拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

チベットで見た光景

2008-04-07 | 旅人のひとりごと
2003年にチベットを訪れた際の写真です。

写真を見てわかるとおり、町中のあちこちで幼稚園か小学校低学年位のチベット人の子供達がどこまでも喜捨を求めてついてきます。

一方漢民族でこのような子供はいません。
皆立派な服を着て、目の前のレストランで美味しいものを食べていたりします。


そして我々外国人旅行者も、彼達から見ると立派な服を着て、レストランで美味しいものを食べています。


「なぜチベット人であるというだけで、私達はこのような目にあうのか」


そう彼達が思っていても不思議でありません。


中国では地方と北京、上海といった中央の地域とは大きな貧富の差があり、都会の同じお店、同じ仕事をして働いていても、出身地域、民族によって給与が違うという話を聞いたことがあります。

また当然非漢民族である地方民族はつく仕事も限られてきます。


しかも彼達が尊敬する民族の指導者(彼達にとっては、日本人にとっての天皇陛下と、クリスチャンにとってのローマ法皇が1人になったような存在だと思います)は、「非暴力」と「非服従」をつらぬいた為、生まれ故郷を追われ、インドへもう長い間亡命中で、民族問題が何十年も遅々として解決されぬまま進展していない状況です。


このような現状に、自分達の誇りを取り戻す為に、そして貧困にあえぐ現状を打開する為に立ち上がるのはよくわかります。

自分がチベット人なら、間違いなく同じことをするでしょう。


彼達が「非暴力」と「非服従」を続ける限り、できることはそれ程多くないかもしれませんが、自分はチベット人を応援したいと思っています。

写真:ラサの繁華街(バルコル)にて

チベットでいま何が起こっているのか?

2008-04-07 | 旅人のひとりごと
この数週間、連日チベット問題のニュースがとりあげられています。

本日も北京五輪の聖火ランナーを妨害したとして、UKで逮捕者がでたり、先日も四川省のデモのチベット人僧侶が殺害されたといったニュースが流れています。

今チベットで何が起こっているのでしょうか。


中国政府は今回も世界のメディアに対して、内政干渉だと一方的なコメントを繰り返すばかりですが、少なくとも2003年秋に自分がチベットを訪れた際に、自分の目で見た光景は、侵略者としての漢民族、そして困窮にあえぐ現地のチベット人達という構図でした。


自分達がチャーターしてチベットを回ったランドクルーザーのドライバーと通訳(チベット語/英語)は、チベット人だったのですが、彼達はひどく漢民族と中国政府を恨んでいて、漢民族の旅行者が急増しているが、いくら生活が苦しくても、絶対に自分達は侵略者である漢民族のガイドはしたくないと言っていました。


中国政府は日本に今も第二次大戦時の保証等、被害者の顔で多くの要求をしてきます。

日本政府の巨額の円借款による空港建設等の事実を消し去り、今なお悪の侵略者日本として、未来を担う子供達に過去の遺恨のネガティブな教育を続けています。

しかし一方で、少なくともチベットの歴史を見る限りでは、中国政府は現在もれっきとした侵略者であり、今回のチベット人デモでも大量のチベット人の命を奪っています。

台湾問題については、世界でも有数の親日国である台湾人の肩を持ちたくなるのが本音のところですが、本質的には同民族の思想と政治による対立構造です。

しかしチベット問題については、誰の目にも中国政府が侵略者であることは明白です。


自分の知っている範囲でも、中国人、漢民族にも良い人達は沢山います。
アフリカ等、日本人の少ないエリアで、中華料理屋の中国人のおばさんに、ものすごい親近感を覚えたりします。

しかし少なくとも現在の中国政府のやり方に自分は賛同できません。
(北朝鮮政府と大して変わらないと思うのは言いすぎでしょうか?)


今回の問題も、コソボの独立や、北京五輪が間もなく始まり世界中の注目が中国に集まっているこのタイミングで、チベット人達が世界の世論を味方につけ、自分達も独立をと思うのは当然の流れだと思います。

個人的には人なつっこく、世界でも有数の熱心な仏教徒であるチベット人が独立できたらと応援したい気持ちで一杯です。

このような紛争は世界のあちこちにありますが、いつも切に願うのが、できるだけ血を流さない形で平和的な解決をして欲しいと思うことです。

チベット人達が民族の長として崇めるダライラマはずっと非暴力を通してきています。


中国政府は今回ダライラマが先導して暴動を起こしたと言っていますが、断片的に欧州や日本のメディアから入ってくる情報を見る限りでは、一般的なデモ行動のレベルで、それに対して中国政府が武力でおさえ込んでいるように見えます。


「非暴力」と「非服従」


過去ガンジーが実践した方法を、ダライラマも続けています。
この考え方に自分も大きな大きな共感を覚えます。


人類の歴史は血塗られたものであり、残念ながら今もなお世界のどこかで紛争が続いていますが、何とか「非暴力」で彼達の平和を実現されれば、自由を目指して戦っている人々に対して、大きな一石を投げかけることができるのではないかと思います。


おなじく自由を目指して、こちらは血を流して戦っているパレスチナ問題。

自分の知っているパレスチナ人といえば、2005年にアンマンで宿泊したクリスホテルの従業員サーメルさんのことを思い出します。

彼はものすごい安い給料で365日朝も夜も休み無く働き、一見の旅行者にすごく親切にしてくれるので、彼のファンは多く、その後旅行者がカンパして応援し、つい先日彼がアンマンに自分の宿を持つことができた情報を目にしました。

パレスチナ人というと、日本ではテロリストと殆ど同意語的に扱われている、そんなイメージがありますが、世界を旅していると、パレスチナ人は優しく真面目でいい人たちだとそんな話ばかりを耳にします。

日本にいると、近くの北朝鮮の話は少し意識することはあっても、遠くの国の出来事はどこか他人事です。

でも今回のチベット問題では、欧州の若者達が一緒になって抗議運動を起こしている姿に、何か自分達にもできるのではないか?とそんな気持ちにさせられます。


「非暴力」と「非服従」


この方法で自由を勝ち取るには、世論の応援が不可欠です。

それなのに我々日本人は、「無関心」という、限りなく侵略者側に同意と同じ行動をとっているのではないでしょうか。


国内に目を向けると、今もあり続ける「いじめ」の問題。

いじめの最大の敵は「無関心」です。


自分も子供の頃、いじめにあった経験があります。

実際にいじめているのはたかが数人であっても、周りが誰も助けてくれない無関心の状況は、全ての人々が自分にとって敵のような感じがして、ものすごい孤独感に陥ります。

特に幼少で視野が狭いと、もうこの地球上のどこにも、自分の居場所は無いのではないかとそんな気持ちになり、死にたくなったり、自暴自棄になったりします。

きっとこんな経験をした事がある人は沢山いると思います。


そしてこのチベット問題に再び目を向けてみると、今の日本人は紛れも無く、いじめっこの仕返しが怖くて見てみないふりをしている、いじめに無関心な傍観者です。

これで本当に私達はかけがえの無い自分達の祖国「日本」を誇りに思えるでしょうか。

世界の中の一員である「日本人」として自分達に胸をはれるでしょうか。

だからと言って、某大国のように中国に爆弾を落とせと言っているのではありません。暴力がさらなる暴力を生むだけなのは、アフガニスタンやイラクを見れば明白です。

大切なのは「傍観者であることをやめること」だと思っています。


1日100~200PVいくかどうかのブログでこんなことを語って何の意味があるのか?と言われれれば、もちろんたいした意味は無いと思います。

しかし何もしないよりはましです。世界の1人1人が、この問題に「無関心でなくなること」が、次への1歩を踏み出すことにつながると自分はそう思います。


自分にとってできることは歌うことだけ。

世界の路上の片隅で、ささやかではありますが、自分は曲の合間に、彼達が頑張っている今、少なくとも北京五輪が終わる日まで、チベット人達を応援する言葉を綴りたいと思っています。

写真:ギャンツェゾンで歌う。(2003年秋チベット/ギャンツェ)