『新しい自分が見たいのだ―――仕事する』
陶芸家・河井寛次郎の言葉だ。
こうも言う。
『昨日の自分には人は皆用がない。繰返しなんかには用がない。
いくら繰返しをやって居ると思つても、
その繰返しの中にいつも繰り返さない自分を見ようとして居るのだ。』
新しい自分を見たくて、仕事をする。
仕事は暮らしで、暮らしは仕事。
私はこの考え方がとても気に入っている。
私の生き方に合っている。
水曜日、あまりに天気がよく、急ぎの仕事もなかったものだから、
ついつい散歩に出かけてしまった。
行き先は決まっている。
大山崎山荘美術館だ。
本当にまあ、私は飽きもせず、せっせとここに通っている。
自分の「美」の感覚の原点ともいえる場所であり、
この世の創作物で私が最も美しいと思える作品を所蔵しているのだから、何度行っても飽きることはない。
それに、今は「河井寛次郎 炎の造形展」をやっているので、早く行こう行こうと思っていたのだから、ちょうどよかった。
いつものようにてくてく歩いて40分。
緑の中に、あの美しい建物が見えてくると、心浮き立つ。
河井寛次郎の作品は、それこそいろいろな場所で見てきたが、
今回の展示会はなかなか面白い趣向で展開されていた。
寛次郎の技法と造形の多様さに焦点をあてて検証する、というのだ。
そういう意図で展示説明もあるため、非常に興味深い展示会だった。
「釉薬の魔術師」といわれていた寛次郎の、類稀なる才能がよくわかり、
改めてすごい人なんだと思わざるを得なかった。
「辰砂」といって、銅の成分を含んだ釉薬で焼く技法があるのだけど、
寛次郎はこれがとても好きだったらしく、辰砂の焼き物は非常に多い。
私もこの辰砂が好きで。
河井一門の中で、私が持っているのは河井久氏(寛次郎は大叔父にあたる)と、その息子の達之さんのものだけだが、やはり辰砂の薄い赤色に惹かれてしまう。
ただ、寛次郎のような赤に近い色や時には緑も混じったような色のものは見たことがなかった。
この画像の奥の蓋物の色といったら・・・!
写真では全く伝わらないが、本当に素晴らしかった。
いつまでも見ていたい気持ちになった。
私は陶芸を学んだこともないし、釉薬のことを勉強したこともないが、
とにかくこういうのばっかり見ていると、自然にちょっとは知識がつく。
今回の展示会は、そのちょっとした知識を少し固めてくれるようなもので、久しぶりに知的欲求が満たされた気がした。単純に、面白かった。
例えば、呉須といって、寛次郎がよく造っている青っぽい色の焼き物があるのだけれど、それとは少し違う、もう少し明るい青で緑がかったような作品もある。
今まではその違いがわからなかったのだが、どうやらこれは「碧釉」といって、呉須とは全く違う、寛次郎があみだした釉薬とのこと。
なるほどなぁ。
あと、釉薬だけでなく、「練上」などの技法も習得していて、
寛次郎の練上はあまり見たことがなかった(印象になかった)ので、本当にこの人はどんな技法もものにしてしまう天才だったのだと実感。
こういうのは、とても寛次郎らしい。
三色を使った作品。
この色合いにいつも心くすぐられる。
陶器だけでなく、こういうオブジェのようなものも結構あって、
特に「手」をかたどったものが多いのだが、
こういうセンスもまた好きだ。
わかる人はわかると思うからあえて書くけど、なんで「サバラ!」やねん。
「グワシッ」もあったらよかったような・・・。
(by 楳図かずお「まことちゃん」より)
このぐいのみも素敵だったなぁ。
これでお酒を飲んだら、どんなに美味しいだろうかと妄想が膨らみ、ちょっと泣きそうだった。
結構じっくり見て、寛次郎の魂を堪能した。
音楽と一緒だなぁ。
テクニックや実用性、見た目の美しさ、それを兼ね揃えた作品というのはたくさんあるけれど、「魂」の入ったものは少ない。
でも、SOUL TO SOULで響いてくるものというのは、この世にいくつかはあるのだ。
そういう、魂の造形だった。
だから、美しいんだろうなぁ、普遍的な美だ。
いつものように、2階から私の町を愛しく眺め、
安藤忠雄建築のもう1つの美術館でモネの「睡蓮」を観て、
それから庭園でいつものように、ここの主の木にあいさつをして、
また、40分かけて歩いて帰った。
とても穏やかな午後だった。
ずっとこういう生活をしたかったんだよなぁ。
天気の良いきれいな日に、思いつきでこうやって散歩して、好きな場所へ行って、好きなものを観て・・・。
そういう自由な生活。
仕事もあるにはあるが、まあ、今日は夜やろう、と。
そんなふうに、自分でスケジュールを管理できるのがいい。
歩いているとき、ふと母のことを思い出した。
まだ母が会社勤めをしていたときのことだ。
私は大学生くらいだったと思う。
ある日の夕方、家に帰ると母がいて、いたずらを告白するように私に言ったのだ。
「今日、詩仙堂に行ってきちゃった」
「え?なんで?会社は?」
「さぼった」
なんでも、朝、普通に会社に行こうと家を出たのだが、ふと詩仙堂に行きたくなって、会社をさぼって一人で京都まで行った、というのだ。
詩仙堂はお寺だけど、江戸初期の文人・石川丈山が隠棲した山荘でもあって、仏教色は薄く、とても風情ある庭をもつ。
母がここを好きなのは知っていた。
だけど、会社をさぼって一人で行くなんて・・・。
あのときの母はどんな気持ちだったのかな、なんて歩きながら考える。
辛かったのかな、淋しかったのかな。
今となっては、それを尋ねるのは難しい。
だけど、なんとなく、なんとなくだけど、今ならあの時の母の気持ちがわかるような気がするのだ。
陶芸家・河井寛次郎の言葉だ。
こうも言う。
『昨日の自分には人は皆用がない。繰返しなんかには用がない。
いくら繰返しをやって居ると思つても、
その繰返しの中にいつも繰り返さない自分を見ようとして居るのだ。』
新しい自分を見たくて、仕事をする。
仕事は暮らしで、暮らしは仕事。
私はこの考え方がとても気に入っている。
私の生き方に合っている。
水曜日、あまりに天気がよく、急ぎの仕事もなかったものだから、
ついつい散歩に出かけてしまった。
行き先は決まっている。
大山崎山荘美術館だ。
本当にまあ、私は飽きもせず、せっせとここに通っている。
自分の「美」の感覚の原点ともいえる場所であり、
この世の創作物で私が最も美しいと思える作品を所蔵しているのだから、何度行っても飽きることはない。
それに、今は「河井寛次郎 炎の造形展」をやっているので、早く行こう行こうと思っていたのだから、ちょうどよかった。
いつものようにてくてく歩いて40分。
緑の中に、あの美しい建物が見えてくると、心浮き立つ。
河井寛次郎の作品は、それこそいろいろな場所で見てきたが、
今回の展示会はなかなか面白い趣向で展開されていた。
寛次郎の技法と造形の多様さに焦点をあてて検証する、というのだ。
そういう意図で展示説明もあるため、非常に興味深い展示会だった。
「釉薬の魔術師」といわれていた寛次郎の、類稀なる才能がよくわかり、
改めてすごい人なんだと思わざるを得なかった。
「辰砂」といって、銅の成分を含んだ釉薬で焼く技法があるのだけど、
寛次郎はこれがとても好きだったらしく、辰砂の焼き物は非常に多い。
私もこの辰砂が好きで。
河井一門の中で、私が持っているのは河井久氏(寛次郎は大叔父にあたる)と、その息子の達之さんのものだけだが、やはり辰砂の薄い赤色に惹かれてしまう。
ただ、寛次郎のような赤に近い色や時には緑も混じったような色のものは見たことがなかった。
この画像の奥の蓋物の色といったら・・・!
写真では全く伝わらないが、本当に素晴らしかった。
いつまでも見ていたい気持ちになった。
私は陶芸を学んだこともないし、釉薬のことを勉強したこともないが、
とにかくこういうのばっかり見ていると、自然にちょっとは知識がつく。
今回の展示会は、そのちょっとした知識を少し固めてくれるようなもので、久しぶりに知的欲求が満たされた気がした。単純に、面白かった。
例えば、呉須といって、寛次郎がよく造っている青っぽい色の焼き物があるのだけれど、それとは少し違う、もう少し明るい青で緑がかったような作品もある。
今まではその違いがわからなかったのだが、どうやらこれは「碧釉」といって、呉須とは全く違う、寛次郎があみだした釉薬とのこと。
なるほどなぁ。
あと、釉薬だけでなく、「練上」などの技法も習得していて、
寛次郎の練上はあまり見たことがなかった(印象になかった)ので、本当にこの人はどんな技法もものにしてしまう天才だったのだと実感。
こういうのは、とても寛次郎らしい。
三色を使った作品。
この色合いにいつも心くすぐられる。
陶器だけでなく、こういうオブジェのようなものも結構あって、
特に「手」をかたどったものが多いのだが、
こういうセンスもまた好きだ。
わかる人はわかると思うからあえて書くけど、なんで「サバラ!」やねん。
「グワシッ」もあったらよかったような・・・。
(by 楳図かずお「まことちゃん」より)
このぐいのみも素敵だったなぁ。
これでお酒を飲んだら、どんなに美味しいだろうかと妄想が膨らみ、ちょっと泣きそうだった。
結構じっくり見て、寛次郎の魂を堪能した。
音楽と一緒だなぁ。
テクニックや実用性、見た目の美しさ、それを兼ね揃えた作品というのはたくさんあるけれど、「魂」の入ったものは少ない。
でも、SOUL TO SOULで響いてくるものというのは、この世にいくつかはあるのだ。
そういう、魂の造形だった。
だから、美しいんだろうなぁ、普遍的な美だ。
いつものように、2階から私の町を愛しく眺め、
安藤忠雄建築のもう1つの美術館でモネの「睡蓮」を観て、
それから庭園でいつものように、ここの主の木にあいさつをして、
また、40分かけて歩いて帰った。
とても穏やかな午後だった。
ずっとこういう生活をしたかったんだよなぁ。
天気の良いきれいな日に、思いつきでこうやって散歩して、好きな場所へ行って、好きなものを観て・・・。
そういう自由な生活。
仕事もあるにはあるが、まあ、今日は夜やろう、と。
そんなふうに、自分でスケジュールを管理できるのがいい。
歩いているとき、ふと母のことを思い出した。
まだ母が会社勤めをしていたときのことだ。
私は大学生くらいだったと思う。
ある日の夕方、家に帰ると母がいて、いたずらを告白するように私に言ったのだ。
「今日、詩仙堂に行ってきちゃった」
「え?なんで?会社は?」
「さぼった」
なんでも、朝、普通に会社に行こうと家を出たのだが、ふと詩仙堂に行きたくなって、会社をさぼって一人で京都まで行った、というのだ。
詩仙堂はお寺だけど、江戸初期の文人・石川丈山が隠棲した山荘でもあって、仏教色は薄く、とても風情ある庭をもつ。
母がここを好きなのは知っていた。
だけど、会社をさぼって一人で行くなんて・・・。
あのときの母はどんな気持ちだったのかな、なんて歩きながら考える。
辛かったのかな、淋しかったのかな。
今となっては、それを尋ねるのは難しい。
だけど、なんとなく、なんとなくだけど、今ならあの時の母の気持ちがわかるような気がするのだ。