所用で浜松に行った帰りに静岡の友人宅を訪ね、この蓬莱橋に連れてきてもらいました。
何でも世界一の長さの木造歩道橋だそうで、897.4m。(約1キロ)。
大井川のこちらの岸からあちらの岸まで、ずーっと木の橋がわたっていて、手すりの低い歩道橋。
下の大井川の流れが結構な流量で、ちょっと怖かったです。
怖かったので真ん中を歩きました。自転車も通行可とあったけど、自転車は怖いんじゃない…?
向こう岸にわたって見えた富士山。
午後3時ころで、行きはポカポカのんびり歩いたけど
帰りは何だか冷えてきました。
その後、もう少し上流の島田市へ。
例の「箱根八里は馬でも越すが、越すに越されぬ大井川」 の川越しの歴史を伝える街並みと博物館がありました。
(写真は島田市博物館のパンフレットより)
今まで考えたことはなかったけど、これは乗ってる方もつらいけど、乗せてる方はもっとつらい。
この博物館のHPを見ると、これでどうやら今の値段で12000円くらい(水深によって値段が変わるが)…。東京から浜松の新幹線自由席より高い!
絵の奥の、手すりのある蓮台はもっと高い。
これはもっとつらい↓
(島田市博物館分館パンフレットより)
これでどうやら2000円くらい。やはりその日の水深によって値段が違うらしい。
馬に乗ったまま渡れるのは士分以上のものだったとか。
夏はいいとして、この寒い時期はどうだったんだろう…。
参勤交代のたびに、「ちっ…また大井川渡るのか…」と考えた人たちもいたでしょうね。
幕府の防衛措置で通船架橋が禁じられたとはいえ、幕府も罪なことをするものだなとか、普段は新幹線でしゅっと過ぎてしまうけど、実際にちょっとだけ歩いてみてあれこれ思いました。
だから農道で、今でも通行料金100円を取るということらしいです。
橋の向こうは確かにハイキングコースのような道で、その向こうは茶畑でした…。
それより前に別の街道沿いの通行用の橋が架かってたかどうかは、…調査不足です…。
けっこう物差しは違いますね。エチオピア人は、今でもびっくりするほど健脚で、目も信じられないほど遠くが見えます。
当時は川の水に入ってもけっこう焚き火したりして寒さを感じなかったかもしれません。お金はもらえるし。私も毎日水風呂に入っていますが、最初の頃より寒くはありません(笑)。
最後になりましたが、木の橋は素敵です!
子供の時、雪が降ったら泣いていたと姉妹にからかわれました…。
たしかに、江戸の人たちは今より10℃くらい低い気温がちょうどよかったみたいなことは聞いたことがあります。
雪道を裸足に下駄、みたいな映像(ドラマで)ありますね…。
私も子供世代よりは低い温度がよくて、冬場のエアコン設定は20℃ぐらいです。
この橋は歩き心地も素敵で景色もよかったです。ただ帰りは寒かった…。
そのあとで川越しの資料館ですから、寒さが身に染みました。