ちわきの俳句の部屋

メカ音痴おばさんの一念発起のブログです。
人生の後半を俳句にどっぷりと浸かって、…今がある。

昨日の兼題は〝稲刈〟

2017年09月26日 | 俳句

 昨日の句会の兼題は〝稲刈〟、もちろん秋の季語です。

 去年までは棚田のオーナーをしていましたので、いつも9月の第2日曜日が稲刈りでした。15年間続いたオーナー制度が地権者の方々の高齢化で昨年末に解散しましたので、淋しい限りです。が、これも時の流れで仕方のないことですがね。

 今回の会場は、市のはずれにある田舎ですので、行くまでの道筋には、稲がたわわに実っている田やもう稲刈りが済んだ刈田、今真っ最中の田などもあったりして、秋たけなわの気持のよい景色を楽しみながら行きました。

   一夫一婦まもり通して稲を刈る   右城暮石

 最初、作者は「うしろぼせき」さんですと言ったんですが、家に帰りウィキペディアで調べてみると、なんと「うしろくれいし」とあるではないですか。エエッ!今まで私は皆に嘘を教えていたのかしら…とびっくりして、略歴などを調べてみました。

 明治32年(1899)~平成7年(1995)享年96才。高知県生れ。本名斎(いつき)。出身地は高知県長岡郡本山町字古田小字暮石(くれいし)で、そこから俳号をつけたとか。大正9年(1920)大阪朝日新聞社の俳句大会で松瀬青々を知り、大正10年(1921)その主宰誌「倦鳥(けんちょう)」に入会して、松瀬青々に師事。昭和21年「青垣」「風」同人。24年「天狼」同人。昭和27年(1952)「筺(かたみ)」を創刊、昭和31年(1956)「運河」と改題して主宰となる。句集『上下』で蛇笏賞受賞。平成3年(1991)主宰を茨木和生に譲り、翌年90才を過ぎて生地へ帰郷。穏やかな目線で小動物を扱った句が多いという。

 まあ、こんな感じでしたが、句碑やその他の資料を見ても、全て「ぼせき」の名になっていました。両方とも使っていたんでしょうか?地名は間違いなく「くれいし」と読むようですが…。

 ところで、上掲の句で面白い話が出ました。「一夫一婦を守り通したということは、当時としては珍しいのでしょうか?」「う~ん、明治生れの人だし…金持ちなら一夫一婦じゃないかもね~」などと。「稲を刈る」のはやはり農耕民族としての日本人の原点でしょう。その農業を守り通したという自負もあるのではと、私は思いましたが。

 暮石に〈妻の遺品ならざるはなし春星も〉という句がありました。何を見ても妻の遺品…ということは長い年月の夫婦の深い絆があったからでしょう。だからあの空の春の星さえも妻の遺品だと言うんですから…ね。よく分りませんが夫婦仲が良かったんでしょうね。誰かが言っていましたよ。「若いときは男の人には何かあってもおかしくはないものね~」と、奥さんが旦那さんの顔をチラリと見て…後はみんなで笑って…ウフフとオシマイ。(笑)

 さて、句会では〈子ら散りて学習田は案山子のみ〉が最高点でした。最近は学校で田植から稲刈りまでを経験させるため、学習田を用意しているところが結構あります。ここでもそれがあって、稲刈がすんで子供たちが帰った後の、ぽつんと残された案山子を詠んだもの。案山子さんも今日からはもう用がなくなるし…そんな淋しさも加わって、味わい深い句ですね。結構でした!

 実は昨日このブログ書きかけて夜中になり、途中で寝てしまいました。今日も句会でしたので、途中のままその準備に追われ、今書き上げています。なので、今日の句会の様子はまた明日にでも…。

 今日の写真は〝栗〟です。以前も毬栗を載せましたが、ちょっと遅く生る栗の木が今ちょうど食べ頃で、実が弾けていましたので、それを収穫しました。2,3年前はできすぎてみんなに配って回るほどでしたが、ここしばらくは無理でしょうから、惜しんで食べないと…。じゃ、いただきま~す。 ゴメンナサイね!

 


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