ぼんやりと、時間が過ぎるのを見ている。
空の青さが眩しい。
今週に入ってから、
心が浮き立つ、ということがない。
料理をあれこれ作って、家の中を磨き立てて、
ライター仕事にしがみつくのは、
こういう時間をもちたくないだけのことだと気付く。
自分と向き合う時間。
お金に困っているわけでもないのに、仕事がないと落ち着かないのは、
「仕事」を理由にできないため。
わかっているけれど、自分と向き合うことができない。
生活は楽しく、幸福で、美しい瞬間がある。
仕事先の人からも認められ、評価を受け、実際の仕事も次々もらえている。
世の中で一番小さな単位くらいの「成功」はおさめているように思える。
だけど、こうやってたっぷりの時間と自由が自分に与えられたとき、
私は自分の底にある空虚さを知る。
それが何なのか、見つめることすら億劫だ。
なのに、偉そうに人の心にはドカドカと土足で入り込むようなことをする。
泥をつけて、それを拒まれると「あんたはそんなに清潔なのか」と叫ぶ。
人の人生なんて誰にも背負えないと知っていながら、
それでも、人の心を動かせるものは、やっぱり人だけなんだと、
その想いが湧き上がるのを押えきれず。
がんばれ、がんばれと、人を口先だけで応援し、
自分の誠意は、相手の心に土足で入りこむ「真っ直ぐさ」なのだと主張する、
こんな愚かなことはない。
人は、人に、決して踏み入られたくない弱さをもっている。
そこに無理に踏み入れると、異常なほどの頑なさで壁を作られる。
そんな壁を、何度も見てきた。
そのたびに後悔してきた。
相手を傷つけたのと同じ衝撃が心に迫るのだ。
鏡みたいに跳ね返る。
人のことにお節介するなら、まずは自分と向き合わなくては。
自分は一体どうなのか。
結婚して、いろんなことが良い循環で動き出して、
まるで最初から傷ついたことも傷つけたこともない、幸せな人間みたいな顔して生きている。
向き合うことも忘れて。
壁を作られて、跳ね返ってきたものを、まともに心にくらったときから、
私は自分の底にある空虚さから目をそらせなくなった。
そして、相変わらず「いい訳」と「逃げ場」を探している。
この日記もまた、いい訳であり、逃げ場でしかないのを知りながら、
自分の心を整理するために、書いている。
空の青さが眩しい。
今週に入ってから、
心が浮き立つ、ということがない。
料理をあれこれ作って、家の中を磨き立てて、
ライター仕事にしがみつくのは、
こういう時間をもちたくないだけのことだと気付く。
自分と向き合う時間。
お金に困っているわけでもないのに、仕事がないと落ち着かないのは、
「仕事」を理由にできないため。
わかっているけれど、自分と向き合うことができない。
生活は楽しく、幸福で、美しい瞬間がある。
仕事先の人からも認められ、評価を受け、実際の仕事も次々もらえている。
世の中で一番小さな単位くらいの「成功」はおさめているように思える。
だけど、こうやってたっぷりの時間と自由が自分に与えられたとき、
私は自分の底にある空虚さを知る。
それが何なのか、見つめることすら億劫だ。
なのに、偉そうに人の心にはドカドカと土足で入り込むようなことをする。
泥をつけて、それを拒まれると「あんたはそんなに清潔なのか」と叫ぶ。
人の人生なんて誰にも背負えないと知っていながら、
それでも、人の心を動かせるものは、やっぱり人だけなんだと、
その想いが湧き上がるのを押えきれず。
がんばれ、がんばれと、人を口先だけで応援し、
自分の誠意は、相手の心に土足で入りこむ「真っ直ぐさ」なのだと主張する、
こんな愚かなことはない。
人は、人に、決して踏み入られたくない弱さをもっている。
そこに無理に踏み入れると、異常なほどの頑なさで壁を作られる。
そんな壁を、何度も見てきた。
そのたびに後悔してきた。
相手を傷つけたのと同じ衝撃が心に迫るのだ。
鏡みたいに跳ね返る。
人のことにお節介するなら、まずは自分と向き合わなくては。
自分は一体どうなのか。
結婚して、いろんなことが良い循環で動き出して、
まるで最初から傷ついたことも傷つけたこともない、幸せな人間みたいな顔して生きている。
向き合うことも忘れて。
壁を作られて、跳ね返ってきたものを、まともに心にくらったときから、
私は自分の底にある空虚さから目をそらせなくなった。
そして、相変わらず「いい訳」と「逃げ場」を探している。
この日記もまた、いい訳であり、逃げ場でしかないのを知りながら、
自分の心を整理するために、書いている。