ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

長府吟行 その1

2019年12月20日 | 俳句

 今日は朝からゾクゾクすると思ったら、暖房が入っていませんでした。いつも朝の早い主人が暖房をつけてテレビや新聞を見ていますので、私が起きるときはいつもホッカホカ…。

 今朝はゴルフが1週間前倒しになったとかで、早めに出かけるから入れていなかったのでしょう。最高気温も12度と、昨日とは随分違います。確かに昨日は寒くはなかったのですが、天気はいま一つの曇り。年末までに片付けねばならぬことが山積みしていますので、一つづつやっておかないとと思ったんですが、でもこの天気では今一つ調子がでませんでした。相変わらずまたバタバタしそう。

 さて、先日の長府吟行のコースです。まず①「壇具(だんぐ)川と長府藩侍屋敷長屋」からスタート。その川に沿って行くと、途中に②「御影(みかげ)の井戸」があります。そこに寄って、更にせせらぎを聞きながら上がっていくと③「功山寺(こうざんじ)」に着きます。ここは見るものがたくさんありますので、結構時間を使いました。その後、④「長府毛利邸」、ここは中に入らず外から見るだけで過ぎ、⑤「古江(ふるえ)小路」⑥「横枕(よこまくら)小路」を通って⑦「乃木神社」へ。ここではしばらく散策して、最後の⑧「忌宮(いみのみや)神社」の境内を通って出発点の長府観光会館へ戻りました。所要時間2時間余り、約5000歩ぐらいだと言ってたかしら…。日が差したり時雨が来たり、日照り雨もあったりと…なかなかいい吟行でしたよ。

 ①「壇具川と長府藩侍屋敷長屋」……小さいですが長府の歴史とともに流れている川で、初夏にはホタルが舞う静かなところです。侍屋敷は、約100m南にあった建物を保存のために移築したもので、仲間部屋の格子窓の造りなど、当時の上級藩士の屋敷の趣をよく留めている建物。この日は鍵が掛かっていて、残念ながら中を見ることができませんでした。写真は撮っていなかったのでお借りしました。壇具川には、いつも鴨がいますが、これは渡って来る野生の鴨ではないようです。

 ②「御影の井戸」……菅原道真公が都から太宰府に流される途中、忌宮(いみのみや)神社の大宮司家に立寄り、泊まったときのことで、明日は出発という日、勧学院に入り院内の庭にある井戸に自分の姿を映してご覧になると、ひどく淋しい気持ちになってきて、水にうつった自分の顔に向かい、「都を離れてすでに百日以上になる、ずいぶんやつれた顔になったな、しかし、も う二度とこの土地にくることはなし、この井戸で私の顔をみることもあるまい」と 筆と紙をとり出し、自画像を描いたそうです。 その後、道真公は太宰府で亡くなりますが、長府ではこの井戸を「御 影の井戸」と呼んで大切に伝えているのだと。しかし、この井戸をのぞいたものは、目がつぶれるという言い伝えも残っているとか。ああ、覗いてしまいました…どうしよう、オソロシイ! 

 マンホールの蓋も下関名物の「河豚」でしたよ。壇具川の畔は雨の降った後らしく、楓の落葉が散り敷いてとても風情があり、ゆっくり歩くと気持ちまでしっとりさせられて、まるでタイムスリップしたよう…。

 ③「功山寺」……二重門の山門やわが国最古の禅宗様建築の国宝の仏殿が、嘉暦2年(1327)創建の由緒を語ってくれます。桜と紅葉の名所で、長府毛利家の菩提寺でもあります。また、弘治3年(1557)、毛利軍に敗れ、この地で自決した大内義長(よしなが)の墓があるほか、幕末の三条実美らの五卿潜居(ごきょうせんきょ)や高杉晋作が挙兵した寺としても知られ、境内には馬上姿の「高杉晋作回天義挙銅像」が置かれています。大内義長の墓へ行ってみましたが、人目に付かない奥まったところで、まるで誰の墓とも知れずにひっそりと建っていました。その横には「豊永家」と、それはそれは立派な墓がありました。これはもしかしたら、長府藩士「印藤聿(いんどうはじめ)」生家跡というのがありましたから、その子孫では?だって 「印藤聿(いんどうはじめ)」という人は、「坂本竜馬」を政治的に 支援した長府藩士で、維新後は「豊永長吉」と名を改め、 関門地域の殖産興業に尽力したというんですから。それに比べると、名門大内家の最後の人物の墓としては何とも哀れ!

 この功山寺の紅葉は、周りを木々に囲まれているため意外と遅くまで残っているので有名ですが、この日もまだ少しあって、観光客が喜んでいました。

 また、山門の傍に田上菊舎(1753~1826)の句碑がありました。句は、〈鐘氷る夜や父母の思はるる〉で、奥羽行脚の道すがら日光に詣でて、寒い冬の夜に故郷の父母へ思いを寄せて詠んだもの。季語は「氷る」です。

 菊舎は江戸後期、加賀の千代女と並び称された女流俳人。旅を愛し、江戸、京都、北陸、九州を巡り、俳句三昧の人生を生きました。晩年は長府に住み、この地で没しました。

 長くなりましたので、今日はここまで。でも、今日も明日も、また来週もずっと俳句漬ですので、UPが遅れるかも…ご了承を!


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