拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

新しい仕組みを作ること

2016-01-07 | 旅人のひとりごと


新しい仕組みを作るということは、試行錯誤の連続なのだなと感じます。

先日、ワークスタイル変革を実践している方々とお話する機会がありました。
その中にあった言葉。日本は住宅事情の問題があり、「自宅で仕事がしづらい」ということ。

仕事に集中できる部屋があれば別だが、自宅に自分のスペースを確保することが難しい人が多く、結局会社に出社した方がはかどるといった現実があります。
この「現実」というのは、とても重要だと思います。

一方で、「今の日本の働き方でいいのか」という、視点があります。

自分はこの10年を振り返って、仕事を生きがいにしてきたし、これからも仕事にやりがいを感じて生きていきたいと心から思っています。
(旅と音楽をテーマにしたブログでこんな事を言うのも何ですが、「やりたい事」や「好きな事」を少しでも仕事で実現できるようにといつも思っています)

ただそのために、沢山のものを犠牲にしてきたし、失ったものも大きい。
キミノセの歌詞にある、「大事なもの無くさなきゃ生きれない世界を変えたい」というフレーズは、心の底から出た言葉。

「家では仕事をしない」というまったく別の発想もあります。
カフェやファミレスではない新たな、仕事ができる共有スペースを街中に作るという考え方もあります。
テラスハウスの番組の影響で、都内にシェアルームが急速に広まっているように、「需要」があれば必ずこの国には、「供給」が生まれる。
まだまだこの取り組みは始まったばかり。

「難しい」と、「できない」・「不可能」は同じじゃない。
大切なのは、「本当にそれが必要か?」という事と、「どうしたら実現できるのか?」という「ゴールからの逆引き」の発想。

「自殺大国」などという不名誉な称号を返却できるように、
「生活は豊かだけど幸せを感じにくい国」というフレーズが忘れ去られるように、
「人身事故」という言葉が死語になるように、
この国の未来に「選択肢」を作る為に、チャレンジを続けたいと思っています。




優しさを次の人に(ジャクソンビル/USA)

2015-12-29 | 旅人のひとりごと


仕事が順調に終わり、最終日に半日時間ができたので、ホテルのレセプションで教わったローカルバスを乗り継いで、ジャクソンビル市内のショッピングモールへ行った時のこと。

帰りのバスに乗ったものの行き先が逆で、結構走ってしまった後に、急いで飛び降りたものの、逆方向のバスがなかなか通らず、タクシーを拾おうと20分程さまよっても、これまた見つからずで困り果てていた頃、それらしき車が通りかかったので、手をあげてみたのですが、無視して走り去ってしまいがっかり。


しかしその車が、すぐ近くのファストフードエリアの駐車場に、入っていったので追いかけてみると、タクシーではなくサンドウィッチのデリバリー車とのこと。

タクシーが捕まらないこと、バスも通らないので困っていることを話すと、ホテルまで送ってくれることに。(アメリカは治安上、ヒッチハイク禁止の国なので、たぶんこれは珍しい事だと思います)


20分位車を走らせてくれ、ホテルの前まで到着。

タクシーだと料金的には40USD位はとられてもおかしくない距離なので、お礼をしようとしたところ言われたのが、「お礼はいいから、この優しさを次の人にあげてくれ」という言葉。


なんだか忘れかけていたものを、はっと気付かされた気がしました。


負のスパイラルではなく、善意の輪が広がるように、自分も次の誰かに、優しくしたいとそう思った1日でした。


写真:ホテルまで車で送ってくれたデリバリーサンドイッチ屋のお兄さんが、以前働いていたという別のホテル近くのチェーン店舗。この日の夕食は、ここのサンドイッチをテイクアウトして、部屋で食べました。

急激に変わりゆく世界

2015-11-14 | 旅人のひとりごと


2015年11月13日、パリで発生した爆破テロは死者120名を超え、世界中が衝撃に包まれています。

このテロはイスラム国による犯行と言われており、奇しくも13日の金曜日を狙ったものなのか?と思いつつも、金曜礼拝の日になぜ?という感じもしています。


僅か数か月前に訪れたばかりのパリですが、あっという間に世の中は情勢を変えていきます。

すごい勢いで地球が小さくなっている現代。
日本の中にいるとあまり実感がないかもしれませんが、怖いくらい異常な程のスピードで、世界はどんどんと小さくなっています。

もうこのような惨劇は、決して遠い国の出来事などではありません。

日本企業がパリへの渡航を自粛したというニュースが流れていましたが、そんなレベルの話をしていて、本当にこの国の未来は大丈夫なのか?と心配になります。

ついこの前に欧州での難民問題が話題になっていましたが、元をたどれば同じ話です。


地球の裏側で起きた出来事が、瞬く間に自分達の生活をガラリと変えてしまう時代。
必死に積み上げたモノや“前提”が、1万キロメートルも離れた場所での出来事によって、一夜にして崩れ去る時代。

すべてのモノゴトを、地球レベルで考えないといけない時代は、もうすぐそこまで来ています。


※写真:今年の夏に訪れたParisでの1枚

新企画始動!

2015-09-17 | 旅人のひとりごと


キミノセのiTunes配信受付が完了し、間もなくリリースされる見込みです。
(海外標準は超ベストエフォートの為、公開日がリリース日になるので、毎日チェックしていますが、今日のステータスは「まもなく」でした。苦笑)

さてそんな状況ですが、新しい企画がまた始動します。

ありがたいことに、昼間の仕事も山場を迎えていて、ヨーロッパや中央アジア、アメリカとの時差対応があったりもするので、かなーーーりバタついていますが、このタイミングで新企画をスタートさせちゃうか?と、思わず自分にツッコミを入れたくなる感じです。
(ただし今回は前作と違って、超低予算ですが)

仕事の知人に話したら、まさにマグロ(止まったら死んじゃう)ですねと言われました。

ビーチでのんびりしたい~と言いながら、真逆のことやってますね。ホント。(笑)

追い求めたモノのこたえ

2015-08-30 | 旅人のひとりごと


これまで昼間の仕事をしながら考えさせられてきたことを題材に、約2か月前に頭に思い描いたものを台本にして、その3週間後に欧州に飛んで撮影をし、帰国して1か月後となる今日、そのMOVIEが公開となりました。
(今年の夏休みを全部撮影に捧げて、墓参りに一時帰省した新幹線の中でも、エンディングテーマの歌詞を書いたりしながら、このMOIVEが出来上がりました。笑)


今回のMOVIEの監督や映像編集、カメラ&音響まで担当して頂いている方は、自分がメジャーデビューする以前からのお付き合いで、レコーディングやLiveツアーでギターを弾いて頂いたことをきっかけに、自分の音楽のアレンジや、インディーズに戻ってからのアルバムプロデュースなどをして頂いていた方です。


初めてレコーディングの現場でお会いしてから、随分と月日が流れて、自主制作とはいえ、いまこうやって一緒に映画を作っているなんて、出会った頃は予想できなかったねと、最近一緒にお酒を飲みながらよくそんな会話をしています。
(20代の終わり頃にご縁があった久石譲さんに、「キミは映画(音楽)はやらないの?」と言われて、やってみたいという思いはあったものの、今年になるまでは遠い世界の話でした)


20代の頃はロックなのか、そうでないのかという事にこだわった時代もありました。

あれから時間た経ち大人になった今、たぶんそれはサウンドがどうだとか、歌詞がどうだとかという話ではなく、「自分が正しいと思う事、いま大切だと思う事に、どれだけ正面から向き合って生きていけるか」という事なのだと思っています。

いま自分の掌にあるもの、そして周りにあるものを見渡せば、もっとうまくやれるんじゃないか?そんなに大変な思いをせずとも、もっと良い暮らしができるんじゃないか?と考えたりもします。

時間をかけて、それだけの積み重ねをしてきたはずだろうと。


しかしたった100年にも満たない人生の、その終わりの日を考えた時。

自分自身の思いに対して、裏切らず、正直に生きられたことを誇りに感じたい。
どんな結果になるかわからないけれど、納得して笑顔でその日を迎えたい。

そんな風にいまは考えています。


これまで不器用な生き方をして、流してきた涙や悔しさを恥じてはいないし、たとえ光は当たらずとも、自分が正面から向き合って積み重ねてきた仕事に対して頂いた、「ありがとう」という感謝の言葉を自分の誇りに感じています。

音楽、そしてずっとモノづくりをしてきた現場の人間だから、自分の仕事が少しでも誰かの役にたてたり、誰かを少しでもしあわせにできることが、この上ない喜びだったりします。


そしていま感じているこの気持ちがきっと、20代の頃に自分が追い求めたモノのこたえなのだと、そう信じています。


10年後の未来に、酒場で飲みながら自分がどんな話をしているのか、少し楽しみな今日この頃です。



パルミラの地雷

2015-06-22 | 旅人のひとりごと


パルミラ遺跡に地雷が仕掛けられたというニュースを目にしました。

長い年月をかけて世界を旅してきて、あちこちに沢山の思い出が詰まっていますが、当時とすっかり変わってしまった場所が増えていく中、このパルミラもついにかと、大きなショックを受けています。

己が頭上どころか、彼の地の遥か彼方の時代にまで唾を吐く行為で、地雷をしかけた連中には激しい憤りと悲しみをおぼえます。


彼らにとってはその行いこそが正義で、かつてのローマ様式の建築物こそが悪なのでしょうが、過激かつ排他的な宗教とは縁遠い自分には、とても理解できる行為ではありません。


一方で自分達の世界を振り返ってみると、自身が正しいと思い行っている行為、よかれと思ってやっている行為が、実はこのパルミラの地雷と対して変わらないことがあったりするのだろうかと、そんな気持ちになったりもします。


今はただ、このパルミラの遺跡が無事に、彼らの手から解放されることを祈るばかりです。


※写真:かつて訪れたパルミラ遺跡(シリア)

最近考えさせられていること

2015-04-10 | 旅人のひとりごと


2015年3月24日、バルセロナ発デュッセルドルフ行きの、ジャーマンウイングス9525便が墜落しました。

当初は事故と考えられていましたが、調査の結果、副操縦士による意図的な墜落だと言われています。


なお同機には、自分のドイツ時代の元同僚(先輩)が搭乗していました。

欧州の生活と旅が好きな気さくなおじさんで、定年退職後ふとオフィスに顔を出し「これから旅行なんだよ」と楽しそうに笑う姿をみながら、こんな生き方もあるのだなと当時そんな事を思っていました。


はじめてギター片手に世界を旅しようと思い立ったのは、自分と向き合い、自分の道を見つけたいと思ったから。

世界一周の旅を終えた後しばらくして、約10年の月日をかけ、再びギター片手に世界の半分以上の国に足を運んだのは、ギリギリの局面を生き抜いていく為に、もっと視野を広げ、自分の引き出しを増やしたいと思ったから。


そうやって1つずつ築きあげてきた経験は、日々海外と一緒に仕事をする中で、今も大きな助けになっています。

しかしやはり日本での生活は、他のそれとはスピードが違うのでしょうか。
ずっと全速力で走ってきて、ふと立ち止まり辺りを見渡すと、自分がどこにいるのか、わからなくなる時があります。

人生最後の日に、自分は自身が歩んできた道をどのように振り返るのだろうかと、最近あらためてそんな事を考えさせられています。


海外の現場で日本人だけが孤独に頑張っている、かつての自分のような人々の手助けになるような“武器(ツール)”を普及させて、日本から海外の現場を後方支援できる土壌を作ろうと、帰国後はそんな活動も続けていますが、“多くの日本人にとって世界はまだ遠い”のだと、日々そんな現実を突きつけられたりもしています。
(目の前の顧客から言われる「ありがとう」は、今も救いではありますが、アプローチを変えないといけないとも感じています)



突然、まだ見ぬ国を巡る旅を、もう少しだけ続けてみようかと、最近そんな気持ちになりつつあります。
(ビザ不要の国を巡るだけでも、まだ20ヶ国以上あるので)

人生をかけて何か1つの事をやり抜く。

たとえその行為自体に何の意味が無いとしても、そこから生まれる新たな何かがあるような、そんな気がしています。


※写真:渡独間もない頃に訪れた大聖堂の入口(Köln)



昨日まで無かったものを明日のために

2014-04-26 | 旅人のひとりごと


最近NY関連の仕事が始まり、時差の関係で夜中でも仕事をしていたりします。

もちろんアジアだったり、欧州だったり、日本だったりの仕事も一緒にしているので、気が付くと自分が思っている以上に、かなりお疲れモードになっていたりします。


グローバル”や世界”という言葉で一括りにされがちですが、実際にはローカル(ご当地)”ごとで全然事情が違います。

例えば海外に行くと、日本人も韓国人も中国人も皆同じ言葉で同じ文化だと思っている人たちが沢山いますが、実際はそれぞれ全然違う言葉や文化です。

そんな中で、僕たち日本人は、日本の文化であり強みでもある「品質」を維持する為に、日々汗を流しています。


欧州で人手もモノも無い中でずっと仕事をしてきたので、相手の状況が痛いほどわかることもあって、これは日本側が頑張らないとなと思い、無意識に体が動いて、日々忙しさに追われるだけの毎日になっていたりしますが、最近これから海外に出て行きたいという人から「どうして日本に帰ってきたんですか?」と聞かれ、当時の気持ちを忘れかけている自分に気づかされることがありました。


夜部屋で1人、久しぶりにふと以前このブログにもアップした「ニッポンジン!」のことを思い出し、それは最終話にカズさんが語った言葉に込められた思いだったなと、当時の思いを反芻していました。


昭和のアニメで描かれた未来には、ロボットが働き、自動車が空を飛んでいましたが、昨日まで無かったものを、明日実現する為に、今日の自分は生きているのだと、そんな風に言えるように生きたいと思い、日本へ戻って「新しい仕組みを作ろう」と思ったあの日の自分。

カズさんが語った言葉を、もう一度噛みしめてみようと思います。


※ニッポンジン「Final Session/カズさんのパートより」

一度この小さな島国の外に飛び出すと、オレ達は嫌がおうでも思い知らされる。

ニッポンで生まれ育ったオレ達は、どこまで行ったって、どんなにあがいたって、結局ニッポンジンなんだって。

でも日本は今、未来への希望の光と、進むべき道を見失いかけている。

世界のどの国も真似できない、高いクオリティを持った日本の製品達が、円高や税制度の問題、韓国などの新しいライバルの存在によって、今世界で苦戦を強いられている。

そんな中、現在の日本の大きな強みは、長年世界最高品質の製品とサービスを支え続けてきた、オレ達「ニッポンジン」自身だ。

これまで日本製品が、世界の人達の暮らしを変えてきたように、これからはより多くのニッポンジンが海を渡って、世界の人達の暮らしを変えられる可能性があるって、オレは感じているんだ。

シンジの言うとおり、他人に言われなくても普通の人達が高いレベルで頑張れる"ニッポンジン"は、オレ達自身が思っている以上に、日本の大きな武器だ。

しかしシンジがそうだったように、いきなり海外生活未経験で出て行っても、その国に適合し本来の力を発揮できるまでには、少なくとも2~3年は時間がかかってしまう。

その間、誰からもサポートを受けられず、うまく現地へ適合できなければ、何も成し遂げられないまま挫折する可能性も高い。

仮にそれを個人のチカラで乗り越えて、その国に適合できたとしても、孤立無援の篭城状態で、日本人だけが1人で頑張り続けるという構造では、いずれ限界が訪れる。

だからニッポンジンが、これからもっともっと世界に出て活躍するには、そのニッポンジンを支える「新しい仕組み」が必要だと思うんだ。


海外に出て行くニッポンジンの絶対数が増えれば、いままでは出来なかったことでも、可能になることが増えてくる。

そしてFacebookを使って実現された、アラブの春の例にもあるような、インターネット技術の発達とその応用は、日々すごい勢いで地球のサイズを小さくし、新しい選択肢と可能性を増やし続けている。

これらは「新しい仕組み」を作る上で、大きなヒントになるだろう。


あの夜、オレやシンジは、ピッチに立って実際に戦えた訳じゃない。

でもスタジアムに響き渡った、オレ達の「ニッポン!!!ニッポン!!!」という叫び声が、まったく無意味だったとは思えないんだ。

一人ひとりの声は小さくても、オレ達の叫び声が、周りの人達の声と重なり、それが大きな輪となってさらに広がり、1つの固くて強い「思いのカタマリ」となって、選手達を支える大きな力になれたって、オレは信じているんだ。

同じように、世界の最前線で戦うニッポンジンが結果を出せるよう、後ろで、周りで支えることがすごく重要だって、この数年間、Facebook越しにシンジの背中を見ながら、強く感じていた。

これからニッポンジンが、世界で大きな活躍をし続けていくには、ニッポンジン同士が今以上に手をとり助け合い、支えあうことが絶対に必要だ。

皆が強い「心の軸」と「自分の武器」を持って、自分の与えられた役割を背一杯頑張る。そしてそれを「周りが支える」。

そうすることでオレ達ニッポンジンは、この国と自分達の未来に、希望という名の光を再び灯すことができるとオレは思うんだ。


※写真:リトルなでしこU17W杯優勝(FIFA via Getty Imagesより)

スティーブ・ジョブズ

2014-02-02 | 旅人のひとりごと


先日ニューヨーク行きの長時間フライトでみた映画の1つに、“スティーブ・ジョブズ”があります。

当時ミュージシャンを志す学生だった自分が、初めて買ったPCがMacだったこともあり、個人的には親Apple派なのですが、一方で20代で夢破れた後、今もこうしてご飯が食べられているのは、彼が忌み嫌ったビルゲイツのおかげだったりする現実がある(先日のタイでの仕事もWindowsシステム導入だった)ので、ちょっと複雑な思いがあります。


ただ“旅”という視点でみても、最近は出張の合間の休日旅ということもあり、今ではカメラすら持たずに全てをiPhoneですませ、航空券もホテルの予約・購入もEチケットで、ガイドブックが無くてもGoogleの検索と地図があればOKという状況です。

極端な話、今やパスポートと財布とiPhoneだけあれば、世界中どこへでも行けてしまうようになりました。

そういった意味でこのiPhoneの登場は、僕たちのライフ・スタイルを大きく変えた、ジョブズの快心の一作だったと思います。


未だ何者でもない自分ではありますが、人生の最後の瞬間を迎えた時に、何かを成し遂げることができたと思える自分でありたいと、日々そんなことを思っています。。。


頑張れば何だってできる。何にだってなれる。

2013-06-28 | 旅人のひとりごと

「人間、頑張れば何だってできる。何にだってなれる。」

人生の1つの節目を迎えていた12年前、作曲家の久石譲さんに言って頂いた言葉です。

12年経った今、自分は何になれたのでしょうか。

もっともっと頑張ったら、その先で何になれるのでしょうか。

最近あらためて、譲さんに言って頂いたこの言葉を、反芻し直している自分がいます。。。