今日は朝から日が燦々と、真っ青な空で…という言い方(ナント陳腐!)しか知らないほどの快晴でした。
午後からは俳画でしたので、その前に入浴…これは息子が朝入浴して行くので、その後もったいな~いと私も…。すると、浴室の窓から見える栗の木の黄葉が日にキラキラと、それはそれはキレイでした。まっことこういうのを〝至福〟というんでしょうね。
俳画は、新年の季語の〝宝船〟でした。色は朱と紅梅と群青、黄土、あとは墨です。帆掛け船ですので帆のバランスを考えて書かないと、船が転覆しそう…結構難しかったのは海の波でした。
それでは、昨日の〝Nくん〟の話のつづきを…
さて、本人言うところの〝雑文〟とは? 2019・5・12と記された「詩歌について」という随想?いや論文かな…。でも読み終わった後の感想は、彼の読書量がいかに膨大かという一語に尽きました。
そういえば、いつか話したことを思い出しました。〝山に行かないときはたっぷり時間があるでしょ。だから俳句詠みなさいよね〟と言うと、〝はい!努力しています〟〝ヘエッ、どうやって?〟と聞いたら…
確か1週間に3回だったかしら?図書館巡りをしていると。彼の住まいは横浜、交通の便はいいから、今日は〇〇図書館、次は△△図書館…と、そのつど違う図書館へ朝から出かけて、一日本を読んで過ごして帰るのだと。うわあ~スゴイ!じゃあガンバッテね、俳句もすぐにマスターできるわよと応援したことがあります。
でも、俳句の本を読めば知識は豊富になるでしょうが、それで俳句がすぐにうまく詠めるようになるわけはありません。だから彼が〝さっぱりワカラン!ますます難しくなる…〟と言っていましたが、その通りでしょう。やはり俳句は実際に自分で作ってみて、それを指導して貰うのが一番の近道だと思います。そりゃあ独学でもやれるでしょうが、それはとても時間がかかります。
それでは彼の〝雑文〟を見てみましょうか。まず、冒頭の文章から…
日本文化の特徴の一つに、古の万葉より連綿と続く和歌を筆頭に俳句、川柳、詩などの短詩(short poem)の世界がある。
日本の言葉はフランス語と並び世界で最も美しい言語だといわれているが、そのような言葉を洗練し、凝縮し、美学にまで昇華していく。そして、背景には山、川、海の豊かな自然があり、画然とした四季の移ろいがある。
詩歌は現代の日本人の生活の中にしっかり溶け込んでいるように思う。新聞には週1回の短歌、俳句、川柳の蘭があり、テレビでは俳句などのカルチャー番組、芸人たちが競う俳句の番組「プレバト」などが人気のようだし、皇室の歌会はじめ、サラリーマン川柳などもある。
以前読んだ本の中に、「詩歌の森へ」(芳賀徹著)という感銘をうけた本があった。この題名をまねし、少し気取って「詩歌の雑木林へ」と称した雑文を書いてみた。これは私にとっての「自分史」の一つでもある。
どうです?この前書きを読んだだけで、彼の知識の豊富さと文才は推して知られるでしょう。今までなのか、この最近なのかは分かりませんが、彼が読んだ本から感銘をうけた詩歌や言葉を纏めたのだと思いますが、そのテーマをここに列記してみましょうか。
「辞世の句」「戦争と詩歌」「小説の中の詩歌」「最愛の人への挽歌」「三人の女性歌人」「武将と漢詩」「学問と詩人」「詩歌のたのしい解釈」「山と詩歌」「旅・漂泊と詩歌」と…
これを見るだけで、確かに彼の言う「詩歌の雑木林」へ迷い込んだようです。しかし、その木々を繋いでいる1本の糸…芯と言っていいかも。それは彼の死生観のようです。特に「辞世の句」や「戦争と詩歌」には、生と死が隣り合わせの状況で詠む詩歌というものが取上げられ、その〝こころ〟に胸を打たれます。しかし、彼が一番心を込めて書いたのは「山と詩歌」だという。
ならば、それを少し抜粋してみましょう。
古来、日本人は自然の中に生き、自然と共に生き、自然への憧憬や自然への畏怖があった。人間は自然の中のひとつであった。日本の面積の7割は山である。山があってはじめて川ができ、そしてその先に海がある。「ふるさと」は山と川に象徴される。
この自然を形づくる背景には、一年を4つに均等配分する豊かな四季があった。
春百花あり 夏涼風あり 秋月あり 冬雪あり
私にとっての山は、単なる山岳というより自然のまとまりを現したもの、即ち全自然を代表するものとしての存在である。山は私の生涯の心の拠り所であり、とりわけこの雑文の中で最も力が入る。…(中略)…
日本の山岳宗教では、人は死んでその霊魂は山に登りやがて山の神になる。さらに仏教の伝来で、一木一草にも命があり、山川草木悉有仏性の意識が生まれる。このような認識から山には多くの神、仏の名前が付けられた。
神道 459山 例 明神岳・愛宕山・天神山など
仏教 558山 阿弥陀岳・薬師岳・観音岳など
修験 473山 権現岳・御岳・大峰山など
他にも山を詠んでいる漢詩や俳句、短歌、詩など、共鳴した作品を取上げて鑑賞する。そこに浮かび上がる彼の心は、まさに私自身が学びもし、教えもしたいと思っている〝俳句のこころ〟と同じものなんです。
彼は〝不肖の弟子〟と口ではいいながら、その俳句の神髄はしっかりと受止めていたんです。いや、これは彼の天性の〝うたごころ〟なのかも知れませんが…。
更に、もっとこころを打たれたことがあるんです。それは「あとがき」の文章。でも、また、また長くなりましたので、それは明日にでも…
写真は、我が家の今日現在の黄葉と紅葉。まだこんなに残っていて…、でもこれほど遅くなって紅葉するのははじめてかも。三枚目はお隣さんちの紅葉で~す。