めたのが早かったせいか、我々の場所が最前線。





お土産を買いに行ったり、ちょろちょろと写真を撮りに行っている間に遺跡公園の終了時間が近づき、自転車やバイクに乗った係員が観光客を遺跡の奥から羊飼いのように追い出してくる。実はククルカンの降臨が見られるのはいつもの閉場時間後。そこで、降臨のオフィシャル日が決められていて、この区間だけはピラミッドの周囲だけ立ち入りを許されているのだ。

そしてキタ━━━(゜∀゜)━━━!!!





カクカクした影がピラミッドの階段に映り、ゴジラの背中のようなククルカンの姿が……。

……あれ?





やられました。直前で太陽は雲に隠れ、ククルカンは姿を消してしまいました。

やっぱり、チャックとククルカンは仲が悪かったのかね。この旅は雨の中を縫ってのチャックに祝福された旅。ククルカンはちょっとだけ姿を見せただけで終わってしまったのでした。

リベンジ?
そうですねぇ。今回いけなかったオルメカや中央高地、泳げるセノーテとか、そのあたりを含めたツアーがあれば、また行って見たいですね。今度は雨季の秋じゃなくって、乾期の春に。


[メキシコ] ククルカンをつかまえに(10) メリダ

2010-12-05 19:03:41 | メキシコ
9/19 夕 曇り ~ 9/20 朝 晴れ

ジャングルの中に埋もれた遺跡、ウシュマルを後にしてメリダへ。バスに乗っている間に雨が降ったりしたけれども、メリダに着く頃には青空が見え、なんと虹が出迎えてくれた。





メリダはユカタン州の州都で観光の拠点。カンクンはアメリカ人が多いので、ヨーロッパ人はメリダに来るんだとか(笑)

黄熱病の研究をしていた野口英世像のあるオーラン病院の横をバスで通過し、お写真タイム。でも、野口英世のwikipediaを見ても、オーラン病院の滞在は書いてない。エクアドルに行くときの話だっけ?





夕飯まで時間があったので、ホテルからソカロ(中央広場)まで行ってみようと思ったら、各所に偽ソカロがあって騙され、結局本物のソカロにはたどり着けず。この通り沿いにある四角い広場って言われてもねぇ。

ディナータイムは、ちょうどこの日誕生日のツアーメンバーがいて、サプライズの誕生パーティー。いい想い出になったことでしょう。

ちなみにこのときのケーキ(甘過ぎ)を食べきったのは自分だけだったことが判明。マジかー!





で、一夜明けて、今日は遂にチチェンイツァでククルカンをつかまえる日。いつものように朝は快晴。これがいつまで持つのやら。

朝食後に昨晩のリベンジで本物のソカロまで散歩。さすがに本物はでかいね。でも、なんだか平日の通勤時間帯みたいで慌しかったので、あんまりゆっくりも出来ず。本当に来てみただけ。





本当はこのままチチェンイツァに向かうのだけれど、夕方のククルカン降臨を見るためにいつものツアー時間割りからはズレてしまうので、なんとウォールマートへオプショナルツアー(笑)

地元スーパーではなくってウォールマートということで、アメリカナイズされた店内はものすごく珍しいということは無かったんだけど、普通にサボテンの葉や実を売ってたり、謎の南国系フルーツが多いのがメキシコ風。








まだ9月だというのにクリスマス飾りも売られ始めていたり、ハロウィーングッズも発売中。やっぱり文化的にはアメリカナイズされてる。あと、なぜかケロケロけろっぴのグッズとか。日本も文化侵略中。





おみやげのテキーラチョコとかを買って外のテラスに座っていると、店員のおばちゃんにいろいろ話しかけられたんですけど、スペイン語はさっぱりわかりませんわ。オラとグラシアスくらい。まぁ、何せ突発的な旅だったし、スペイン語の勉強なんてする暇なかったし(言い訳)

そんなわけで、ついにチチェンイツァに向けて出発するのであった。

(……やっとここまで来たよw)


[メキシコ] ククルカンをつかまえに(9) ウシュマル

2010-12-05 16:17:23 | メキシコ
9/19 午後 曇り

遅めの昼食中も遠く雷鳴が聞こえてきたり、かなり怪しい雲行き。しかし、雨はそれ以上降らずに持ちこたえてくれた。さすが、チャックに祝福された旅。

ウシュマルもカバーも近くに川やセノーテが無く、雨水のみで発展した不思議な都市だと言われているが、こんな風に都合のいいときにだけ雨が降って、大事なときには雨の降らない祝福された土地であるならば、それも不思議ではない。

実際は、雨季だけに暮らした街だったりとかするんだろうか。見つかっている貯水地だけでは、ひと家族でも数日しか持たないというくらいだし。

さてそのウシュマル。入り口はきれいに整備された公園のような感じ。白い石造りのビジターセンターを抜けて、ハイキングコースのように整備された森の中の小道を抜けると、そこに見えてくるのは魔法使いのピラミッドだ。





小人が王様との知恵比べで一晩のうちに建てたという伝説があるため、魔法使いのピラミッドと呼ばれているが、実際は長い時間をかけて、5つの神殿が増改築されて複雑怪奇な内部構造を持つピラミッドである。





最初に見えてくるのは第3神殿の入り口で、本当はこちらが裏口。そこを左側に回りこんでいくと正面に出る。なんといっても目を引くのは、ピラミッドの角が丸いこと。角丸方形のピラミッドなんて、世界にここだけ。なんともかわいらしいデザインである。

そして、ここにもチャックの顔がいたるところにデザインされている。この地方でいかに雨が尊ばれ、水に苦労したかが偲ばれる。





東西南北に神を祭るレリーフがある広場の尼僧院を見学する。Quadrangle of Nuns(尼僧院)とは呼ばれているが、本当に尼僧院だったわけもなく、宮殿か神殿だったのではないかと思われる。このあたりのデザインは、規模は違うがカバーと一緒。もしかしたら、パレンケの宮殿の中庭(あれはcourtyardと表記されていたけど)も同じ役割だったのかもしれない。





東西南北にある神の顔は、アップで見ると返ってなんだかわかりませんが。これは渦巻きとヘビのモチーフですかね。現地で見たときはもっとそれっぽく見えていたんだけど。





次に訪れたのは双頭のジャガーの館。最初、“総統の館”と聞いて、なんじゃらほいと思ってしまった。総統じゃなくて、中庭に双頭のジャガーの像があるのだ。ジャガーの像は最初からこんな風だったのか、風化してしまったのか、なんだかのっぺりしていてジャガーっぽくない。どっちかというと……蛙?





そして、真ん中には、カバー神殿で見たお仕置き棒の巨大なものが。やっぱりこれ、お仕置き用の張り付け棒じゃないんじゃないのかね。でも、風化の仕方が、寄生虫に食われたみたいでなんだか気持ち悪い。





ジャガーの館のレリーフを見上げながらウロウロしていると、でかい声のガイジンが「お前は韓国人か?」と英語で聞いてきたのでちょっとビビった。Japanseseだと答えたら、これが通じない。ハポネスと言わないとわからなかったらしいが、おまえ、先に英語しゃべったじゃんか。しかも、なぜコリアンを知っていて、ジャパニーズを知らんのか。





そんなことはさておき、ジャガーの館を越えて、ついに大ピラミッドへ。ジャガーの館の建っている丘に隣接しているので、ちょっとずるして中腹から登れる(笑)

写真で見るよりも、実物は段差が狭くて登るのが大変。いや、降りるのはもっと大変だけど。




しかし、ここからの眺めはものすごかった。まさに森に埋もれた遺跡を見下ろす感じ。いずれ、我々の文明もこうやって森に帰っていくんだろうかと、神妙な気持ちになった。いや、実際は森に埋もれていってるのではなく、発掘しているんだけどね。






ピラミッドの頂上にも、チャックをはじめ、いろいろなレリーフがあるが、同じモチーフが縦だったり横だったりしているのは復元がいい加減なせいだろうか。どう見ても、上向いた鳥と横向いた鳥が混在しているのは作業員のミスだと思うんだけど。そう考えると、このきれいな配置もなんだか嘘っぽく思えてくる。





この後、遺跡が森に飲み込まれる直前のところまで行ったり、イグアナやらヘビやらをさがしたり、そこら中に空いている穴ぼこに落ちそうになったり……。最後のは嘘ですが。でも、遺跡の地面には謎の穴が多数空いていて、実は現在の地面は遺跡の屋根の上なんじゃないかと思うくらい。





名残り惜しく、魔法使いのピラミッドを振り返りながらビジターセンターまで帰ってくると、日本人のお兄ちゃんがなにやら深刻な顔で探し物。なんでも、チベットで買ってきた虹色水晶の玉を失くしたとかで、見かけなかったかどうか聞きまわっているのだとか。マヤ遺跡でチベット水晶を前に瞑想なんかすんな(笑)しかも、そのまま忘れてくんな(笑)

結局、見つかったんだろうか。まぁ無理なんじゃないかな。


[メキシコ] ククルカンをつかまえに(8) カバー

2010-11-23 22:24:06 | メキシコ

9/19 昼 雨のち曇り

カバー遺跡なんて聞いたことも無かったので、コバーの別記法なんじゃないのと思っていたのだが、カンペチェからコバーなんぞに短時間で行けるるわけも無く。カバーはウシュマルの兄弟遺跡。いわゆる衛星都市、もしくは同盟都市だった遺跡らしい。

そんなことはここへ来て始めて知り、サボテンの果実やハバネロの実などを愛でながら、カンペチェからカバー遺跡へと、相変わらずジャングルの中をバスはひた走る。

その途中、すっかり寝ている間にバスは豪雨の中へ。これは雨の中の見学かと覚悟を決めたものの、カバー遺跡の駐車場に止まった瞬間に雨は小降りに。そして、カバー遺跡の敷地に足を踏み入れた時には、すっかり雨は上がり、気持ちのいい緑の芝生が目の前に広がっていた。

なんという奇跡。





カバー遺跡の目玉は仮面の神殿。その仮面とは、雨の神様チャックの顔だ。壁一面にレリーフというか、レンガのように積み重なる象の化身、チャック。写真の神殿の壁にプチプチと見えるのがすべてチャックの顔だ。カバー、ウシュマルは近くに川やセノーテ(泉)を持たない都市であり、雨こそが最大の自然の恵。この雨を司るのがチャックである。生贄台のチャックモールとは語源が異なり、アステカのトラロック神と同一視される神様だ。

昨日のパレンケといい、チャックは我々の旅を祝福してくれたのだろう。この旅では雨に合うことはない。これは明日のチチェンイツァにも希望が持てる。

仮面の神殿の前庭には、なんだかマンガチックなレリーフの柱が並ぶ。これは顔なのか、それとも身体の部分がそう見えているだけか、はたまた……。おどろおどろしい生贄のイメージとはことなり、マヤのレリーフはコミカルなものが多い。





そして、仮面の神殿には、多くは壊れ落ちてしまってるが、いくつかははっきりと象の鼻のような輪を持つ神の顔が一面に積み重なっている。これは確かに象の鼻。しかし、ユカタン地方に象がいたなんて聞いたことが無いが。これは本当に象なんだろうか。





その裏側の壁には、マヤでは珍しい立像のレリーフが。これはウシュマルと一緒に戦った王様の像だったっけ。それともウシュマルと戦った王様の像だったっけ。メモを見直しても書いてなかった。ちゃんと聞いたはずなんだけど、もう2ヶ月も前に話だし(笑)





そして、前庭には一本の石柱。これは罪人を縛り付け、鞭で打ったりしたおしおきの柱だと聞いたが、本当だろうか。あまりにサイズが大小ありすぎて、人間を縛りつけるためのものには見えませんが……。





このカバー遺跡、観光用に公開されているのはごく一部で、実はまだ発掘の途中なんだとか。その証拠に、あそこに見える山はピラミッドです。なんですと!

きっとジャングルの中には、こんなピラミッドがまだまだいくつも埋もれているに違いない。なんというロマン!





直前の雨のおかげか、そもそも人気のない遺跡なのか、完全貸切状態。足元がちょっとグジュグジュしているところを除けば、きれいに整備された芝生がとても気持ちのいい遺跡だった。なんだか、休日にふらっと遊びに行きたい公園のような感じ。なんでも、ブッシュ大統領が来訪したので整備されたんだとか(笑)


その後、ウシュマル遺跡へ立ち寄る途中でマヤ人の家訪問。

この家族、いろんなブログに出てるよ。毎日観光客相手にお疲れ様です。この日はお母さんが出かけていて、娘さんがトルティーヤを焼いてくた。(後で帰ってきていましたが)

キリスト教とマヤの神様が入り混じった祭壇がご愛嬌。ある意味、日本の八百万の神の信奉と似ているのかも。





後はマヤ式縄の実演とか、染料とか、柑橘系果実とかいろいろ。





パレンケで弓や置物を売りに来ていたマヤの人々とはまったく違い、文明の中に組み込まれつつもマヤの文化を残している人々もいるのだ。それでも、最近はマヤ語をしゃべれない子供たちもいるとのことで、文化の伝承というのは中々大変のようだ。

そして、この旅のセミファイナル、ウシュマルへとバスは移動するのだった。



[メキシコ] ククルカンをつかまえに(7) カンペチェ

2010-11-07 22:24:12 | メキシコ
9/19 朝 晴れ

前日、パレンケからの長旅で辿りついた港町、カンペチェ。独立記念日の飾りつけもそのままのソカロのそばで夕食をいただき、そのままホテルで就寝。ただの一夜の宿のつもりだったのだが、これがまた意外にいいところだった。

カンペチェも世界遺産に指定された街。マヤとは無関係に、こちらはカリブの海賊関連。パイレーツ・オブ・カリビアンに何度も襲われたので、街全体を高い壁で覆ってしまった城塞都市の当時の街並みがそのまま残っているのだという。

実は、昨晩のレストランもこの城塞の中。まったく知らずに城塞の海門をくぐっていたのだ。





明けて、朝から快晴。ホテルの前のカリブ海をひと目眺めてから城塞の陸門へ。ここから海門まで朝の散歩。パステルカラーのコロニアル調の建物、石畳の道、海賊ギミックの飾り(笑)

なんか、こう、女の子が喜びそうな街並みでしたよ。




ちなみに、陸門のそばでは、時々「光と音のファンタジー」とかいう観光地によくある野外劇をやっているのだが、メキシコらしく不定期開催なのでツアーには組み込めないのだとか。おまけに退屈でゲフンゲフン。

そういえば、エジプトの「光と音のファンタジー」もそんなもんだったしな(笑)




さて、海門までもどると、今度はカンペチェを見下ろすサン・ミゲル要塞へ。丘の上から大砲が四方を睥睨する対海賊の見張り台だ。これが実にきれいな丘の上にあり、そんな物騒な歴史を感じさせない公園のようになっていた。




快晴の空の下、緑に囲まれた石造りの要塞から見下ろす海の青と緑が斑なす様子を見よ!
この平和な街を乱す奴はゆるさん。くらえ、渾身の一撃!




いや、そんなことは実はどうでもよく、要塞内部はマヤの遺物の博物館になっていたのだ。そんなこととは露知らず、緑のヒスイの仮面にばったり出くわす。

国立人類学博物館のはレプリカだったが、これはホンモノだったよ。パレンケのパカル王だけでなく、このあたりのマヤの王はみんなヒスイの仮面とともに埋葬されたのか。




しかし、カンペチェ、マヤの資料にはあんまり出てこない名前なんだけど、割と古めの遺跡があるようで。地図で見ると、ハイナとか、あの辺なのか。遺骨、土器、レリーフ、なんでもあり。なんだか見たことあるようなものがたくさん。ここってマヤツアーでも有名なんですかね。実は一番写真撮りまくったかも。いやぁ、期待してなかっただけに、えらく堪能しましたわ。






そして、バスは海辺を離れ、内陸のカバー遺跡へと向かうのだった。以下待て次回。



[メキシコ] ククルカンをつかまえに(6) パレンケ

2010-10-17 23:18:55 | メキシコ
9/18 昼 晴れ

早朝から飛行機でメキシコシティに別れを告げ、飛行機でユカタン半島の付け根にある街、ビジャエルモサへ。

左側1列、右側2列の小さい飛行機だったが、モルジブのホテルで働いていたと言う女性が一言。「こんなの、まだ大きいですよ」
いや、十分小さいって。

飛行機が下りていく先は蛇行した川がいたるところで三日月湖を作り、まるで洪水後のよう。凄い湿地帯なんだと思っていたら、本当に大洪水の直後だったでござるよ(笑)

飛行機を降りると快晴のまぶしい夏空。空港にはタバスコの広告ばっかりだと思いきや、ここはタバスコ州という名前なんだとか。他にもチワワ州とかあるし。




ここからチアパス州、カンペチェ州、ユカタン州と移動して、行き着く先はジェイムズ・ティプトリーJrの小説でもおなじみのキンタナ・ロー州だ。ユカタン半島を横断する900kmのバスの旅。

まずはグァテマラ国境、チアパス州にあるマヤの遺跡、パレンケへ向かう。

パレンケはピラミッドからヒスイのマスクをかぶった王の墓が見つかり、その石棺の蓋には宇宙飛行士(後に生命樹の下に寝そべる王と判明)のレリーフが描かれていたというミステリー系テレビでもおなじみの場所。超ワクワクで、今回の旅ではチチェンイツァよりも期待していた場所だ。

天候が午後から崩れるかもということで、昼食時間を遅らせて遺跡へ急ぐ。夕食も遅いので、軽食のカップケーキとバナナなどがバスの中で配られたけど、モーニングコールが5時だったおかげでみんな寝不足。ぐっすり就寝?

ひとりだけバナナ食いながら窓の外を眺めてました。手前が牧草地で奥が原生林の山って、なつかしの故郷、北海道に良く似た光景なんだよね。植生は日本南部とあんまり変わらないように見える。ジャングルとはいえ、東京の南多摩駅近辺の原生林と区別がつかんわ(笑)

しかし、パレンケへと続く道へ踏み入れると、景色は一変。おお、これぞジャングルという光景になってきた。このジャングルはグァテマラまで続いているという。さすが、自然に国境は無い。

そして、パレンケで出迎えてくれるのがマヤの末裔、黒い直毛の長髪に貫頭衣で出迎えてくれる彼らは、まさに縄文日本人のよう。今にも「卑弥呼さまー」と叫びそうだ。この人たちはスペインの侵略からジャングルへ逃げ続けた人々の末裔で、あんまり文明化されていないんだとか。なんだか、観光地用にわざとやってるような気もするけど。




そして、ついに寺の門のような入り口を抜け、赤い花の咲くジャングルの山道を30秒ほど登ると、テレビで見たことのある景色が見えてきた。「あー! 見たことある!」背中がゾクゾクした。

まずはガイドさんの説明があるが、心は完全に遺跡へ。ここはなんと、神殿の中に入れるのだ。残念ながら、一番有名な碑文のピラミッドじゃないけど。

まずは赤の女王の墓と言われる神殿の中へ。もともと、王の母親と言われていたが、最近では王の妻の墓だと言われている。神殿の入り口に差しかけられた日よけをくぐり、遂に神殿の中へ。角ばったマヤアーチの廊下。湿った匂い。そして内側が赤く塗られた石棺。あまりに興奮しすぎて、わけのわからない石壁の写真とか撮ってた(笑)

ちゃんと中に入ったんだよーということで、出るときの写真。




そして次は碑文の神殿を通り過ぎて、宮殿へ。

碑文の神殿突入はやっぱり無理かぁ。ちなみに、ヒスイの仮面をかぶったパカル王の墓は、ピラミッドの上部にある神殿の床から掘り進めて、地面を突きぬけ、地下1.5メートルほどで見つかったのだと言う。神殿が出来てから埋葬されたのではなく、埋葬された後に、その上にピラミッド状の神殿が建てられたのだ。これが、マヤのピラミッドがただの神殿ではなく、墓だという証拠になる。アステカやテオティワカンのピラミッドはただの生贄を捧げる神殿だったのかも知らんけど。




宮殿では、現地ガイドさんが水洗トイレの実演をしたり、石のベッドを見たり。歴代王のレリーフは風化して枠しか残っていないが、パレンケのような古い遺跡では、かえってチャックやククルカンのような神々よりも王権の方が強かったようだ。逆に人間の姿とは著しく異なる神々のレリーフは少ない。

Tの字型に空いた穴が風の通り道であると同時に神様の印なんだそうだ。こういう抽象的な神様が最初だったんだということがわかる。今回の旅は進むにつれて時代も下るので、これがチチェンイツァでどうなっているかというのを見るのも面白い。

晴れたおかげで緑も青々とする気持ちのいい中庭。じつは奴隷のおどろおどろしい壁画があるんだが、そんなことも忘れる長閑な感じ。よく解釈すれば、奴隷はめったにいなくて、レリーフで間に合わせていたんじゃないかな。




ちょっと学術的な話もすると、天井によく見られるマヤアーチは擬似アーチと呼ばれているんだけど、宮殿の遺跡を見るとそれが良くわかる。なんとアーチの片方の壁だけが斜めになって残っているのだ。言われるまで気付かなかったけど、本当のアーチなら両方の壁が支えになるので、片側だけ残ることはありえないはずなんだよね。マヤ族はアーチを知らなかった、もしくはちゃんとしたアーチが必要なほどの強度を期待していなかったということなんだろう。

ついでに、余計なことを言うと、宮殿の上に立つ塔の屋根は発見当時ついていなかったそうだ。これは復元時に勝手に付けられたもので、考古学的には検証されていないんだと。メキシコ人の遺跡復元は割りといい加減なんだというのが、今回の旅でよくわかった。




宮殿を出て、水路を渡り、さらにジャングルの奥へ。小道の傍には行商人たちがマヤ風のグッズを売っているが、完全に観光地と化したテオティワカンに比べると呼び込みもなんとなく長閑な感じ。

そして、十字架の神殿のある十字路へ。ここの十字路からはそれぞれの道の先に神殿が見える。中でもユニークなのが葉の十字架の神殿。芝生に覆われた小山の上に神殿の建物が見えるのだが、実はこの山がピラミッド。階段だけしか復元されておらず、その周囲は芝生に覆われ、背後はジャングルの中へ繋がっている。この半発掘状態が、なかなか美しい。




さらには太陽の神殿横の「Temple VIX」とシンプルに書かれた神殿では、このような美しいレリーフがしっかりと残っている。他の遺跡では、この手のレリーフは博物館へ移動しているか、そもそも遺跡内に入れないので、田舎のパレンケ万歳だ。




その後、入り口近くの髑髏の神殿にも登って、パレンケ遺跡巡りは終了。これでもすでに発見済みの遺跡郡だけでも、1/5くらいしか見られていない。まだまだ一日居ても飽きないような気がする。ジャングルの中の遺跡は本当にミステリアスで美しい。来るのに迷ってたけど、本当に来てよかたよ、ビバメヒコ!


暑さはあまり感じなかったが、ピラミッド状の神殿を登ったり降りたりで、周囲に心配されるほどのつゆだくあせだくに。こっちは汗臭くないかの方が心配でしたよ(笑)

登った先に何かすごいものがあるわけでもないのに、とにかく登る。そして降りる。美しい景色と、マヤの神殿に立っているんだという意識だけで夢中だったのだが、終わってみると、いったい何をやっていたんだか。ガイジンの観光客がよくやっているように、神殿に寝そべってみればよかったか。

遅い昼食に遺跡近くのレストランで肉の串焼きを食べ、ここから5時間のバスの旅でカンペチェへ。

カンペチェ? そんな遺跡あったっけ? と思ってまったく期待していなかったのだが、これがまた……。

ということで、待て次回。いつになるか知らんけど。



[メキシコ] ククルカンをつかまえに(5) 国立人類学博物館

2010-10-03 00:34:56 | メキシコ
9/17 夕 雨

ゆっくりやってると、ぜんぜん終わらないメキシコ旅行記。そろそろ記憶も薄れてきてるような…。




テオティワカンからメキシコシティへ戻り、メキシコ国立人類学博物館へ。ここまでなんとか持っていた空は決壊し、遂に大雨が降り出す。しかし、この旅は雨神に祝福された旅。アンダーパスのような場所でバスを降りて博物館の入り口へ向かうと、傘は必要の無いほどの小降りになっていた。

しかし、この博物館、地域や時代ごとに12室もの展示室があるのに、滞在時間はわずか1時間半。残念ながら、ガイドさんに連れられてのツアーはテオティワカン、アステカ、マヤの三つのみ。

時間さえあれば、全館回ってみたかったのだが、いったいどのくらいの時間がかかるのだろう。上野の科学博物館でさえ、最初に行ったときは朝から入って、空腹に耐えられずに出てきたのは午後2時だったからな。

ちなみに、国立人類博物館は飲食物完全持ち込み禁止。ちゃんと見て回ろうとすると一日じゃ足りないと言われるが、中にカフェテリアがあるのかどうか見なかったし、飢え死にする前に、絶対に乾き死にする自信がある(笑)

なお、入場ホールでは「日墨交流400周年 交流の奇跡展」なるものの宣伝で、NHKスペシャルらしき映像が流れていた。こんな番組。あったっけ?





さてまずは、今日行って来たテオティワカンの部屋へ。テオティワカン遺跡はすっかり整備されて、山のある公園みたいになっていたが、さすがに発掘物は発見場所ではなく、この博物館にすべて収められているという。地図やら何やらの紹介ゾーンを越えていくとドドーンと見えてくるのがケツアルコアトルとトラロックの顔が並んだでかい壁。ケツアルコアトルの神殿が復元されたものである。ケツアルコアトル、トラロック、ケツアルコアトル、トラロック、……。

牙をむき出していても、まんまるな眼なケツアルコアトルと、丸眼鏡にグルグルほっぺなトラロックはどちらもどことなくユーモラスで、それでいて神々しい。まさに神様という感じだが、太陽のピラミッドや月のピラミッドにはこの二つはレリーフされていないんだよね。そういった意味では、テオティワカンの主神ではなかったのだろう。故意に埋められていたという話もあり、さらに古い文化の神様なのかも。




それじゃ、主神はなんだったのかというと、これが主神殿である月のピラミッド前にあった雨の神様。トラロックも雨の神様なんだが、ちょっとデザインが違うし、彫刻様式もことなる感じ。やっぱり、実は大幅に時代が違うんですかね。

そもそも、テオティワカンがアステカ文明の遺跡じゃないというのは、ちょっと詳しい人じゃないと知らない話であるうえ、さらにそのテオティワカンにも様式が異なるくらいの文化の差があるというのは、この地まで来ないと実感できないかもしれません。

素人目には、まん丸眼とグルグル頬っぺが特徴的な様式と、微妙に写実的な様式に明らかに分けられるんじゃないかと思います。これは時代の差なのか、何か大きな宗教革命でもあったのかという感じですね。あるいは、テオティワカンは当時の国際商業都市だったようなので、他地方の影響によって文化様式が変わっていったのかもしれません。テオティワカンはアステカ時代に既に遺跡になっていたものなので、詳細は良くわかっていないようですが、ピラミッドも生贄儀式用ではないし、本当に謎な文明だ。

他にもまん丸眼のお茶目なレリーフや、妙に写実的で不気味な土偶や、墓から見つかった人骨なんぞを眺めて次の展示室へ。





展示室の外の通路にも興味深い展示物があるので気を抜けません。これはマヤの球技で使用するボール。マヤの球技場は後日、マヤの遺跡で眼にする事になるのですが、これがその競技で使われた実物だとか。ただのゴム樹脂を固めただけの黒い塊にしか見えません。後ろに見えるゴールの穴とさほど大きさも変わらないようだし、本当に球技のルール(膝、肩、腰などで打ち合って、壁のゴール穴を通す)は合っているんでしょうか。いや、どう考えても無理だって!





続いて突入したのがアステカの展示室。ここはソカロ広場下から発見されたものが中心に展示されており、館内でも最大の広さを誇る。

アステカといえば、生贄。これはその生贄の心臓を乗せたといわれる台。真ん中に心臓を置き、流れ出る血潮が溝を流れたという。本当かね。でかすぎじゃねぇの。酒とか注いだんじゃないのかね。まったく、エグイわぁ。これを見たときに、日本人としては酒船石を思い浮かべずにはいられないのですが、あれも実は生贄用だったりして……。




そして、出ました鷲の戦士像(写真奥)。2007年にあった上野のインカ・マヤ・アステカ展でも見たよ、これ。思い返せば、この企画展が、インカ派からマヤ派、アステカ派に乗り換える転機だったんだよな。これが無かったら、今回の旅行先もメキシコではなく、ペルーになっていたかもしれない。とにかく、メソアメリカの古代文明は調べれば調べるほどわからないことが多くなって興味深いです。

……ところで、手前の像は……あんまり突っ込まないようにしよう。




そしてそして、さらに出ましたアステカ・カレンダー。でかい! こんなのが工事中に出てきたら、さすがにびびるだろう。しかし、見れば見るほどカレンダーに見えません。説明を聞いても、カレンダーというよりは干支の図案とか、その手のものだよね。それとも、今日を示す印をこの石版の上に置いたりしていたんでしょうか。二つの歯車を組み合わせてガリガリやってたのはこれじゃないし。

それはともかく、このレリーフの格好よさは異常。RPGでラスボスのいる部屋の扉に書いてあってもおかしくない。というか、積極的に書いてあるべき。

メキシコの10ペソコインにはアステカ・カレンダーの中央部の図柄があって、やけに格好いいんだが、空港で気付いたときには使ってしまっていて手元に残ってなかった。残念。なお、その他のコイン(5ペソ、2ペソ、1ペソ)にもアステカ・カレンダーの図柄の一部が使用されています。




アステカのデザインは、テオティワカンのお茶目な図案とは異なり、おどろおどろしい系のヒトガタが多いように思った。これはアステカ帝国が支配力を高めるために使用した威圧的なデザインが多いということなのでしょうか。ただ、入り口のジャガーくんはちょっとお茶目だったかも。

他にも、おどろおどろしい女神像やら、ケツアルコアトルらしき格好いい頭部やら、生贄台を聖水入れに改造しちゃったものやら、いろいろ眺めて、名残惜しくもマヤのゾーンへ移動。





途中、偶然にもオルメカヘッドを目撃。オルメカの部屋には入れなかったけど、通りすがりに写真だけパチリ。『太陽の子エステバン』とか想い出す。あれ、ナディアで見たんだったっけ?





マヤの展示室ではマヤ文字のレリーフやら、マヤ人の土偶やら。マヤはアステカ、テオティワカンとは離れたユカタン半島の文明ということで、ちょっと雰囲気が違うかと思いきや、石のレリーフのタッチはあまり変わらない。しかし、マヤでは神々のレリーフではなく、人物のレリーフが多いように感じました。それは土偶のデザインによく表れているように思います。

独特の風習で頭を扁平にしたマヤ人を形取ったかなり精巧な土偶、というかここまでくると銅像ならぬ土像ともいうべき人物像が数多く置いてある。その風貌は、やはりアジア人に似ている。レリーフや図案だとはっきりとマヤ風というのがわかるのだが、なぜか土偶となると不思議なもので、中国の偉いお坊さんですとか、関羽像ですと言われても違和感がない。この手のものはアステカでは見ませんでした。




そして、定番のチャックモール。生贄の心臓置き場。これはチチェンイツアのチャックモールで、現地に行っても見られないので、ここで見る。どのチャックモールにも共通なのだが、この表情がなんともいえない。すべてを諦めて悟りを開いた顔にも、生贄にされることが理解できずに呆然としている顔にも、笑えないギャグを聞いてポカンとしている顔にも見える。

生贄の儀式はマヤ人本来の文化ではなく、アステカなどとの異文化交流で入ってきたものらしい。なので、チチェンイツアにはチャックモールがあるが、マヤの古い遺跡ではチャックモールは見つかっていないそうだ。こんな文化、わざわざ広めなくてもいいのに。




他に興味を惹いたのが、逆さ釣りの神の像。これ、どっかで見たことあるよ。シカンの墓で首を切り落とされてさかさまに埋葬されていた人物なんじゃないの、これ。ジャングルを越えて、南米まで文化の道は繋がっているんだよ、きっと。ロマンだねぇ。

他にもパレンケで見つかったヒスイの仮面をかぶった王の墓の復元展示や、ククルカンの頭部やらマヤ文字碑文やらマヤ文字文書やらを眺める。

そう、マヤは紙を持っていたので書物が残っているんですよ! しかし、また阿呆なキリスト教徒が全部燃やしてしまったので、全世界に3冊しか残っていないとか。本当に、キリスト教徒って阿呆だよね。というか、すべての一神教徒は阿呆だ。


そんなこんなで、短いながらも充実した博物館巡りはおしまい。

再び振り出した雨の中をバスで移動し、夕食のレストランへ。トルティーヤのフルコースだが、本場のトルティーヤはラードが強すぎて、これで包んだタコスはあんまり食えたものじゃない。名物に旨いもの無し。

明日は早朝から飛行機で移動。目指すはジャングルに覆われたユカタン半島だ。




[メキシコ] ククルカンを捕まえに(4) テオティワカン

2010-09-27 23:09:41 | メキシコ
9/17 午後 曇り一時小雨

テオティワカンへ入る前に、おみやげ物屋さんへ連行される。ツアーと提携した定番のお店なのだが、これが意外に面白かった。

まずは竜舌蘭の使い方実演。竜舌蘭はテキーラの原料として有名だが、それだけではない。紙になったり、シャンプーになったり、針と糸になったり。紙は若芽の内膜を使うのだが、これが圧延だの乾燥だのをしなくても、まったくの紙。まるで上質紙のようなすべすべの手触り。しかも、パラフィン紙のようにしっとりとして柔軟で、ハリがある。そして、若芽の先端をちぎって引き抜くと、先端のトゲの先に繊維がシュルシュルっと抜けて付いてくる。これなら老眼でも針に糸を通す必要がないから、らっくらくぅ!




その後はプルケ(竜舌蘭の醗酵酒)やテキーラ(蒸留酒)を試飲。塩舐める→ライム齧る→テキーラくいっがメキシコ流。いわゆるショットガンですね。ライムが違うのか、アルコールのキツイ感じが一切なく、さっぱりとした後味。いくらでも飲めそうだが、危険すぐるぅ~。

黒曜石も、研磨の仕方でハートマークや蝶の図柄が浮かび上がるような工夫がされており、これは芸術的。結局、アステカマーク入りの黒曜石ピラミッドを25ドル(300ペソ)でお買い上げ。まぁ、円高真っ只中だったしな。


さて、しょぼいマリアッチの演奏(この旅行中で一番いい加減だった)を聞きながら、サボテンサラダや辛い牛肉煮込みなどのビュッフェで腹ごしらえをした後、ついにテオティワカンへ入場。どうでもいいが、このときビールを飲んだのは自分だけ。ガイドさんは気圧が低いだのなんだの脅しすぎだ(笑)

まずは、住居跡を通って「羽のあるほら貝の神殿」へ。ここは上の神殿の地下に眠っていた遺跡。長らく埋もれていたおかげで壁画の色がきれいに残っている。この写真は水を吐き出すインコの図柄。ほら貝は隣接するジャガーの宮殿でジャガーが吹いている図柄にもあり、内陸地でありながら重要なアイテムだったらしい。そしてそのほら貝は妊婦の象徴、水を吐き出すインコは命の象徴なのだという。テオティワカンにこんなにきれいな色の壁画が残っていたとは知らなかった。実際、上の神殿(ケツァルパパロトルの神殿?)に入れなかったためのオプションみたいな物だが、テオティワカンで一番驚いたのはこの壁画だった。




一通り説明を聞き、体力に合わせて勝手に登って来いとのことなので、月のピラミッドから登り始める。月のピラミッドは途中までしか昇れないのだが、それでも急な階段で息が上がる。ここから死者の大通りがまっすぐに見える光景はたしかに荘厳。やはりこの道は月のピラミッドへの参道だったのだろう。

時間もないのでとっとと降りて、太陽のピラミッドへ向かう。途中で稚拙なプーマの壁画に出会う。そうか、この辺はジャガーだけではなく、プーマの出没地帯でもあるのか。なんだか、扱いはかなり違うみたいですが……。




太陽のピラミッドも急な階段が付けられている。これは本当に人が登るための階段だったのだろうか。どう考えても、幅が狭すぎ、段差が高すぎるんですけど。かまわず、おりゃおりゃと、ガイジンたちを追い越しながら上っていくと、中腹の段差でピラミッドをぐるっと半周するような長い列が出来ていた。子供は元気に、老人は杖をつき、若者はふざけ合いながら列に並んで待つ。一番つらそうだったのはおじさん、おばさん世代か。自分もちょっと息切れしていたのだが、この登頂待ちの列がいい休憩になってすっかり回復。中腹からの眺めを楽しみながら、やっと最後の階段へ。



ピラミッドの頂上には神殿など跡形もなく、端も崩れ気味で丸くなっており、どこからが神殿跡なのか微妙にわからない。なおかつ、小雨が激しくなってちょっと濡れる。

頂上には最近流行のパワースポットとして、親指大の銀の円盤が埋め込まれている。ここに手を触れて叫べぶと、願いがかなうのだという。おかでげ頂上の中央は押しくら饅頭状態。面倒くさいので触って来ませんでした(笑)

他にも、UFOを呼んだり、みんなで一斉にひれ伏したり、なんだかわからないカオス状態。

テオティワカンの人たちは、本当はここで何をしていたんだろうね……。




急な階段をすたこらさっさと降りて、今度は死者の大通りを下り始める。月のピラミッドから太陽のピラミッドまでは砂利道なのだが、そこから先の死者の大通りは雑草が伸び放題の草原状態。しかも、段差を登ったり、降りたり、意外に疲れる。結局、時間がなく、ケツアルコアトルの神殿跡や要塞跡までは辿りつげず、あきらめて帰ってきた。ケツアルコアトルの神殿はこれから博物館で見るし(←すっぱい葡萄)。

死者の大通りから見る二つのピラミッドは、完全にただの小山。遺跡も草に埋もれて、自然へ還る文明の異物という様相がありありと見える。整備されて完全に公園化されてしまったテオティワカンで、ちょっとだけ侘び寂びを感じる光景だった。




さて、テオティワカンを後にして、次は国立人類学博物館へ。まだまだ一日目すら終わらんよ。



[メキシコ] ククルカンを捕まえに(3) チノチティトラン

2010-09-25 22:50:51 | メキシコ
9/17 午前 曇り

今日からいよいよ遺跡めぐりの開始。まずはメキシコシティの中心部、ソカロ広場へ。

ソカロは街の中心で、国立宮殿や大聖堂のある広場。このソカロ、固有名詞かと思いきや、訪れた街々にそれぞれ存在していたので、一般名詞のようだ。




まずはメキシコシティ、というか、チノチティトランの始まりの伝説、蛇を咥えた鷹の象の前へ。各地で傭兵なんかをしながら放浪していたアステカ人は、ウィツロポチトリの神託により、この地を永住とします。そして、その神託通り、この地は何千年も栄えることになります。アステカはスペイン人に征服されちゃたのは皮肉なことですが。永遠に栄えるのはこの地であって、アステカ人ではなかったのよ。

この鷹を描いたメキシコ国旗はメキシコ中にあふれている。上流と下流が著しく離れた格差社会のメキシコでも、上も下も関係なく、誇らしげにメキシコ国旗を掲げる。それは前日が独立記念日(スペインからの独立から200年、メキシコ革命から100年)だったせいなんだろうか。




さて、そこから国立宮殿の下を通ってアステカの神殿、テンプロマヨールへ。独立記念日の夜のバカ騒ぎ後で、祭りの後的な物悲しさと汚さの残る(笑)路地を通っていくと、チノチティトランの3D地図模型があり、その先がチノチティトランの大神殿(テンプロマヨール)跡。

ガイドさん曰く「ここは何にもないので入りません」。プゲラ、プゲラ。確かに、柵の中には黒っぽい石垣だけ。出土品はすべて国立人類博物館へ持っていかれているので、ここにはウィツロポチトリも、トラロックも、アステカカレンダーも、チャックモールもありません。

その後、イベント用のステージ裏みたいな通路を通って大聖堂の中へ。ここにあるのは、黒い肌のキリスト。なんで黒いのかは、いろんな伝説があってよくわからないらしい。

大聖堂はミサ中ということもあって、荘厳な雰囲気。丸天井と高い窓から差し込む光が神々しい。キリスト教にかぎらず、一神教はなんでも嫌いなんだけど、こういうところに入ると、ちょっと厳粛な感覚になる。それでも写真取りまくってたけどな。




大聖堂の中で興味を惹いたのが、鍵がいっぱい取り付けられた台。観光地にある縁結び系のものかと思いきや、悪い噂を封じ込めるためのおまじないだとかで、メキシコでもこの大聖堂だけの風習なのだという。口に鍵をかけるという意味か。

大聖堂の前庭には、ガラスの嵌った穴があり、下が覗けるようになっているんだけど、水滴で曇って何も見えません。その下にはアステカの遺跡が眠っているはず。発掘しようにも、上の大聖堂も世界遺産なので発掘のしようが無い。いずれ、日本のトンネル工法を駆使して完全発掘とかにはならないものか。




ソカロ広場からバスで移動。3つの文化(アステカ、スペイン植民地時代、現代メキシコ)の建物がそろう三文化広場の脇を通り、グアダルーペ寺院へ。ここで観る物はひとつ。ルルド、ファティマに並ぶ、バチカンが認めた奇跡。グアダルーペの聖母を見に行くのだ。

寺院へ至る参道はおみやげ物やさんで賑わう縁日のような通り。宗教画っぽいデザインのグッズに並び、日本のアニメ絵風な人形や、明らかに戦隊物風(ジュウレンジャー?)な人形がならぶ。オタク文化はこんなところまで浸透しているのか!




肝心のグアダルーペの聖母、奇跡のマントは、どこかの国立体育館そっくりな新聖堂の中、人が立ち止まらないように動く歩道の上に設置。なに、このハイテク(笑)

そして、これがその奇跡のマント。マジか。どうみたって、絵じゃん。これが勝手にマントに浮かび上がったのだという。




なんでも、NASAの解析によれば「地球上には存在しない染料で染められている」とか。もう、NASAも冗談が好きなんだから。地球上に存在しない染料って、科学的にはどういう意味ですか。もう、明らかにノリノリですがな。

よく見ると、瞳の中にマントの持ち主の若者と、マリアのメッセージを伝えに行った司教の姿が映っていると聞かされると、それは凄いと思いますが、これが奇跡のマントと言われても、あまりに完全すぎて信用できない。かえって、トリノの聖骸布くらいぼやけていた方が信じられるような気がする。

うーむ。なんだか納得いかないまま、バスはメキシコシティからティオティワカンへ向かうのであった。


[メキシコ] ククルカンをつかまえに(2) 到着

2010-09-23 11:13:02 | メキシコ
9/16 午後

コンチネンタル航空でヒューストン経由、メキシコシティ行き。ヒューストンで乗り換えのためにアメリカへ一度入国しなければならない。そのままトランジットさせてくれてもいいじゃんかよー。

ヒューストンまでの機内は窓側。すみません、トイレ行きづらいです。隣はカップルで映画見てるし……。

しかし、アメリカと言えば西海岸しか行ったことが無いので、ロッキー山脈越えは初めて。この上空から見る光景がすごかった。ネバダ州からアリゾナ州へ至るまでの荒野はまさしく火星の地表を見下ろしているかのようで、あまりの美しさに言葉を失う。

窓から見えたのはグランドキャニオンだったのか、なんなのか。黒く見えるのは崖の影なのか、水面なのか、深い谷をえぐる川。白く浮かび上がる塩湖。赤く染まった崖。その中をナスカの地上絵のごとく直線的に横切るハイウェイ。そして、円形のミステリーサークルのような農地。

窓際でよかった。いいもの見た。




荒野を過ぎると雲がぷかぷかと浮かび始める。雲の下には緑がある。気候の差というのは、この高度から見るとはっきりわかるものなんだ。

行きの飛行機はそんなわけでそんなには眠っていないわけですが、睡眠時間は機内食を食べた後で2~3時間くらいでした。機内でクレジットカードで6ドル払ってビールを頼んだんだけど、銘柄を聞かれずにスーパードライを渡された。ハイネケンが欲しかったんですけど……。それだけが心残りです(笑)

ヒューストンはきれいな夏空。入道雲を突き切って空港へ着陸。「見て、あれが竜の巣よ!」と言っても、ラピュタは無かった。入国審査は激込み。しかも、並んだ列の中国人らしき人が詰まって遅い。指紋と写真を取られてアメリカ入国。ひとりだけ遅れて、ツアーの皆様にご迷惑かけた。

入国審査はしたけど、空港から出られないのですること無い。メキシコ行きの機内食はまずいとのことなので、早めにサンドイッチでもと思い、グリルドサンドイッチを食べたのだが、これもまずかった。妙に量が多いし。そしてまたセントのコインが増える。使いずらいんだよね、クウォーターとか。

せっかくヒューストンなので、スペースシャトルグッズを探したが、子供向けのおもちゃ屋だけ。そこでNASA Tシャツを発見。“I need my space”と“Huston, we have a problem”の二枚。あんまり縁起が良くないので、帰りに暇があったら買うか……。(結局、買わなかったけど)

メキシコ行きの飛行機は半分くらいの込み具合で、通路側に座ったのだが、窓際には誰も来ず、3席独り占め。

窓から覗いた森の中に、遺跡なのか灌漑用水なのか、死者の大通りそっくりな地形の水路が見えたが、逆光でよくわからず。でも、気分はもうアステカ。

機内食に出たターキーのサンドイッチは噂どおり最低。パンが冷えてパサパサで、飲み物無しには飲み込めない。しかも、付け合せの人参は生かよ。これは確かに食えません。ヒューストンのサンドイッチもまずかったが、それ以上に無理。よく見たら、通路の反対側に座ったメキシコ人も食べてなかった。




そして、メキシコシティへ到着。荷物検査はボタンを押して、緑が出れば素通り、赤が出れば当たりで荷物検査。なんだかいいかげん。

空港で現地H.I.S.メキシコシティ支店のガイドさんが合流し、ホテルへ。メキシコシティは思ったより近代的できれいな街だ。と思ったら、前日が独立記念日で町中が飾り付けられていたところだった。

現地時間9時頃にホテルへ到着。添乗員さんがチェックインしてくれている間に、水を買いに向かいに見えるセブンイレブンへ。2本で10ペソの水を買いに100ペソ紙幣を出したら、お釣りが無いとかで受け取ってもらえない。両替に小銭が入っていたので、コインでお支払い。

ツアーメンバーの一人はコインが5ペソしかなかったのだが、身振りでこれ以上無いと伝えると、なんと5ペソで水2本お買い上げ。メキシコ人はいい人だ。

ホテルに戻るとビールが買えると言うので、100ペソを崩すためにもホテル内のレストランへビールを買いに行った。金は払ったが、払った相手のレジのお姉ちゃんがどこかへ行ってしまう。別な人が出てきたが、スペイン語しかしゃべれない。こちらはまともにスペイン語がしゃべれる人がいないので、立ち往生。結局、身振り手振りと会話本で意思疎通し、コロナを出してくれた頃にレジのお姉ちゃんが戻る。たぶん、チップを出してくれるテーブル席の人優先で対応していたんだろう。こっちはノーチップだから、しかたがあるまい。

部屋へ戻るとテレビでタイトルマッチが! これはルチャが見られるかと思ったが、ボクシングでした。亀田三男がいるかと思ったが、いないみたい。結局、メキシコ滞在中にルチャは一度も見られなかった。

コロナを飲んで、シャワーを浴びる。なんだ、風呂桶あるじゃん。お湯は溜めなかったけど。

そうこうしているうちに、現地時間で9/16の23時。日本時間では9/16の37時。遺跡見学は明日から。もう寝る。