拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

gooブログの画像って

2008-05-29 | その他
gooブログをやっている人は当たり前のことなのかもしれませんが、このブログにはブログ標準(320x240)とオリジナルサイズの2つのモードがあります。

で、ブログ標準だと画像だけクリックした時に画面が小さくて見づらいので、これまでオリジナルモードを使っていました。


でもブログ記事のタイトルをクリックすると、gooブログって画像サイズが自動で最適化(修正)されず、オリジナルモードの画像がはみだしてしまうのですね。
超見づらい。
(フォームに制限値つけて、画像サイズの自動最適化ぐらい簡単そうなのに。汗)


。。。このブログ使い初めて5ヶ月になりますが今頃気づきました。(汗)
(書きっぱなしでトップページしか見てなかった)


写真メインの記事は置いておいて、旅エッセイ、日記、ひとりごと等の文章メインの記事だけでも少しずつ修正したいと思います。

季節はずれの花粉症

2008-05-28 | その他
欧州もすっかり初夏の雰囲気になりました。
欧州は6月から夏が始まりますが、その中でも6月~7月は最もよい季節です。

さてそんな中、今年はものすごい勢いで何かの花粉?が舞いとび、季節はずれの花粉症に悩まされています。

特にこの数日はくしゃみはとまらず、目の奥までかゆくて、目がはれ上がって前がよく見えない程。

スギ花粉とかは割合平気なんですが、何のアレルギーなんでしょうか。

花粉マスクもそうですが、ゴーグルつけて生活したい程です。
ゴーグルをつけた野球選手やサッカー選手はいますが、ネクタイとスーツにゴーグルはさすがにありえない???

どんなローカルヒーローなんだか。
(ゆるキャラじゃなくて、ただのイタイおやぢか?)


6月になったらおさまってくれることを期待する毎日です。


10代の自分との約束

2008-05-27 | 旅人のひとりごと
いつからでしょうか。
日常の生活の中で、自分の声が聞こえなくなったのは。



「自分の気持ちに正直に生きたい」

まだ自分が10代だった頃、この胸に刻んだ言葉。


1分1秒と毎日の生活に追われ、仕事の悩みがまるで自分の人生の悩みのように思うようになって、失敗を繰り返しながら社会のルールというのものを知って、次第に少しずつ傷つかずに生きていくことを覚えていくうちに、「あれ?今の俺はどうしたいんだっけ?」と、ふと気づくとそんな自分がいました。


大人になって色々なことがわかるようになったはずなのに、肝心の自分自身がわからなくなってしまうのは何か変です。

自分自身がどうしたいのかわからなければ、自分に正直に生きたくても生きようが無い。

たかが100年にも満たない短い人生において、目を閉じて何を見るわけでもなく、何を成し遂げる訳でもなく、ただ死というものに向かって全力で走るだけ。


挫折ばかりを繰り返した20代を経て、少しずつ自分で納得のいく仕事ができるようになって、少しずつ結果もついてきだした30代。

でも高層ビルが立ち並ぶ東京のオフィス街を、地下鉄の駅に向かって家路へと向かう中、何かが違うと感じている毎日。


自分がこの命の終わりを迎えた時、「自分の人生はいったい何だったのか?」と、最後に大きな疑問を残して死んでいくような気がしてなりませんでした。

でもそんな自分が特別だと思えないのはなぜでしょうか。



海外で生活を始めてちょうど2年。

2年前の春に舞い込んできた話を、受けてみようかと考えたのは、今の自分自身の生き方を少し変えてみようと思ったからなのかもしれません。


なのにこの2年間は大きく異なる価値観と生活の中で、自分の慣れ親しんだ「日本に帰りたい」、「東京の生活に戻りたい」といつも思っていました。

本当に笑えない話です。


正直言えば2年たってようやく、やっと欧州の暮らしの良さが少しずつ見え始めた程度です。



「なぜ旅をするのか?」

そんなことを最近自分自身に問いかけています。


大航海時代、人々は「黄金」や「香辛料」等、自分達の生活の中に無いものを求めて海を渡りました。


自分が旅に出るのは、いつの間にか聞こえなくなった自分自身の声に耳を傾ける為なのかもしれないなと最近そんな風に感じています。

大航海時代になぞると、さしずめ「失った自分の声」を求める旅なのでしょうか。

自分はここにいて、声を発するどころか歌うことさえできるのに、まったくおかしな話です。


そしてそれは海外で生活を始めてもそれ程変わっていないような気がしています。
このブログでこんなふざけた戯言を綴れるようになっただけ、少しは改善されてきているのかもしませんが。



「自分探しの旅」

日本のメディアが持ち上げて、一時期流行った言葉です。
しかし今ではどちらかというと、思わず苦笑してしまうような、ネガティブなイメージすら漂います。
でもそんな色に塗りなおしたのも、間違いなく日本のメディア自身でしょう。


ギター1本持って世界を旅してみようとそんな酔狂なことを考えた20代の僕は、旅をすることで本当の自分自身に出会えるかもしれないと、そんな幻想を抱いていたかもしれません。

でも1年近く、世界30カ国以上を旅しても、どこかに自分自身の破片が落ちている訳でもなく、その時も旅をしながら日本から遠く離れた異国の地で、いつも日本を思い、そして過ぎ去った過去の自分の破片(ピース)を1つ1つつなぎ合わせていく作業をしていたような気がします。

そして旅を終えて出来上がったものは、まだ見ぬ未来の自分の姿ではなく、かつてかけ足で駆け抜け、見失ってしまっていた過去の自分自身の姿でした。


そう、やっぱり未来は自分自身で思い描き、1歩1歩今を精一杯生きることでしか築けないものだと、その旅を通して教わった気がします。


それから自分の旅は、「自分作りの旅」に変わったような気がします。


自分自身がどうしたいのか、そこへ向かって1歩ずつ前に進んでいるかを、旅を通して確認しているのかもしれません。


日常の生活から遠く離れないと、自分自身の声も聞こえないのか?という自問自答はこの胸の中にもあります。


今ちまたで騒がれている「ひきこもり」は、他人とうまく会話ができず自分の中に閉じこもっている状態を言うそうですが、人混みの中に同化して自分自身と会話できなくなった人間は何と呼ぶのでしょうか。

しいていえば今の自分はそんな状態なのかもしれません。


でも旅をすることで、自分自身と会話できる自分がまだここにいるのだと、少しポジティブに考え始めた自分がここにいます。


「自分の気持ちに正直に生きたい」


10代の頃の自分に胸をはって生きられる、そんな自分でいたいと思います。


※写真:ユーラシア大陸最西端ロカ岬にて(ポルトガル2007)

アフラージュで水浴びする子供達(ニズワ近郊/オマーン)

2008-05-27 | 旅フォト(中東)
同じくファラジュ・ダリスで水浴びする子供達です。

飲料水から炊事、洗濯等の生活用水、作物を育てる為の農業用水、そして遊び場と600年以上昔からこの地の人々はアフラージュと共に生きてきました。

アフラージュで入浴する人々(ニズワ近郊/オマーン)

2008-05-27 | 旅フォト(中東)
オマーンのアフラージュ(灌漑用水路)写真を少しアップします。

2006年に世界遺産にもなった600年以上前のニズワ近郊の灌漑用水路でも、最大級のファラジュ・ダリスです。

画面奥にはファラジュで入浴する人々の姿が見えます。


敬虔なイスラム教徒が多いオマーンでは、男性でも人前にあまり肌を露出しないので、近づいたら小さな子供以外は皆ファラジュからあがって服を着てしまいました。
(知らずに悪いことをしました)