神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] 母になる、石の礫で

2015-05-12 23:59:59 | SF

『母になる、石の礫で』 倉田タカシ (ハヤカワ・SF・シリーズ Jコレクション)

 

『NOVA』での縦横無尽に繋がったタイポグラフィ小説や、月面大喜利小説でおなじみの倉田タカシが、なんとハヤカワSFコンテストに応募した作品。例の柴田勝家に負けて大賞を逃したものの、予想以上に本格SFでびっくりした。こういうのも朱に交われば赤くなるというのだろうか。

3DプリンタというのはSFネタの“なんでもつくっちゃう機械”(たとえば、『ダイヤモンド・エイジ』のマター・コンパイラ)が現実化した夢の機械なのだけれど、さらに“それ”が3Dプリンタの発展系として小説に書かれてしまうという、現実とSFネタのフィードバックも面白いところ。遂に現実はここまで来たんだなと。

さて、この小説では“それ”は母と呼ばれる。括弧書きも何も付かない普通名詞としての母なので、冒頭でちょっと混乱する。舞台は倫理規定に縛られることを嫌って母星を飛び出したマッドサイエンティストたちのコロニーで、主人公は人工子宮から生まれたために母といえばこの母しか知らない。

母は生活物資や食料だけでなく、人工臓器や新しい手足などの生体部品も出力する。これにより、人体改造すら容易である。その延長には、母によってゼロから生み出されたヒトが明示される。つまり、母は完全なる母に成り得る存在なのだ。

この特殊な境遇で育ち、母の概念が異なる主人公の一人称で語られるがゆえに、母とは何かというテーマが強烈な違和感によって際立ってくる反面、設定を理解するまでは混乱して意味が取りづらい。この点は評価が分かれそうな感じ。

物語はマッドサイエンティストと、母の出力した人工子宮から生まれた2世、母から直接生まれた3世との間の確執に、母星からの干渉や太陽系外進出計画、さらには、ネットワーク化された集合意識といったネタが絡んでごちゃごちゃしながら、主人公たちが生き残るための戦いが描かれる。

でもやっぱり、母って“産む機械”としての属性だけじゃないよねと思わせておいて、終盤には「母になってよ」という台詞、そして、「母をする」という表現が出てきて、母の概念は補完されていく。

母とは何か、ヒトとは何かを突き詰めていった先には、いったい何が待つのか。それは確固たる核ではなく、無限の発散なのかもしれない。ああ、そうか、これは「母大喜利小説」なのか!

 

ところで、倉田タカシの肩書きは今でも「ネタもコードも書く絵描き」なんだろうか……。

 


[SF] 深海大戦 漸深層編

2015-05-07 23:59:59 | SF

『深海大戦 Abyssal Wars 漸深層編』 藤崎慎吾 (角川書店)

 

ヒト型格闘ロボットの存在意義を海中に見出した熱血海洋ロボットSF、『深海大戦 中層編』の続編。というか、話が終わっていない。そもそも三部作なのか四部作なのか。

前作の中層編では謎の深海生物リヴァイアサンや、敵役の〈ダゴン〉との戦いが繰り広げられたが、今回の獲物はただの潜水艦と、燃え成分は若干抑え目。それでも、最後の戦闘シーンでは、またもやのヒーローアニメ的展開が待ち受けているのであった。

今回はシリーズを通してのストーリーの骨格が見え始めた感じ。ミクロネシアに伝わる伝説と深海底に現れた海の中の湖の謎。秘密の洞窟に祭られている浮遊する岩。そして、ネットで流行し始めた不思議なシミュレーションゲーム。これらがひとつに繋がることを暗示して次巻へ続く。

ただ、今作の展開では、超自然的な要素が多すぎて、ちょっと残念だった。この著者であれば、深海研究の最新知見や面白ネタを盛り込んでくることを期待するのだけれど、見慣れない深海生物やポンペイ語の単語を並べるだけで、あまりネタ的に面白いものは見当たらなかった。

一方で、憑依や幻覚、予知夢といった超自然的な部分がクローズアップされ、それが無ければ物語が成立しなくなってしまっている。このあたりにどういう説明をつけるのか、あるいはつけないのかが今後の展開で気になる部分。やっぱり重力波とか?

アニメ化決定ということだけれど、もともとはアニメ化の企画は無かったのか。ロボットアニメの意図的なパロディに見えるぐらいの類型的な展開は、果たしてアニメ化された暁にはどのような評価がされるのかもちょっと気になる。


[SF] 世界受容

2015-05-06 23:59:59 | SF

『世界受容』 ジェフ・ヴァンダミア (ハヤカワ文庫 NV)

 

《サザーン・リーチ》三部作の完結篇。

ストルガツキーやレム、J.G.バラードらの諸作に比較されるが、確かに断片的にはそれらを彷彿させる展開だった。しかし、やっぱりこの小説の面白さはSF的よりもホラー的なのではないかと思った。

第1作の『全滅領域』では、何も知らされずに〈エリアX〉の調査へ赴かされた第12次調査隊の隊員〈生物学者〉の視点で〈エリアX〉の謎が語られる。

第2作の『監視機構』では、やはり知識の無い新局長である〈コントロール〉の視点で、〈エリアX〉の外側からその謎に迫り、逆に〈エリアX〉を管理する機関である〈サザーン・リーチ〉の謎に飲み込まれていく。ここでも謎は広がるばかり。

第3作では前作の主人公たちに加え、〈エリアX〉内部に存在する灯台の〈燈台守〉と、前局長=第12次調査隊の〈心理学者〉の視点で過去が、すべての発端が語られる。そして、オリジナルの〈生物学者〉のその後や、〈生物学者〉のコピーである〈ゴースト・バード〉と〈コントロール〉が〈エリアX〉へ再潜入してからの顛末が語られる。

結局のところ、〈エリアX〉の正体はほのめかされるだけであるし、〈地形異常〉の果てに消えた〈コントロール〉の行方も、副局長と共に外へ向かった〈ゴーストバード〉の運命も、拡大を始めた〈エリアX〉の外側の世界がどうなっているのかも、まったくわからないまま物語は終結する。すなわち、物語の主眼はそこには無い。

〈エリアX〉は目的も理由も原理も説明されないまま、謎は謎のまま。明らかにされるのは、〈エリアX〉出現の経緯と、故郷に対する前局長の想いだけだ。

リアルに異質な〈エリアX〉の生態系と、その怪異に直面した人々の反応(それをニューウェーブ的にインナースペースと呼ぶべきかどうかはわからない)は、それはそれで面白いし、謎めいた前局長の行動の動機が明らかになる過程はある意味で謎解きのカタルシスを与えてくれる。しかし、それでは〈エリアX〉がただの書き割りに過ぎず、あまりにももったいない。

〈エリアX〉の正体や世界の結末が謎のままに残されてしまったことで、消化不良のもやもや感がどうしても大きく残る。これではまるで、怪異の原因が明らかにされない不条理なホラー小説のフォーマットと変わらないではないか。

で、結局、タイトルの『世界受容(ACCEPTANCE)』は誰が何を受容したんだろうか。