拝啓、世界の路上から

ギター片手に世界を旅するミュージシャン&映画監督のブログ(現在の訪問国:104ヶ国)

夏の終わり

2008-08-25 | その他
北京五輪が終わりました。

北島選手やソフトボール等が頑張ってくれましたが、サッカーや野球が好きな自分にとっては、全体的にいま1つのオリンピックだったような気がします。

五輪が終わって夏も終わってしまった感がありますが、日本ではどうでしょうか。


欧州(南欧を除く)ではすっかり秋模様で、華やいだ季節が過ぎ去ってしまったような気がして、なぜか少し寂しい気持ちさえします。

そのせいでしょうか、今週末は時差ぼけが残る中、久々にColdplayの音楽を聴きながら静かに過ごしました。



さて来週からは2週間仕事でフランスです。
来週末は土日もパリで過ごすので、町にも出てみようと思っていますが、ブログの更新は自宅に戻ってからになるかも。。。


それでは今日はこの辺で。


追悼の十字架前で歌う(ヴィリニュス/リトアニア)

2008-08-24 | 旅人のひとりごと
バルト三国の旅フォトの最後にこの写真をアップします。


これは1991年1月13日の「血の日曜日」事件で、テレビ塔前で犠牲となった人々の追悼の十字架です。

当時は米・イラクを中心とした湾岸情勢に世界が釘付けとなっているときで、1990年3月に独立を宣言したリトアニアを旧ソ連軍がとりかこみ、非武装の市民14人がこのテレビ塔前で命を落しました。


食料品値上げに対するロシア人、ポーランド人のデモを口実に、この2日前となる1月11日の金曜日に、旧ソ連軍が軍事介入し出版センターが占領され、当時のランズベルギス議長の呼びかけで国会議事堂と、言論の自由の核であるTV施設を守る為に市民が集結しました。


12日の夜中、KGBや共産党員等からなる国家救済委員会が権力掌握を宣言し旧ソ連軍が軍事作戦を展開、翌13日の日曜日に大量の戦車と兵士がテレビ塔を襲い、建物を守っていた非武装の市民がこの場所で命を落としました。



雪の降りしきる中、国会議事堂には、同じく非武装の市民が祖国の歌を歌いながら議事堂を守っていましたが、もし同様に旧ソ連軍が議事堂へ侵攻していたならば、さらなる大量虐殺が行われていたことは必至でした。


そしてこの問題は遠い過去の歴史などではなく、現在なお、北京五輪のさなか自分がリトアニアを訪れた1週間後、同じバルト三国であるエストニアを訪れているその日に、ロシア軍がオセチア、アブハジアの境界を越えたグルジア領内で、その軍事作戦により多くの人々が命を落としました。


これは現地のロシア系人民の解放を訴え軍事介入をしたロシア軍という構図は、まったく同じです。


ロシアはコーカサス地方の原油等の資源を抑えたいという思惑から、今回の軍事行動につながっているようですが、一方グルジアを支援する米国がイラクで行ったことも、まったく同じ(それ以上)であり、普通の日本人会社員が仕事上で日常的に関っているロシアやアメリカにおいて、21世紀になってもこのような事件が当事国として起こり続けています。

いつまでたっても人類は同じ過ちを繰り返し続けているのだと、やるせない気持ちになります。



今回のグルジア問題について、日本では「遠い国で起こった自分達には無関係の事件」と、多くの人々が「無関心」のように見受けられます。


同様にこのリトアニアで起きた事件は、当時まだ10代で日本に住んでいた自分にとっても、見知らぬ遠くの国で起きた事件で、正直この場所を訪れるまで、その事実を知りませんでした。



2000年から世界を歌いながら旅していますが、年々世界は確実に「小さく」なってきている気がします。


移動技術や通信技術、インターネット等の発達によりそれを感じますが、身近な「原油価格問題」1つとってもわかるように、経済や生活といったレベルでもそれは確実に「遠くで起こっている事件」ですまされない時代が訪れようとしています。

地球上のどこかでおこった事件が引き金となり、身近な朝鮮半島問題、自分達が住む街でのテロ事件、自分達の生活や人生を大きく変えてしまう程の大きな流れへとつながる時代が訪れようとしています。


私達日本人が「日本人」であることを意識するのは、オリンピックやワールドカップといった国際試合や、仕事、旅行で海外に出た時位で、島国にニッポンでそれを感じる機会は幸か不幸かそれ程多くありません。


しかし近い将来、いやがおうでもそれを意識させられる日が来ることを、日本を遠くはなれて暮らしているとひしひしと実感します。

そしてそれはいずれ「地球人」という、今では大きすぎて実感がわかない、そんな単位へとシフトしていくことでしょう。

それは100年、200年といった遥か遠い未来などではなく、私達が生きている時代に確実にやってくると思います。



この十字架前でギターを片手に歌っていると、並んだ十字架が「この場所で起きたことを忘れないで」と語りかけているような気がしました。


自分達が住むこの地球上でかつて起こったこと、現在起きていること、これから起きようとしていることに対して、その事実、真実を少しでも知り、そして明日自分達がなすべきことを考え、「1人の地球人」として行動していきたいと思っています。

テレビ塔(ヴィリニュス/リトアニア)

2008-08-24 | 旅フォト(北欧・中欧・東欧)


町の中心から約5kmはなれた、高さ約326mのテレビ塔です。

ここは1991年の「血の日曜日」事件で最も多くの犠牲を出した場所ということで、どうしてもこの場所で歌いたいと思い、中央駅前からバスに乗ってこのテレビ塔へ足を運びました。

夜明けの門(ヴィリニュス/リトアニア)

2008-08-24 | 旅フォト(北欧・中欧・東欧)


聖テレサ教会の夜明けの門にある、聖母のイコンです。

この聖母は奇跡を起こす力があると今も信じられており、多くの信者が入れ替わり訪れて祈りを捧げています。



この聖母のイコンの前に立った際、思わず跪いてしまう程の何かを感じました。

聖アンナ教会(ヴィリニュス/リトアニア)

2008-08-24 | 旅フォト(北欧・中欧・東欧)


16世紀後半に建てられたゴシック建築の教会、聖アンナ(オノス)教会です。

33種類もの異なった形のレンガが使われているそうで、当時のヨーロッパで他に例が無い最高峰の技術を集めた建築だったのだとか。

1812年のロシア侵攻の際、ナポレオンが立ち寄り、この教会をフランスに持ち帰りたいと語ったそうです。

ゲディミナスの塔(ヴィリニュス/リトアニア)

2008-08-24 | 旅フォト(北欧・中欧・東欧)


13世紀に建設されたゲディミナス城の城壁の塔です。

この塔の前から、ヴィリニュスの町を眺めながら歌いました。


城は19世紀にロシアによって破壊されてしまい、現在はこの塔が展望台と博物館になっています。

大聖堂裏手の同城の王宮は、現在再建工事が進められています。

STEBUKLAS(奇跡)の敷石(ヴィリニュス/リトアニア)

2008-08-24 | 旅フォト(北欧・中欧・東欧)


大聖堂の鐘楼近くにある「Stebuklas(奇跡)」の敷石です。

1989年8月23日の「人間の鎖」の基点となった場所です。

リトアニアの首都ヴィリニュスのこの場所から、エストニアの首都タリンからまで、バルト三国の人口約半数にあたる約200万人の人々が参加して手をつなぎ、600キロ以上の道のりを人間の鎖を作って、当時の旧ソ連からの独立を訴えました。

自分達の想像をはるかに超えた歴史上の事実です。


そしてその想いは1991年の独立実現へとつながりました。


この敷石は確かに「奇跡」への基点となった場所です。



皆の強い思いが1つになれば、不可能を可能にすることができるのだと、この敷石は教えてくれているような気がします。


大聖堂(ヴィリニュス/リトアニア)

2008-08-24 | 旅フォト(北欧・中欧・東欧)
ヴィリニュスの大聖堂(アルキカテドゥラ)です。


元々は雷神(ペルクーナス)を祀る自然崇拝の聖地だったそうですが、13世紀にキリスト教の大聖堂として建立されたのがはじまりだそうです。

現在の大聖堂は18世紀に改築されたものです。


ヴィリニュスの町のシンボルとなっています。