ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

長府吟行 その2

2019年12月21日 | 俳句

 今日の天気もイマイチで、晴れたり曇ったり、時にはパラパラと降ったりと、…でもこれが普通の冬でしょうね。今日は投句の〆切や午後の句会、さらには夜のイベントなどへ出かけたりして、青息吐息の一日でした。

 さて、長府吟行のつづきです。

 ④「長府毛利邸」……明治36年(1903)、長府毛利家14代当主・元敏によって建てられた邸宅。明治天皇の行在所としても使われたところで、一部の部屋は当時のまま残されています。武家屋敷造りの重厚な母屋と白壁に囲まれた池泉回遊式の日本庭園が往時をしのばせくれ、紅葉の季節になると一段とその風情が増しますが、今回は時間がありませんでしたので、入口だけで中はパス。

 ⑤「古江(ふるえ)小路」……ここは嘗て入り江になっていたところで、城下町として知られる長府のなかでは、その面影をもっとも残す通り。散策していると、まるで江戸時代にタイムスリップしたかのような雰囲気に浸ることができますよ。やはり城下町として合戦に備えた配慮がされており、武家屋敷の土塀は防壁として築かれているほか、路地はT字になった部分が多く迷路のように作られています。ここには代々長府藩に仕えた菅家の「菅家長屋門」という、堂々とした風格のある門が残っていますが、写真は…ザンネン!

  

 ⑥「横枕(よこまくら)小路」……武家屋敷が建つ古江小路と並んで、歴史を感じさせる通りが横枕小路です。「乃木神社」の横を東西に抜ける細道で、樹葉に覆われた土塀の空間は、そのままタイムトンネルといった味わいがあります。

 ⑦「乃木神社」……明治天皇の崩御の際に殉死した軍人・乃木希典を、文武両道の神として祀っています。1859年に長府に転居した後、西郷隆盛による西南の役で官軍として参戦するなど、多くの武功をあげました。境内には乃木将軍が育った家が復元されているほか、夫婦の銅像も建てられています。また、ゆかりの品々や遺墨などが展示された宝物館もあります。私には分かりませんが、「水師営の会見」の歌碑や二百三高地の記念の松など…分かる人にはとても懐かしく思われる所のようです。

 また、乃木家の「梅井」の水は御神水として今でも飲むことが出来ます。もちろん学問の神様にあやかって私も飲みましたよ!

 ⑧「忌宮(いみのみや)神社」……長門国二の宮で、仲哀天皇・神功皇后が九州の豪族を平定する際に、ここに豊浦宮(とよらのみや)を建て、7年間滞在したといわれています。境内の一角には、仲哀天皇に渡来人が蚕を献上したという伝説にちなんで「蚕種渡来の地の碑」が建てられていて、宝物館には国の重要文化財など100点が収蔵されています。更に毎年8月7日から1週間続く「数方庭祭(すほうていさい)」は、1800年の歴史を持つ〝天下の奇祭〟として有名ですが、私はまだ見たことがありませんので、是非今度見に来たいと思っています。

 長府には今までに何度も来ていますが、ここに来る度に放し飼いの鶏がいて…ああ、やっぱりいましたね。白いのは烏骨鶏です。

 ここには他にも長府の松下村塾といわれた長府藩士・福田扇馬の私塾の遺構、「集童場場長室」が移築されています。乃木将軍もここで学んだ一人なんですよ。 

 以上で「長府吟行」は終り。落ち着いたとてもいい町ですので、どうぞ〝長府へおいでませ〟で~す!

コメント (2)
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