神なる冬

カミナルフユはマヤの遺跡
コンサドーレサポーターなSFファンのブログ(謎)

[SF] 白熱光

2013-12-30 14:14:40 | SF

『白熱光』 グレッグ・イーガン (新☆ハヤカワSFシリーズ)

 

長かった。読みにくいというわけではないのだけれど、何が起こっているのかを視覚的に想像するのが難しすぎ。

解説では奇数章と偶数章という呼び方をしているが、二つのストーリーが並行して語られる形式。奇数章は遠い未来の仮想と現実の区別が無くなり、人類が電子データとして銀河中を旅する時代の物語。一方の偶数章は、場所も時代もわからない6本肢の異星人が物理学を(再)発見していく物語。

この偶数章が難敵。異星人たちはどうやら小惑星をくりぬいた空間か、人工衛星コロニーのような場所で暮らしているらしいのだが、詳しい設定や用語の説明がなされるままに進んでいくために、何がどうなっているのかを理解するまでに、何度も読み直さなければならなかった。

そして、そこで発見されていく物理法則は確かにワクワクするものなのだけれど、その説明が異星人の視点から見た説明なので、これまたわかりずらい。実際に、異星人たちが言っていることが全部わかったわけではなく、これは遠心力のことを言っているんだろうとか、これはコリオリ力なんだろうとか、あたりを付けてから補完していくような作業になってしまった。これを物理学の知識が無い人がすらすら読めるとは思えないんだけど。

特に、方角やヌル線が何を指すものかを理解するまでに結構な時間がかかった。最終的には理解できたつもりなのだけれど、風向きがどうなっているとか、無風地帯がどうこうとか、わかりやすい図が無いと厳しい。ネット上にも解説ページがちらほら出始めているので、それらを見ながら読み直した方がいいかも。

で、やっぱり著者が言う「4つの勘違い」に触れざるを得ない。個人的には、1はOK。2と3は解説の通りの指摘なのであればOK。なので、勘違いせずに読めたようだ。しかし、問題は4。

それって、あえてそう言わなければ、何かが判明しているとは言えないレベルなんじゃないのかなぁと思っているんだけれど、どうだろう。異星人たちの習性と孤高世界の習性から考えればそうなっているのは必然と言うことなんですかね。その辺はいろいろ想像できるのだけれど、あえて確定した書き方がされているのかどうかは見つけられなかった。

しかし、そこにあまりこだわるのは読み方としておかしいのか。どちらかというと、謎解きよりも、“発見”のおもしろさを描いた作品なのだろう。人類が生まれた地球という惑星とはまったく違う環境で生まれた異星人たちは、どのように物理学を発見していくのか。その過程が違っても、最終的にたどりつく真理の美しさ。

この小説を読んで物理学者を目指す若者が出てきてもいい。とはいえ、ある程度、物理学に興味を持って勉強していないと、何が起こっているのか、何を“発見”したのかはわからないかもしれない。

 


[映画] ゼロ・グラビティ

2013-12-26 21:47:36 | 映画

『ゼロ・グラビティ』

 

久々の3D字幕で観賞。3D字幕は字幕の距離感がおかしくなって目が疲れるのだが、90分ちょっとという短さもあって、あまり気にならなかった。

一緒に見に行った友人は終了後に放心状態だったようだけど、個人的にはいろいろ文句を付けたいところが多かった。

まずは、ライアンとマットが離れてしまう場面。あれはどう考えてもおかしいよね。ロープに張力がかかって止まるか、返って反動で引き戻されてもいいくらいなのに。あれは、マットが地球の重力に引かれて落ちていったと考えればいいのか。でも、ISSは軌道速度が出てるわけだから、あれで落ちるようであれば、ISSも落ちているはずなんだけど。

つぎに、ライアンの人物設定。“ドクター”と呼ばれていたけど、あれはメディカルドクターを示すのか、博士号のことなのか。とにかく、彼女の無重量状態での意識の振り方や、注意力の無さは壊滅的。工具は固定しないし、外にまだひとりいるのに自分だけ助かったら胎児の態勢でひきこもっちゃうし、ISS内でパックドリンクを手にする余裕があるのに露骨に火を吹いているヒーターを無視するし、水上に不時着したときの基本的な常識も無いし……。いくらパニックになっているといっても、よくあれで宇宙飛行士になれたものだ。宇宙飛行士に憧れても、様々な理由であきらめた人たちに謝って欲しいくらいだ。

そして、音楽。宇宙空間での音の表現や、登場人物の聞こえ方に基づいた再現性などには素晴らしく気を配っており、そこは素直にすごいと思った。しかし、それにしては、というかそれだからこそ、危機のシーンで異様に盛り上げるようなBGMがかかるのは勘弁してほしかった。宇宙空間の静けさと、呼吸音、そして、マットが掛ける陽気な音楽だけでよかったんじゃないか。

ただし、3Dで見る軌道上からの地球の眺めは素晴らしかった。夜の都市明かりや、極地のオーロラ、そして、夜明け。これは3Dで見たかいがあったし、3D料金にもお釣りがくるレベル。

さらに、ダメダメ女の主人公が、マットの帰還(?)後から、なんとか頑張ろうとする姿は感動的であった。あの駄目さ加減は、この伏線だったのかもね。

最後に、うるさい人は無重力なのか無重量なのかを気にするようだけれども、英語で言うと、zero gravityとweightlessnessはあんまり区別がないようで。まぁ、軌道上にもgravityはあるわけで、物理学的意味でも邦題のzero gravityは間違いなんだろうけどさ。

で、結論的に言うと、映像は素晴らしかったけど、宇宙をなめんなよ!

 


[SF] 誰に見しょとて

2013-12-16 22:04:36 | SF

『誰に見しょとて』 菅浩江 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

 

日本初、あるいは、もしかしたら世界初かもしれないお化粧SF。化粧というテーマをここまでSF的に掘り下げたのは驚愕のひとこと。

太古日本、卑弥呼以前の入墨を枕に、近未来の“コスメディック”の進化が語られる。コスメディックとは、コスメティックとメディカルを組み合わせた造語。すなわち、美容と医療のいいとこどりである。

コスメディックをネタに語られるのは、美しくありたいという女性の想いと、さらにその向こうを夢見た新たな想い。そして、その想いは卑弥呼たる女性の未来を見据えた想いへ帰っていく。

いわゆる普通の化粧から、皮膚を科学的に剥いてしまうケミカルピーリングや、さらには美容整形までの間で、倫理的におかしいという線を引くことができるのか。整形までして、という嫌悪感は多くの人にあるだろうが、その境目はどこにあるのか。

さらにその先に、人工皮膚と人工鰓による人魚化などといった人体改造まで含めてしまうと、とたんにSF的な議論は大きくなる。ひとはDNAの定める形を越え、どこまで自由になることができるのか。美容のその向こうに、こんな壮大なテーマが生まれると考えたひとは今までにいただろうか。

なぜ女性は美しくありたいのか。それは自己実現のためである。とは、良く聞く。お化粧は男性に見られるためではなく、女性に見られるためであり、さらには、自分がありたい自分になるためのものなのだ。

そして、なりたい自分が若く美しいだけでなく、肌の色を変えたり、人魚のように水中を舞うことだったり、さらには、外見ではなく精神的に美しくありたいということだったり。化粧というのは奥が深い。

SFファンならば、コスメディックの可能性に未来を見るだろう。そして、SFに興味のない女性でも、美容というものへの関心があれば、登場人物たちの美しくありたい、なりたい自分になりたいという想いに共感して感動できるだろう。

しかし、SFMの連載で読んでいたけれど、改めて続けて読むと、リルやキクの想いが強烈過ぎて、なんでそこまで思い込むのかという疑問も出てくる。どうしそこまでして、自分を変えたいのか。しかし、「戻れなくてもいいから宇宙に飛ばしてくれ」と言う人々は良く見かけるし、それには共感できるので、可能性への挑戦の想いとしては通じるものがあるんだろうと感じた。

美容はもうひとつの宇宙なのかもしれない。

 


[SF] ブラインドサイト

2013-12-16 21:31:24 | SF

『ブラインドサイト』 ピーター・ワッツ (創元SF文庫)

 

タイトルの“ブラインドサイト”は、見えているはずのものが見えない錯視、錯覚、もしくは精神障害の意味。最終的に、どうしてこの物語が、このタイトルなのかは読めばわかるようになっている。

冒頭から、精神障害の治療のために脳の半球を切除した少年が出てくるが、これが主人公。大脳半球切除術は、昔のいわゆる野蛮な手術なのかと思っていたら、どうやら現代でも重度のてんかんに対して有効な手術らしい。

そして、いきなり登場する吸血鬼の存在。はっきり言って、この登場には相当戸惑ったけれども、読み終えてみれば、吸血鬼という存在は人類とは近くて遠い異質のものの象徴になっている。吸血という属性よりも、人類の中の捕食者という性格付けが強い。

他にも、精神の形が現代のマジョリティから見て異なる人々が登場し、心理学、精神医学的な単語やモチーフがそこらじゅうにちりばめられる。このあたりが、ちょっとだけ違う社会を感じさせ、妙な不安感を覚える。

さらに極め付けとして登場するのが、異星からの生命体と見られる〈ロールシャッハ〉。はたして彼が生命なのかどうかわからないが、太陽系外縁の巨大天体を巡る巨大構造物とのファーストコンタクトプロジェクトが開始される。

テーマとなるのは、知性とは何か、意識とは何か、そして、共感とは何か。巨大構造物の中に侵入しようとするメンバーに対する精神攻撃。錯視や精神障害のような現象をもたらす攻撃に揺らぐ認知機構。

レビューなどで伊藤計劃の『ハーモニー』との相似が語られることもあるが、自分としてはスタニスワフ・レムの『ソラリス』の方を想起した。果てしのない深い海底を覗き込むのと同時に、鏡を覗き込むかのような、自意識に跳ね返ってくる得体の知れなさ。恐怖というよりは不安。

確かに読みやすい小説ではない。吸血鬼や四人組、はたまた、バックアップなどという様々な設定が予備知識なく飛び出し、その場では十分に説明されないまま過ぎていく。しかし、得体のしれない地球外存在とのファーストコンタクトを目指す彼らの活動は刺激的であり、知的なエンターテイメントである。

ただし、ファーストコンタクトの顛末は話のきっかけにすぎず、主眼は探査隊メンバーによる意識や知識を巡る刺激的な会話にある。

思わせぶりなキーワードや、実在のエピソードを絡め、〈ロールシャッハ〉の攻撃のように、読者の認知機構をハッキングし、大きく揺さぶってくる。意識とは何か、知性と意識に関係はあるのか、おまえに意識はあるのか、おまえに意識は必要なのか……。

解説の(日本語版のみとは豪華な!)テッド・チャンは、明確にNoと答える。

円城塔は読書メーターの感想欄に、一言「はい。」と書き込む。

残念ながら、俺には答える解が無い。

 

 


[SF] みずは無間

2013-12-12 23:36:41 | SF

『みずは無間』 六冬和生 (ハヤカワSFシリーズ Jコレクション)

 

“水は無限”ではなく、“みずは”という女性の無間地獄。

主人公は外宇宙無人探査機。ただし、そのコアには、突発的な問題や、進化的探査を行うために、人間から転写された人格が搭載されていた。つまり、主人公は雨野透のコピーである。

透は探査(といってもただ飛び続けるだけ)の退屈さを紛らわせるため、あくびをシミュレーションしたり、人工生命体を作ってばらまいたり、宇宙船をどんどん高速になるように改造したり、自らのHWを超高速大容量に改造したり、さらには自分のコピーをばらまいたりする。

そんな中、探査機の透は別な探査機のサーフに出会い、彼女の行動の原動力である怒りをいぶかしがるが、宇宙に広まった人類の子孫がその答えをくれる。

自らが神になって作り出した人工生命名体のD、自らのコピー、小娘の探査機サーフ、さらに、遂に地球外生命体までが登場し、透と邂逅し、そして別れていく。その過程で透の進化は次第に加速し、ついには銀河系を飛び出そうとする。これがひとつの物語。


一方で、透は時々、自分が人間だったころの記憶に苦しめられる。それが、小さくてぷにぷにしていて、過食症で依存症な彼女、“みずは”だった。

透はみずはの記憶に振り回されながらも、旅の途中で出会った未来人類や他の存在、さらには自分のコピーが集めた情報の断片によって、次第に解き明かされる過去を取り戻していく。そして、失われた過去を取り戻すとともに、自分が逃げ出してきたみずはとのラブストーリーの結末があきらかになっていく。

しかし、はたしてその記憶は正しいのか。そして、その記録は正しいのか。情報生命体と化した透、およびそのコピーたちは、自らの記憶を上書きし、さらに自ら自身を上書きしつつ、世界を進む。

世界を、宇宙を埋め尽くそうとするその食欲は、みずはのものなのか。透の記憶の中のみずはが、とめどない食欲によって、ついには宇宙を喰らいつくそうとする。

加速する大宇宙探査SFであり、人工生命進化SFであり、めんどくさがりな男と貪欲で依存症な女のラブストーリーであり、失われた過去の記憶を掘り起こすミステリであり、そして、記憶と意識を巡るぼやきSFでもある。


みずはは怖い女のように言われているが、そこまでひどくないんじゃないかと思った。ただ、ちょっとめんどくさいのは確かだけれど。しかし、ホラーとまで言われるほどでもない。

そもそも、探査機の透は果たして本当に実在した透の記憶なのか。みずははそもそも実在したのか。そのあたりから、根本的に疑ってしまう。逆に、不治の病であるみずはの方が意識のコピーを残す動機がありそうだし、はたまた、透がみずはから逃げおおせようとして探査機になったというのも、探査機が透のコピーでしかない以上は納得がいかない。

人間の透本人はどうなってしまったのか。これもまた、サーフの記録から断片が明かされるが、それは探査機の透の記憶とは合致しない。真実は記憶か、記録か。どちらも改竄可能な情報である以上、その謎は解かれていない。

透とみずはのラブストーリーは無残にも終わりを告げる。ある意味、これは自殺だったのか。


うーん。選評から想像した話とはちょっと違った。思ったよりSF度が強くて、ストーカー的ホラー小説とは感じられなかった。みずはと出会わなかった世界を希求しつつも、みずはが救われる世界を夢見ている主人公は、結局みずはのことが大好きだったんじゃないかと思う。そもそも、飢餓感は主人公の中から生まれたっぽい記述には注意すべきだし、人格抽出が破壊的プロセスであったことがぼかされている事実にも注意すべき。これって、信頼できない語り手バリバリじゃないですか!

っていうか、俺がストーカー小説的な解題に納得いかないのは、飢餓に犯されているのは主人公のAIであるようにしか思えないからなのだよな。そして、改竄された記憶と、過去との断絶とくれば、どうしてもそうとしか読めない。

だいたい、最終章の「みずは無間」で、語り手のバージョンが逃げようとしている相手は、自分の別バージョンじゃないか。これを、みずはの飢餓が宇宙を喰いつくすと読むのは、選評に引きずられた誤読なんじゃないかと思う。選評で言っているのは、そういうことじゃないんじゃないか。

 


[SF] 『パラサイト・イブ』はなぜSFモノに嫌われたのか

2013-12-10 23:14:15 | SF

最近、また瀬名秀明がなんか言った(書いた)ことで話題になっていた。

「世界一SF業界から嫌われた」(?)と自虐する瀬名秀明先生

まだやってるのかというより、瀬名さんの書き方がちょっと病的にもなっていて心配になってしまう。これも戦略的にやっているといいのだけれど。

 

瀬名秀明と言えば、『パラサイト・イブ』で第2回日本ホラー小説大賞を受賞してデビューし、この作品がゲーム化や映画化までされたベストセラーになった。

しかし、一般的な読者に大いに受け入れられたにも関わらず、(一部の)SFモノには苛烈な攻撃を受けた。この一件で、瀬名秀明はSF界から距離を置くという選択の替わりに、逆にSF界に興味を持ってしまったらしい。どうして『パラサイト・イブ』はSFモノに嫌われたのか。どうしたら、SFモノにも受け入れられる作品を書けるのか。

その分析と研究の結果、SFモノにも広く受け入れられ、高く評価される作品を生み出すようになった。挙句の果てには、日本SF作家クラブの会長にまで就任してしまったのは驚きだった。

しかしながら、その驚きをさらなる驚きで飛び越えたのが、今年(2013)3月の会長辞任と、脱会だったわけである。

結局、瀬名秀明と仲が悪いのは誰だかよくわからないのだけれど、当時は『パラサイト・イブ』を激しく攻撃したひとりのSFモノとして、SFモノが何に対して嫌悪感を覚えるのか、非SFモノにはわからない嗜好について書き留めておこうと思う。

 

少なくとも、俺の頭の中には、以下のようなエリアが隣り合ってひとつの次元を作っている。

・既知科学
いわゆる、普通の教科書に載っていたり、ノーベル賞を取ったりする科学。

・未知科学
既知科学の延長線上にあり得るかもしれない科学。例えば、タキオンとか。

・疑似科学
既知科学の延長線上では否定、もしくは、疑問視されるが、科学的方法論において(少なくともその作品中においては)科学的であるもの。例えば、『死者の短剣』の基礎とか、『魔法の国が消えていく』のマナとか。スターウォーズのフォースは微妙かも。

・似非科学
疑似科学とは異なり、科学的方法論に則らないもの。例えば、水からの伝言とか。

・オカルト
科学的であることを放棄しているもの。

これらを、左から並べるとこうなる。

非科学的思考←[オカルト][似非科学][疑似科学][未知科学][既知科学]→科学的思考

で、SFモノはオカルトと科学の次元で物事を体感的に見ることが多い。ただし、疑似科学と似非科学をどう見るか、もしくは、(このエントリでの定義における)疑似科学を未知科学に含めるかどうかという点で、SFモノの間にも多くの相違点があるだろう。

しかし、この軸、もしくはこの次元において疑似科学、未知科学の領域にふくまれるかどうかによって、SFであるか否かを体感的、もしくは直観的に判断しているのは間違いないと思う。

確かに、SFであることが、他のミステリやホラーであることよりエライわけではないし、SF以外が全部ダメというわけではない。ところが、未知科学の話だと思って読んでいたら、最後の最後にオカルトになってしまったとしたらどうだろう。それは、SFモノにとっては重大な裏切りである。

『パラサイト・イブ』はまさに、既知科学の領域から始まり、ラストシーンで一気にオカルトに振り切ってしまった。最初からホラー小説大賞受賞作なのだし、そうだからといって誹謗される筋合いはまったくないということは理解できる。しかし、SFモノからしてみれば、このような裏切りは許せることはできず、読み終わった直後に壁に向かって投げつけることになるのである。

同じような作品で言えば、鈴木光司の『エッジ』がこの系統になる。また、非SFジャンルの有名作家では、司城志朗の『ゲノム・ハザード』が似非科学作品にあたると思う。

もちろん、ホラー小説大賞受賞作や他のホラー小説が、いつもこのように右から左へ次元を移動するわけではない。例えば、同時期に第2回日本ホラー小説大賞短編賞を受賞した小林泰三の『玩具修理者』は逆に、オカルトに始まり、疑似科学、もしくは(人間機械論の亜種としての)未知科学まで右側へ向かって移動する。当然のように、小林泰三はデビュー当時からSFモノにも熱狂的に迎えられることになった。

しかしながら、非SFモノにはこの軸の意味が分からないらしい。科学的であることはわかる。非科学的であることはわかる。しかし、その間にグレーに横たわる領域の存在が区別できず、なぜスペースオペラに耽溺するような人が、ミトコンドリアの化け物を受け入れられないのかがわからないのだ。そしてもちろん、非SFモノな書き手にとっても、境目や基準がわからず、SFモノの反応に戸惑うのだろう。そして、意味も分からず「これはSFではない」と言われるので、SFは閉鎖的という結論にいたってしまう。

別に我々(ではなく、俺個人だけか)はオカルトを否定しない。オカルトはオカルトとして楽しんでいる。そうでなければ、UFOや宇宙人なんて、真顔で語れやしない。問題なのは、越境である。未知科学の話をしますと言いながら、オカルトなオチを持って来たり、似非科学な設定をドヤ顔で語るなと言いたいのである。そうすれば、オカルトはオカルトなり(怪談話とか)に楽しむことができるのだ。

問題は、左方向への越境。ただそれだけなのを理解してほしい。

 

そして、声を大にして言いたいのだけれど、SFモノから嫌われたのは『パラサイト・イブ』であって、瀬名秀明という作家じゃないよ!

 

 


[SF] 皆勤の徒

2013-12-02 23:25:25 | SF

『皆勤の徒』 酉島伝法 (創元日本SF叢書)

 

第2回創元SF短編賞受賞の表題作を含む連作集。

一言では語りつくせない異様な生態系を、ふざけているのかまじめなのかわからない言語感覚で描いた奇作。

表題作を『結晶銀河』で読んだ時には、なんだかわからないけれど凄いという感じだったのだが、他の作品と合わせると、次第に世界設定が浮かび上がってくる。

大森望さんの解説を読むと、モヤモヤしていたところまでも含めてなるほどと納得できたが、良くこれを正しく翻訳できるものだと感心した。

塵機=ナノマシン
仮粧=AR
勾玉=データキューブ

……まさにまさに。こうやって独特な言葉遣いをお馴染みのSF用語に変換してくれると、非常にわかりやすくなった。

読んでいる間に3つの物語が見えてくるのは確かなのだが、それらの結びつきがいまひとつ良くわからなかったのだ。暴走するナノマシン。外宇宙播種計画。そして、生体脳で分散実行される仮想現実。これらの関係が良くわからずにモヤモヤしていた部分は、解説を読んでだいぶすっきりした。

特に仮想現実が絡んでくると、どちらがどちらの見ている夢なのか、さらにはすべては夢だったという夢オチの可能性まで含めて世界をひも解いていかなければならない。ここが俺にとってはミスリードと混乱の元。

しかし、《禦》の話だけは解説を読んでもさっぱり理解できないけどな。どうしてここから、「皆勤の徒」の舞台が地球だとわかるのだ。まだまだ修行が足りんな。

で、解説によって、おなじみのSF用語に変換してもらえば、物語は割とすっきりする。しかしながら、この小説の魅力は、そうやって明らかにされた本格SF設定ではないだろう。

ぐっちょんぐっちょんで悍ましい異世界と、奇妙奇天烈な生命体、そして、“社長”や“従業員”、さらには“製臓会社”だの“連結胞人”だのといった寓意なのか駄洒落なのか判然としない言語感覚が誘う酩酊感を味わうべきだ。

なんてことは頭では理解しつつも、やはり世界がどうなっているのかという謎を勝手に作り上げ、その謎を追ってしまうのは読者としては良くない部類なんだろうなと自覚する。

しかし、酉島伝法氏の頭のなかはどうなっているのだろう。この世界が緻密に細かい部分まで設定されて、丸ごと入って、生きてうごめいているんじゃなかろうか。なんというか、異世界への生きているドアというか。ここで、某自動書記作家みたいに、この世界は自分が考えているのではなく、どこか別の世界に実在していて、自分はそこでの出来事を書き留めているだけなんですとか言い出すと、疑いも無く信じてしまう自信がある。

この世界はそれほどまでに異様であり、なおかつ、実際に存在するような(悍ましい)手触りや、(耐え難い)匂いがする。